35.心残りがあるとしたら
〝少し黙ってろよ〟
しつこく声をかけた私に、リックさんが鋭い口調で面倒くさそうにそう言った。
まぁ……。
リックさんったら、急に口調が変わったわ。
いつも丁寧な言葉遣いなのに、急に男らしくなってしまって……どうしたのかしら。
「あー着いた。ここだ」
「?」
すっかりいつもと口調が違うリックさんが、ようやく馬を止めたのは森の奥にある洞穴の前。
「ここは……どう見ても領主様のお屋敷ではありませんね」
レオさんたちは今日、森で面談をしているのかしら?
「は? まだそんなこと言ってんのかよ。いい加減気づいてるだろ、あいつらのところに行く気はないって」
「え……?」
混乱する私に構わず、リックさんは私の身体を抱きかかえてひょいと馬から下りた。
リックさんの胸の中はとてもたくましいけれど……やっぱりなんだか、レオさんに感じるときめきとは違うみたい。
「シベルちゃんさぁ、あんた、聖女なの?」
「え?」
すぐに私を下ろすと、リックさんはそんなことを聞いてきた。
「違いますよ、聖女は、妹です」
「でも、その妹も全然聖女の力を使わないし、妃教育まで拒んでいて、マルクスの奴が参ってんだ」
「まぁ……」
「おまけに先日、王都に魔物が出た。代わりにトーリからは一切被害報告がこない。これは一体どういうことだと思う?」
「さぁ……私にはなんとも……」
王都に魔物が?
アニカや街の人たちは大丈夫だったのかしら。
「で、実はシベルちゃんが本物の聖女なんじゃないかって、マルクスが心配になって俺をここに寄越したってわけ。俺とマルクスは幼馴染だけど、シベルちゃんは俺の顔を知らないからな」
「まぁ……そうだったのですね」
それは、ご苦労様です。でも私は聖女じゃないと思いますよ?
それにしても、どうしてこんなところに連れてこられたのだろう。
誰にもこの話を聞かれたくなかったからだろうか。
「数日あんたを観察してみたけど……微妙なところだよな。他の連中が言う通り、あんたが作った料理を食べると力がみなぎってくる気がする。だが、とくに聖女らしいことをしているわけでもない」
「はぁ……」
「だからもう、手っ取り早く直接確かめてみようと思って」
「はぁ……」
どういうことだろうと思いながらリックさんの話を聞いていたら、彼は突然洞穴に向かって手を伸ばすと、火の球を放った。
すごい……! 魔法ね!?
一瞬興奮してしまったけれど、洞穴の中から嫌な気を感じた。
瞬間的に悟る。
魔物がいる……。
「さぁ、聖女の力を見せてくれ」
「リックさん、私は聖女じゃありませんよ……?」
低い唸り声とともに姿を見せたのは、真っ黒なウルフ。
これはどう見ても怒っている。
巣に火なんて放つから……。
「リックさん、逃げましょう」
「いや、聖女の力でなんとかしろよ」
「無茶言わないでください! 私にはそんなことできません!」
「えええ?」
洞穴からは、どんどんウルフが出てくる。
皆怒っているのがわかる。
毛を逆立てて、鋭い牙を剥いて、爪を立てて、唸ってる。
〝ガァァァァ――!!〟
聞いたこともないような咆哮に、心臓が揺れる。
「ちっ、やっぱりあんたは偽の聖女かよ!」
「そうだって言ってるじゃないですか!」
飛びかかってきた一匹に、リックさんは手をかざして火球を放つ。
けれど、ウルフはまだまだいる。
次から次に、襲いかかってくる。
「なんだよ、だったらこんな面倒なことしなかったのによ!」
「知りませんよ! なんでこんなことしちゃったんですか!」
リックさんは私の前に立ち、庇うようにウルフを火球と剣で倒してくれる。
だけど、数が多い……!
「……っくしゅんっ!」
「はぁ? こんなときにくしゃみとか、余裕だな、偽聖女様は!」
「違います……実は少し、風邪気味で……」
「は? ……まさか、そのせいで力が弱まってるとか言わないよな!?」
「知りませんって!」
わからない。
私が聖女なのかも、力の使い方も。
だけど、この状況は少しまずいのでは……?
リックさん一人では、食い止めるのがやっとだ。
多方面から襲いかかってこられたら、防げないかもしれない……!!
「くそっ、思ったより数がいたな」
「リックさん、リックさん……! 右……!!」
「……っ!」
左手で火球を放ち、右手で剣を振るう。
その姿はとても格好いいけれど、今はそれどころではない!
「シベル――っ!!」
「……!」
リックさんの身を案じていた私だけど、彼から少し距離ができた瞬間、それを見逃さないとでもいうように、一匹のウルフが私目がけて飛びかかってきた。
……私、死ぬの――?
幸せな人生だったわ。
途中の人生は、ちょっとあれだけど。
でも、終わりよければすべてよしっていうの? 騎士団の寮に来られて、皆さんと過ごした日々の思い出があれば……私は成仏できます――。
あ――でも欲を言えば、レオさんの胸筋に頰を押し当てて、すりすりしてみたかった……。
それだけが心残りだわ……。
私ったら、どうしてこんなときにレオさんのことを考えているのかしら……?
そんなふうに思いながらも、死を覚悟したときだった。
何かが勢いよく飛んできて、私に飛びかかろうとしていたウルフのお腹に刺さった。
「……え」
「シベルちゃん!!」
「レオ、さん……?」
どうやらそれはレオさんが放ったナイフで、なぜかレオさんとミルコさんがそこにいて――。
お二人の姿を見た瞬間、私の意識がなくなった。