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古代ギリシャの線文字A(10.神話・地名・装飾デザイン)

作者: 板堂研究所(Bando Research Corporation)

8月5日、アマテラス、スサノオと並び、ツクヨミについて記述しました。

 1. 古事記・日本書紀などの神話


(1)アマテラス・スサノオ


(ア)日本の神話


 古事記・日本書紀に登場するアマテラスとスサノオに関し、スサノオは、後から来た弟なのに、高天原で乱暴狼藉を働いた。例えば、アマテラスが機を織っている時に、天斑駒 (アマノブチコマ)の皮を剥いで、機屋に投げ込んだ。怒ったアマテラスは岩戸に隠れ、天地が真っ暗になった。その後、鏡や裸踊りを取り入れた策謀により、アマテラスは岩戸から引き出され、再び天地が明るくなった。


(イ)ギリシャ神話


 農業の女神デメテルは、娘のペルセポネが、冥界の王ハデスに連れ去られたので、彼女を探して放浪した。


 〇 デメテルが悲嘆に暮れていた最中、弟のポセイドンが、彼女に目をつけて追跡する様になったので、彼女は、牝馬に変身して逃げようとした。しかしポセイドンは、牡馬の姿に変身の上、彼女に近づき、暴行した。怒った彼女は、黒い装束に身を包み、身体を清める為に洞窟に引き籠った。そのため植物は実らず、人々は飢餓に脅かされた。


 〇 デメテルは、エレウシスの王、ケレオスの館に招かれたが、彼女は、押し黙り、何も食べなかった。その後、彼女が、女神の本性を表したので、エレウシスに、彼女の神殿が建てられた。すると彼女は、神殿に引き籠り、農業の女神の務めを怠り、穀物が育たなくなった。

 ケレオス王の女中イアンベは、女神を懐柔する為、猥雑な詩を吟じ、老婆バウボは、おどけて自分の性器を見せたら、デメテルが喜んだ。


 〇 最終的に、農業の女神デメテルを懐柔するため、娘のペルセポネは、地上に戻されたが、冥界でザクロの実を食べてしまったので、一年の3分の1をハデスと共に冥界で過ごす事となった。するとその間は、デメテルが悲しみ、穀物が育たなくなったので、冬となり、季節が生まれた。


(注)古代ギリシャの詩人テオクリトスは「小情景詩」(vii.157)の中で、「ギリシャ人にとり、デメテルは、依然としてケシの女神(Poppy Goddess)だった」と言及し、デメテルが、クレタ文明のテラコッタの彫像で知られる「ケシの女神」に由来する旨示唆している。


(2)ツクヨミ


 アマテラス・スサノオ の兄弟、ツクヨミは、月の神、または夜を統べる神とされ、ギリシャ神話の女神アルテミスに相当する。

 然るに、インダス文字の背景言語を、日本語として分析すると、半月形の弓に、矢のつがえられた形の記号は、「月」/「突く」に因んで、TUと読む事が判明する。すると「ツクヨミ」の世界では「月」の記号を「突く」とも読むので、アマテラスがキプロス(アマサス)系、スサノオがクレタ(ギリシャ)系とすれば、ツクヨミは、インダス系を代表する神と解釈可能。


(3)ヤマタノオロチ


 これはアテネの王子テーセウスの退治する、クレタ島の怪物ミノタウロスと、キプロスゆかりの英雄ヘラクレスの退治する9頭のヘビを掛け合わせた話であり、クレタ島系とキプロス系の日本語グループによる妥協の産物。確執と闘争を経て、平和共存が実現し、神話の世界でも折衷案が採択されたのだろう。


(ア)テーセウスのミノタウロス退治


 〇アテネの若い男女が9年毎に7人ずつ、怪物の犠牲に ⇒ 出雲で8人の娘が、毎年一人ずつ犠牲に。 


 〇テーセウスがミノタウロスを退治 ⇒ スサノオがヤマタノオロチを退治。


 〇アリアドネ姫が、迷宮の道標用に糸巻きを提供し、支援 ⇒ スサノオがクシナダ姫を櫛に変えて自分の頭に差し、怪物退治に。


(イ)ヘラクレスの毒蛇ヒュドラ退治(第2の難行)


 〇ヒュドラは、冥界へと続く底なし沼の番人で、9つの頭を持つ水蛇だった。

(古代アナトリアのヒッタイトには、7つ頭の蛇「イルヤンカ」退治の神話あり)


(注)インダス文明では、北極星を中心に天空を旋回させる「北のタコ」神話があったが、タコの8本足を蛇頭に替えた怪物がヤマタノオロチとも考えられる。


(4)鬼


 角の生えた鬼のルーツは、ミノタウロスと見られる。鬼ヶ島の鬼を退治した桃太郎、また酒呑童子を退治した金太郎のおとぎ話は、何れも、テーセウスのミノタウロス退治伝説から強く影響を受けており、テーセウスは、言ってみれば「鉄太郎」だろう。


(5)牛頭天王


 スサノオは、朝鮮半島の牛頭山から渡来して出雲の国でヤマタノオロチを退治した後、首長になったとされ、京都の八坂神社等で(神道と仏教統合の象徴の)牛頭天王として奉られている。ミノタウロスの様な半牛半人の姿であり、疫病の沈静化を司る。

 その理由として、ヤマタノオロチは実際には出雲で八方に蔓延した深刻な疫病であり、スサノオは消毒薬として強い酒を住民に飲ませて駆逐したので功績を認められた可能性があろう。

 ミノア人は、ワインやビールに加え蒸留酒を飲んだと見られ、アルコールを消毒に用いながら地中海東部の青銅器文明の同時崩壊の一つの原因と見られる疫病から逃れてきた。スサノオは同じ方法で出雲の人々を救った可能性があろう。

 しかし疫病の原因がスサノオの渡来だった可能性もあり、大陸や朝鮮半島の風土病だったので、免疫の無い出雲の住民に多くの犠牲者が出てしまった。彼は疫病対策としてアルコールが有効な事を知っており、これを教えたら見事に出雲の住民が救われた、とも解釈可能である。この場合、スサノオ/牛頭天王は疫病神そのものだろう。


(6)オオクニヌシと因幡の白ウサギ


 国譲りの神話で知られる、スサノオの子孫、オオクニヌシは、大きな袋を担ぐ姿で登場するが、このイメージは、線文字Aで、大きな荷物を担ぐ「人」を表す記号、A(100/102)に対応し、これは転じて、冬の南の夜空の、オリオン座 (オオクニヌシ)と冬の大三角形(背中の荷物)に由来するだろう。因みにオリオン座のすぐ下には、ウサギ座があるが、これは、オオクニヌシが助けたとされる、因幡の白ウサギに違いない。

 オリオン座がオオクニヌシ、ウサギ座が、因幡の白ウサギとすれば、ウサギ座の右手には、河の星座であるエリダヌス座、その向こう側には、海の怪獣のクジラ座があるので、ワニから逃れ、海を渡ってきたウサギが、オオクニヌシに守られる話と整合する。

 12支では、「寅」、「卯」の次は「辰」だが、この神話のワニに相当しよう。やはり12支の伝統のあるアラビアでは「辰」がワニ、イランではクジラに換わっており、符合する。

 因みにインダス文明では、トラが、オリオン座の場所に座していた首長を倒し、入れ替わる神話があり、ここからも「寅」は、オリオン座と理解される。これがオオクニヌシならば、大黒天に相当し、インド由来の七福神の一人である。


(7)天津神・国津神


 天津神は、アマテラスに代表される、日本語民族の伝統的な神で、語源は、ヘレニズムの始まる紀元前4世紀後半まで、キプロス音節文字の日本語原典が出土する、キプロス南岸のアマサスと考えられる。これに対し、スサノオや子孫のオオクニヌシは国津神。語源は「クノッソス」で、ミケーネ系の神だろう。


 2.国譲り(倭国の大乱)


 日本列島では、縄文時代は概ね平和と見られ、弥生時代に、戦争が起きる様になったと見られるが、地中海東部にルーツを持つグループが、長い旅路を経て、日本列島に渡来したのがきっかけであり、2世紀後半の倭国大乱に至った。 

 その後、当事者間の妥協が成立し、ヤマト王権が成立し、出雲の大国主神の「国譲り」として伝えられたが、大乱の当事者等、その本質は、両者の融和を図るため、隠蔽されたと見られる。然るに、次の様な可能性があろう。


(a)在来勢力(縄文系)× 渡来グループ(弥生系)


(b)アマテラス系 × スサノウ系


 ギリシャ文化圏から日本列島に到達した渡来人は、クレタ島系(男神系:イズモ)と、キプロス系(女神系:ヤマト)の2派から構成されていた。古事記・日本書紀によれば、アマテラスが姉、スサノオが弟だが、アマテラス系は、九州から近畿へと勢力を伸ばし、太陽信仰を基本とした。スサノオは、イズモの主神。ギリシャ系で、北極星を信仰した。島根県に集中する稀な名字として「石飛」が知られるが、因幡の白ウサギ伝説、あるいは、ミノア文明の「牛跳び」に由来する可能性があろう。

 紀元前1450年頃、クレタ島のクノッソス宮殿周辺では、出土する文字が、線文字Aから、古代ギリシャ語を記す線文字Bに転換するが、ミケーネ人がクレタ島を支配する様になった為と見られる。本来、ミノア人の最高神は女神で、女性の地位が高く、母系制だったが、クレタ島のミノア人(日本語民族)は、ミケーネ人の支配により、彼等の社会制度(父系制)や最高神ゼウスを受容せざるを得ず、ミケーネ化(ギリシャ化)が進んだ。

 キプロスでは、ギリシャ本土から植民が進むのが、紀元前1200年頃からと遅かったので、日本語民族は、より長期にわたり、言語文化や生活習慣を守る事が出来た。

 因みに古典時代のキプロス(紀元前750年-前325年)の主神は、大母神(Great Mother Goddess)で、アフロディーテに相当し、信仰の中心地はパフォス(Paphos)。その後、キプロス系は、ヘレニズム(紀元前323年~前30年)によるギリシャ文化の強制や抑圧を嫌い、地中海東部から東方移動した。

 これに対しクレタ島系は、ミケーネ文化に浸り、ヘレニズム世界は親しみがあったので、東方移動は、その終焉(紀元前30年)の頃からであり、セレウコス朝シリアから、チベット高原や南インドへと移動したのだろう。

 日本書紀によれば、スサノウは、新羅から島根に渡来した由だが、新羅は4世紀中頃に建国され、676年に朝鮮半島を統一、935年まで存続した。


(参考)小泉八雲は、ギリシャのレフカダ島で生まれ、米国を経て英語教師として島根県に移り住み、日本人女性と結婚した。彼が、島根県で特段の居心地の良さを感じたとしたら、イズモ族が、元々、ギリシャから来た事と関係あるのかも知れない。


(c)インダス系


 上記の通り、ツクヨミに代表される「インダス系」の日本語グループがいたとすれば、インダス文明でも地母神を崇拝した形跡があるので、女神を崇拝するヤマトに加担しただろう。



 3.地名


 ミノア人に由来のあり得る日本の地名として、次の通り。


(1)出雲国 : ミノア人が日本に渡来する途中、中国の雲南省に立ち寄り、滞在した可能性があろう。


(2)三輪山


 ヤマト王権は、奈良の三輪山周辺を本拠地に構え、三輪神社に大物主神が奉られ、出雲の大国主神が姿を変えたものとされた。然るにヤマト族(キプロス系)とイズモ族(ミケーネ系)は、キプロス音節文字の「WA」、あるいは線文字Aの「WA」に着目して和を結んだ可能性があろう。

 すなわち「WA」は、キプロス音節文字ならば、2本の短く、平行な縦棒が、仲良く狭い橋に入るイメージであり、線文字Aなら、三脚の器(tripod)のイメージ。これらの形状の示唆する、相互的な支えの精神に基づき、対立と抗争に終止符を打ったに違いない。 


(3)飛鳥


(ア)クレタ島北西部のハニアから南東50キロには山に囲まれた風光明媚な盆地のAskifouがあり、写真や動画を見ると奈良盆地を思わせるものがある。


(イ)線文字Aと同様に単語冒頭のAをHAと読み、HASUKAと読んだ可能性があろう。聖徳太子が仏教普及に専念した時代の政治・文化の中心であり、仏の教えにゆかりの深い「蓮」に因む名前かも知れない。


(4)斑鳩 (イカルガ) 


 今の奈良県で、聖徳太子が法隆寺を建立した地名。線文字Aと同様に単語冒頭のIをHIと読み、HIKARUGA、「光る里」を意味した可能性があろう。


(注)ギリシャ神話に登場するイカロスも「光」を意味しよう。


 クレタ島のミノス王は、半牛半人の怪物ミノタウロスを閉じ込める迷宮の設計をダイダロスに命じた。達成の後、彼は息子のイカロスと共にその迷宮に囚われる。そこで彼は背中に蝋で翼を取り付けて逃げる事を画策する。二人は迷宮から飛び立ち、クレタ島脱出に成功し、エーゲ海上空を飛行するが、途中でイカロスが太陽に近づきすぎて背中の蝋が溶け出し、海に墜落してしまう。

 ダイダロスは飛び続けてシチリア島、シラクサ近くのNotoに到達した。シチリア島のシンボルは、2匹の蛇の絡む女性の頭の周囲で回転する3本足だが、2匹の蛇を掲げる女神はクレタ島特有であり、そこから逃げた民を表すのだろう。


(5)京都 :  古代エジプトでは、クレタ島の島民をKeftiuと呼んだ由。


(6)美濃国 : ギリシャ神話に登場するクレタ島Minos王の由来か。


(7)飛騨国・飛騨山脈、飯田市(長野県) : Ida山はクレタ島の最高峰であり、洞穴でゼウス神が誕生した。因みに線文字Aでは単語冒頭のIをHIと読んだ可能性があり、その場合、Hida山と呼んだだろう。


(8)諏訪 : クレタ聖刻文字のDWA(25)は字源がタツノオトシゴであり、DWAはミノア語で龍/辰を意味したと考えられる。長野県の諏訪湖は龍神伝説で有名であり、「諏訪」には元々、龍の意味があったに違いない。


(9)長野 : 「ナーガ」は、インド神話に起源を持つ蛇の精霊あるいは蛇神とされる。


(10)有明海 :「アリアドネ」。アテネの王子テーセウスによるミノタウロス退治の神話に登場するクレタ島ミノス王の娘である。彼女はテーセウスと恋仲になり、彼が怪物ミノタウロスの幽閉された迷宮から戻れるよう、糸巻を手渡す。テーセウスは迷宮で怪物を退治し、糸をたぐりながら無事に戻る。そしてアリアドネ姫と共にクレタ島を離れ、アテネを目指すが、立ち寄ったナクソス島で、ディオニッソス神が彼女を見て恋に落ち、テーセウスに対し、彼女を島に置いて去るように命令する。彼はそれに従い、彼女の寝ている間に出帆。島は凄惨な失恋の現場となり、彼女はそこで命を落とす。

 有明海から南西を地図で見ると、女性が両膝(島原半島の南部)と両手(長崎半島)をつき(肩に長崎市)、頭(西彼杵半島)をあげ、(五島列島方向の)海に向かって何か訴えている様に見える。ナクソス島に置き去りにされ、気がついたアリアドネの姿だろう。



 4.装飾デザイン


 クノッソス宮殿の壁には、日本の菊の紋様の様な丸い花を隙間なく横に並べた装飾が施されているが、これを原点としてミノア文明に特徴的なデザインや紋様が生まれたと考えられ、「8」や「S」の連鎖、絡み合う蛇/縄や連なる波の紋様が含まれる。


(1)「S」の連鎖


 日本でも弥生時代から古墳時代にかけて「S」を連鎖させた波の文様(組帯文)が知られており、蛇を表すとも考えられるが、ミノア人はミケーネ人を「巳」と称していた可能性があり、これはミケーネの象徴かも知れない。


(ア)出雲大社の本殿にて、絡み合う大きなしめ縄。

(イ)吉備特殊器台の弧文装飾。


(ウ)熊本装飾古墳内部の紋様。

(エ)大和王権に仕えた隼人が、平城京で携行したとされる「隼人の盾」の逆「S」の紋様。


(2)ハチ


 ミノア人は、やはり日本語の祖語を使ったインダス文明を受け継ぎ、北極星を中心に天空を旋回させる「北のタコ」を信奉していた。人は死ぬと、魂が天に昇り、「北のタコ」の一部になるとされた。従ってタコは権威の象徴であり、足の本数から、8は聖数とされた。

 タコは壺の装飾に好んで用いられたが、おそらく「タコをあしらった鉢」の語呂合わせから創造された「タコハチ」のデザインも見られる。これはハチの胴体に、タコの足が8本付いている。

 更にミノア人の間で、ハチは彫金のデザインに登場し、女性のスカートの紋様にも影響を及ぼした。(他の可能性としては、トラ)自らをハチの群れに例え、ハチが民族の象徴だった可能性がある。日本で見られる、ヤマタノオロチ、八百万の神、八幡、八紘一宇等、「8」への拘りに繋がっていよう。


(ア)DNA鑑定等から、ミノア人の先祖はアナトリアでヒッタイト帝国出現以前の時代にHattusaを拠点としていたHatti族であり、彼らがクレタ島に移住してきたとも推測されている。


(イ)ミノア人は女神を最高神としていた模様。男性は海に出る仕事が多かった事も有り、社会は母系制で女性の地位が高かった。また一部の権力者を除けば平等社会であり、全体主義的と見られている。女王バチを支えて忠実・勤勉に働く蜂の巣を思わせる様な社会だろう。


(ウ)クノッソス等、ミノア人の宮殿では無数の小部屋が迷路の様に連なり、ハチの巣を思わせるものがあった。


(エ)ミノア人女性のスカートは、黒を含む2色の派手な横縞が一般的だった。この様な横縞模様は、線文字Aのうち、オリオン座+冬の大三角形に由来し、人を表す記号(A100/102)に見られる。


(オ)ミノア人は楯を含め、8の字を繰り返すデザインを好んだ。8本足で知られるタコも壺のデザインによく用いられている。


(3)直弧文


 古代の青銅鏡に見られる「直弧文」は、ミノタウロスの幽閉されていた迷宮を表し、ミノア人の象徴/署名替わりの可能性があろう。


(ア)海洋民族のミノア人は、航海のため(砂浜・地面に?)海図を作成する必要があり、定規とコンパスを使用した。従って直弧文は海洋民族を表すもの。


(イ)特に鏡面が8つに分かれた鏡の場合、「北のタコ」を表していた。


(注)Antikythera島で遭難した古代ギリシャの沈船から発見された青銅の計算機Antikythera Mechanismは、太陽と月の動きや食を予知する当時のハイテク機器だった。時計の様に丸く、30以上の歯車が組み合わせてあり、計算結果は北緯33.3~37度で最も合致し、クレタ島(北緯35~36度)もその範囲内。作成年代は紀元前(200年代以降)と見られている。ミノア人は緻密な計算が得意だったが、彼らが関与した場合には民族のプライドとなり、日本に渡来した子孫がその記憶を直弧文の鏡に残した可能性があろう。


(4)ケシの冠


 山鹿市のチブサン古墳では、石室の脇に三本の角を冠の様に乗せ、両手を挙げた人物が描かれている。この頭部の装飾、また手を挙げたポーズは共にクレタ島で発見された埴輪の人物と良く似ている。後者は乳房を備えた女神であり、作成年代は紀元前1400~1100年。クレタ島の埴輪の人物につき、三本の角はケシの実を表すとされ、Poppy Goddessとして知られている。(ヘラクリオン博物館所蔵)


 ミノア人の生活は苦しい事が多く、麻酔術を含む医療も未発達だったので、ケシの実に苦痛を和らげる効果がある事を発見し、これを麻酔薬として珍重。救いの女神と考えたのだろう。


[線文字AのKE(*44)はケシの実を記号化したもので、痛みを「消す」事から音声が当てはめられた可能性があろう]


(5)管玉


 インダス文明の遺跡から発見される装飾品のビーズは、チベットに特徴的なメノウの天珠(Dzi beads)に酷似しており、転じてこれは弥生から古墳時代にかけて製作された管玉に酷似する。

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