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第二話 金色という名のチャリ

 風呂から上がった美里は、蒸気をほわほわと肩から舞い上がらせて、満足げな表情で居間に戻ってきた。無頓着だった服も俺が、美里が風呂に入っている間に元美里の部屋だった部屋のタンスから適当に引っ張り出してきて脱衣場に置いておいたのだ。もちろん、その際脱衣場と風呂場を隔てる扉の近くで、用意しといた服を着ろ、と念を押すのも忘れない。何十回言ったかは定かではないが、とりあえずその苦労は成就したので満足しておくとしよう。

「真夜中にお疲れ様」

 本当にお疲れだ。居間はこいつが帰ってくる前の状態に何とか戻すことができた。

 原型が想像できないボロ布は勝手口から一段降りた場所でゴミ袋に詰めて密封。明日の生ゴミ回収の日に回収してもらうとする。それに付属品としてついてきた泥(砂)は、今は亡き掃除機の腹の中だ。明後日の粗大ゴミの回収の日に中身ごと持っていってもらおう。業者は困るだろうが、俺は困らない。こういうときに税金を払ってやってる、と優越に浸っても悪いことにはなるまい。まぁこういうのを屁理屈というのは百の承知だが。

 時計を確認すると、長針が百二十度ほど傾いていた。美里の入浴時間は変遷が見られないようだ。しかしまぁ、よく俺もこれだけの作業を二十分で終わらせたと思うよ。

「さぁてと。じっくりお話を聞かせてもらおうか」

 俺はげんなりとした気分でそう言うと、ソファーに腰を下ろした。なんだかこのソファーも一ヶ月以内に新調する羽目になりそうだ。

「お話?」

 美里は首を傾げながら、別に拒絶するでもなくすとんと俺の向かいがわに座った。濡れた髪を乾かすのが大変そうだな。なんせ腰あたりまであるからな。冗談抜きで。

「飛び出した理由と、今帰ってきた理由。両方だ。順を追って話せ」

「ぇぇ……同時進行?」

「俺にも分かるように話してくれるのであれば、それでも構わない」

「むぅ、私の技量がもちそうに無いからやめとく。それでどっから?」

 俺は眉を<RUBY>顰<RP>(</RP><RT>ひそ</RT><RP>)</RP></RUBY>めた。どうやらすんなりと話してくれるらしい。てっきり渋るものかと思ったが。ドラマとかじゃありがちじゃないか。家出した奴が帰ってきて……

「どっからって、飛び出したとこからだよ」

「飛び出したって……私普通に歩いて出て行ったと思うんだけど」

「そうじゃねぇ。家から出て行ったっていう、あれだ。喩えだ、喩え。多分」

「ん……あの時書置き置いてかなかったっけ?」

「書置き?……あぁ。あれか」

 自分を見つめなおす云々とかいうあれか。あんなんでこいつの意図を汲み取ることができた奴がいたら、俺はそいつに一生を捧げてやっても構わない。

「あんなん目立たない場所にある自販と同じくらい、在る意味が無い代物だったぞ。なんだよあれは」

 俺が渋面を作ってそう言った。

「なんだよって……あれが全てを語ってるんだけどな」

 対する美里は困った表情。

「あれから分かるのは急いでたことくらいしか分からんぞ」

 超走り書きだった。読点が半濁点と見た母親も母親だが。

「私ね。なんか吹っ切れちゃったのよ。本当にこれでいいのかなぁって」

 ドラマの餓鬼の言うようなことをしれっとして言う美里。この六年で羞恥心というものが失われてしまったのかもしれない。まぁ、話し相手が俺だからというのもあるかもしれないが。

 ちなみに、後日母に聞いた話であるが、親父もそう言って出て行ったらしい。その同じ放浪癖の遺伝子を俺も継いでいるらしいが、俺にはそこまでに行き着く発想のメカニズムが理解できない。このまま無縁の状態を保ったまま逝きたいものである。

「……そんで、六年もどこで何してたんだ?」

 定番と感じるのは、それだけこの質問の意味の大きさを示している。俺は真正面から姉を凝視して答えを待つ。

 五秒も待たずに、その答えが返ってきた。

「んっ……とね……それは言えないの」

 恒例の形でな。

「なんでだよ」

 俺はできるかぎりまで目を眇めて尋ねた。

「……ん、いや。それはホントに無理」

 美里はそんな俺の視線から逃げるように目を逸らした。

 黙秘権を使われたらかなわない。鉄の扉を閉められたら、素人の拳じゃ絶対に開けることなどできない。それにこの表情から察するに、本当に言いたくないことのようだ。

「……あんとき幾ら持ってった?」

「うん?」

 空気が沈むのを避けるために、俺は適当に質問をぶつけてみた。いずれ重力に従って落ちていくのは必須だが。

「えーっとねぇ……二千円くらいかな」

「……よう生きてこれたな。毎日どうしてたんだよ」

「そりゃぁ……ねぇ」

 話の流れに乗せて聞き出そうとしたが、ここも曖昧に表現されて受け流されてしまう。どうやら本当に話したくないらしい。ん……しかし、毎日の食糧の調達方法が気になる。家出から孵ったときの儀式的な質問としてではなく、個人的な好奇心からの疑問である。

「……まぁいいか。今日はもう遅いから、寝よ……」

 マニュアルを見失ったので、俺がそう言うと、美里は眠たげに欠伸を漏らした。そのとても俺の五つ年上とは思えないような幼げな素振り。

 よく見てみれば、六年前、中学卒業した直後(この行為によって高校入学する前に退学するという快挙を達成した)に家出したときよりも大分背も伸びて表情も大人びている(当然か)。俺が美里の部屋から引っ張り出してきたそのパジャマも大分つんつるてんになっているようだ。結構人目に触れさせたくない姿でもある。

 しかし、それを差し置いても、俺の知らないところで大分綺麗になりやがった。スーパーロングの髪は相変わらず無関心らしく、そのままでたらめに伸ばしているが、そういう質なのか艶やかに輝いている。とても六年間放置してきたとは思えない。

 顔も中学時代の丸みがなくなりすらりとした童顔というのか、どこか子供っ気が残るお姉さんといった感じだ。あの頃と比べて大分痩せているものの、げっそりではなく健康的に痩せたようだ、顔に翳りが見られない。

 ……おう、言ってやろうじゃねえか。美人だ。道を歩いてりゃ、ナンパされるぞきっと。

「……どうかした?」

 美里のその声で、俺は我に帰った。危うく涎が口から脱走しようとしていたところだった。危なかった。

「ん、いや、別に……」

 俺が慌ててそう言い繕うと、美里はふぅんと感嘆符をつき……それからどういうわけか俺を凝視し始めた。ガン見である。綺麗にはまった瞳に見つめられて、俺は視線をあさってに向かざるをえない。

 俺は胸中を見透かされるんじゃねえかと、冷や冷やしながら時間が経つのを待ったが、やがて美里口を開いた。

「大きくなったね」

 緊張の糸がほぐれた。なんだよ、俺が抱いた感想と同じじゃねえか。

「あぁ……って、お前が最後に見たのいつだよ」

「うん? 小学生の高学年だったかな」

「……そりゃ、変わるわな……」

 あれからぽっきり六年経つようだ。それからずっと母親と二人暮しだったが、本当にあっという間だった。なんだかんだで学生時代は楽しめていたようだ。

「……どうした」

 俺はさっきから美里が挙動不審なのに気づいて、そう声を掛けた。すると美里は困ったような顔をした。

「いやね……この服なんか窮屈だなぁって」

「あぁ、やっぱりか。姉ちゃんの部屋に安置されてたやつだからな。大分小さいのか」

 俺はそう呟いてソファーから弾みをつけて立ち上がり、母親の部屋へと向かって適当に服を漁る。サイズは多少異なるだろうが、まぁあの小さいのよりはマシだろう。

「というわけで、これ着ろ」

 ばっとそれを差し出すと、美里はとろーんとした目つきで呆然とそれを眺めていたが。

「あ……ありがと」

 それを受け取った。いくらか適当すぎたか、結構派手な柄だ。結構というか、かなり。……一夜限りだからいいか。

 しかし、俺は案じ損ねていた。こいつが常識をすべて垂れ流してきたということを。俺が冷や冷やしてるのを尻目に、何の躊躇いも無く服を脱ぎ始めやがって。

「おいっ!せめて俺が退室してっからにしてくれ!」

「え?あ……ん?ぅん……」

 俺が見ないように叫ぶと、気まずそうな返事が聞こえてきて、衣擦れする音が聞こえなくなった。

 俺は安堵して居間への出口に向かった。廊下は全ての部屋と部屋とを繋ぐ媒体だから、とりあえずここに出れば家の中どこへでも行くことができる。

「真治」

 俺がドアノブに手をかけたとき、美里が俺を呼び止めた。

「何だよ」

 手にかけた状態で背中を向けたまま返事を返す。

「……この服とっておいてくれたの?」

「服だけじゃねえ。部屋のもんは全部保管してある」

 そんなことか、と俺は安堵してぶっきらぼうに言い返す。とりあえず、眠かった。

「……ありがと……」

 俺は眉を寄せた。

「なんでだよ」

「え……だって、帰ってくるって信じててくれたんでしょ?」

 俺は乾いた唇を舐めた。

「……さぁな。意外と学生って暇だったのかもしれない」

「…………そぅ……ありがと」

 美里も美里なりに、いきなり出て行ったことを悔やんでいるらしい。そういう人間としての感情はまだ脳の所轄下にあるようだ。

 俺は安堵して、ノブにおいてある手に力を込めた。しかし、また呼び止めがかかった。

「ねぇ」

「んだよ」

 痺れを切らして振り返ってしまった。……だが、危惧した光景はそこには無く、無闇に小さいパジャマをまとった美里が居るだけだった。別に落胆してるわけじゃないが。

 美里は真剣な困った顔をしていた。規準はどうとあれ、困った顔に違いは無い。

「……お腹空いたんだけど」

「………………」

 そういえばそうだった。コンビニ潰れてたんだっけか。倒産的意味ではなく、某宇宙人に潰されたみたいに物理的に。光景的に。

「……大丈夫? もしかして、無かったりする……?」

 美里が、残酷な運命を思い知らされてしまった俺を案じてか、そう訊ねてきた。正に、その通り。この家に残された食糧は賞味期限切れの牛乳パックのみ(非食糧)。非常食も何も用意していない。勢いで生きているような男だったから、俺はさ。

 ……って、今気づいたが、結構厄介な状況下に置かれてるんじゃねえか?俺。

 破壊されたコンビニ(俺専用食糧支給施設)に、いきなり転がり込んできた姉(食糧消費のペースが速くなる要素の一つ)。正に海で鮫と海賊の挟み撃ちにあった気分である。

 ん……でも同居人が増えた今、鮫に飴を与えることでこの状況を突破できるかもしれん。

「あぁ、無い。家に無い」

 残忍だが小学生でも思いつく作戦を思いついた俺は、そっけなくそう言った。美里の表情が驚愕一色に染まる。

「えぇ……真治大丈夫だったの?」

「発覚したのは今日だ。昼飯は明日学校の購買部で買おうと思って、ついでにそこで夕食も買うことにしたんだが……」

 ここで一旦言葉を切った。しかし、美里は俺の心境なんざ読みやしない。

「ん?ならいいんじゃないの。真治が明日学校行って御飯買ってくれば良いんでしょ?私なら明日の夜までなら持ちそうだから……」

「だ、駄目だ。それは」

 話題が逸れそうになるのをなんとか阻止。

「学校の購買部は人気だからな。一人二つまでって決まってるんだよ、買うものは」

「……そうなの?」

 無論嘘だが、中卒の人間に高校の話を持ち出しても分かるまい。案の定、美里は考えるように黙り込んでしまった。ちょいと罪悪感を感じる。

「……そこで頼みがあるんだ」

 俺は返事を待たずに切り出した。切り札。最終奥義。必殺技。

「……この辺で一番近い24時間のスーパーに買出しに行ってきて欲しいんだが」

「ぇ?私?」

 そう言うと、美里は目を丸くした。なんだ、この過剰ともとれる反応は。

「……なんで真治が行ってこないの?お風呂入っちゃったからもう外出たくないんだけど……」

 あんな悲惨(哀れな意味で)な体裁だったのに、欠片も気にしていなかった人間の口から出る言葉とは到底思えなかったが、一応、筋は通っている。

「それにコンビニ無かったっけ?この辺に」

 俺が打開策を考えるために黙っていると、美里が思い出すように言った。俺はため息をついて言った。

「……潰れた」

 空腹感が倍近くに膨れ上がったような気がする。

「えぇ……そうなの」

 美里は露骨に残念そうに呟いた。当然だ。これで歓喜の色を浮かべたら、学校の溜池に浮かべてやるところだった。

「……んー? それでも一番近いのってこの近辺にあるよね?」

「……一応、三十キロ圏内にはある」

 まずい、ミスったっぽい。やっぱり俺に詐欺なんて無理だったか。上手く騙して買いに行かせてやろうかと思ったが、このままじゃ……

「三十キロどころか一キロ以内にあるでしょ?それなら別に自転車飛ばして行けない距離じゃ」

「……いや、チャリぶっ壊れた」

「壊れたって、家の前にとめてあったじゃない。どこが壊れてるの?」

「……チェーンがグミになった」

 美里はげんなりしたようにため息をついた。……悟られてしまったようだ。

「もしかして……まだ自転車乗れないの?」

「言うなっ!」

 そう言われてしまっては身も蓋も無いってもんだ。いいじゃねえか、別に自転車乗れなくたって。運動神経がないとか、そういうんじゃなくてだな。チャンスが無かったんだ。なんせ親父が放浪の身で居ないし、母親の方は仕事でほとんどいないしな。……まぁ練習しなかった俺も俺なんだが、結局のところ自転車に乗れなくて困ったことなんて一回も無い。今回初めて困った。うーん、そろそろ乗れるようにしておこうかなぁ……なんて思ったり。

「はぁ……仕方ないなぁ……」

 長い沈黙の後、美里が口を開いた。

「行ってきてあげるよ」

「おぉっ!マジかっ!助かる」

「お金」

「おぅよ。二千円で買えるだけ買ってきてくれ」

 そのまま行ってこい、というのも気が引けるので、とてとてと歩く美里の後を追って、玄関まで見送りに行く。ちなみに、ここにまだ砂がぶちまけられているのは、単に俺が忘れただけだ。

 美里は親父の着ていたロングコートを着て(お気に入りらしい。大分ぶかぶかだが)、俺と向き合った。

「うん、じゃぁ行ってくるね」

「あぁ、悪いな」

 その手には俺が書いた地図。ミミズが相撲を取っているような図だが、まぁ無いよりはマシ……だろう。

 美里はそのまま行きかけて、ドアを開いたところで足を止めた。

「……」

「どうした」

「……寝てていいからね」

「……ありがたい」

 美里はくすりと笑うと、コートの裾を翻してドアの前から消えた。

「……んじゃ、お言葉に甘えて……」

 睡眠を意識すると、どっと瞼が重くなった。気が抜けたらしい。このまま睡魔に抗う必要も無いので、そのままソファーにダイビングクロスをして俺はそのまま動かなくなった。




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