83.ありがとう
緑色の魔法の鏡の片方を、リックさんがマルクス様に届けてくれることになった。
この国からトーリへ馬を走らせるのと、馬車で王都に帰るのは、ほぼ同じ時間を要する。
リックさんと別れた私たちは無事帰国した。
私とレオさんは、すぐにもう片方の鏡を持って、メラニー様の私室を訪れることにした。
「――ご無沙汰しております。メラニー様。お加減いかがですか?」
「……」
最初は面会を断られた。けれど、私からメラニー様にお渡ししたいものがあると侍女に伝えてもらうと、入室を許可された。
メラニー様はベッドの上で身体を起こすかたちで休まれていた。
私とレオさんが一定の距離を保ってメラニー様に声をかけるも、返事はない。
やはり元気とは言えないご様子だし、こちらを見ないその横顔も以前より痩せて見える。
「あの、簡潔にお伝えしますね。本日はこちらをお持ちしました」
「……」
私だけがそっとベッドに近づき、魔法の鏡を差し出す。
「マルクス様のことを想ってみてください」
「……」
〝マルクス様〟という名前に、メラニー様はやっと反応して私に視線を向けた。
そして細い腕で鏡を受け取り、じっとそれを見つめていたメラニー様の表情が、突然変わった。
『母上……?』
「マルクス……!?」
鏡から、マルクス様の声が聞こえた。横から私にも一瞬見えたけど、鏡にはマルクス様の顔が映し出されていた。
『母上! ああ……お元気でしたか?』
「貴方こそ……元気でやっているの?」
『僕は……元気ですよ。騎士たちに混ざって毎日トレーニングも頑張っています。どうですか? 少しはたくましく見えるでしょう?』
「ええ……そうね。そうだわ……」
メラニー様の瞳に涙が滲んでいるように見える。でも、顔色は先ほどよりも確実にいい。
『ですから、母上もしっかり食べてくださいね? 僕は立派になって、必ずそちらに帰りますから』
「ええ……ええ、そうね。貴方がしっかりやっているのだから、私もしっかりしないとね」
リックさんがなにかを伝えてくれたのか、マルクス様はとてもしっかりしているように感じる。
本当に頑張っていたらいいなと思う。
そのまま数分話された後、メラニー様はそっと鏡を胸に抱き、静かに私の名前を呼んだ。
「シベル」
「はい」
「貴女、この鏡を手に入れるためにわざわざ隣国に行っていたの?」
「はい……」
余計なことだったかしら……。
勝手なことをしたと、メラニー様の機嫌を損なう可能性を考えなかったわけではない。
けれど。
「私のためにありがとう」
「……いいえ、メラニー様」
メラニー様は、私の目を見て、小さく微笑んでくれた。
久しぶりに、正面からメラニー様のお顔を見た。
頰が痩け、金色の髪にもいつものような艶がない。
けれどマルクス様と同じ碧眼は、今にも涙がこぼれそうに潤み、まっすぐ私を見てくれている。
メラニー様のその表情に、胸の奥がきつく締めつけられるようだった。
「本当にありがとう、シベル……それから、レオも」
「……」
今度は私の後ろに立っていたレオさんに視線を向けたメラニー様に、私も少しだけ首を捻ってレオさんを見る。
レオさんははっとして、少し驚いたように目を開いた後、口元に小さく笑みを浮べて軽く礼をした。





