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15.金色の人

 レオナルドの案内により、3人はとある扉の前へとやってきた。建物の2階、南側に位置する場所だ。飾り気のない壁にぽつねんと佇むその扉を見て、ローマンは遠慮がちに尋ねた。


「こちらのお部屋にアーサー殿下がいらっしゃるのか」

「ええ。寝室はまた別にありますが、太陽が出ているうちはこちらで過ごされることが多いです。建物で一番、日当たりのよい部屋ですから」


 レオナルドの手が扉を開く。

 白い光に目がくらむ。


 扉の先はよく整頓された清潔な空間だった。弓形出窓の内側には植物の鉢が並べられていて、黄色いパンジーがみずみずしい花を咲かせている。

 

 アンは部屋の中央に置かれたロッキングチェアに目を留めた。無垢材で作られた温かみのあるロッキングチェアだ。陽だまりの中でゆらゆらと揺れる。


「アーサー第6王子……」


 ロッキングチェアには、美しい金髪の青年が腰かけていた。

 歳はアンより少し上、20代前半というところだろうか。なめらかな絹素材の衣服に袖を通したその青年は、折れそうに細い手足をだらりと投げ出して、何をするでもなくただロッキングチェアに揺られている。薄く開かれた瞳は虚空を見つめたまま、アンとローマンの来訪にも目立った反応は示さない。


 案内人であるレオナルドが、優しい声で青年に話しかけた。


「アーサー殿下、お客様です。リーウの町を治めるローマン・ドレスフィード候と、三女のアン様。結婚候補者の1人として、ぜひとも殿下にご挨拶をしたいと」


 レオナルドの紹介に合わせて、ローマンとアンは順番に頭を下げた。

 それきり部屋の中は沈黙に包まれてしまった。アーサーは何も言わない。レオナルドの言葉などまるで聞こえていないのだと言うように、ぼんやりと虚空を見つめたまま。


 沈黙に耐えかねたローマンが、「あー……」と小さな声を上げた。


「アーサー殿下は心神喪失状態にあるとの噂をうかがっている。挨拶程度の会話も困難なのか?」


 ローマンの質問にはレオナルドが答えた。


「会話はできません。名前を呼べば反応を示すことはありますが、それだけですよ。移動にも食事にも入浴にも、我々使用人の助けが必要です」

「それは、何とお労しい……」


 レオナルドとローマンは、その後も小声で会話を続けた。結婚の当事者であるはずのアンは、訪問当初から終始置いてけぼりだ。

 しかしそれは仕方のないことだ。貴族の結婚は家同士の繋がりを作るための儀式であり、結婚に関わる決定権は全てその家の当主にある。つまりアンの結婚に関わる決定権は、すべて父であるローマンにあるということだ。


 置物のように立ち尽くすアンの耳に、聞きなれた声が届いた。


「おい、アン」

「ん?」


 振り向いてみれば、薄く開いた扉の隙間からグレンが顔を出していた。まるで子猫でも呼び寄せるようにして、右手でちょいちょいとアンを呼び寄せる。

 

 アンはレオナルドとローマンの様子に気をつかいながら、こっそりとグレンのそばに移動した。


「よう、久しぶり。元気か?」

「まぁ……元気っちゃ元気かな」

「顔合わせは順調そうだな」

「順調……なのかなぁ。あたしと親父が喧嘩をしていない、という点で見れば順調かもね」


 アンとグレンはひそひそ声で挨拶をする。互いに多忙であったため、2人がこうして顔を合わせるのは2週間ぶりのことだ。

 アンの背丈に合うようにといくらか身を屈め、グレンは楽しげに質問した。


「レオナルド、どう? 怖ぇだろ」

「あたしは別に。でも親父はびびってたよ。あたしを売り込むために、嘘八百並べたてる気満々でここに来たからさ」

「ま、そんなもんだろ。何人かの結婚候補者が挨拶にきたけど、娘の欠点を語るやつなんて1人もいなかったぜ。選挙の演説かってくらい綺麗な言葉を並べたてやがんの。どうせ調査報告書には真実を書かれるってのに、笑えるよな」

「へぇ……あのレオナルドを前にしてよく嘘なんか吐けるね……」


 アンは少し離れたところにいるレオナルドの後ろ姿を見つめた。かつて鬼人と呼ばれたレオナルドの背中は、ローマンの背中よりもはるかに大きくたくましい。アンがローマンの立場だったら、レオナルド相手に嘘を吐こうなどとはまず考えないだろう。事前に威嚇を受けているのだから尚更だ。

 

 レオナルドとローマンの背中を眺めながら、アンとグレンの会話は続く。


「ところでお前、今日は王都から来たのか?」

「実家から来たよ。親父と一緒にさ」

「ふーん。帰りは?」

「帰りも親父と一緒に実家行き。本当はまっすぐ繁華街へ帰りたいんだけどね」


 アンはゆううつな溜息を零した。

 

 グランド家の別邸を中心としてみれば、ドレスフィード邸は西側、繁華街は東側に位置している。つまりアンの私宅とドレスフィード邸は、まるきり別方向だということだ。

 

 しかしだからと言って、アンとローマンが別々の馬車で移動することはできない。アンが実家住まいでないことがレオナルドに知られれば、必然的にその理由を説明しなければならないからだ。「私との喧嘩が原因でアンは家出中でね。はっはっは」アンを売り込みたいローマンが、そのようなことを口にしたいはずもない。


 帰りの馬車の中は寝たフリでやり過ごそう。アンはそう心に決めるのだ。


 ローマンの笑い声を聞き、アンははっと我に返った。見ればローマンとレオナルドがそろって肩を揺らしている。何を話しているかはわからないが、初めこそ険悪な雰囲気だった2人はそれなりに打ち解けたようだ。


「アン。チーズケーキとチョコレートケーキ、選ぶならどっちだ?」

「……ん?」


 突然の質問である。アンが答えあぐねていると、グレンは「早く答えろ」とばかりにアンの背中をつついた。


「茶会の菓子の話。チーズケーキとチョコレートケーキを用意してるんだけど、どっちが食べたい?」

「え、この後お茶会があるの?」

「はるばる来てもらってんだ。茶くらい出すさ。で、どっち」


 アンは少し考えてから答えた。

 

「あたしはチョコレートケーキがいいかなぁ。でも親父は嫌がるかも。甘い物、嫌いだから」

「あっそ。じゃあ親父さんの分はチーズケーキにするから、お前が2人分食え」


 扉の隙間からグレンの手が伸びてきて、アンの頭をぐりぐりと撫で回した。「髪が乱れるよ」と文句を言う間もなく、グレンの手はアンの頭から離れていく。


「――園庭に移動しましょう。使用人が茶会の準備をしておりますから――」


 レオナルドの声に気を取られたアンが、再び扉の隙間に視線を移したときには、もうそこにグレンの姿はなかった。

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