14.王子様のところへ
その日のアンは、人生で1、2を争う不機嫌具合であった。
身に着けたるは可憐の代名詞である薄桃色のシフォンワンピース、尻の下にはカタコトと揺れる硬い座席、そして目の前にはむっつりと黙り込む宿敵ローマン・ドレスフィード。
今日アンとローマンは、王都から馬車で1時間ほどのところにある王家の別邸を訪問する予定だ。
訪問の目的は結婚のための顔売り。アーサーとの結婚可能性を少しでも上げるためには、直接アンを売り込みに行くがよいだろう、とローマンが判断したためだ。
だからアンは昨日のうちにドレスフィード邸へと赴き、朝一番で身支度をして、ローマンとともに馬車に乗り込んだ。「現地集合でよかったじゃん」アンは今朝から心の中で何度そう声を上げたかわからない。
しかしむっつりと黙り込むローマンを相手に文句など言えるはずもなく、大人しく馬車に揺られている。
アンとローマンの乗る馬車は、人里を離れたなだらかな丘の上へとたどり着いた。見渡す限りの場所に町や村はなく、うぐいす色の丘の上に小綺麗な邸宅が建っている。
侵入者を拒むための外壁もなく、来客を迎えるための外門もない。
それがティルミナ王国第6王子であるアーサー・グランドの住まいだ。
建物のすぐそばで馬車を下りたアンとローマンは、小さな玄関戸の前に立った。
ローマンがドアノッカーで戸を叩くかたわら、アンは建物の周囲を眺め見た。そよ風に吹かれる緑の芝生、建物の脇に作られた野菜畑、美しくそしてのどかな場所だ。
ぼんやりと景色を眺めるアンの耳に、皮肉めいたローマンの声が届いた。
「いい住まいではないか。ここで暮らせるのなら本望だろう」
アンは答えを返さない。
間もなくして建物の扉が開いた。扉の内側から姿を現した者は、年齢が30代中頃と見える精悍な男性だ。
すっきりと短い髪に、肉付きの薄い頬とあご。半袖シャツから突き出した2本の腕は丸太のようなたくましさだ。
その強靭で精悍な男性は、アンとローマンを見るとうやうやしく一礼をした。一見すれば荒々しくも見える容姿に似つかわしくない、優雅で洗練された礼だ。
「ローマン・ドレスフィード様、アン・ドレスフィード様。ようこそグランド家の別邸へ。あなた方の到着をお待ちしておりました」
「出迎えに感謝する。失礼だが、貴殿の名は?」
「私はレオナルド・バトラーと申します」
男性がそう名乗った瞬間、ローマンの表情が変わった。
「もしや以前は騎士団に所属しておられましたかな? 鬼人レオナルドとは貴殿のことか」
「懐かしい呼び名ですね。しかしそう呼ばれていたのはもう10年以上も前のこと、今の私はしがない使用人にございますよ。ささ、お二方。どうぞ中へお入りください。あまり長く戸を開けていては、蛇やネズミが入り込みます」
レオナルドに促され、アンとローマンは慌てて玄関口をくぐった。
扉の内側は、余計な装飾のない廊下が伸びていた。肩を並べて歩く最中、ローマンがレオナルドに問いかけた。
「バトラー殿。客人の出迎えはいつも貴殿が?」
「客人の出迎えは私の仕事です。何か不自然なことが?」
「いえ、失敬。まさか貴殿のような猛者に出迎えられるとは思わず、少し驚いただけのこと。我が家の客人対応には……その、比較的特徴のない人物を置いているのでね」
ローマンは言葉を濁したが、本音を述べるなら「なぜお前のような厳つい男が客人対応に当たっているのだ」というところか。
ドレスフィード邸に客人がやってきた場合、扉を開けるのは使用人であるドロシーの仕事。ドロシーはドレスフィード家最古参の使用人で、人当たりがよくしゃべり方も穏やかだ。
ドロシーに迎えられた客人は、緊張感や威圧感を抱くことなく、応接室までの道のりを歩くことができる。
それに引き換えこの別邸はどうだ。出迎え人はかつて『鬼人レオナルド』と呼ばれた猛者。いくら現役を退いているとはいえ、身の竦むような威圧感は健在だ。
なぜそのような特異な人物に客人対応をさせているのか? ローマンの疑問は、他ならぬレオナルドの説明によって、すぐに解消されることとなった。
「この邸宅には悪意のある客人が頻繁に入り込みます。例えば王家と繋がりを持ちたいがだけの好事家、『万能薬』なる偽薬を売る悪徳商人。そのような望まれない客人には、私の容姿がよく効くのです。私の容姿を恐れること、それすなわち武力によって裁かれるべき何らかの悪意を持ち合わせているということ」
「なるほど。そういう事情が……」
ローマンが納得の表情を見せたそのとき、レオナルドの両眼が肉食獣のように光った。かつての鬼人は、白い歯を見せて獰猛に笑う。
「ドレスフィード候、あなたは私を恐ろしいと感じましたか? そう感じたのであれば、あなたの中には後ろめたさがあるということ。すなわち私とこの別邸の者を騙そうとしているという意味に他なりません。いかがですか、ドレスフィード候。あなたは私が恐ろしいか」
レオナルドは威嚇心を隠そうともしない。ローマンは首筋にだらだらと汗を流し、それきり何も言葉を返せなかった。
すっかり静かになってしまったローマンの横顔に、アンは心の中でこう呼びかけるのだ。
――親父。残念ながらあたしたち、あんまり歓迎されていないみたいだよ




