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朱夏の少年(初出版)  作者: サグマイア
世界最弱のサラ金はじめました
3/11

ママタイム

「ママ、これお詫び」

「突然どうしたの?別に何もしてないじゃん」

「ほら、先週グラス割ったくせに金がないから弁償できないって怒鳴り散らしてた親父いたよね。閉め出してあげたかったけどその前に逃がしちゃったじゃん。そのお詫びだよ」

「なんでヤマちゃんが謝るのよ!それに、これペアグラスじゃない。こんなに気を利かせなくても…」

「普段気が利かないから、こういう時くらいは」


気が利かないのは事実だけど、ママからすれば俺は身内に激甘らしい。その身内の基準も甘いせいで、人を寄せては離別している。

だからといって俺が一方的に頼ったらママの負担になって関係は終わるだろう。ママとは利害関係を続けていきたい。そうありたくても、ママは俺が心から認める身内になった。ママの態度も、他の客とは明らかに異なる。

「ヤマちゃんみたいな若い男の子に懐かれて悪い気はしないって」

そんなママも38歳。業界の中ではかなり若いほうだ。そして、お水をやってないのに、顔とたった2年の営業職の経験だけで親父達をここまで魅了している。すごい人なのに、開業5年目を迎えても時に初々しくて俺さえもかわいいと思う。

「ヤマちゃんは営業に戻ればいいのに。もっと儲かるでしょ?」

「自営業だって。自分だけの営業」


これでも哲学はある。ディフェンシブも、2年後には5kgにする予定のゴールドバーも、投機だと割り切ることだ。社会への感謝は、納税と消費で示すだけでいい。この哲学を冷酷と批判する連中は、欲しい物は全て買い、いくつもの宗教とマルチを掛け持ちしてるんだろうな。

俺は競技人口こそ多いものの誰にも応援されないマインドスポーツの選手として、努力の成果をインサイダー、つまり八百長だと疑われながら稼ぐだけでいい。

それだけ売り逃げが得意だということでもある。元同僚からは座敷童子と(あとよく飲むから酒呑童子とも)呼ばれるだけあって、株式会社は俺という投資家の姿も知らない。俺を客にしたがる証券マンも、この弱そうな風貌から俺のことを善意の投資家だと見誤って、そしてがっかりしていく。あいつらは俺が証券アナリストの資格を持っていることは知っているのだろうか。


他にも複数の資格を持っていて、そのうちの一つが貸金業務取扱主任者だった。




リスクまで的確に見抜けるせいで、投機という行為を善意で人に勧めることはできない。例えるなら楽しいという理由で素人にエベレストを登れと言うようなものだからだ。


大学卒業後に就職した証券会社は、そんな俺を営業部に配属した。激務を押し付けても歯向かわないと思ったのだろう。

確かに苦言や提案を堂々と言ったりはしなかった。ただ、歯向かうよりも許されないことをしてしまった。

中心になった同期は損する話を隠すのが上手く、上司や事務からも信頼されて、新人の模範となった。一方の俺は、エベレストを登れない老人に杖の握り方を教えて、結局散歩だけで日が暮れるような成績だった。そればかりか、顧客の不安を解消するために、儲からないパターンや詐欺被害の事例などの問い合わせに応対した。当然、必ず儲かるパターンも訊ねられたが、それは今の俺でも答えられない。

顧客は親切丁寧を武器にした俺のせいで投資への興味を失っていった。つまり、俺が営業したせいで会社に損失させたのだ。

こうして俺は会社の荷物になった。まずは陰口だったが、逆らわないのをいいことに聞こえる場所で言われるようになった。

「どうやったら合法的に切れるかな?」

資格を取得してお応えする気でいたが、アナリストになっても評価されるどころか余計な発言が増えただけだとより疎まれるようになった。

四方から散々怒鳴られた俺は、人からの感謝が見えなくなるという今も残る傷を負った。

「ご迷惑をおかけしました…」

資格を持ち逃げした邪魔者として、俺は会社を去った。


この会社の人間で、今も俺の消息を知っているのは、先程の新人の模範となり、今や営業部のエースとなった男くらいだ。彼は俺の失敗もやがて役に立つと俺の話を聞いてくれたし、俺も彼の努力は評価しているから、顧客が損失するパターンをそっと教えてサポートしている。座敷童子(時に酒呑童子)として。

他の同僚や上司、役員からは、会社どころか世も去ったと思われてるだろう。顧客として成功したが、それを会社に見せびらかせるほど、傷は浅くない。

授業料と出世払いは、払わずに済んだ俺への約10年分の給与で片付けて下さい。もう、会いたくありません。




退職の半年後、父親が肝硬変で闘病の末に世を去った。母親も乳癌の治療中だったために、喪主は俺がやることになった。

式の段取りから香典の管理まで俺がやったものの、故人の回想文を作成する時に、親族に言われた一言が今も痛む。

「長男を大手証券会社に就職させたって書きたかったな…」

きっと喪主を務めたことには感謝してくれていたのだろう。でも、攻撃しか見えなかった当時の俺は、ここで大半の親族を身内から切り離した。


臓器提供拒否に転じたのはこのタイミングである。生きているうちに肯定されていることを実感できなかった人間が、死後突然内臓だけを肯定されて人のためになったと感謝されるのを不満に思うからだと結論付けるなら、もうそれでいい。

俺はその前から、生前から自身の内臓を否定している。死後も生前と変わらず人の迷惑となると信じている。金で覆る感情だが。

この件に関しては環境のせいにしている部分があることは理解している。死後も誰かの役に立ちたいと思えるような善意を培う努力は、もっとしてみたいものだ。ママの微笑が目の前にある時は、特にそう思う。




父親の葬儀が済んでからは、空の暮らしがはじまった。叔母から母の介護に関して何度も叱られて、オーバードーズしてみた。しばらく通院するハメになったが、それも飽きると、間もなくして胡散臭い起業セミナーに赴いた。


そこで育児を理由に食品営業職を退職していた加計あきらさん…そう、ママと出会った。当初は玲愛さんを重ねて遠目に見るだけだったが、ディスカッションで同席してからは急接近した。

こんなに饒舌にさせたのは誰以来?傷を隠して瞳を丸くできたのはいつぶり?二児のママに執着してしまわない距離で、治せるものは治していった。

「練馬で二毛作のカフェを経営したいの」

「そしたら通いますよ!俺の家池袋線と新宿線の間ですし」

「若い子しか来なかったら倒産しちゃうかも」

「そんなことないですよ。男なんて年齢も肩書きもなくオフには小学生ですから」

「そう言われるとね!女の九割は年下と結婚するものよ。でも、それを理解してるなら山戸田君は年下のお嫁さん貰えるのかな。そうなると面倒よ~?」

ママと小里絵は九割の女だ。そして絵理愛からは、残りの一割の匂いが漂う。




「ママ、俺と同い年くらいの女が飲みに来てない?」

ママは俺がチャンポンした大学生みたいに顔面を蒼白にして入店してきたことに戸惑った。

「お水の子がお客さんと来ることならよくあるけど」

「俺のこと知ってる女はいた?」

「名前教えてならしょっちゅうね。金目当てむき出しだから結婚できない理由を適当に言って追い払ってあげてるわよ」

「うん。ありがとう。大好き」

客の奪い合いが当然な業界だから、ママが嫉妬したところで追い返せないのだろう。ママは俺のために悪口を言ってるのだ。でも、ママのことだから、きっと図星を突いてる。

「もしかして、同じくらいじゃなくて、同級生?」

「いた!?」

「たまにランチに来るわよ!私のお店フォローしたらフォロワーに同級生がいたってあなたのこと言ってた」

ママは二毛作で昼間はカフェを経営している。確かにランチなら子連れの若い主婦が来ても怪しまれない。距離の詰め方が上手いな。営業やればいいのに。

「二人いなかった?名前が微妙に似てて、会話聞いてるとどっちがどっちかわかんなくなるの」

「キッチンにいて二人の会話は聞かないけど、珍しい名前の子達ではあったね」

「絵理愛と小里絵だ…」

「そうそうそんなだった!」

「ママ、どこまで話した?」

「二人ともお子さんいたし、お金目当てじゃないと思って、思い出話の種にと、結構ね」

情報漏洩はママからだった。

「絵理愛が金貸せって俺のとこに来たよ。後から聞いたんだけど、シングルマザーで困ってるって。やっぱり俺は甘いんだよ。断れないし、利子を取る気になれない。きっとまた踏み倒されるんだ…」

「お水の子と同じ感じがしたら私も話さないから。それにそこまで困ってる様子も見せなかったわよ。ヤマちゃんも一緒でしょ?なんとなく会えばいいのよ」

「本当に?恨まれてない?」

ママは含み笑いをした。

「恨みも女が昔の男を思い出す理由にはなるね。ちゃんと話してきなさい」

前回の連絡の時に怒ってる感じがしたのは間違いではなかった。俺も手を打たねば。

「ママ、日曜日の夜部屋借りられる?酔って寝た客を横にさせとくスペース」

「嫌よ!そんなヤマちゃん見たくない!うちはハプじゃないからちゃんとホテルでやって!」

「いざとなったらママに助けてもらうためだよ」

それからコインでジェスチャーして、俺を知ってるママの客に金の貸し借りを見せたくないことを伝えた。

「どんな風に助けてほしいの?」

「それは、道徳的に」

ママが紅潮しながら耳を揉んできた。隣の親父のヤジで二人して我を取り戻すと、俺はお愛想を済ませて店を出ようとした。

「あれ?飲んでないでしょ?」

「あ…日曜の前金ってことで」




(ママのバーで予約しといた}


絵理愛は返事しなかった。ママの含み笑いと女の恨みの話を思い出して、自惚れないようにする。コンタクトを取るように丸くしていた瞳を三白眼にして、俺を嫌う人間と嫌な過去を回顧した。

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