亡国王女は実質すでに詰んでいた④
結局スライムは樽ごと外の川に流すことにした。
さすがに町の近くに逃がすのは危険だし、目が覚めたら勝手に逃げて仲間のところにたどり着くと思う。
あれだけたくましい種族ならどうにかなるだろう。
騒ぎの後、避難していた人達は元の居場所に帰ったみたいだ。
俺は服は上半身ずぶ濡れ、靴下はズタぼろ。
ということで、屋敷まで戻ってシルヴァと同じような服を一式もらい、
昼間のお礼にと、お屋敷で2人に夕食をいただいていた。
「・・・まともな料理とか久々に食べました」
「いえいえ、喜んでいただけたようで何よりでごさいます。おかわりはよろしいのですか?」
「大丈夫です、1日1食しか食べないんで十分くらいっす」
「作用でございますか」
セバスチャンは机の上の食べ終わった食器を片しながら静かに微笑んだ。
お屋敷の食堂のテーブルは8人ほど座れるくらいに広いが、実際に座っているのは俺とシルヴァのみ。
天井のシャンデリアは部屋を明るく照らし、綺麗な食器棚には沢山の綺麗な食器があり、床も窓も穢れ1つないくらいに綺麗なものだった。
しかし、奇妙にも肝心の家具の使い手がいなかった。
気になってシルヴァに声をかけようとするも、どこか落ち着きがなくテーブルの下で髪の毛先を弄りながら少し俯いていた。
何か考え事でもしてるのか?
「なぁ、ここには他に誰もいないの?」
「ひゃい??」
見られていることに気付かなかったのか、シルヴァは素っ頓狂な声を上げる。
「皿とか椅子とか結構あるけど、2人以外に誰もいないなって。
ほら、こういうお屋敷ってメイドさんとかいろいろな人がいるものじゃん」
「えーと、それは・・・ですね。いろいろありまして・・・。今は使っていないです」
「えっ、ならこの大きいお屋敷は誰が掃除してるの?」
屋敷の大きさは大体横幅だけで40メートル以上の広さを誇り、大きい外庭と中庭すらついている状態だ。
まさか2人で住んでるなんてそんなこと・・・
「私目が1人で全て行っております」
「え、嘘でしょ?! ってことは・・・2人以外は誰もいないの?」
「はい、姫様と私以外は誰もおりません。
たまに元大臣様をはじめとする重役の方々がいらっしゃるケースがありますが、基本的には私達だけになります。
もっとも、かつてのようにはいかないので屋敷の清掃は2日ほどに分けさせていただいておりますが」
「・・・やっぱり聞き間違えじゃなくて、お姫様なんだな」
確認するようにシルヴァの方に目をやると、シルヴァは弱弱しく目をそむけた。
「元、ですよ。何もできませんでしたが」
コホンとセバスチャンは咳払いをした。
「失礼、ユート様は何故ご自身が召喚されたか、どこまでお知りになられていますか?」
「えっと…小っちゃいスライムが誰の手にも負えないから・・・だっけ?」
シルヴァは物申すように細めた目をこちらに向けていた。
えっと、なんか言っていた気がする。思い出せないけど。
「ユート様の場合は、そもそもここがどこだかといった初歩的なことからお教えしたほうが良いように感じますね。
――とはいえ先代の方も同じように何も知らないといった様子でしたから無理もないお話ですが・・・
ここはアルガルドの地の最南西に位置する国のアーカスという町です。
呪いが広がる前は、周りに恐ろしいモンスターが住んでいないことから、冒険者家業を立てやすいところと有名な町でしたがね」
セバスチャンは食器を片づけると、俺達の前に温かい紅茶を置いてくれた。
「一旦ここで、昔話をいたしましょう。今から40年ほど前のお話です」
少し長くなるお話のようで、セバスチャンはシルヴァの隣に深く腰を下ろした。
「ずっとずっと昔のお話、人間とモンスターは資源や生活圏を守るために互いに凌ぎを削ってまいりましたが、
ある日、特別な力を持つモンスターが生まれてしまいました。
そのモンスターは人間よりも腕っぷしが強く、人間と同じくらいには頭が良い種族でした。
人間と同じように・・・例えば養殖や、通貨を使っての取引もできてしまい、自身の国を作ってしまうほどには賢い種族でした」
「亜人ってこと?」
ゲームの世界だと、エルフみたいな人間の亜種のような種族のことを亜人と呼んだりする。
「今であれば、そういう分類ができたのかもしれませんが当時は魔人と呼ばれておりました。
厄介だったのは、魔人たちはモンスターを手なずけることができてしまっていたこと。
人間にとっては恐ろしい獣たちも、魔人達にとっては友人のようなものでした。
――魔人達は領地を高速に拡大し、それに伴ってモンスターが人間を襲う事件が増えてしまいました 」
「言葉は通じなかったの?」
「通じはしたのですが、魔人達にとって自分よりはるかに劣る人間達の願いを飲む必要はなかったのかもしれません。
その詳細については私ではお答えできませんがね・・・
魔物が指揮するモンスターが人を襲うことが増えてしまったことから協力するモンスターは魔物、と呼ばれるようになり、
魔人達の王はつい最近まで魔王として恐れられるようになりました 」
「つい最近って・・・」
「3年前くらいまでのことです。
そして、魔王はあなたの前にやってきた転生者様に打ち取られてしまいました 」
セバスチャンは、紅茶を一口すすった。
「老いぼれの話はここまでにして、ここからは姫様から説明していただいた方が良いでしょうね」
「はい・・・。我々エカテリス家の者は代々異世界のものを呼び出す召喚魔法を使うことができました。
それは決まってアルガルドの地に災いが広まった時で、呼び出されたものは人知を超える能力を身に着けていることがあることから、
呼び出されたものは、伝説の転生者や神の使いとして伝えられてきました 」
「何で毎回、問題が起きてからなの?」
「それは解りませんが、召喚魔法は平常時につかっても失敗してしまうことが大半です。
神様は直接この世に干渉したくなく、その為に能力を持った使者を使わせることで我々を守ってくださっているのだと言われております」
・・・ちょっと前のことを思い出してみる。
行けばわかるとか、説明が嫌いだとか言ってたあいつがそんな器用なことをするようには思えないけど。
多分純粋に手が回らなくなっただけなように思える。
「私のおばあ様は召喚魔法を使い、呼び出された転生者様は仲間たちと共に魔王を打ち取ったとされています。
ただ・・・、その日からモンスターの力関係はおかしくなってしまいました 」
「魔人と魔物とかはどうなったの?」
「大量にいる弱い魔物は魔人の言うことを聞かなくなってしまい、魔人は徐々に姿を見せなくなってしまいました
魔物は依然存在しておりますが、皮肉なことに魔人に組することがなくなったのでモンスターとまた呼ばれることになりました」
まるで鵺の呪いや悪魔の煙草の話のように、邪悪なものは倒してからが一番めんどくさい。
ただ、この問題に対して1つ思うことがあった。
「でもそれってさ、嫌な言い方するといつか慣れてしまいそうなものだけど・・・。
今は弱そうなモンスターが強くなっちゃって不自然だけど、たとえばみんなでドラゴンみたいな弱くなってしまったモンスターの近くに疎開するとか、
呪いを消す方法以外のやり方で対処できそうだけど」
「そうは・・・ならなかったんですよ」
シルヴァは一瞬言葉に詰まった・・・少し頭の中で何かを整理してから続けた。
「確かにおっしゃる通り、少しずつ国民を遠く離れた安全地帯に疎開させる方法もあるのかもしれません。
しかしながら、いくつか大きな問題があります。」
「大きな問題?」
「まず、人や動物、作物の種などは遠くに運ぶ方法はございますが、国の基盤はいかがでしょうか・・・例えば水路など」
所謂、インフラの部分。
仮に建物は立て直せたとして、舗装された歩道や飲み水や下水みたいなインフラの要素は再構築するのに相当な時間がかかることは明らか。
現代社会でも相当な時間がかかるのに、この世界には魔法があるとはいえどれくらいの時間がかかってしまうのか。
「それが仮に相当な時間と人手をかけてどうにかできたとして、何より私達にはそれほどまでに長い時間は残されておりません。
おそらくそれほど長く呪いが放置された場合、我々は絶滅すると思います」
「絶滅?!」
思ってもいない言葉に、ついつい言葉を上げてしまった。
「ドラゴンは卵を大量に作ることはしないと思われます。もしそれができてしまっているのであれば、人間はもうすでに滅ぼされてしまっておりますから・・・。
しかし、たとえばスライムはどうでしょうか」
・・・確かに、単純な話で繁殖力が違う。
ライオンの100日くらいかけて1匹の子供を出産する。ハツカネズミはその4分の1日で子供を6匹以上産み落とす。
ハツカネズミのようなペースで、今のスライムが繁殖されてしまったら・・・
「それってもう、詰んでるじゃん」
どうしようもない。明らかにこの町は詰んでいた。
不意に昼間に逃げていた住人達の顔が浮かんだ。
「この町の人たちはどうするの」
「生態系が変わってしまうまでに時間がかかると思いますので、町がモンスターに押しつぶされることはないとは思います。
ただ、繁殖が止まらない場合・・・私の国、アルカディオのように亡くなってしまうこともあると思います 」
「姫様・・・」
セバスチャンに対して、シルヴァは首を横に振った。
少し違和感があった。ここが立派なお屋敷とはいえ、普通は姫って城やその付近に住んでそうなイメージがある。
加えて、テーブルから窓の外にお城が見えているわけだが、それはかなり遠い位置にあるようだった。
小さいモンスターが凶暴化した結果、平穏に過ごしていた人達が意図しない形で住処を追われてしまう。
道中でボロボロになった建物を思い出すと、少し何とも言えない気持ちになった。
「2人ともそんな顔をしないでください。亡くなったと言っても、住むことができなくなったので自主的に解体しただけですよ。
争いで皆さんの命が亡くなってしまったわけではありませんから 」
「・・・直接の原因は何だったか聞いてもいい?」
「飢饉です。モンスターが人の町に住みついてしまって食害を起こすようになり、それを解決することはできませんでした。
最初はスライムだけだったのですが、後から他のモンスターも人の作物の味を覚えてしまって・・・。
近隣の国の長にお願いして、国民達を受け入れていただく形となりました。
当然人数に限りがありましたから、皆バラバラになってしまいましたが・・・」
「―ってことはもしかして・・・亡国のお姫様??」
「だから、"元"ですよ。今の私には何もありませんから」
シルヴァの眼には濃い憂いが見えた。
食器棚の長らく使われていないお皿を見て、シルヴァは言葉を零した。
「このお屋敷は私達を受け入れていただく際、この国の王より譲り受けたものでございますが・・・。
もともと沢山の方が住んでいらっしゃったのに、終わるときはあっけないものでした。
町の中がほとんどモンスターの住処になった途端、少しずつこの屋敷からは去っていきました。
私のことを姫と呼ぶのもセバスチャンくらいですよ」
「何をおっしゃいますか・・・どのような形になっても姫様は姫様です」
よく見るとテーブルや椅子の足や床には年季が入った傷があり、いなくなってしまった屋敷の住人の痕跡を色ごく残していた。
「ユート様、お茶が冷めてしまいますよ」
シルヴァに言われ、俺はカップに口を付けた。
冷めかかったお茶は茶葉が固まってしまっていて、すっかり苦くなってしまっていた。
外は日が暮れていて、少し肌寒い。
住む家もないためこの気候で野宿する不安を感じていたところ、2人は屋敷の寝室の1つを貸してくれた。
パソコンやスマホはないけど、ベットや机、キャビネットや化粧台など部屋にはさまざまな家具が揃っていて、生活には困らなそうだった。
トントンと部屋の扉が2回ほど叩かれた。
扉を開けると、そこには寝間着姿のシルヴァの姿があった。
「はぁ・・・いっ?!」
姿を見たとたん、少し声が上ずってしまった。
「ユート様、少しお時間頂いてもよろしいでしょうか 」
シルヴァは青いネグリジェを着ていて、その・・・とても思春期の男子の心臓によろしくない姿をしていた。
広く開いた襟元に、透けた足元。肩や袖には白いレースがついていて、ネグリジェの薄い青も相まってシルヴァの白い肌の美しさを最大限に押し出していた。
・・・その、目のやり場に困る。
「ユート様?」
おまけにシルヴァは無自覚なようで、下に逸らした俺の目をほんの少し腰を傾けて覗きあげた。
サファイアのような綺麗な瞳と目があい、心臓の鼓動が燃料を突っ込まれたように早くなるのを感じた。
思わず目線を下げると、そこでは2つの豊満なふくらみが窮屈に押し合っていて・・・。
こいつ着痩せするタイプだなとか、ちょっと背伸びすれば先っちょの方が見えるんじゃないかとかそんな雑念が・・・イヤ、ソレハヨクナイ。
1分1秒でもその表情を見ていたい、そんなことを考えてしまう。・・・が。
「あの、これは何です?」
残念ながらそれはすぐにジト目に変わってしまった。
「あっ、あのそんなつもりじゃなく。僕はただ一人の人間として常識的な行動をですね?」
「・・・常識的な行動をって、これがその様ですか?」
シルヴァの指が指す先には床に散乱した本の群れがあった。
「あっ!ああ、それね?
さっきセバスチャン氏と会って、書庫にある本は好きに読んでいいって言われたからちょっと拝借してきた」
「ちょっとって量じゃないですし、何より少し整頓されたらいかがですか? ・・・さすがにくつろぎすぎでは?」
床に積んだはずだった本は倒れ、ベットの上にあるはずだった布団は机のすぐ隣に落下している。
さっきなくしたはずのペンはキャビネットの足の近くに転がっていた。
「やれやれ、わかってない。貴族階級の方は庶民の嗜みを何も解っていない」
引きこもりにとってはこれくらいが住みやすいんだよ」
「引きこもり・・・?」
「勉強も仕事もしないで、部屋でダラダラするだけの人間のこと。人間のクズの代名詞」
いかんいかん、いつもの自虐癖が出てしまった。
ちょっと言い過ぎたかなと思ってシルヴァの表情を伺うと・・・怒るわけでも憐れむわけでもなく、目を泳がせながら動揺する顔があった。
「ううっ・・・ソレッテイケナイコトデスヨネヤッパ」
「何でそっちが刺されてるんだよ!」
「だって私、今は王女でも何でもないただのごくつぶしですし・・・。
一応たまにアルカディオの重役だった方とお会いすることはありますが・・・、大体のことはセバスチャンがやってくれますし・・・、
家事全般も全て・・・」
「すげぇなあの爺さん。・・・って待て待て待てっ、あんたは俺とは違うからっ!俺は自分の勝手で引きこもりになったけど、シルヴァはそうじゃないからっ!! 」
シルヴァの口からは魂が抜けかかっていた。俺が何度も肩を揺すって魂を戻そうとするも・・・。
「やっぱ、私って引きこもりですよね・・・」
部屋の角に向かって壊れた玩具のように何度も同じうわ言を呟いている。
「ストップ、ストップ!
それで俺になんか用事があったから来たんでしょ?!何かあったの?」
「・・・はっ、そうでした!」
シルヴァは我に返ると、一度俺の目を見て何かを心の中で決すると、思いっきり深く頭を下げた。
「その・・・本日は危ないところを助けていただいてありがとうございました。
――ごめんなさいっ!私、自分のことばかりであなたのこと何も考えておりませんでしたっ!」
「へ?」
全く予想もしていないことをされ、一瞬頭の中が混乱する。
「自分の目的ばかりで、呼び出される人の気持ちだったり、ご家族、ご友人との関係も考えませんでしたし・・・
何よりユート様に無理やりたたかわせるようなことばかり。
他にも・・・」
「はい、ちょっと待った。ちょっとごめん頭上げて?」
おずおずとシルヴァは頭を上げてくれた。
「まず、俺は引きこもりです。引きこもりに友達はいません、家族ともあんまり話さない。
呼び出された俺の気持ちとしては、一応神様?との同意の上でこの世界にやってきてるからそんなに気にしてくれなくてもいい。
モンスターと戦うことは全く同意していないけど、それは過ぎたことだしもういい。転生した先にモンスターがいたから避けられることではないし」
モンスターの件は、全く説明してくれないあのジジィが悪い。
シルヴァの眼は点になっていたが、構わず続けた。
「最後に自分の目的ばかりってそれは寧ろ普通だと思うけど?
・・・そういえば一番重要なことを聞いてなかった。シルヴァはどうして俺を呼び出したの?
呪いを解いて、自分の国を取り戻すため?」
「・・・はい、大体はその通りです。
私はバラバラになってしまった皆さんが帰ってくるところが見たかった。少しずつ私の周りから遠くに行ってしまう方を見るのが・・・心苦しかったです 」
欠けたパズルピースが元の場所に収まったような。腑に落ちる感覚があった。
「故郷を取り戻したいって気持ちは勿論あります・・・、でもユート様を呼んだのは私のエゴなのですよきっと 」
溜めていたものを吐き出すように、シルヴァは一度大きく息をついた。
「自分の気持ちを優先すぎることがそんなに悪いことかな? 勿論、度が過ぎたら問題だけど。
世界平和のために呼び出されるより、一人の女の子のエゴで呼び出された方が気持ちとしては楽だけどね」
「ですが私は・・・」
何かを言いかけたシルヴァの眼の前で、俺は1回手を鳴らした。
「だから、これでお終い。そんな謝ることでもないしね。
あと、俺のことは呼び捨てでいいよ、別にえらい人間じゃないし」
この世界はもうすでに呪われているんだ。俺まで呪いになってこの女の子の重りになる必要はない。
シルヴァは一瞬驚いた顔をしていたが、ちょっと鼻声交じりに「不思議な方ですね」と笑ってくれた。
蟠りが一つ消えたようで、俺は安心した心で机の上の逆さまに伏せられた本を元に戻した。
「えっとその、ユートは何を読んでいらっしゃるのですか?見たところ全て召喚魔法に関する本のようですが」
「ああ、それねー。湿気たお姫様が寂しくないように召喚魔法の1つでも覚えてみようかなと」
「余計なお世話です」
「ってのは冗談として、使えるようになれば便利かなと。俺自身が戦わなくていいし」
「・・・そんな理由だとは思っておりましたよ」
呆れた顔でシルヴァは空に1度、手首を回して円を書いた。
円は空中で光を放ち、その中に細かい文字や6角の星型が刻まれて1つの魔方陣を生み出していく。
シルヴァは俺が人生で初めてみる魔法の名を口にした。
「――ミラージュゲート」
部屋の中に幻想が、輝く蝶が舞う。蝶には赤・青・緑、他にもいろいろな色の個体がおり、どれも壁や俺の体に触れたとたんにシャボン玉のように空中に弾けて消えていく。
幻想的な光景に俺はついつい言葉を失っていた。
「すべて実体のない幻ですが、まずはここら辺から始めたらいいとおも・・・」
「えっ、何これすごっ! もしかして何でも魔法使えるの?!」
「エカテリス家は召喚士の家系ですから! 何でもは使えないですが、こっこれくらいはできますよっ!!」
嬉しかったのか、シルヴァは少し駆け足で部屋の隅の本を持ってきて俺の前で開いた。
「初めはコツをつかむため、この本の魔方陣を使ってみたらよいと思います 」
シルヴァは柔らかな手で俺の腕を取ると、開かれた本の巻末にある魔方陣に俺の手を置いた。
自分の好きな趣味を紹介してくれるような素直な姿に少しドキッとしてしまうが、シルヴァはそんなことには気づいてはいないようだ。
「練習用の魔方陣ですので、このまま呪文を唱えれば魔法は発動します。
自分が写したいものを強くイメージして呪文を唱えるだけ、コツは自分にとって身近なものをイメージすればすることです」
シルヴァの眼は俺を催促していた。
(身近なもの・・・か、でも俺ペットかってないし、外に出ないし、興味がないから誰とも話さなかったんだよな・・・)
部屋を少し見渡し、俺は一つのイメージを頭に浮かべて息を深く吸い、唱えた。
「――ミラージュゲート」
本の魔方陣が赤く光った。天井に大きな魔方陣が浮かび、雨のように何かの固形物が降り注いだ。
「・・・これは、石ですか?」
シルヴァは落ちてきたものの中の一つに目をやる・・・が。
「ヒッ、何ですかこれは?! すごくウネウネしてるんですけどっ!」
すぐに声は引きつったものに変わった。床はすぐにシャクトリムシのような芋虫に埋め尽くされ、シルヴァは素早い動きでベットの上に逃げて怯えた声を上げた。
「一体何を想像したんですか?! あなたっ、本当に想像つかないような事ばかりっ!!」
「・・・いや、今のは本当に悪気がないんで傷つくんですけど。シルヴァみたいに蝶を出してみようとしただけなんだけど」
「早くッ、早く止めてください!」
「いつかは蝶になるかもしれないのに・・・、これさ、どうやって止めるの?」
「魔方陣から手を離してくださいッ! あっ、こっちにも登ってきたんですけど?! 早くッ急いでください!!」
床に散乱した芋虫は、既に床を埋め尽くそうとしていた。
言われるままに手を離すと、芋虫たちは崩れ去って空中に消えて行った。
「まぁ一回やったし、次は蛹になるでしょ。――ミラージュ・・・」
「待ったッ!! やめましょう、想像するのは蝶以外のものにしましょう!」
「ええ、一回お手本を見たものの方が成功しやすい気がするんだけど」
「いいえっ、あなたにはまだ早いと思います!
・・・一度に沢山のものを呼び出すのは実はちょっと難易度が高くて、実際に召喚魔法を使う方も同時に3体以上の召喚はしませんから呼び出す幻は1つまでにした方がいいと思います」
「言われれば確かにその通りかもしれないけど、それだとちょっと意味がな・・・」
溜息をつく俺を見て、シルヴァは首を傾げた。
「どうして召喚魔法なのですか?召喚魔法より簡単な魔法ってたくさんあると思うんですけど」
「多分俺のような初心者が召喚したモンスターって必然的にレベルが低いじゃん。だとすれば俺が沢山モンスターを召喚して町を守らせたらこの問題ってすぐ解決するんじゃないかなって 」
「・・・召喚されたものとモンスターは全く異なるものなので、そういうことはできません。
それができるならもうやってます 」
「ですよねぇ・・・」
「大体召喚魔法によって召喚される召喚獣は基本的に・・・。ってあれ?」
諦めて少し部屋を片し始める俺に対し、シルヴァは不思議そうな目を向けていた。
「もしかして、呪いを解くのを手伝っていただけるんですか?あれだけ戦うのを嫌がっていたのに」
「別に一言も手伝わないとは言ってないし、どっかに逃げても無事に生活できるようには思えないし。
それに・・・その、ね」
少し言うのが恥ずかい気持ちがあったけど、相手も本音を言ってくれたんだし自分の気持ちを口にした。
「そっちを見てて自分とは全く違う人間だと思ったけど・・・さ。
できそうもないことに対して、諦める以外のやり方を取ってもいいかなって思った」
自分ならめげてしまいそうなことに対し、諦めない王女様の姿は人間として尊敬できるとは思う。
「まぁ、もしうまくいった暁には報酬はタンマリ弾んでくださるんですよね女王様?」
シルヴァは俺と顔を合わせると、微笑むように笑ってくれた。
「あくどい顔をしてますね。勿論その時は、私がお渡しできるものであれば何でも差し上げますよ 」
「ん?今なんでもって・・・」
「勿論、良識的な範疇に限ります。わかってますね?」
釘をさすように、シルヴァは俺をジロりと睨んだ。
「まぁ、思ったことはできないし片すか・・・」
「さっき自分で諦める以外のやり方を取りたいってたじゃないですか。
1回やったくらいで諦めるんですか?」
シルヴァは俺の手を引いて、やや強引に魔方陣の上に乗せた。
「言ったけどさ・・・。目的が果たせないならもうやらなくてよくね?」
「いいから、何事も諦めないで最後までやってみることが大切です」
シルヴァは頑なだった。こいつただ自分の得意分野を他人にやらせたいだけだな。機械オタクと同じ神経だろ。
「・・・わかったよ、まったく」
「いいですか? 次は呼び出す幻影は1つだけに絞ってください?
あと虫とか蛇とかは呼び出さないでくださいね?スライムも絶対にダメですからね、絶対ですよ?!」
注文が多いなこいつ。部屋を少し見渡して呼び出す対象を頭に描き、観念して呪文を唱えた。
「――ミラージュゲート!」
生み出された幻想は俺の描いていた想像とは違い、足元に滴のように落下した。
それはテニスボールくらいの、寒天みたいにプルプルしていて、弾力を持っていて・・・。
「いってぇ、ちょっと待てッ!急に黙って胸ぐらをつかむんじゃねぇッ!!」
「私、言いましたよね?スライムも絶対にダメって言いましたよね? わかってやってるってことは、あなた覚悟はできている方なんですよね?
どんな魔法でも、術者を殺せば基本的に止まるんですよ? 知りませんでしたか?」
「ちがっ、よく見ろっ!スライムじゃねぇって!」
シルヴァはそれに距離を取りながら、注意深く観察した。
「・・・スライムではないとしてはあれは、何です?」
「プリンだよ!多分!」
「プリン・・・?」
「俺が元いた世界のお菓子の1つ! 何で勝手に出てきたかわかんねぇけど!」
シルヴァが落ちていた本の角でつつくと、幻のプリンは淡く発光しながらブルブル振動した。
生物ではないことが確認できたからか、シルヴァは俺を解放してくれた。
「術者が未熟な場合、想像していないものが呼び出されること自体は珍しいことではありません。問題は何を呼び出そうとしていたかです。
竜を呼び出そうとしてトカゲが生まれる場合は純粋に鍛練が足りないですし、魚を呼び出そうとして鳥が生まれるなら想像する力や魔力をコントロールする力が足りません。
何を呼び出そうとしていましたか。・・・勿論悪意を感じるものであるなら覚悟をしていただきたいのですが 」
シルヴァは俺を少し睨む。
「・・・人間だよ」
「――どこのどのあたりが人間の要素があるんですかこれは。
あっ、でも例えばお母様がよく作られるものなのであれば、あり得るお話かもしれないですね。どなたを想像されたのですか? 」
俺はそれに対して、人差し指でその人物の顔を指さした。勿論ここには2人しかいないので必然的に一人しかいない。
「・・・あの、どのあたりに私の印象があるんです?あなたのために何かを料理したこともないはずですけど?」
俺は質問に対し、胸元まで指を下げた。
シルヴァは初め、意味が全く分からないといった様子だったが、すぐに意図に気付くとその顔を熟れた果実のように真っ赤に染めた。
あるじゃないか、そこに2つのプリンが。
「不敬ですッ!!!!」
屋敷中に叫び声が上がり、俺の顔には平手打ちが炸裂したのだった。