100.踏み出すために※マルクス視点
ようやく、シベルと二人きりで話をする機会を見つけた。
護衛の二人は食堂で盛り上がっていたし、シベル付きの侍女は食事の後片付けを手伝っていて、兄上は護衛の弟と風呂に行った。そのタイミングで、僕はシベルに声をかけた。
久しぶりに会ったシベルは、笑っていた。
兄上や騎士の奴らとも親しげに話し、とても楽しそうだった。
彼女が僕の前であんなに楽しそうに笑っているのは、見たことがない。
シベルはずっと妃教育に追われ、大変そうだったのだから。
だが、二人きりになればシベルは本心を語ってくれると思った。
いくら兄上がシベルの好きな〝騎士〟だったとしても、僕のほうがシベルとの付き合いは長い。
婚約者として仲を深めてきたわけではないが、それでも七年という月日は決して短くはない。
兄上とシベルが過ごした一年にも満たない月日に比べれば、とても長い。
だから、まだ彼女の心を取り戻すことができるかもしれない。
そう思って、僕はシベルと話をしようと思ったのだが……。
話し始めて、すぐにわかった。
いや、本当はわかっていた。
シベルは、元々僕に興味がなかったのだ。
聖女だから、王子だから。
仕方なく婚約させられた相手。好きでもなんでもない、ただの婚約者。
シベルにとって僕は、それ以上でも以下でもないのだ。
だが兄上と話しているときのシベルは、とても幸せそうだった。
リックや他の騎士たちと話すときでさえ、僕と一緒にいるときよりも楽しそうだった。
そして、兄上のことを想って「幸せです!」と答えたときのシベルの笑顔は、これまで見たことがないほど幸福感に満ち溢れていた。
シベルは本当に兄上のことが好きなんだ。
そんなのは、あの笑顔を見ていればわかる。
僕が付け入る隙は微塵もない。
僕は完全に振られたのだ。……いや、シベルは振ったとすら思っていないのだろうな。
彼女を自ら手放したのはこの僕だ。
彼女はそれを受け入れただけ。
「僕は大馬鹿者だな……」
婚約者の女性一人幸せにできず、大切な母のことも悲しませ、欲しかったものは結局すべて兄に取られてしまった。
次期王位の座だって、兄上が無理やり奪ったわけではない。
僕が自分で手放しただけ――。
「マルクス様ぁ~!」
一人静かに感傷に浸っていたというのに、アニカの甲高い声が耳に響いた。
「こんなところにいたのですね! 探しました!」
「……なにか用か?」
シベルと別れた後も、ふらふらと一人庭を歩いていた僕に、アニカが言った。
「これ、昼間にお義姉様と一緒に作ったのですが、召し上がってください!」
「シベルと?」
アニカの手の中を覗き込むと、そこには不格好な形のクッキーが乗っていた。
正直なところ、あまり美味しそうには見えなかったが、シベルと一緒に作ったと聞いて、少し興味を引かれた。
「……」
「見た目はちょっとアレかもしれませんが、味は大丈夫です!」
確かに、シベルは料理が上手かったから、シベルと一緒に作ったのなら大丈夫かもしれないが……。
「今は気分が悪くてね。後でいただくよ」
「今召し上がってください!!」
「んむっ!?」
なんて強引な女だ……!
気分が悪いと言ったのに、無理やり僕の口にクッキーを押し込んでくるなんて!
君はそういうところだぞ!!
心の中でそう思ったが、ふわっと広がるバターの香りに、思わずそのまま噛みしめた。
サクッと音を立てて割れた軽い食感と、チョコチップが溶け出すほのかな甘味に、心地よい満足感がもたらされる。
甘いものはあまり好きではないのに、今はその甘さが沈んでいた心を満たしていく。
「どうですか?」
「……美味しいよ」
「よかった~~! こちらも、全部召し上がってくださいね!」
「ああ……、ありがとう」
僕にクッキーの包みを受け取らせ、とても嬉しそうに笑ってほっと息を吐くアニカ。
彼女は昔から僕の前ではいつもにこにこしていて、素直で愛らしい女性だった。
シベルを追放して〝聖女〟となってからは、いつも泣いてばかりいたが。
しかし……。
「君は、自分が真の聖女になれなくて、悔しくないのか?」
僕の問いに、アニカはキョトンとした顔を見せた。
「悔しくありません。私が聖女ならマルクス様と結婚できると思ってましたが、今は聖女じゃないから結婚できるわけだし」
「え――」
「私はマルクス様と結婚できるなら、聖女でも聖女じゃなくてもいいです!」
「……!」
にっこりと、いつもと同じ笑顔でそう言ったアニカに、僕の鼓動が少しだけ高鳴った。
「それに聖女って大変そうですしね。聖女じゃないのにマルクス様と結婚できるならそれが一番いいわ」
「……そうか」
彼女も、ぶれない女性だ。本当に、ずっと僕のことを想ってくれているんだな。
自分が真の聖女ではなくて、内心ほっとしているのだろう。
こんな辺境の地にはいたくないだろうが。
「私は、マルクス様には笑っていてほしいです」
「え?」
「堂々とされていて、自信に満ち溢れているマルクス様はとても格好いいです!」
僕とシベルの会話を聞いていたのか……?
一瞬そう思い、励ましてくれたのかとも感じたが、我慢できないというように僕の手の上からクッキーを一枚摘まんだアニカを見て、そんなことはないかと思い直す。
「……僕たちも、もう少しここで頑張るか」
「え? なんですか?」
もぐもぐとクッキーを頰張るアニカには溜め息が出るが、彼女はいつだって僕を慕ってくれていた。
王位を継げない今の僕のことも、変わらず慕ってくれている。
「……今日はもうそれくらいにしておいたほうがいいんじゃないか?」
少しうるさいくらい元気なアニカに、つい僕の頰も釣られてほころぶ。
「そうですね。でも、お義姉様のクッキー、美味しくてつい」
「やっぱりほとんどシベルが作ったんだな」
「型取りは私がしましたよ!!」
「…………だろうな」
アニカの笑顔に、僕もつられて微笑んだ。
彼女の存在が、少しずつ僕の心を救ってくれているのかもしれない。
シベルとの過去に区切りをつけ、前に進むための小さな一歩を踏み出すことが、こんな僕にもできるかもしれない。
騎士好き聖女もついに100話……!
ここまで書くことができているのも、応援してくださる読者様のおかげです!!;;
いつも素敵な感想本当にありがとうございます!皆様のつっこみに笑わせてもらってますw
しかし記念すべき100話はマルクス視点という……。
色々ありましたが彼も少しづつ前に進めますように。頑張れマルクス!!
マルクスやアニカのお顔もコミカライズでじっくり見れちゃいます……!!
美しいし可愛いのでぜひ!
今なら7話まで登録不要で無料で読めます!(そのうち有料になっていくはずなので今のうちにぜひ……!!)
https://pash-up.jp/content/00002552