25.考えたくもない※王子視点
「アニカ、そろそろ妃教育を再開しないか?」
王城内の庭園にあるガゼボでお茶をしながら、真の聖女として僕と婚約したアニカに、窺うようにそっと問う。
「……どうしてですか?」
「君は王太子妃になるのだろう?」
「ええ。聖女なのだから、無条件でなれるでしょう?」
「そうだが……」
アニカは結局、あれ以来妃教育を拒み続けている。
確かに、この国では聖女が誕生したら王位を継ぐ者と結婚するという習わしがあるのだが――。
それでも歴代の聖女は皆、ちゃんと王妃としての教養を身につけていた。
もちろん、シベルもそうなるべく、幼い頃から妃教育を受けていた。
シベルが妃教育を拒んでいるのは一度も見たことがない。
確かにアニカのように僕の前で楽しげに笑ってくれたこともなかったが、それが王太子妃として相応しい振る舞いであると僕も感じていた。
アニカは素直で可愛らしい女性だが、我儘が過ぎる。
少し強く注意されるとすぐに機嫌を損ねてしまうのだ。
最近は、王子である僕に対してもそうだ。
だから今もこうして、彼女が好きな紅茶とケーキを用意して、快晴で気持ちのよい青空の下、彼女の機嫌を確認してからこの話を持ちかけたのだ。
なぜ王子である僕がこんなに気を遣わなければならないのだろうか。
まったく、聖女だからと偉そうに。
……そういえばシベルは、僕に偉そうな態度を取ったことはなかったな。
まぁ、僕以外の前では取っていたのだろうが。アニカのこともいじめていたようだし。
しかし、二人は姉妹なのにあまりに違う。
まぁ、血が繋がっていないのだから当然かもしれないが。
「それよりこのケーキ、もっといただきたいわ!」
「え! まだ食べるのかい!?」
「いいじゃない。私は聖女よ? 好きなものを食べさせてよ。聖女は幸せでないと、その力が発揮されないのよ」
「……そうだが、最近少し食べ過ぎなんじゃ……」
言葉を選んでみたが、僕の視線にアニカは不快そうに眉根を寄せた。
「なんですか。私が太ってきたとでもおっしゃりたいの?」
「いや……まぁ、少し……」
「酷いわ、マルクス様! どうして貴方までそんなことを言うの!?」
「あ……、いや、わかった。わかったから、もう好きにしたらいいよ……」
むっと不機嫌そうに頬を膨らませて怒り出してしまうアニカに内心で溜め息をつき、僕は無糖の紅茶を飲んだ。
クリームたっぷりのケーキと、新しくおかわりした紅茶に、たくさんの砂糖を入れるアニカを見ているだけで、胸焼けする。
僕と婚約したばかりの頃は、小柄でスマートな、可愛らしい女性だったのに。
王宮で贅沢三昧しているアニカは、たった数ヶ月の間で、少し肥えてきた。
ダンスのレッスンも、すぐに「疲れた」と言って休むらしい。
確かに、聖女は幸せであればあるほどその力を発揮すると言われている。
だからって、ちょっと好き勝手過ぎやしないか……?
アニカに合うような優しい教師も探してみたが、優秀な者は皆既にアニカは手に負えないと言い、辞めている。
これ以上、この我儘聖女を手なずけられる者がいるとも思えない。
しかし、彼女はこのまま形だけの妃になってもいいのか……?
僕は、父のように愛人を囲いたいとは思わない。
父と愛人は、元々想い合っていた同士の二人だった。
しかし相手の女性は、王妃として相応しい家の娘ではなかった。
だから父は仕方なく、母を正妃に迎えたのだ。
しかし、母はそのせいで苦しんでいた。
父が自分を愛していないのは知っていたうえ、先に愛人のほうに子供が生まれてしまったのだから。
それから五年が経ち、ようやく僕が生まれた。母は僕を次期国王にするために尽力してくれた。
だから僕は、母の期待に応えるためにも、王太子にならなければならないのだ……!
どこにいるかもわからない兄が次期国王?
そんなものは認めるものか……!!
僕のほうが王に相応しいに決まっている!!
大丈夫。僕には聖女がいるんだ。
いくらアニカに教養が足りないとしても、アニカが真の聖女なのだ。
教養だけあるシベルとは違う。
あとは、父に僕の立太子を認めてもらうだけ――。
早く。早く王太子にならなければ。
――そう思って過ごしていたある日、突然王都に魔物が現れた。
王都を守っている第三騎士団の者たちがすぐに討伐に向かったため、被害は最小に抑えられたが、王都に魔物が出るなどここ数年は一度もないことだった。
なぜなら二十年前に亡くなった曽祖母ぶりの、聖女が誕生したからだ。
しかし、聖女が王都にいるのに、一体なぜ急に……?
まさか、聖女の力が弱まっているのか?
アニカが嫌がる妃教育を強要したせいだろうか……?
「――ええ!? 王都に魔物が!? ここは大丈夫なんですか!?」
「ああ、第三騎士団の者たちが討伐したからもう大丈夫だ」
「よかった……」
その話を聞いて、アニカは城と自分の身を案じて怖がるだけだった。
その反応が、なんとも違和感のあるものだった。
聖女なのだから、もっと民の身を案じたり、自分が何か役に立つようなことを言ったり、してくれるべきではないのか……?
それに、聖女は存在するだけでその地は平和になるはずだ。
だからたとえ聖女の力が目覚めていないとしても、王都にアニカがいるのに、なぜ魔物が現れたのだろうか……。
そういえば、最近はシベルを送った辺境の地、トーリから魔物の被害報告がない。
シベルが向こうに行ってからは、ゼロだ。
「……まさか、たまたまだよな」
一瞬よからぬ考えが頭を過ぎったが、そんなはずはない。あってはならない。
だが念の為、トーリの様子を……シベルが今どうしているかを、調べさせるか。
外国に留学していた僕の幼馴染、リックがちょうど帰国している。彼ならシベルも顔を知らないはずだから、様子を見てきてもらおう。
だがもし、シベルが真の聖女だとしたら――?
「そんなことになったら、僕は終わりだ。聖女を追放したなど……」
考えたくもない。
いや、だがやはりそれはあり得ない。大丈夫だ。
シベルは一度も聖女らしいことをしたことがなかった。
それに比べてアニカは――
……アニカは?
僕は見ていない。
聖女の力を使ったところを、母親が見たと言っただけだ。
「……」
僕の背中を、嫌な汗が流れ落ちた。
次回、シベルご褒美回です!
※シベルには刺激が強すぎる可能性があります。ご注意ください。(笑)