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前章
正義という実態のないまやかしにずっと惑わされて生きてきた。
人を殺すのは悪とか、それは確かに当たり前であったけど、それは人を殺さずにいられる場所にいるからで、いざそういう環境に身を置かれれば案外人は躊躇いなく人を殺せる。
正義を語れど、実際にその正義を実行するのは並大抵のことではない。大概正義を語る者が正義を為すことはない。
それは決定的に正義を実現するためのピースが足りていないからだ。
突き詰めて考えれば、正義という概念は一見合理的であるものの、その実真逆の性質を有しているのだ。それは感情であり、正義を示すために行動を起こすとなれば必ずその感情というものが欠かせないのである。
それと最も親和性の高く、そして実行されるための最後の案内人となる感情がある。即ち、怒りである。
怒りなくして、正義はなされない。
怒りに突き動かされることで人は初めて正義の真実を知るのである。
ここから先に書かれるのは紛うことなき正義の記録であり、怒りに身を委ねた者の末路である。