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11.捨てられた王子様

「捨てられた王子様……」


 その呼び名はアンにも覚えがあった。どこで聞いたのかは覚えていない。家庭教師の口から語られたのか、家族との会話の中で話したのか、それとも酒場で耳にしたのか。

 

 どこで聞いたとも誰に聞いたともわからないけれど、確かに知っている。

 『捨てられた王子様』の呼び名。


 重苦しい雰囲気の中、アリスはゆっくりと語り出した。


「アーサー第6王子はとても優秀な方でいらっしゃった。武と知をあわせ持ち、人の感情を読み取る術に長け、第6王子という立場でありながら王位継承筆頭候補として期待が寄せられていたわ」


 ティルミナ王国の王位継承制度は、近隣諸国のそれとは少し形が違う。

 

 第1に、現国王の血を引く男児全てに王位継承権が与えられるということ。第1王子、第2王子という呼び方はあくまで生まれた順番を表すものであって、王位継承の優先順位ではない。

 

 そして第2に、次期国王は王国内に在住する貴族の投票により決まるということ。現国王の一存により後継ぎが決まるのではなく、貴族による人気投票で次期国王が決まるのだ。


 しかしだからと言って、やはり全ての王子に等しく王位継承権があるとは限らない。たくさんの票を集めなければならないのだから、当然歳を重ね、たくさんの人脈を作った王子が有利になる。

 つまりセオリー通りにいけば、第1王子が最も王位継承権者に近く、第2王子、第3王子と数字が大きくなるにつれて不利になっていく。王子同士の歳が離れていればなおさらだ。


 そのセオリーをくつがえす人物が第6王子であるアーサーであった。

 

 圧倒的な王者の品格により他の王子を圧倒し、貴族の中にも信奉者は多かった。何よりも驚くべきは、貴族の指示を集め始めた当初、アーサーが10歳にも満たない子どもだったということ。

 まだ精通も迎えていない(いとけな)い子どもが、7つも年上の第1王子を弁論で圧倒し、5つ年上の第2王子を剣技で打ち負かした。


 『鬼才アーサー』それが当時の彼の呼び名であった。しかし――


「……そうだ、思い出した。アーサー王子は誘拐されたんだ。確か、彼が11歳のときに」

「そう。アーサー王子と母であるヘレナ妃は、何者かの手により誘拐された。王子は誘拐から数日後に救出されたけれど、ヘレナ妃は亡くなってしまった。誘拐犯の手により、かなり惨い殺され方をしたのだと聞いているわ。アーサー王子は母が殺されるところを間近で見て、気が触れてしまった」


 アリスの丁寧な説明により、アンの脳裏には鮮やかな記憶がよみがえった。

 

 その話題は当時の貴族界に衝撃をもたらした。王位筆頭候補者である王子の誘拐、その母である妃の殺害。何者かが策略的に2人の命を狙ったのか、それとも金品を目的とした犯行だったのか。貴族の茶会ではさまざまな噂がささやかれたけれど、真実はいまだ明らかになっていない。

 

 誘拐の実行犯はアジトに乗り込んできた騎士団員の手により討ち取られ、そして唯一の生き残りであるアーサーは会話すら困難な状態となった。

 真実は永遠に闇の中。


「うちの食卓も当時はその話題で持ちきりだったよね。親父が熱心に手書新聞を読んでいたのを覚えているよ。でもあたし、その話はそこまでしか知らないんだ」


 アンが遠慮がちに言えば、アリスは少しだけ表情を緩ませた。


「アンはまだ小さかったからね、詳しいことを覚えていなくても仕方がないわ」

「そうかなぁ……それで、アーサー王子はその後どうなったの?」


 アリスは表情を引き締め、説明を再開した。


「事件の後、アーサー王子は宮殿内の別宮で療養されることになったの。一時的に正気を失われていても、ときが経てば元の聡明なアーサー王子が戻ってくるって、皆そう信じていた」


 アリスはそこで一度言葉を区切り、静かに息を吸い込んだ。

 

「――だけど駄目だった。アーサー王子の心は完全に壊れてしまっていて、どのような治療を施してももう元には戻らなかった。だからアーサー王子の身柄は、宮殿の離れから別邸へと移されたの。小高い丘の上に建つ小さな別邸と、数名の使用人。アーサー王子に渡されたものはそれだけ」

「そうか……だから『捨てられた王子様』なんだ」


 王都の一等地に広大な敷地を構えるティルミナ王国の宮殿。高い外壁で囲われた敷地の中には、現国王フィルマンが暮らす王宮の他に、十数に及ぶ別宮が建てられている。別宮はそれぞれオパール宮、エメラルド宮といった輝かしい名前で呼ばれ、代々の妃が王子・王女とともに暮らしている。

 

 別宮で暮らすこと、それすなわち王族の一員であることの証。裏を返せば、別宮を離れたアーサーは、もはや王族の一員として認められなくなったということだ。

 

 鬼才アーサーは、心神喪失を理由に王族から捨てられた。当然、王位継承権も失ったに等しい。


「フィルマン殿下がアーサー王子の結婚を望まれている、という話は私も知っているわ。でもまさかお父様が、アンを立候補させようとするだなんて……」


 アリスは信じられないというように首を横に振り、それきり黙り込んでしまった。複雑な王家の事情を整理していたアンは、ふと頭に湧いた疑問を口にしてみた。


「ねぇねぇアリス姉さん、ちょっとわからないんだけどさ。何でフィルマン殿下はアーサー王子を結婚させようとしているんだろ。心神喪失状態の王子に結婚相手をあてがって、何かいいことがあるのかな?」


 現在のアーサーは使用人に生活を支えられている状態で、妻を迎えたところでその生活は変わらない。まともな結婚生活は困難で、恐らくは世継ぎすら望めないだろう。

 そんな人物に、手間暇かけて結婚相手をあてがおうとする意味が、アンにはわからなかった。

 

 アンの疑問に、アリスは途切れ途切れに言葉を返した。


「多分だけれど……フィルマン殿下は、アーサー王子を庇護下から外してしまいたいんだと思うわ。アーサー王子が未婚でいる限り、全ての責任は父であるフィルマン殿下に降りかかる。実母であるヘレナ妃が亡くなられているのだから尚更ね。でもアーサー王子が妻を迎えれば、庇護人の役割をその妻に押し付けることができる。結婚してひとつの家を築いたのだから、あとは夫婦2人で勝手にやってくれ、ってね」


 ひどい話、とアンは唇を噛んだ。

 

 心神喪失状態の王子にも人並みの結婚相手を、と言えば確かに聞こえはいい。しかし国王フィルマンの思惑は、王位継承者になり得ないアーサーを庇護下から外したいだけ。言い換えれば、本当に捨ててしまいたいだけだ。


「アリス姉さん、ありがとう。大体の話はわかったよ。親父があたしを立候補させたことにも納得。まともな王位継承権を持つ王子相手なら、あたしなんて見向きもされないだろうけどさ。でも押しつけ先を探しているっていうんならね……こんなダメダメなあたしでも選ばれる可能性は十分にあるよ……。だってあたししか立候補していない可能性もあるんだし……」


 ローマンはアンとの会話の中で「お前のような出来損ないでも、選ばれる可能性は十分にあるということだ」と言った。その言葉は誇張ではなかったのだ。

 

 心を失った王子相手に、愛娘を嫁がせようとする両親など多くはいない。結婚の申込人がアンだけであれば、選考の手間もなくすんなりと結婚が決まってしまう可能性もあるのだ。


 未来を憂いしょげ返るアンの肩を、アリスが優しく叩いた。


「アン、そんなに気に病まないで。多分アンは選ばれないわ。だってアーサー王子の結婚相手には、かなりの数の立候補者がいると聞くもの」


 意外な事実にアンは目をまたたいた。


「……そうなの?」

「そうよ。心神喪失状態であると言っても王子であることに違いはないの。娘をアーサー王子の元に嫁がせれば、その家は間違いなく王家との繋がりができるのよ。例えその結婚が娘の幸せには繋がらなくとも、十分な成果物だわ。貴族の結婚ってそういうものでしょう?」


 アリスの言うことはもっともだ。仮にアンがアーサーと結婚すれば、アンは王家の人間となる。そこでアンが一言「リーウのワイン、美味しいよ」と言えば、リーウのワインは一気に王家御用達へと格上げだ。

 宮殿の晩餐会でリーウのワインが振舞われれば、国外の王族も目を留める。リーウのワインが国外へと羽ばたく日も遠くはないのだろう。


 アンはやれやれと頬を掻いた。


「親父の思惑が透けてるねぇ……別にいいんだけどさ。仕事人間なのは承知の上だし」

「お父様だって、本当にアンが選ばれるだなんて思っていないわよ。クロフォード家をご存じ? ティルミナ王国の各地に鉱山を所有する、王国屈指の上位貴族よ。クロフォード家のローラ嬢が、アーサー王子の結婚相手に立候補しているんですって」

「……ローラ嬢?」

「クロフォード家の他にも、ドレスフィード家よりもはるかに高位の家々が、アーサー王子の結婚相手として娘の名を挙げているわ。王家の側だって、王子の結婚相手にするのなら極力上位の貴族がいいに決まっている。だからアンが選ばれる可能性はとてつもなく低いのよ」


 アリスが必死に慰めの言葉を口にするかたわら、アンはひたいに指先をあてて考え込んだ。


「鉱山を所有するクロフォード家……結婚候補者のローラ嬢……待て待て、最近どこかで聞いた話だぞ」


 次の瞬間、とある男の顔が脳裏に浮かび、アンは「ぎぇっ」と悲鳴をあげた。

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