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第三話 翡翠の到来

 目が覚めた。

 窓からは朧な光が差し込んで、居間の床に特等空間を作り出している。

 時計を確認すると、六時二十分を指している。いつもより二十分寝坊だ。まぁ、昨日あんなことがあったんだから無理も無いかもしれないが。

 昨日帰ってきてから着替えをしていないので、学校の制服のまま。着替える手間が省けた分、二十分の寝坊はさして痛手でもないな。

 俺は寝心地が一晩で地の底まで落ちたソファーから身を起こした。向かいに置いてあるソファーの上に、スーパーの袋が三つほど置いてあるだけで、美里の姿は見られない。自分の部屋で寝てるのか。

「ふぁぁぁあああ……」

 俺は盛大な欠伸をかまして、今日一日の準備を始めようとソファーから身を退けた。んだが。

 床につく前に、足に柔らかいものが触れた。

「っ!?」

 慌てて下ろしていない左足の脚力をフル稼働させて、再びソファーに身を投下する。

「ん……?」

 その数瞬後、そんな惚けた声が聞こえてきて、ソファーの上からだと死角となる場所から美里が顔を出した。

「お、おわ……お、おま、な、なんでんなとこで寝てんだよ……」

 死ぬほど驚いたじゃねえか。朝から心臓に悪いったりゃありゃしない。

「んん……、どこで寝ればいいか分かんなかったから……」

 よく見てみれば、テーブルに寝たような後がある。ティッシュが落ちてるし、リモコンの電池の蓋が取れている。そして、それらの原因というか犯人は机の下に落ちている。寝相の悪さは相変わらずらしい。

「だからって普通テーブルで寝ないだろう……」

 俺は一応小声でそう突っ込んでから、立ち上がった。踏んでくれてやっても良かったが、自分の中で自分が壊れそうなので止しておく。仮にも俺は年下だ。

 袋が無造作に三つ積んであるソファーの傍に行き、中身を確認する。

 玉ねぎだとか、大根だとか、人参だとか、キャベツだとか、そういう基本的な野菜から、肉は牛、豚、鶏、羊、鹿まで入っている。……って

「ってぇ鹿ぁっ!?」

 それは、ご丁寧に毛皮までついて、ビニール袋一つを占領している。小鹿の様だが……臭い。腐敗臭が酷い。俺が確認するまで袋の口を限界まで縛って密閉していたらしく、その腐敗臭が一気に漏れてきて、居間が腐敗臭一色に染まる。

「あぁ、それは私のお土産ぇ」

 美里が呑気に注釈を入れる。

「そ、そういう問題じゃねえっ!どうせ持ってくんなら捌いてもってこい!」

 俺はそう叫びつつ、もう一度袋の口を堅く固く硬く解くのが難くなるほど固く縛った。そんでもって、台所の勝手口から投擲。顛末を見ずに、勝手口のドアを閉鎖して居間に戻った。

「うん……?やっぱり腐っちゃったかな。」

「腐るに決まってんだろうが!」

 どっから仕入れてきたか気になったが、触れてはいけないような、そんなこわーいところから来てるんじゃないかと、勝手に脳が危険信号を送ってきたのでスルーする。

「てか、二千円でよくぞここまで買えたよな……」

 カレーのルーからインスタントのコーヒーまである。

「うん……お陰でおつりは無いけどね」

「ふぅん……相変わらずその計算能力は顕在って訳か……」

 俺は感心したように言った。昔から、計算が得意で数学ではいつも満点を貰ってきていた異常者であり異端者であった。その反面、文系の実力は絶望的だった。でも、そうでもなければ、文系でも理数系でもない俺はとっくに鬱で庭の土の中だろう。第一、今の世の中を冷静に分析できる奴だったら六年も家を空けたりしないはずだ。

「それで朝御飯作れる?」

 美里がロングコートを手で引きずりながら俺に近づいてきてそう訊いた。

「ん……そうだな…………」

 ……少し指示を出し間違えたかもしれねえな。

「ん?どうしたの?」

 硬直した俺を見て、美里が不思議そうに話し掛けてくる。

 俺は絶望的な心境(状況)で震える唇を動かした。

「……米がない」


 というわけで、結局朝飯は抜き。空腹度マックスで家を飛び出す羽目となった。

 前述の通り、バスに乗っていくしかない俺は、バス停までとぼとぼと歩いていくことになる。その途中で例のコンビニに差し掛かるんだが、相変わらず青いビニールシートの裏でお経を唱えている。

 そして、その駐車場の入り口付近に立て看板が。

『当店はこのまま閉店とさせていただきます。』

 がっくりと俺は頭を垂れた。


 朝のホームルーム。

 俺はがっくりと机に上半身を預けて空腹が伝える不快感に耐えている。不審なものをみる視線と、同情的な視線が入り混じって負と化し、背中に突き刺さるのが空腹を促しているように感じて、更に追い込まれる形となる。

 腹から屁の様な音が出る。のぁぁぁ……喰えない飯を目の前でちらつかせられると、こんなにも苦しいものなのか……。

「さて、今日は転校生を紹介する」

 と、担任の数学教師が言ったのを聞いて、俺はのろのろと顔をあげる。

 転校生が俺の居るクラスに舞い込むというのは、俺の人生で初めてだ。ある意味では初体験なのである。そんな俺の境遇で転校生だ、といわれて興味を持たないはずが無い。まぁ、何度も経験してる奴だって、興味を持たないはずが無いのだが。

 数学教師の合図と共に教室に入ってきたのは、

 なんと、可憐な少女だった。

 ……いや、釣りとかそういう訳ではなく、本当にそうなんだ。

 漫画的アニメ的な展開としてベタ過ぎるが、この転校生マジで可愛いんだ。

 肩に掛かるほどのやや栗色の髪に、前髪が少しだけ掛かった目は純粋の灯を燃やしている。その黒いパワーストーンがはまった顔は、作られた人形の様に綺麗で、そんな人形と違って作られた感が無い。背丈は数学教師の肩ほどだから、俺より少し低い位か。比較的高いほうだ。

 後ろに座ってる奴のため息が聞こえた。隣に座ってる奴の目が光った。一番前の奴の頭ががくがくと揺れている。よーするに、そんだけこのクラスに影響を及ぼすだけの容姿を持った奴なのである。

 ここでありがちな少女漫画だと、繋がる予定になる奴の隣に席が指定されるわけだが、そんな都合のいいことが起きるわけがない。第一、このクラスに居る奴の九割九分が彼女の隣となることを願っているわけだからな……

「では、自己紹介を」

 おっと、少し行き過ぎたようだ。数学教師の図太い声で俺は我に帰る。

「……あ、はい」

 その少女はそう返事をして、教卓の上に立つ。

「えと……柳瀬姫翠(やなせきみどり)です」

 柳瀬……?

 俺は眉をひそめた。

 柳瀬といえば、この辺を代表する金持ち、今で謂う貴族じゃないか。財閥、とでもいうのか。個人資産だけでも兆にも及ぶという、とんでもない奴らである。

 しかも名がヤナセ、と直接ついているから、この少女はその柳瀬さんの娘……ということになるわけで、そんな人と付き合えるなんて思ったら……

 教室内の男ほとんどが、顔に失望の色を浮かべた。釣り合わないにもほどがある、といった感じだ。無論、俺もその一人である。

「んーよし。席はそこの一番後ろだ」

 自己紹介が済んで、数学教師が一番後ろの席を指差す。俺の斜め後ろである。はたまた微妙な位置に転がり込んできたな。まぁ、隣よりは遥かにマシだが。正の意味でも負の意味でも。

 こうして、彼女が席につくと、ホームルームが続行される予定だったのだが。

 彼女は俺の横にすれ違うときに足を止めた。ふんわりと鼻腔をくすぐる臭いが風に乗ってやってくる。

「…………?」

 不審に思って、俺が視線を上に向けると……彼女が俺の顔を凝視していた。ガン見である。直視である。網膜が見えそうなほど澄んだ双眸を俺に向けて、何かを考えているようだ。

 無論、そんな行動を取れば注目される。美少女且つ転校生となれば尚更。男子は俺を凝視、女子は周囲の女子とこそこそ話を開始。俺は……動けない。

「…………」

「……あの、なにか?」

 あんまり長く見つめられているもんだから、麻痺していた口が徐々に軽くなっていき、そう訊ねることに成功。

 俺がそう訊くと、彼女は顔に驚きを浮かべて、それから首を振った。

「あ、ご、ごめん……なんでも」

 それだけ言うと、彼女は自分の席に着席した。

 ホームルーム再開。しかし、全員担任の話に集中していない。視線が死ぬほど痛い。斜め後ろから来る視線も……

 しかし、思い返してみると、この程度のこと、生やさしいものだったのかもしれない。これから起こる狂乱と比べれば、正に序章に過ぎなかったのである。


「よし……男子を代表して俺が聞かせてもらう」

「悪い、後にしてくれ。腹減ってんだ」

 昼休み、購買部へ急ぐ俺の前に志木(しき)が立ちはだかった。HP(表情)を見てみるに、大分長期戦になりそうだ。

「大丈夫だ、すぐ済む」

 志木は、一年の時からの同級生である。癖の強い髪に、形の整った顔立ちをしていて、何気に女子にもてている野郎だ。文字通り、立ちはだかっている。

「そういう問題じゃないんだ。歩きながらじゃ駄目なのか」

「……逃げるなよ」

「逃げるだけの余力なんて残ってない」

 ぶっちゃけ、会話するだけの余力も残っていない。だが、それを説明するだけの余力も残っていない。

 俺が志木の横を通り抜けて歩き出すと、志木も隣をついてきた。

「知り合いか?」

 いきなりか、と俺は心の中で舌打ちをする。

「いぃや、全ッ然知らなかった」

 どうせ柳瀬姫翠のことだろう。午前中四時間、ずぅっっっと奴の視線を炎症が起きてしまいそうなほど背中に浴びていた、そのことだろうな。顔から察しがつく。

「……じゃぁなんで」

「知らん。こっちが聞きたい」

 志木の言葉を遮って、ねじ伏せる。

「本当に分からないんだよ。顔に心当たりも無いし、名前は苗字しか知らなかった。なんで俺を凝視してくるのか本当に分からない。本当だ」

「……そうか、分かった」

「分かってないだろ、お前」

 俺の魂の言い訳(事実だが)にも屈さず、志木は鋭い視線を俺にぶつける。

「じゃぁなんで一市民であるお前を凝視してるんだよ」

 購買部についた。そこそこの人手である。まぁ、売り切れることはないだろう。

「知るか」

 行列の後ろにつく。志木もその後ろに並んだ。

「……まさかお前に気があるとか、そういうわけじゃないだろうな」

「んな訳ねえだろうが。自惚れもいいところだ」

「だがな、四時間ずっとだぞ?訳もなしに凝視するか?」

「俺の背中が目に優しかったんじゃねえのか?大きさとか」

「それならまだ大平(おおひら)の方が恰幅がいだろうが」

「きっと違いがあるんだよ。ただの背中じゃ駄目なんだ、きっと」

「結局自惚れじゃないか」

「他に考えつかん」

 別に自慢できる背中ではないが。

「……そうか、ならそれでいい。俺はそうやって報告するからな」

 無事に昼飯を仕入れて、教室への帰路についたとき、志木がそう言った。

「……何のことだ」

「心当たりが無いってな」

「あぁ、それでいい。真実だからな」

「あと、近藤がお前の背中を褒めてたぜって言っておいてやる」

「……やっぱり大平の差し金か」

 脳内に、女たらしの大平の顔が浮かぶ。去年、クラスが一緒ではなかったが、よく噂を耳にしていた。顔はそこまで悪くないが、性格に問題があるんだろう。いい噂は聞かなかった。

「まぁ、いい、そう言ってくれると助かる」

 俺がそう言うと、志木は顔をしかめた。

「……信じると思うか?」

 俺は間髪を入れずに言い返した。

「思わないな」

「だろ?じゃあ認めろ」

「だが、真実だ。本当に。ガチで」

「……そうか」

 教室に戻ると、俺は自分の席についた。志木も机を持ってきて、俺の机と合体させる。

「あ、これつぶあんじゃねえか……ミスった……」

「相変わらずそそっかしいな」

 それからは、もうその話題については触れなかった。最近はどんな飲み物を飲むだとか、ゴールデンウィークの金の使い道だとか、次の日曜どっか行こうや、とか当り障りのない話である。

 しかし……それは訪れた。俺の社会的地位及び名声において、とんでもない支障を齎す災厄が……突然。誰も微塵にも予想しなかった、正に天変地異の出来事が。

「一緒にいいかな?」

 がしん、と俺と志木の机の接点にもう一つの机が合体した。俺の背筋が凍る。志木の焼きそばパンを持った手が硬直した。

 こんな透き通った声してるのは、この方しか居ない。

 ──柳瀬姫翠……。

「……どうぞ」

 俺は志木も姫翠も周囲の連中も見えないように顔を俯けて、そう言った。

「ありがとう」

 まるで死刑勧告がなされたようだ。大平が怖い。俺は何もやましいことはしてない……はずだ。なんだって、何もしてないのに嫉妬の炎に燃やされなくちゃいけないんだ?

 一気に教室の温度が下がり、剣呑な雰囲気になる。どう見ても、昼食の席とは思えない空気の重さ。きっと普通の窒素の空気が入った風船がここを飛んでいたら、瞬く間に天井にごっちんこするだろう。

「……」

 俺が素早く志木に視線を当てると……比較的、穏やかな表情をしていた。なんというか……吹っ切れた……っていう……顔を…………。

 唇が動いている。『騙したな……』 まずい。

 肩を叩かれた。後ろを振り向くと、大平の使い思しき男子生徒が。

「後で話がある。放課後に体育倉庫の裏に来てくれないか?」

 頷かざるを得ない。どっちにしろ、俺の死は決まった。

 そんな雰囲気の直接的な原因となっている、姫翠は眉一つ動かさずに、コッペパンを食べている。こう、むしゃむしゃと。しかし、動かしていないのは、眉だけでなく視線も微塵に動かしていない。……俺に固定して。

 緊張と雰囲気に押しつぶされて死にそうだ。いっそこのまま立ち上がって泣き叫びたい。誤解だ。なんだって、開始二日目にこんな目に遭わなくちゃいけないんだぜ……三十六時間ぶりのメシだぞ……?

「……?」

 姫翠が首を傾けた。

 完全にロックされた視線は外されること無く、昼休み終了まで俺を捕らえつづけていた。一つの意図不明の視線と、無数の白い視線に……。



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