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第八話 凝縮された誕生秘話

「……だからね、聞いてほしいの」

 ごくり、と俺は唾を飲んだ。

「何を」

 もじもじしている、自分の中で考えが纏まっていないのに督促を加えるのには気が引けたが、ほぼ無意識の内にそう言っていた。自分の行いを数瞬後に後悔を始める。

 だが、後悔を始めた一瞬後、姫翠が顔を赤らめてさっと視線を外した。『!』で、全てを語れない、急激な体温の上昇が感じられる。

「私ね……」

 もう一回唾を飲み込む。

 姫翠は、一旦息を切り、それから意を決したように叫ぶように言った。


「る、誄羅の事が好きなのっ!」


 あぁ、やっぱり?

 なんだこの、合唱コンクールで一位確実と謳われていた奴らが、見事に一位を取り逃した、この肩透かしを喰らったようなこの虚脱感。じわっときやがる。

 そりゃそうだ……、あの会話からすれば、互いに相当の月日を共に過ごしてきているようだし、あいつの方が性格も容姿も良いし、他にも語り尽くせないほどのあれがあるわけだ、あれが。

 むしろ、こっちの方が俺としては良かったかも知れんな。ずっと傍に居られたら、こっちの精神が病んじまうかもしれないし……。

 これで良いんだ、と言葉だけポジティブに考えるのだが、心境はどうにもいかないのが人ってもんだ。今の俺の顔を見てみたら、きっと泣く子は号泣という言葉を使っても事足りぬ容貌になり、珍獣として某動物園に陳列されてもおかしくないのではないか?

 このどーしようもない喪失感。いわゆる、「失恋」だ。

 えぇ、開き直ったとも。俺は恋をしていた。誰だってするだろうに。今まで俺の気持ちにハードカバーをかけて隠してただけなんだよ。悪かったなっ。あんだけアピールされて何とも思わない奴がいたら、そいつは多分人間として生きていくのに、大事な何かが欠如している。

 人生初体験にして二日目であっさり砕け散った哀れすぎる俺の恋物語がここに誕生したのだった。末代までの語り草となれば本望である。

「……そんで?」

 胸中は暴風雨が三日ほど停滞した村の様な惨禍になっていても、外面だけは崩さなかった自信がある。この目の前に居る奴が、自分の心の内を打ち明けて俺を突き放すような真似をするとは到底思えない。

 とすれば、だ。こいつは、俺の気持ちに気づかなかったというわけだったのさ。そうでなきゃこんなこといえない。それはそれでショックなのは当然のコトであるが。

 だが、こいつがそんな事を言ったということは、何かを俺に求めているということなんじゃないのか、という考えに行き着いたわけである。俺にしては珍しく。

 それはそれで信頼されているということで、俺なりには嬉しいんだが。

「誄羅ってね、ホントは本名じゃないの」

 いつもと変わらぬ口調で、姫翠は言った。さっきの杞憂はどこに行ったのやら。

「へぇ……んじゃ仇名なのか?」

「うぅん。二つ目の名前」

 日が雲に隠れて、図書室内が少し暗くなる。

「二つ目?」

「うん。前の名前を失くしちゃったから、おとーさんが付けてくれたの」

「おとーさん……か」

 恐らく、姫翠の義父に当たる柳瀬さんだろうな。

 ……ん?

「ん?何でお前の父親が……」

「私たちね、小さい頃からずっと一緒だったの」

 俺の質問を流して、姫翠は続けた。……ここは黙って話を聞くべきなのか。

「小さい山奥の村で暮らしてたんだけどね。六年前くらいに大規模な地すべりが起こって、いきなり廃村になっちゃって。私と誄羅はそのとき一緒に山で遊んでたんだけど、それに巻き込まれちゃったの。奇跡的に洞窟みたいなところに流されて助かったんだけど、村の人たちは皆諦めちゃったみたいで……。村に行っても誰も居なくて、どうしようもなくて山で仕方なく過ごしてたの。村に残ってる食べ物とか食べて過ごしてたんだけど、一ヶ月くらいしたある日に、その村に人が訪ねてきたの」

「人?」

「うん。その人が私たちに色々教えてくれたの。一緒に山に篭って、わいわいわーわーきゃーきゃーって自然スタイルで過ごしてきたの。誄羅って名前を与えた人もその人。私のは元からだったんだけどね」

 その擬音の示すところはよく分からないが、「その人」によって、今のこいつらが居るってことは分かった。恐らく、今のこいつらが少し変なのもそいつの所為なんだろうな。

 しかし、そいつのネーミングセンスが良くわからんな……。

「色々って具体的に何を教えてもらったんだ」

「んー、基本的な勉強だとかはもちろん、狩りの仕方だとか、食糧の調達法だとか……あとね、「恋」っていうのも教えてもらったのかな」

「こ、恋?」

 誰だ、そいつは。

「そ。年頃の男女が互いを好きになって、毎日幸せに過ごすことなんだぁって……」

 抽象的過ぎる。くっきりとした定義なんて俺も知らないが、それにしても大分曖昧な表記だよな。それを恋と呼ぶべきなのか?

「私たちはその人のコト、「師匠」って呼んでたんだけどね。去年、私たちが大分成長したからって言うから、師匠が山を下りて行っちゃったの」

 師匠……ねぇ。なんか去り際にありがちな決め文句言ってるよな。『お前らはもう立派な大人だ、俺にもう教えてやれることはねぇぜ』ってな感じか。無責任にもほどがあるよなっと思うのは俺だけか。

「私たちも、師匠が認めてくれたんだって思って、一年ずっとまた山で過ごしてたんだけど」

 ん、さっきから極当然の様に言ってるから気にならなかったが、さりげなくこいつら人間を超越したような発言してないか?

「ちょ、ちょっと待て!も、もしかして、お前ら……六年間山の中で過ごしてたのか?」

「え?……そ、そうだけど……」

 姫翠は何か間違ったことを言ったのかな、というような不安な顔になる。

 だが、そうなると大分妙な点が浮上する。

 そう言った世間から疎外された空間に長いこと住んできて、今宵うちの高校に編入してきた訳だが、人見知りをよくしなかったな、と思う。

 しかも、小卒もしてないというそんな頼りない身分で、よくぞ高校に入れたと思う。しかも、某資産家の養子にもなっているという待遇の良さ。

「……?わかんない。一ヶ月くらい前に、師匠がまた山に登ってきてね。これから都会に住むからっていって、連れて来られたの」

 し、師匠……どんなヤツなんだろうか……。

「それでね」

「それで……?」

 もはや何を聞く気にもなれない。げんなりと脱力して、素直に聞いてやるとしよう。

「去年の今ごろ……師匠が居なくなってっからかな。急に誄羅の事を意識し始めちゃって……よく見てみると、カッコいいし、優しいし……」

 よく見なくても良い男くらいはわかるだろうに……。

「それから私ね、色々アピールしてきたの」

「アピール?」

「うん。何やったかはよく覚えてないけど……色々誄羅の気を惹くようなコト」

「へぇ……」

「でもね……誄羅ったら全然気づいてくれなくて…………私を女としてみてくれてないのかな……」

 途端に、声に元気が一気に無くなり、しゅんとした面持になる。どんなアピールをしたか知らないが、流石に一年ずっと傍に居るのに気持ちを汲み取れないとはな……意外とあいつ鈍感なのか。

「しかも、今はずっと一緒って訳にもいかないんだよな……」

「え?」

 俺のそんな呟きに、姫翠が逆説の感動詞を言った。いや、え、はこっちのセリフなんだが……。

「あ……うん……えっと……一応……今も一緒なんだけど……」

「は……?」

「今も一緒に住んでるんだけど……彼は執事みたいな感じで……うちに」

「……マジで……か?」

 思わず愕然とする俺だが……なんで今まで気づかなかった、と咎められてもおかしくないんだな、これが。

 よくよく考えてみれば、六年──それ以上にもわたって一緒に過ごしてきて、突然片方が離れていってしまって、それを追いかけないばか者がいるだろうか。それも、子供の時から、ということであって、そばに居るのが当然、と思ってしまっているではないか。

 しかも、今互いにこの学校に居る。こんなもん、正にそういう伝に頼らなければ不可能に近い。

 そして、朝のビニール袋の件。あれで気づくべきだったのか……。

 姫翠はそんな俺の同様も露知らず、再び口を開いた。

「それで本題なんだけど……」

 ここから本題……、完全に俺は打ちのめされた。追撃だと言わんばかりに、上腹部あたりがなんだか痛くなってきた。

「……私、ずっと誄羅っていう男の人しか知らなかったから……他の人がどういう考えを持ってるか分からないの」

「……まぁ、そりゃぁねぇ……」

 もしも分かったら、とりあえず人間ではないことは確かだ。

「だから訊きたいんだけど……何をされたら嬉しい?」

「嬉しい……」

 今こうして密室内二人っきりで居ること、なんて変態まがいな発言口が裂けてもできるか。嬉しいことは嬉しいが何かずれてる。

 しかし、反芻してみたものの、具体的な何かが思い浮かばない。何せ、そんな恵まれた状況でもないんだ、俺は。幼い頃からずっと一緒で、居るのが当然、といったヤツが……一人居るが、あんなのアテにならん。

 だから、どちらかというと、俺は恋をするタイプなんだよ。そう、喜ばす側。この目の前にいる奴と同じだ。さり気なくほんわかとしたものを抱いてるんだが、相手に気づいていもらえないというか……、全く。俺って奴は……。

「俺が思うところだがな……」

 面倒なコトに首突っ込みやがって……。

「素直に言っちまうのが一番嬉しいんじゃないか?」

 自惚れも良い所だ。

「まぁ、そっちのほうが平行線よりは良いと思うがな」

 頼られてるなんて思ってるばっかりに。

「そんなずっとに一緒に居ても、顔色一つ変えてないんだ」

 こんな、頼まれもしないコトもしてしまって。

「嬉しくないわけないと思うぞ、俺は」

 ……俺らしくねぇじゃねえか。

「あの顔を見る限り」

 そう言った瞬間、俺の視界は一転。漫画チックな挿絵が鏤められた本が羅列されている本棚が目に入る。いつもなら目を逸らすが、状況が状況である。

 ──あぁ、言っちまった。もう駄目だ。今すぐこの部屋から飛び出して、中庭の花壇に穴掘って今起こった全てのことを埋めてしまいたい。車のトランクに詰め込んで、東京湾に沈めてしまうのもいい。NASAのロケットのエネルギータンクに括り付けて宇宙の藻屑にしてしまうのも良い。

 とにかく、俺のこんな恥辱に満ちた経験は、俺の中から消えて欲しかった。

 ……やがて、俺は若干落着いてきたので、ちらりと姫翠の方を見てみた。

 ぽかんとした顔をしていた。情報の処理が上手くいっていないような、だが小さく見られまいと虚勢を見せる幼子の様な、そんな表情。

 大分日は傾いてきたようだ。甲高いバイクのエンジン音が聞こえてきた。

 日が傾いて見えるように、現実はとんでもない角度に傾いているようだ。


 薄暮。アスファルトの道路に己の存在を誇示するかのように、影が躍っている。

 何で今日はこんな疲れたんだろうか。原因は分かってるんだが、どれが直接的に関係しているのかがハッキリしない。できれば、ゴキブリ騒動であってほしいのだが……。

 結局掃除は先送り。ゴキブリとの再開確率が上昇してしまうではないか。美里に頼むのもアリだが、箒を持って水周りの掃除をし始めそうなので、それは最終手段とさせてもらう。

 学校からの帰り道。無論、歩きである。あんな話をしてしまった後で、車に乗せてくれなんて頼むのは人間としてどうかと思う。それに、姫翠も歩きで帰っていた。

 ありがとう、考えてみる……というのが、彼女の答え。考えてみる、といったとき姫翠は微笑んでいた。

 そんな単調な答えしか下せないような奴が、一体あいつをどう支えるというんだか。本当に勘でそう思うんなら、一回定期点検してみることを奨める。もし、根拠があるなら、四百字原稿用紙二枚以内で簡潔且つ単純に説明して欲しい。

「はぁ……」

 ため息が多少ぎこちない。

 いかんな。ここは多少ポジティブに考えなければ。

 支えてくれる、と推察するならば、こちらとその期待に答えてやれば良い話。それならあいつの片思いが成就するように、影ながら支えてやればいいのか。

 しかしな。一緒に住んでるのであれば、俺の出る幕なんてなさそうだけどな。奴が素直に告白してしまえば、そのまま事は急展開を見せて屈託無く結末に運び込まれると思うんだが。だが俺に対して、あそこまでもじもじしていたのだから、自ずと告白するような事はないと思うが。意外とネガティブな奴らしい。

 やがて、朝に奴らに拉致られたあたり、コンビニの付近までようやく辿り付いた。

 いつのまにか、コンビニの残骸は無くなり、もとあった場所はアスファルトの下の茶色い土が露出していた。どうやら、この先はずっと美里の買い物に依存するほかなくなるようだ。それはそれで気が重い。

 ふいに俺の目の前に人影が立ちはだかった。

 図られたかのように整った器量の持ち主、うちの堅苦しい制服を難なく着こなし鞄を肩からぶらさげているそれはほかならぬ誄羅だった。

「どうもこんにちは」

「……どうしたよ。こんなとこで」

 訝る俺に対して、何でもないように話し掛けてくる誄羅。姫翠に比べれば、こいつはそこまで深く友人として付き合ってはいない。こんな形で遭遇してまで済ますような、そんなたいした用はこいつに持っていないんだがな。

「いえ、話があったもので」

 それでもしれっと、誄羅は言う。

「話?俺に?」

「えぇ。意外と重要な話です。ここで話すのもなんですから、どこかへ入りませんか?」

 そう言って指をどこか遠方に向ける。その指の先には遥か遠くに、早くもネオンが瞬く商店街があった。

 とりあえず、妥協して手ごろで空いているファーストフード店に入店した。空いている、と一言で言い表せるものの、ほとんど客は居ないに等しい。角のテーブル席でノートパソコンを凝視している、雑誌記者らしき人物が居るだけである。

「すみませんね、お帰りのところを」

「いや、別に構わない」

 適当にコーヒーでも頼んで、席につくなり誄羅がそう言った。もはや、どれだけ遅くなっても同じ事だろう。あの家に居候している奴は、そろそろ自炊することを覚える頃だろうと思う。

「それで何だ、重要な話ってのは」

 テーブル席に、向かい合うように座っているわけだが、俺は隣の空席に鞄を置きつつ訊ねた。

「いえ……、大したことじゃないんですが」

 誄羅はコーヒーのカップを置いた。

「姫翠に呼ばれていたんでしょう?」

 ぎくり、と体の動きを止めてしまう。

 誄羅がほっとしたように、肩の力を抜いた。

「そんなの隠さなくたって分かりますよ。姫は嘘がつけない人ですから。先生に呼ばれているといっているのに、職員室とは反対方向にいってましたからね」

 俺は軽い戦慄を覚えた。

 どうやらこいつは、容姿だけでなく頭脳も卓越しているようだ。




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