64.早く城に帰りたい※マルクス視点
「マルクス様、ほらあと少し!」
「頑張れ頑張れ!」
「く……っうぐぐ……」
これまで部下だった第三騎士団の者たちが、余裕の顔で上から僕を見下ろし陽気に笑って声をかけてくる。
くそ……っ、なぜ僕がこんなことを……!
「っはあ――」
「もう限界ですか?」
「昨日と変わらないですね」
「それじゃあ騎士としてはやっていけませんよ」
ははははははは――!
汗だくで地面に背をつけて倒れ、もう指先すら動かせない僕を見て、彼らは楽しげに笑っている。
悔しい、本当に悔しい……。
騎士たちが平気で何百回とこなすトレーニングを、僕は数十回行うだけで限界を迎える。
だが、そんなのは当たり前なのだ。僕は騎士団に守ってもらってきたのだ。聖女と結婚し、平和に暮らす予定だったのだ。トレーニングなど、本来不要なのだ。
そんな僕と、僕を守るために鍛えてきた騎士を一緒にするほうがおかしいのだ。
「でもここに来たばかりの頃よりはましになったんじゃないですか?」
「確かに。最初は十回もできなかったですもんね」
騎士の一人に手を差し出されたので、なんとか腕を上げてその手に掴まると、ぐいっと引き上げられて強引に身体を起こされた。
しかしこいつら、どうしてこんなに元気なんだ?
身一つでトレーニングを行っている僕とは違い、彼らはわざわざ手足に重りをつけて負荷を増やしたり、僕の何十倍も数をこなしたりしているというのに……。
汗すら僕よりかいていないじゃないか。彼らの身体は一体どうなっているんだ?
続ければ、僕もこうなれるのだろうか……?
いやいやいや、こんなごつい男に僕がなるものか。僕はスマートなのが売りなのだ。
「それじゃあ、汗を流したら食事にしましょう」
「大丈夫ですかマルクス様。歩けます?」
「へ、平気だ! 触るな!」
既にへとへとで、正直もう足に力が入らないほど疲労しているが、トレーニング初日に動けなくなってしまった僕は、彼らに担がれて医務室に運ばれている。
それ以来見事に馬鹿にされるようになってしまった。だから今も手を差し出されたが、これ以上馬鹿にされてなるものかと思い、その手を弾いてやったのだ。
死んでも自分の足で歩いてやる! そう思えば、トレーニング中よりも頑張れるのだった。
*
「マルクス様、食事だけはたくさんとるようになりましたよね」
「トレーニング後は腹が減るでしょう? たくさん食べてくださいよ!」
「……そんなことは言われなくても、わかっている」
確かに、これはここに来てトレーニングをするようになって知ったのだが、汗をかいた後の食事はいつもより美味しく感じる。
トレーニング後、シャワールームで汗を流した僕たちは、食堂で空腹の身体に夕食をかき込んだ。
こんな食べ方、王城で暮らしていたときはあり得なかった。
こんなに腹が減ることはなかったし、急いで食べる必要もなかったのだから。
ここでの食事は思っていたよりも酷いものではなかったが、城で食べていたものよりは劣る。城の料理人とは比べものにならない、素人である寮母の手料理に、最高級とは呼べない食材。だが、不思議と今のほうが美味しく感じてしまうのだ。
それも、騎士たちは食事中でもうるさく会話している。まったく、こいつらも貴族の者がほとんどだというのに、これだから家督を継げない次男や三男は……僕も、今はただの次男か。
「む……今日のスープはアニカが作ったものか……」
しかし、スープを一口飲んで僕は思わず顔をしかめた。
なにかを焦がしたのか、なにを入れてこうなったのか、苦みがあり、具材の大きさも不揃いで火の通り方がめちゃくちゃだ。
これはきっとアニカが作ったのだろう。
彼女は母親と共にここに来て、寮母として働いている。初めて料理や掃除などの家事をするようになったのだが、要領が悪く不器用で本当に向いていない。
元々ここにいた寮母たちは皆シベルのあとを追うように王都に行き、城で仕えるようになった。そのため、古くから僕の世話をしてくれていた者が数人と、この地で新しい寮母を募集してここで働かせているのだが、アニカもその母親も相当苦労しているようだ。
これまで家事なんてものはすべて使用人に任せてきたのだ。自分のことすらろくにできないというのに、そのうえ他人の世話までしているのだから、精神的にも肉体的にもかなり参っているだろう。
ときおり僕の耳にまでアニカが泣き叫んでいる声が聞こえる。
だが、辛いのは自分だけではないのだ。僕だって、王子であるのにあんなにきつい訓練を受けているのだから、家事をするくらいなんだというのだ。
そもそも、こうなったのはアニカとその母親のせいではないか。
僕だけでも城に帰れないだろうか……。
「マルクス様、スープもちゃんと召し上がってくださいね」
そう考えていたら、昔から僕の世話をしてくれていて、ここにも一緒についてきてくれた寮母の一人が、声をかけてきた。
「そのスープは、アニカ様が泣きながら作ったのです。確かに味も見た目もいまいちですが、マルクス様が召し上がってくれるか、とても気にしていましたよ」
「……」
僕の食器に残されているのは、もうスープだけだ。
こんな不味いもの、この僕が無理をして飲む必要はない。
だが――。
「ふん……。訓練後で腹が減っているからな。腹が満たされるなら味などどうでもいい」
「ふふっ」
そう、今はこんな不味いスープでさえ、僕の疲れた身体には必要なのだ。
僕としてはアニカに料理を作らせるのはやめてもらいたいが、平民育ちの他の寮母たちはやる気満々に「アニカを立派な寮母に育てる」と張り切っていた。
アニカの母親も最初はうるさく反抗していたようだが、自分よりも年上で経験豊富な寮母たちが集まって黙らせたらしい。
平民育ちの者は、それはそれで強いのだ。
アニカも母親も震え上がっていたが、僕は二人のことはどうでもいい。自業自得なのだからな!
それより、一体いつになったら城に帰れるのだろう。もう十分反省したから、帰らせてほしい。王太子の座ももうどうでもいいから、城で暮らしたい。
母上のことも心配だ。
母上には僕しかいなかったのだから。
僕がいなくなって、大丈夫だろうか。
兄上と母上がうまくやっているとは思えない。
僕がいなくなれば、母上は独りぼっちだ。
……心配だ。
次回から王妃編(?)です!