朱夏の少女
さて、絵理愛に金を貸す…められる日が来た。
{13時からカラオケね~)
俺は13時から適当な嬢を呼んで、夜に間違いを起こさないようにする予定だったのに。
「ヤマト君ってば日曜にスーツかいな」
「お前はギャルでもなれけば、サブカルでもなかったな。まんま、年相応の主婦か」
大して背も高くない…いや、低身長のオールバックの銀縁眼鏡が、顎を上げて、左目だけを閉じる。悪徳業者の演出も、ママのリークで台無しになっているから、絵理愛も顎を下げて三白眼にしてからかってくる。
「フリータイム、男女が二人」
「日曜日ですと16時までになります」
「じゃあ通常5時間でいいよ。そのほうがお店の利益になるでしょ?」
「飲み放題はいかがですか?」
「私はドリンクバーでいいかな」
「夜に飲むからね。お嬢さん、営業向いてるよ?」
バイトにまで金を出してくれるカモだと思われた。ここまでやっても、そう見えるというのか。
俺はパソコンで借用書を作ると言って、絵理愛に思い思いの歌を歌わせた。好きだけど、声変わりして歌えなくなった歌が、絵理愛の声で歌われていく。
夏から、冬へ、そして卒業。一緒に過ごさなかった時期にリリースされていった歌を聴く。男声の曲を思い出したら、俺もマイクを握った。
「今で良かったな」
「何?さっきの曲良かった?」
「会う時期だよ。あのまま絵理愛と付き合ってたら、絵理愛にフラれて、二度と会いたくないって言われる人生を送ってた。実際そうやって別れた奴がゴロゴロいる」
「そんなに女いたの!?」
「ほとんど男だよ。変な言い方になるけど、男は俺のほうから切った。女は切ったり切られたりだな」
青春が無条件で素晴らしいとは思わない。後悔している老人に言われるままに、自分を無垢で清潔な存在だと思い込む。だから粗雑で不衛生にしていても、愛されていると錯覚してしまう。
愛は無償でないという事実を知ると、愛されたくて目立とうとする。その手段も稚拙だ。同じ稚拙でも金で解決するのは許されるのに、それを持っていない。
そんな連中が群れていても無理が祟るだけだ。やがて互いを受け入れられなくなり、憎しみと無念しか残らない別れを繰り返していく。相手の成長を見届けることはない。
下手したら、青春は死ぬ時よりも永遠の別れが多くなる。朱夏を迎えて、人を許せる余裕ができた時には、もう会う理由がなくなっているからだ。
絵理愛が俺の肩に頭を置いた。
「やめろよ。おっさん臭くなっただろ?」
「そう?むしろ中学の時より気を遣ってるでしょ?私のほうが臭い心配かも。ってか化粧してる?」
「女の俺が、男の俺を生理的に無理って言うから、してるというか、やらされてるというか」
「うつ病の後遺症なのかな?」
「ジェンダーフリュイドはかじってるけど、醜形恐怖レベルではないからプラスに働いてるだろ」
そんなんだからさ。いいよ、お前の小皺くらい。白髪くらい。人のこと言えないし、今では中学の時には眼中になかった38歳すら愛しく思っているからな。
絵理愛にパソコンのグラフを見られた。これは為替相場だが本気の借用書だと思っているようだ。俺は損してでも人助けする人間という認識が絵理愛の中で変わったのか、失恋の歌を歌いはじめた。それらは俺の青春とは違って、未練があっても、失望はしていない。いくら強がっても再会を願う詞を歌われると、俺も気が気ではなくなった。
「ビール注文しよう。あとさ、ママの店はやめて、ホテル行こう」
「ママに前金払っちゃったよ」
「キャンセル代ってことにしとけば?」
間違いを起こしたくなかったが、絵理愛がその気ならばと、邪な気が湧いて出た。しかし、絵理愛はビールを呷ることなく、哀しげに啜っていた。
「道理と愛を絵には描くけど、どうせだったら恵まれたいよ…」
「ビール回ったか?」
「早くホテル行こ」
「日曜の夜はすぐには埋まらねーよ」
もうちぐはぐになっていた。しかし、ビール一杯で泥酔したのかと思えば、足取りは普通だった。
チェックインして入室すると、俺はバッグから40万円を出した。
「養育費、払ってもらえないんだろ?利子は気にするなよ」
目的以上のことをしてやったのに、絵理愛はビールを啜っていた時と同じ目をしたままだった。
「ヤマト、もしかして、お詫びの気持ち?」
「中学の時か?あの時に傷付けたなら、気付いてやれなくて申し訳ない。これは、心配してるからだ」
「返す。あと、10万借りるとしか言ってないから」
絵理愛がようやく笑ったが、目は怒りを宿していた。そして自分の財布から一万円札を出して、俺の顔に擦り付けた。
「お前は女をホテルで脅して、当日10%の利子を払わせた悪徳業者だ。訴えて、潰してやる」
これが絵理愛の目的だった。
「だから間違いを起こさないようにママの店に行こうとしたのによ。流されてこれか。さっきの失恋ソングよりも悲惨な結末だな…」
邪な気を起こした愚かさが痛い。
「男が来てボコボコにされて金奪われるほうが良かった?悲観してんじゃねーよ」
絵理愛は俺への怒りを一つずつ話し出した。
「最初はね、下らない逆恨みよ。私が離婚して傷心してる時に、姉に雰囲気似てる女とのニッコニコのツーショットをアップしてただろ。小里絵がヤマトがうつ病から立ち直ったって聞いて見てみたら、古傷を抉られた!でも、その時は人妻と何やってんだってド突いて、それで済ませるつもりだった。
そもそもさ、嫌いな男に私の初彼氏の終身名誉称号をやるわけないじゃん。それなのに、姉ばっか見られて、一日でもいいからって提案を鵜呑みにされて…」
「棚上げするなよ。お前だって」
「いくらでも棚に上げてやるわよ!」
絵理愛が少し笑ったから、俺もつられて笑った。
「面白い話はここまでよ。
もしさ、こんな仕事続けてたら、本当に男が乱入してきて、ボコボコにされて金奪われる時が来るよ?殺されるよ!?それに、ママにしか言わないで一人でやるつもりだったんでしょ?あの人、本当に唯一の協力者って言える?私があの人のこと認めるのは、私と小里絵にヤマトがサラ金始めたのを教えてくれたことだけ!」
俺が何も言えなくなると、絵理愛の声が震え出した。
「マイナンバーカード出せよ。
殺されてさ、自分の遺志で売るって言った内臓が、殺した奴の利益になったらどうするの?ずっと利用されて、何も言えない優しい人間のまんまだぞ。何が人が変わっただよ!」
「小里絵も怒ってるんだよな…」
「怒ってるよ!そんな内臓が、自分の子供に適合したら。友達を殺した人間に金を払うことになったら、どうしろって言うのよ。
そうじゃなくて無償で提供されたとしても、子供にお礼も何もしない恩知らずってレッテル貼るってことでしょ?そんなことしたら、ヤマトのこと絶対に許さない!一緒にいたのに、そんな人間にしちゃった自分のこと、小里絵のこと、絶対に許せなくなる…」
やっぱりそうだ。女が昔の男を追う理由は、男への未練じゃなかった。愛しい我が子の未来のためだった。
そう結論付けてもいいが、それでは腑に落ちない部分もある。俺は間違えてみることにした。30過ぎてようやく初カノに初めてのキスをして、背中を両手で撫でてやった。
「ママに怒ってるって伝えておけば、ママが俺に言ってくれたはずだ。今の貴重な時間を俺なんかじゃなくて大事な子供と過ごせただろうに」
「ママがヤマトのこと知ってるなら、愛してるなら最初に止めたはずだけど、それをしなかったんでしょ?そんな女に私の言いたいことは託せない。
ねぇ、間違ってるのは、ご主人がいるママと、いなくなった私、どっち?」
絵理愛が目を閉じて俺を待ったが、その間俺は利害関係でもいいと、好きで金を払っていたママへの感情を整理しなければいけなくなった。だからと言って、絵理愛をすぐに受け止めることもできない。
「ここで抱いたら、訴えられた時に負ける証拠になるよな。
俺だって長男を守るために、偽計業務妨害でお前を訴えるぜ?」
「え?独身でしょ?」
「法人は法律上人間なんだよ。俺の次男には確かに癌があるけど、長男の個人投資法人は健全なつもりだ。父親が女を抱いたせいで長男まで業務停止命令下るなんて不憫だろ?」
「じゃあ、その次男も大事なの?」
「贔屓する親にはなりたくないからな。だから、俺のために潰すならしっかり証拠集めて来いってこと」
「私が勝ったら、どうなるの?」
「業務停止命令が下って俺がヤクザに絡まれることはなくなる。でも、女を襲ったんだ。接近禁止命令もセットってとこだろうか…」
「そっか…」
言いたいことを言った絵理愛には、待っている子供がいる。結局、利子だと言って用意した一万円札をしまい、襟を正して部屋を出た。
これが朱夏になって初めての、永遠の別れなのだろう。俺は絵理愛の背中を見ると目を閉じた。ドアが開いてから、ずっと俺を見ていたらしい。閉まった音が聞こえた時には、俺は眠りかけていた。
結局俺はホテルで朝を迎えた。ママへの感情が揺らいで、連絡する気になれない。絵理愛は貸金業を潰すという目的こそ遂げられなかったが、恨みは晴らせたことになる。
くれてやるはずだった40万円が宙に浮いた。
「子供か…」
育英会に寄付しようと思ったが、まだ早朝で窓口はやっていない。俺は駅近くのコンビニで、募金箱に一万円を突き刺した。
高校生が、若妻が、スポーツ紙を買いに来たいかにも低所得な爺さんが、風呂に入りそびれて髪を乱したスーツの眼鏡男に戦いていた。こんなに怖がられるのは人生で初めてだ。こっちも怖いけど。
「あれいくら?すげー」
すごくねーよ。今まで貸して返ってこなかった分ケチッてるんだから。少年よ。こんな大人にはなるなよ。健全な青春を謳歌して、40万円全額寄付できる大人になりなさい。
{大丈夫だった?またお店に来てお話聞かせて)
(ありがとう}
ママへの返信から、大好きの一言がなくなった。いつも最後にあった言葉がなくなって、ママも察したはずだ。焦ったかな?悔やんでるかな?大丈夫だよ。今回は絵理愛が正しいと思っただけで、会って話せばすぐ元に戻るから。
間もなくすると、小里絵からの聞き込みが始まった。
{絵理愛の話ちゃんと聞いてあげた?)
(聞いたよ。もし俺をハメるなら偽計業務妨害で訴えるって言った。もう一つの法人は大事だから}
{それは絵理愛に聞いた。訴えないよ)
{証拠ないし、負けて子供がいじめられたら嫌だってさ)
やっぱり我が子が一番なんだな。俺も接近禁止命令を回避できて少し安堵した。
{私は絵理愛が困ってることをヤマトが聞いたのかって聞いてるの)
(全部俺への説教じゃなかったの?}
{聞いてあげなさいよ!あの子今妻子持ちと交際してんのよ!)
あいつめ。やっぱり自分のこと棚に上げていたか。
しっかし何してんだよおい…おいおいおいおいおいおいおいおい!!