45.聖女が帰ってきた※王子視点
まずい、まずいまずいまずいまずいまずいまずいまずい――
一体どうすればいいんだ!!
――いや、待て。
まだ希望はある。
第一王子である兄が王都に来なければいいのだ。
王子が僕だけなら、王位を継ぐのは僕だ――!
そうだ、シベルが到着したら、彼女に謝罪して許してもらおう。
シベルはアニカをいじめていたと言っていたが、それはアニカに嫉妬したせいだ。
僕がシベルを愛していると伝えて、もう一度、今度こそ真の聖女として僕と婚約すれば、きっと彼女は僕のもとに帰ってきてくれる!
「マルクス様!! 大変です! 城に魔物が向かっていると報せが入りました!!」
「なんだと!?」
そのとき、従者がものすごい勢いで部屋に飛び込んでくるなり、そう叫んだ。
「殿下はお逃げください! ああ、アニカ様、どうか、どうか聖女様のご加護を……!」
「わっ、私には無理です……マルクス様助けてください……っ!」
アニカを聖女だと信じている従者たちが、藁にもすがるような顔でアニカを連れて行こうとする。
「おいマルクス、どうする!?」
「……っ」
アニカは涙を溜めた瞳で訴えるように僕を振り返る。
それを見たリックも僕に指図するような声を出したが、僕の知ったことか。
今ここで僕がアニカを止めれば、アニカが聖女ではないと認めたことになってしまうではないか。
まだシベルが到着していないのに、それはまずいだろう……?
「ワイバーンです!! マルクス様! ワイバーンの群れがこちらに向かっています!!」
「な……、なんだと!? どうしてこう、次から次に……!」
続いてやってきた従者が、転げるようにしてそう叫ぶ。
魔物とはまさか、よりによって飛龍だとは……!!
奴らは飛ぶから、厄介だ。これはいよいよまずいぞ。
これではまるで、王都がトーリのようではないか……!!
「マルクス様は、早く地下通路からお逃げください……!」
くそ……、もう逃げるしかないのか……? せめて、シベルが到着するまで時間を稼ぐしか、道はないのか!?
歯を食いしばって窓の外に目をやると、ここからでも何かがこちらに向かって飛んできているのが見えた。
あの量のワイバーンを討伐するのは、王宮騎士団でも容易ではないだろう。
せめて魔物討伐に秀でている第一騎士団がいてくれたら……!
ああ、もう無理だ……。僕は終わりだ。最悪、あの空飛ぶ蜥蜴に食われて死ぬかもしれない――。
「俺は戦いに行く!!」
「リック……」
「俺は炎魔法が使えるからな。第一騎士団の到着まで、少しは時間が稼げるはずだ!!」
絶望した僕にそう言い残して駆け出した幼馴染の勇ましい背中を見つめながら、僕は本当にとんでもないことをしてしまったという後悔の念に襲われた。
〝こんなことになるなんて〟
そんな言い訳が通用しないということは、もうわかっている。
視線を落とすと、随分ふくよかになったアニカが床にしゃがみこんで泣いていた。
従者はそんなアニカに助けを乞い、アニカの母親はおろおろしながら娘の肩を抱いている。
……安易にシベルを追放すべきではなかった。
しかし本当に、まさかこんなことになるとは思わなかったのだ……。
僕は知らない。
本物の魔物なんて見たことがなかった。
この国は――僕の周りは、とても平和だったのだ。
「マルクス様!」
「……」
窓のそばに歩み寄り、じっくりと外に目をやる。
この部屋からはすべてがよく見渡せる。
騎士たちが剣を抜き、弓矢を放ち、戦っている。
僕はいつもそれらの訓練を、どこか他人事に思いながらこうして眺めていた。
王の子として生まれ、運よく聖女が誕生した代の王となれることを喜び、何もしなくても聖女が勝手にこの国を平和にしてくれるだろうと思っていた。
周辺諸国ともいい関係を築けている。聖女がいれば、これからも安泰だ。
僕は運のいい王子だと――あとは兄ではなく、自分が王太子としての地位を得ればいいだけだと思っていたのだ。
「……僕が間違っていたのか」
「マルクス様……」
心の声が漏れたように呟いた言葉に、アニカが反応した。
それでも僕は外で戦っている騎士たちから目を離さなかった。
迫ってくるワイバーンの群れに、彼らは弓矢を放つが、当たらない。
それでも諦める様子を見せる騎士は一人もいなかった。
だが、もう駄目だ。どうせ全員殺される。
――そう思ったときだった。
突然、ワイバーンたちの動きが鈍りだしたのだ。
騎士たちが放つ矢が、どんどん当たり、ワイバーンは地に落ちていく。
「一体、なにが……」
「第一騎士団だ!!」
「!?」
従者の一人が叫んだその言葉に遠くを見れば、こちらに向かって数台の馬車が走ってきているのが目に映った。
ああ……聖女だ。シベルが王都に帰ってきたのだ――。
それを悟った僕の身体から、ふっと力が抜けていった。