13.相棒誕生
部屋着に着替えたアンが浴室から出ると、部屋の中にクロエの姿はなかった。
クロエの代わりに食卓椅子に腰かける者は、クロエと同じ年頃の青年だ。その青年の顔を見た瞬間、アンは「ぎゃあ」と悲鳴をあげた。
「な、何でグレンになっちゃったの⁉ しかもそれ、あたしの服……」
アンは震える手で、青年――グレンが着る紺色のシャツを指さした。そのシャツはアンの私物、正確にはアンドレの私物だ。しわになっては困るからと、ハンガーに吊るし部屋の壁にかけておいた物。
アンが部屋の壁を見てみれば、そこにはクロエが着ていたはずのシャツワンピースが吊るされている。
アンの動揺をよそに、グレンは何でもないというように言い放った。
「借りた」
「借りたって……まさかそのズボンも?」
「そりゃあな。俺、男物の衣服なんて持ち歩いてねぇもん。ああ、安心しろよ。下着は借りてない」
「……ノーパンで人様のズボンを穿くのも、どうかと思うけど」
アンは溜息を零しながら、来客用のスツールに腰を下ろした。本来アンが腰かけるはずであった食卓椅子は、グレンに占領されたままだ。
フルーツサンドの包み紙を剥ぎながら、アンはグレンに尋ねた。
「何でグレンになっちゃったの? クロエのままじゃ駄目だった?」
「お前も変貌魔法の使い手ならわかるだろ。疲れるんだよ。顔だけ変えるならまだしも、肉体の性別まで変えるのは本当にきつい。お前、よくアンドレの姿で何時間も酒場にいられるよな」
アンは納得したとうなずいた。
「確かに肉体全部作り変えるのは疲れるよね。あたしも初めのうちは、あまり長い時間変身できなかったな。今はもう慣れちゃったけど」
この世界には魔法という不可思議な技があふれている。
暗闇に光を灯す魔法
手のひらから水を湧き出す魔法
物体を宙に浮かべる魔法
他人の感情を読み取る魔法
ただ魔法は誰もが使えるわけではなく、また1人の人間が全ての魔法を使えるわけでもない。1人の人間が会得できる魔法は生涯で1つだけ、それもどのような魔法が発現するかは発現のときまでわからない。
幼少時に魔法を発現する者もいれば、老人になってから発現する者もいる。生涯魔法を使えない者もいる。
そんなあいまいで謎に満ちた技が、魔法と呼ばれている。
アンが変貌魔法を発現したのは16歳のとき。父親との不仲が原因で、家を飛び出した直後のことだった。それも初めは小さな変化だった。ほんの少し顔の作りを変えられるだけ、少し手足の大きさを変えられるだけ。
毎日少しずつ訓練を重ね、魔法の発動規模を大きくし、1か月のときをかけて作り上げた存在がアンドレだ。
見放された令嬢アン・ドレスフィードではない。
全ての人を等しく愛し、愛される存在アンドレ。
懐かしい記憶を思い起こすアンの耳に、グレンの声が飛んできた。
「それで、俺に話って何?」
そう、2人はエマ手製のフルーツサンドを味わうためにダイニングテーブルを囲っているわけではない。目的はあくまで内緒話、それもアンの将来に関わる重要・重大案件だ。
アンはドキドキと胸を鳴らしながらも、平静を装って尋ねた。
「グレンの主って、アーサー第6王子?」
核心を突く質問に、グレンは一瞬黙り込んだ。そしてアンの瞳をまっすぐに見据えたまま、低い声で尋ね返した。
「……なぜそう思う?」
アンはグレンの瞳を見返しながら、慎重に答えた。
「今日、アリス姉さんに聞いたんだ。ローラ・クロフォード嬢がアーサー王子の結婚相手に立候補しているって。グレンはローラ嬢のことを調べていたよね。素性調査のためだと言ってさ」
素性調査のためだといってローラのことを調べていたグレン。ローラがアーサーの結婚候補者であることを明かしたアリス。2人の証言を繋ぎ合わせれば、導き出される答えは1つだけだ。
真実をごまかすことはできないと悟ったのだろう、グレンは表情を緩めて答えた。
「ご名答、俺はアーサー第6王子に仕える使用人の1人だ」
やはりそうかと納得し、アンは質問を重ねた。
「グレンは、アーサー王子の昔からの知り合いなの?」
「そうだな、もう長い付き合いになる。うちの使用人はそういった奴ばかりだ。神童、鬼才、そう呼ばれていた頃のアーサー王子を心から慕っていた者。抜け殻になったアーサー王子の生活を支えんと、皆が力を尽くしている」
「そうなんだ……」
アンがしんみりとした気持ちで相槌を打てば、グレンは疲労をにじませた表情で話を続けた。
「俺たち使用人一同は、アーサー王子に幸せな結婚をしてほしいと思っている。普通の結婚生活は送れなくとも、せめて王族の一員としてふさわしい妻をそばに置いてやりてぇんだよ。それなのにさぁ……縁談相手は問題のある令嬢ばっか。イザベラ嬢は庶民と駆け落ちしようとしてるだろ? ローラ嬢は倉庫から鉱石を盗み出してるだろ? 多少問題のある娘でも『捨てられた王子様』相手ならば結婚が叶うかもしれないと、そう考える貴族連中は多いんだろうな」
「そ、そうなんだ……それは素性調査も大変だね……」
グレンが素性調査にあたり猫の手、ならぬアンドレの手を借りようとするのには、そういった複雑な事情があるようだ。
しかし自らの苦労話をこれ以上語るつもりはないようで、グレンはさっさと話を切り上げた。
「ま、この際こっちの事情はどうでもいい。それで、お前の話ってのは? まさか俺とアーサー王子の繋がりを確かめるためだけに、俺を探していたわけじゃねぇだろ?」
「もちろん、本題はこれからだよ。びっくりしないで聞いてほしいんだけどさ」
アンはたっぷりと息を吸い込んだ。
「実はあたし、アーサー王子の結婚相手に立候補させられちゃうんだよ」
長い沈黙。
グレンは鼻を鳴らして笑った。
「何の冗談だ?」
「冗談じゃないよ! あたしが今日親父に呼び出されたのは、それが理由だったんだから。何か小難しい書類に署名させられたもん!」
アンが必死で訴えた次の瞬間。
部屋の中にはグレンの笑い声が響き渡った。まなじりに涙の粒を浮かべたグレンは、両手のひらでテーブルを叩き、ひぃひぃと息を切らして大爆笑。
そんなに笑わなくたっていいじゃん。グレンの笑い声に比例して、アンの頬は膨らんでいく。
「お前、最っ高。本当飽きねぇわ。それで、それを俺に伝えてどうすんの。ぜひアーサー王子と結婚させてくれ、と懇願するか?」
「しないよ。あたし、結婚なんてしたくないもん」
「あっそ。じゃあ、何」
笑うことを止めたグレンは、アンの顔を真正面から見つめた。真剣な眼差しを向けられて、アンの胸は柄にもなくドキリと高鳴った。
アンのもう1つの顔であるアンドレは、女性の理想を忠実に体現した姿だ。すらりとした長身に甘い顔立ち、耳をくすぐるハスキーボイス。
貴公子アンドレに耳元で愛をささやかれて、心ときめかない乙女はそう多くはいないはず。
そしてグレンの容姿はと言えば、アンドレとは対照的だ。色味の薄い頬に、きっかりと引き結ばれた唇。きりりとした顔立ちは人によってはとっつきにくさを感じるだろう。碧い瞳の奥には、強い意志がごうごうと燃え盛っている。
でも そんな彗星のような瞳を、アンは美しいと感じてしまう。
アンはグレンの瞳を、まばたきもせずに見つめ返した。
「あたしは結婚なんてしたくない。相手が『捨てられた王子様』だからとか、そんなことは関係なくて、王族になんてなりたくないんだ。だからグレンの力で、あたしが絶対に結婚相手に選ばれないようにして。グレンが調査報告書を作るんだから、そのくらいのことはできるでしょう? それが、あたしが素性調査に協力する条件」
これが普通の王子相手の結婚ならば、出来損ないのアンなど選ばれるはずがない。
しかし結婚候補者となる者は、何らかの問題点を抱えた令嬢ばかり。そうした問題令嬢がことごとく弾かれていまえば、消去法でアンが選ばれてしまう可能性は捨てきれなかった。
だからアンはグレンと話をしようと思った。令嬢たちの素性調査に手を貸す代わりに、アンが結婚相手として選ばれることのないよう、調査報告書をねつ造してもらおうと思ったのだ。
一心同体、相互利益、今の2人の関係を言葉にするならそんなところだ。
グレンはしばらく考えこんでいたが、やがてにんまりと唇を緩め、アンに向かって右手を差し出した。
「いいぜ、契約成立だ。よろしく頼むぜ相棒」
ためらうことなく握り返したその手は大きくて温かかった。アンドレの姿で女性の手を握ることはあるけれど、アンとして男性と触れ合ったのは初めての経験だ。気恥ずかしくて、少し心がムズムズしてしまう。
アンの心の中を知ってか知らずか、グレンは軽い調子でうそぶいた。
「さてと。時間もあることだし、相棒契約締結記念に1回ヤッとくか?」
「や・ら・な・い」
アンは慌ててグレンの手を振り払った。
グレンが相棒として頼もしいことは確かだが、横暴で不埒な男であることにもまた違いはない。
束の間のときめきを返してくれ、と心から思うアンであった。
次話より第2章が始まります!
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