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146.シロギツネ

「――あそこにいる」


 しかし、そんな余韻に浸る間もなく、ミルコが鋭い視線を一点に向ける。

 皆、一斉にその先を見やり、剣に手をかけた。


「……あの木、ですか?」

「木の下に隠れている」


 そこには、雪を被った一際大きな木が一本立っていた。

 一体、どんな魔物が隠れているのだろう。


 知能があり、魔法を使う魔物。

 これまで戦ってきたどんな魔物よりも厄介な相手だろう。


 シベルちゃんのことだけは、なんとしても守らなければ。


 俺たちの間に、これまでにない緊張感が走る。

 雪は止んでいるが、先ほどのような突然の猛吹雪は勘弁願いたい。


 皆でシベルちゃんを囲うように立つ。ヨティは既に剣を抜いており、リックは左手に炎を浮かべた。


「正体を見せやがれ――!」


 そして、リックの炎が木の下に向かって飛んでいく。


 ボン――っと一瞬にして一帯の雪を溶かし、何かがひゅっとそこから飛び出すのが見えた。


「あれは……!」


 シベルちゃんを庇うように前に出て目を凝らし、それ(・・)を確認する。


「……子供の、きつねか?」


 木の下から飛び出し、なにもない雪面でこちらを威嚇しているのは、白銀の毛に覆われた、小さなきつねだった。


 その身体はどう見ても子供で、身体が小刻みに震えている。


白雪狐(シロギツネ)の子供か――」

「……シロギツネ?」


 フリードリヒ殿の言葉を、シベルちゃんが静かに繰り返した。


「見た目は獣だが、この魔物は賢い。吐き出す白い息に触れると、心の奥底に眠る『最も強い欲望』が幻となって現れる」


 心の奥底に眠る欲望――。


 俺が先ほど見たものは、俺自身の欲望だったのだろうか。


「シロギツネは元々個体数が少なく、既に滅んでいるはず……。まさか子供がいたとは」

「これが……この異常気象の正体?」

「こんなに小さな子供だったなんて……」


 ヨティもシベルちゃんも、その正体に動揺が隠せないようだ。


「なんて可愛いの……」


 怯えているように見えるシロギツネに、シベルちゃんが一歩近づき屈んで手を伸ばした。


「おいで?」

「待て、シベル!」


 しかし、それをすぐにリックが制止する。


「こう見えて、かなり強い魔力を持っている。子ぎつねだからと油断するな」

「……っ」


 確かに、彼の言う通りだ。

 魔物は、子供であっても決して油断してはならない存在。

 もちろん、俺たちはそのことを重々承知しているが……心の優しいシベルちゃんには、少し難しいだろう。


「シロギツネが強いのは魔力だけです。魔法にさえかからなければ、倒すのは簡単だ。そもそも、こいつは弱いからこそ、直接攻撃せずに幻覚を見せてくる」


 フリードリヒ殿が前に出て、シベルちゃんに問う。


「しかし逃げ足は速い。シベル様、逃げられる前に、やれますか?」

「……っ」


 彼の言葉に、シベルちゃんが躊躇っているのがわかった。

 こんなに可愛らしい見た目をした子ぎつねを、彼女が殺せるだろうか?


「本当に、この子が異常気象の原因なのでしょうか……?」

「あなたができないのなら、俺がやります」


 やはり躊躇うシベルちゃんの言葉に、フリードリヒ殿は溜め息をついた。そして、腰の剣に手をかける。

 それを見たシロギツネは、しっぽを膨らませ、身構えた。


 しかし。


「フリードリヒ様、お待ちください……!」

「なんですか」

「この子は本当に、悪い魔物なのでしょうか?」

「いい魔物などいるはずがないだろう――!」


 シベルちゃんがフリードリヒ殿を止めに入った隙を見逃さず、シロギツネは一瞬にして走り出す。


「待ちやがれ!」


 すぐにリックが炎魔法を繰り出したが、素早いシロギツネには当たらない。


「くそ……、逃げられたか」


 リックの舌打ちが山の空気に響いた。


「ミルコ、魔力探知で追え!!」


 そして今度は、フリードリヒ殿がミルコにそう命じた、が――。


「無理だ。どうやらあの魔物は俺の探知に反応しにくい」

「……くそっ! 役立たずが!!」

「フリードリヒ殿……!」


 ミルコは魔物が遠くにいても探知できる力を持っている。しかし、シロギツネは例外のようだ。それはとても珍しいことだと、彼と長年一緒にいる俺にはわかるのだが……。


 彼の兄は、まるでミルコを無能とでも言いたげに罵った。


 だが、ミルコの探知に反応しにくいということは――。


「申し訳ありません……」


 シベルちゃんが申し訳なさそうに頭を下げるも、フリードリヒ殿の怒りは収まらない。


「なにが聖女だ。なにが王宮第一騎士団だ。邪魔をするなら、帰っていただきたい」

「……っ」


 声を荒らげるわけではない、静かな怒りだった。

 しかし、いくらミルコの兄とはいえ、シベルちゃんにその物言いは黙っておけない。


「おい、怪我を治してもらっておいて、なんだ、その言い方は」


 彼も同様なのだろう。俺の代わりにリックが先に口を開き、フリードリヒ殿に一歩踏み込んだ。

 彼のおかげで、俺は少し冷静になる。


「我々は命をかけてこの地を守っているんだ。足の一本を治したくらいで満足されていては困る」

「なんだと!?」

「二人とも、お待ちください……!」


 リックが拳を握り、今にも食ってかかりそうになったとき、シベルちゃんが大声をあげた。


「逃がしてしまったのは私のせいです。本当に申し訳ありません」

「……とにかく、一旦小屋に戻って作戦を練り直そう」


 改めて謝罪するシベルちゃん。そんな彼女の隣で、俺は落ち着いてフリードリヒ殿に声をかけた。

 ここで、俺まで熱くなっていては駄目だ。


「……ふん」


 フリードリヒ殿はまだ不服そうだったが、それ以上なにも言わずに引き返してくれた。




「シベルちゃん、君のせいではない」

「ですが……」

「大丈夫。正体はわかったのだから、対処法はあるよ」

「……はい」


 元気がないシベルちゃんに手を差し出すと、彼女は小さく微笑みながら俺の手を握ってくれた。


「兄は誰に対してもいつもああだから、気にしなくていい」


 そんなシベルちゃんの様子を見て、ミルコが静かに口を開く。


「そういえば、ミルコは何事もなかったのか?」

「ああ、みんなを探していたら、急斜面から落ちて動けなくなっている兄を見つけた」

「彼はそれで怪我をしたのか……」


 フリードリヒ殿も何か幻覚を見せられていたのかもしれない。


「ミルコもなにか幻覚を見たか?」

「いや、特になにも」

「え……? なにも見なかったのか?」

「ああ」

「……君はすごいな」

「そうか?」


 いつも通り、何事もなかったかのような調子で答えるミルコ。


 彼には欲望がないのか? 思わずそう思ってしまう。


 ミルコとは俺が一番付き合いが長いが、それでも未だに、彼がなにを考えているのかわからないときがある。


「なんだ?」

「いや……」


 それでも、俺にとってミルコが誰より一番信頼のおける男であることに変わりはないのだが。



ミルコが幻覚を見なかったのはきっと心が強かったから( ˇωˇ )

いや本当に欲望がないのかも……!?(作者にも分からないw)

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