59.ああ、不安だわ
今、私は王宮内の敷地にある別邸に来ている。
「シベルちゃん、そんなに緊張しなくても大丈夫だよ?」
「は、はい……! ですが、レオさんのお母様に嫌われてしまったらどうしようかと思うと……」
「大丈夫。母上はきっと君のことを気に入るよ」
そう、今日はレオさんのお母様に招待されているのだ。
妃教育のために何年も王宮に通っていた私だけど、陛下の愛妾であるディアヌ様にはちゃんとお会いしたことがない。
ディアヌ様が別邸から出てお城に姿を見せることはほとんどなかったからだ。
けれど、私はレオさんと婚約したのだから、きちんと挨拶するのは当然のこと。むしろ遅いくらいだと思うけど、ようやく私とレオさんはゆっくりする時間が取れたのだ。
「……シベルちゃんが気にするのはわかるが、君はなにも悪くないんだ」
「ありがとうございます……」
別邸の使用人の方に、ディアヌ様が待っているお部屋へと案内されている最中、レオさんが優しい口調で私に言った。
私は悪くない……。そう言ってもらえて、とてもありがたい。レオさんは本当に優しいわ。
でも、息子のたくましい身体が目当てなのかとか、そういうことを聞かれたらどうしましょう……。
もちろんそれが目当てなわけではないけれど、レオさんの肉体が魅力的なのは間違いないから、動揺してしまうかもしれない……。
ああ、不安だわ。
「そうだよな、不安だよな。長い間マルクスと婚約していたのだから……、君が気にするのもわかるよ。だが、確かに母上と正妃であるメラニー様は不仲であったが、君には関係のないことだ」
「え?」
「え?」
けれどレオさんの口から出た言葉は私が抱えていた不安とは違うものだった。それで思わず高い声を上げてしまったら、レオさんも同じように聞き返してきた。
「……そうですよね。私、レオさんの弟と婚約していたのですよね……。ディアヌ様に気に入ってもらえるかしら」
「…………シベルちゃん、もしかしてだけど、今違うことを考えていた?」
レオさんのその質問に、ドキリと胸が跳ねる。
まさかレオさんは、私が〝たくましい筋肉が目当てだと思われたらどうしよう〟なんて考えているとは思っていないのだ。
でもその問いに答える前に、どうやらディアヌ様が待つ部屋に到着したらしい。
ここまで案内してくれた使用人の方が扉をノックして「レオポルト様がお見えになりました」と声をかけると、中から「どうぞ」と言葉が返ってくる。その一言を聞くだけで、その人がとても芯のある女性だとわかるような、美しい声だった。
「失礼します。母上、ご無沙汰しております。こちらが俺の婚約者で聖女の――」
「シベルちゃんね!!」
「!」
緊張しながらお辞儀をした私の隣で、レオさんが私を紹介してくれていた。そしてまだ言葉の途中だったにも関わらず、ディアヌ様と思われる女性はソファから立ち上がると大きな声で私の名前を呼び、花が咲いたような笑顔を浮べた。
「……シベル・ヴィアスです」
一瞬動揺してしまったけど、ここは妃教育を受けてきた身として、粛々と挨拶をした。
「会いたかったわ! レオ、シベルちゃん、さぁどうぞこっちへ来て座って!」
「……はい」
その反応がレオさんにも意外だったのか、少し困惑した表情の彼と目を合わせてから、私たちは言われた通りディアヌ様の向かいのソファに腰を下ろした。
「やっとレオのお嫁さんに会えて嬉しいわ。この子ったら、全然結婚する素振りを見せないんだもの。でも、結果的にはそれがよかったのだけど」
ふふっと可愛らしく笑っているディアヌ様はとてもお美しい方だ。
ネイビーブルーの艶のある長い髪と、ダークブルーの瞳。白い肌に深紅の唇が映えていて、年齢不詳。レオさんが二十五歳だから少なくとも……考えるのはやめましょう。
「でもあの人に聞いたけど、レオはシベルちゃんが聖女だってことは関係なく惚れたんですって? ふふふ、レオもちゃんと女の子に興味があってよかったわ」
「母上、彼女が反応に困るようなことを言うのはやめてくれ」
あの人とは、陛下のことだろうか。ディアヌ様の言葉にレオさんは頰を赤く染めているけれど……私が聖女であることは関係なく、私のことを好きになったと言ってくれたのは本当らしい。改めて嬉しくなってしまう。
「今夜はご馳走を用意させるから。シベルちゃんも自分の家だと思ってくつろいでね。ここはあっちみたいに堅苦しいところじゃないから、気を楽にね」
「ありがとうございます」
ディアヌ様はにっこりと笑ってそう言ってくれた。とてもほっとする笑顔だった。
レオさんのお母様だものね。レオさん自身もトーリにいてしばらく会っていなかったのだろうけど、本当に素敵な方だわ。
「それじゃあまた夕食のときにお話ししましょう」
「ああ」
「たまの休みなんでしょう? 二人でゆっくりしてて」
「はい」
少し話をしてから先にこの部屋を出ていくディアヌ様を見送った。
「シベルちゃん、よかったら俺の部屋に案内しようか?」
「え? レオさんのお部屋に?」
「ああ、大したもてなしはできないが――」
「レオさんのお部屋! 行きたいです! ぜひ!!」
「……そうかい? うん、それじゃあ行こうか」
「はい!!」
お城ではレオさんのお部屋に何度もお邪魔しているけれど、この別邸にはレオさんが幼少期を過ごしてきたお部屋があるのだ。
むしろこっちのほうが、レオさんが過ごした時間が長いわけだ。
そんなお部屋に行きたくないはずがない……!!
「ここだよ」
「お、お邪魔します……!」
どうぞ、と言ってレオさんが扉を開いてくれた部屋に、緊張しながら入室した。
レオさんの実家編(?)です!