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23.地下クラブ

 酒場を出たアンとグレンは、幅広の通りを横断し、ぽつりと佇む鉄製の扉の前に立った。薄汚れたれんが造りの外壁に、後から無理やり取り付けたかのようなその扉は、地下クラブの存在を知らなければ絶対にくぐろうとは思わない。


 錆びた取っ手に手をかけ、グレンは言った。


「扉の先に地下へと続く階段があるんだ。階段の先にまた扉があって、そこに人が立っている。前回俺1人で来たときは、そいつに追い返された。『ここはカップル限定のクラブだから、入りたければ相棒を連れてこい』ってさ」

「へぇ、今日はすんなり通してもらえるといいね」


 グレンの手が鉄扉を開き、2人はそろそろと扉をくぐった。

 

 扉の内側には、グレンが言ったとおり地下へと続く階段が伸びていた。色味のない石造りの階段だ。階段の左右には色あせたれんが造りの壁が伸びていて、低い天井にはランタンが揺れる。まるで地下牢へと続く階段のように、物々しく閉鎖的な空間だ。


 石造りの階段を20段も下りると、行く先にはまた鉄製の扉が見えてきた。扉の前には男性が立っている。ストライプ模様の燕尾服を身につけた品のいい男性だ。

 

 アンとグレンが階段を下り切るや否や、男性は2人に向けてうやうやしく頭を下げた。


「ようこそ地下クラブへ。当施設のご利用は初めてですか?」


 男性の問いかけにはグレンが答えた。


「初めてだ」

「左様でございますか。どなたかのご紹介でいらっしゃいますか?」

「紹介ではない。繁華街の酒場で、たまたまここの噂を聞いたんだ」

「では紹介状はお持ちではありませんか」


 いつも自信満々なグレンの顔が、珍しく不安にかげった。


「紹介状は持ってねぇが……」


 もしや地下クラブに入るためには、誰かしらの紹介状が必要だったのか。アンはドキドキとしながら男性の返事を待った。

 少し間をおいて、男性はまた丁寧な口調で言った。


「では会員登録料として、お1人様につき金貨1枚をいただくことになります。それとは別に本日分の入場料がお2人で金貨1枚。合計金貨3枚を頂戴しますが、よろしいですか?」


 どうやら紹介状の不所持は、金を払えば解決できる問題のようだ。ほっとした表情のグレンが答えた。


「金がかかるのは構わねぇよ。ちなみに紹介状があれば、会員登録料は丸々免除されんの?」

「現会員様の紹介状があれば、会員登録料は免除される規定となっております」

「あっそ、良心的な規定だね」


 グレンはズボンのポケットから金貨を3枚取り出し、男性に手渡した。

 すると金貨と引き換えに、男性はグレンに銀色の記章を手渡した。カーネーションをモチーフにした可愛らしい記章だ。


「こちらの記章が当施設における会員章となります。再発行には金貨1枚をいただきますので、紛失には十分ご注意ください。また他人への譲渡や貸与は重大な規定違反となり、発覚しだい当施設への立ち入りが永久的に禁じられます。くれぐれもご注意くださいませ」


 丁寧な口調で説明を終えた後、男性はアンの手のひらにも記章をのせた。小さいながらもしっかりとした重さがあり、細部までよく作り込まれている。アクセサリーとして身に着けていても違和感はなさそうだ。


 アンがシャツワンピースの胸元に記章を留め終えたとき、薄暗かった階段室にまばゆい光が射しこんだ。先へと続く扉が開かれたのだ。


 目がくらむほどの光と、大音量で掻き鳴らされる音楽と、そしてアルコールの匂いを混ぜた熱気が、扉の向こうから滾々と流れ出してくる。


「地下クラブへようこそ。どうぞ心行くまでお楽しみください」


 男性の声に背を押され、アンとグレンは光の扉をくぐった。


 ***


 扉をくぐり抜けた先には、地下とは思えない壮大な空間が広がっていた。

 遮蔽物のない広い空間には、100人を超える人々が滞在していて、彼らは弾むように踊る、踊る、踊る。大音量で掻き鳴らされる音楽に、天井でまたたく色とりどりの灯りに、むんと立ち込める熱気に、今にも飲み込まれてしまいそうだ。


 大音量の音楽にかき消されないようにと、アンは声を張り上げた。


「派手なクラブだねぇ。あたしも一般的なクラブには顔を出した経験があるけど、規模が桁違いだよ。人の多さも、設備の派手さも、音楽の音量もさ」


 アンの隣に立つグレンも、台風さながらのクラブの様子に圧倒されているようだ。


「地上のクラブじゃ、こんな派手な演出はできねぇよな……。ここまで大音量で音楽を垂れ流しちゃ、近隣の酒場から苦情の嵐だぜ」

「そうだねぇ。案外、これだけが売りの場所なのかもよ? グレンの想像するようないかがわしいことは何もなくてさ。イェレナ嬢がこのクラブに出入りしているのも、会員制で安心だからっていうだけなのかも」


 アンはそう言いながら、クラブの会場をぐるりと見まわした。広い会場に窓はなく――地下なのだから当然だが――出入り口以外に扉と呼べそうな物は見当たらない。

 会場の中央にはカウンター台があり、酒の給仕が行われているようであるが、特段おかしな点も見受けられない。

 

 ここが地下にあるだけの普通のクラブなら、アンとしては一安心だが、グレンは不満そうだ。


「普通のクラブ……なのかねぇ。そうだとしたら無駄足じゃねぇか。金貨3枚も払ったってのに」

「どうする? せっかくだし少し踊って帰る? あたし、ダンスはまるで駄目だけど」

「俺もそれほど好きじゃあない。せっかく高い金を払ったんだから、念のために聞き込みくらいはしてくるか……」

「じゃああたしは会場内を適当に散歩してくるよ。怪しい人が出入りしていないかとか、変な物が置かれていないかとか、そのくらいの事ならあたしでもチェックできるからさ」


 アンがそう提案すれば、グレンはぽんと手を叩いた。


「そうだな。やるべきことはさっさと済ませて、どこかで飯でも食って帰るか。お前んちの近くに洒落た飯屋があるだろ。俺、ずっと気になってんだよね。今日の晩飯はあそこにしようぜ」


 話すうちに、グレンの顔はみるみる笑顔になった。驚異的な切り替えの早さである。目を潰さんばかりの笑顔に圧倒されながらも、アンは「ああ、うん」とうなずいた。


「グレンがすぐに帰らなくてもいいのなら、夕食くらいは付き合うよ」

「よっしゃ。そんなら1時間後にここ集合な。会員制のクラブに野蛮人はいねぇと思うけど、一応気を付けろよ。知らないおっさんが菓子をくれても、ほいほいついていくんじゃねぇぞ」

「あたしは2歳児かい?」


 アンの文句には言葉を返さずに、グレンは軽い足取りで人混みの中へと消えていった。


 グレンと別れ1人になったアンは、どこを目指すでもなく会場内をふらふらと歩き回って過ごした。演奏隊の華麗な指技にしばし心を奪われ、踊り狂う淑女に足先を踏まれ、大音量の音楽にくらくらとめまいを覚えながら放浪する。

 アンたちが到着したときよりも人の数は増え、会場全体が1つの熱の塊のようだ。

 

 ひたいに浮いた汗粒をぬぐい、アンはぶつぶつと独り言を言った。


「それにしても暑いなぁ。怪しい物も見つからないし、どこかで少し休憩しよっかな……」


 行く当てもなく会場内を歩くアンの背後に、音もなく歩み寄る人がいた。

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