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第二十二話 ここは何処だ

 どういう悪路を通ってきたのか知らないが、工場の廊下には姫翠の足跡が克明に残されていた。誄羅によれば、万一のことを考えて、重油を踏ませていたんだとか。発信機とか近未来的でプライバシー云々を無視しかねない機具を持ち合わせているのに、なんとも古典的な方法だな。まぁ、進化したら進化したら、また見つけにくい欠陥が浮き彫りになってくるんだろうがな。

 ちなみに、工場何がしの思考は放棄した。心当たりのないことを思索したところで埒があかない。そこまで重要な問題でも無さそうだし、ふと思い出すまで心の隅にでも引っ掛けておくことにしよう。

 工場の廊下を過ぎると、階段があって、そこを上ると見学スペースと思しきガラス張りの通路が見えた。ガラス越しに見える床に、男が散乱している。上からみるととても少女一人で散らしたものとは思えない。全員で一斉に屁でもしたんじゃないか、と思えるくらい壮絶な光景である。しかし、こんな中小工場でも、こんな見学設備があるもんなんだな。

 そのまま突き当たりにある階段を上る。そして、再び同じ様な廊下を通ると、また下る。

「……なぁ、もしかして今も現在進行形で続いてるんじゃないか?」

 この工場はさして広くは無いようだ。それなのに、行ったり来たりしてるだけとはどうも思えない。

「ですかねぇ……心なしか足跡も薄くなって来ているようですし」

「重油でよくここまで来れたのも奇跡だけどな」

 そして、丁度一階の元居た廊下に戻ってきた辺りで、足跡が完全に消えた。

「……収穫ゼロの様だな」

「今こうして生きて立ってることが収穫です。もう他に逃げ場は無さそうですから、裏口から外へでましょう」

「裏口?」

「正面口は閉鎖されています。正面扉を閉じている南京錠の鍵はあいつが持ってますから、正面口が開いていないという事は裏口にいる可能性が高いです」

 扉を抜けて、男が散乱している場所来ると、固く閉じられた扉が見えた。

「裏口は場所が場所な分、通常鍵は掛かってません。だから、逃げるのならそちらの方が得策だと考えたのでしょう」

「……なぁ、なんでそんなこと知ってるんだ?」

「さぁ、どうしてでしょう」

 ──まぁいい。後で教えてくれるだろう。発信機を私有する奴なんだ。何をやっても不思議は無いさ。いつの間にか背中に担がれたその筒が兵器であろうとな。

 そんな誄羅の背中を追うと、小さい裏口というネーミングがぴったりな平凡なドアノブ搭載の開き戸が見えてきた。

 誄羅は躊躇いもせずにドアノブをひねり、開いた。

 視界が拓けて、コンクリートの地面が横たわるその最中、ひれ伏す中年男とそれを追い詰めた姫翠がそこに──居なかった。ただ、閑散としている、廃工場ならではの光景が広がっていた。

「……居ないじゃねえか」

「……ここに居るのは間違いないんですがね」

 どうやらこの工場は、広い敷地の中央にどでんと位置しているらしい。裏口からでたこの裏庭もどきも、大分広さがある。この裏庭もどきだけで、俺の家の土地の二倍くらいありそうだ。

 その裏庭もどきの隅っこ。小さな──といっても、2tトラックの荷台ほどありそうなボックス型の事務所があった。ん、事務所という表現で語弊は生じないよな?

「おい……」

 隣の誄羅をつつくと、分かっているかのように頷いた。

「分かってます」

 分かってた。

 俺達はそっと、その事務所の扉に近づいて、その前で立ち止まった。中からは、どったんばったんと物騒な音がする。──姫翠が笑顔で木刀を振り回して男を追い掛け回している図が浮かんだんだが……。

「殺害まではやりすぎです。恒例に則って秘所を殴打すれば良い話……流石に使えなくなるのも哀れですね。せめては」

「お前が自由にあいつを操れるのであれば、続けていいぞ」

 目を伏せて、独り言を媒介にして思索に耽る誄羅を制止してやる。せめて、独り言として排出するんじゃなくて、脳内の空想として処理して欲しいな。

「さぁ、さっさと乗り込もうぜ」

「そうですね……、じゃあ、僕が開きますから、貴方は突撃してください」

「……分かった」

 突撃、という響きはどこか嫌だったが、それ以外の部分に異存は無いので快諾。

 すぐにフォーメションを組んで、俺は扉の前に立ち、誄羅はドアノブを握ってサイドにスタンバイ。

「じゃあ開きますよ……せーの、せーっ!」

 扉が開いた。地面を蹴って、すかさず中に体を滑り込ませる。

 がらんとした室内。中には二人の人影──一人は角に追い込まれ、一人は何かを持っている。

 木刀だ。

 俺の脳は、瞬時にどちらの人影がどちらなのかを瞬時に処理し、同時に全てを穏便に済ませるための策をはじき出した。それは……多大な羞恥を伴い、下手すれば俺の株価が暴落しかねない策であったが、あれこれ言っている猶予など全く無い。

 俺は脚の動きを緩めると、姫翠の背後に歩いていった。そっと。

 姫翠は木刀を構えて、その刃先を男の喉元に突きつけている。制服の袖が動作に煽られ揺れた。このまま、姫翠が木刀をちょいと動かすだけで、稚拙なネーミングをつけられたこの哀れな木刀は人間の喉を抉ることになる。

 いや、さすがにこいつにそんな意思は持ち合わせていないだろう。だが、ここは穏便に済ませる必要がある。

 何故か? それはここが日本だからさ。

 背中に近づくと、姫翠の息遣いが克明に分かるようになってきた。荒れている。それはそうだ。相当の距離を追いかけっこしてたようだからな。気も立っているのか、俺に気づいた様子は無い。意外なことに、男の方も気づいてないようだ。必死に慈悲を請えている。全く哀れだ。もし助かったら、俺の従者になって欲しいものだ。

 俺は姫翠の背後につくと、そっと手を伸ばして──木刀を握り締めている手を包んだ。

「……っ?」

 姫翠の驚いたような声。

 やってから、俺は後悔した。臭い。臭すぎる。もっと別の方法があったんじゃないか? という疑問が数多の脳細胞から発せられる。どうなんだ? 俺も知りたいところなんだが。

 でも、もう遅い。後退の利く人生なんて人生じゃねえ。

「もう、良いだろう?」

「こ、近藤君……」

 姫翠が首を回して、俺を見て言った。その瞳には、驚愕が滲んでいる。男の方も、驚愕の眼差しで俺を見ている。見るな。万が一見てしまったら、記憶をフォーマットしやがれ。

「で、でも……こいつが……近藤君を……」

 喧嘩して咎められた子供の様に、小さな声で反論してきた。

「あぁ、もしも俺が死んでいたら、好きなだけやればいい。蹴るなり殴るなり腹を抉るなり股を裂くなりなんでもするがいい。でも、俺はこうして無事なんだ。それなら、そこまでやる必要はないだろう。不必要な犠牲は要らん」

「べ、別に殺そうとなんて……してないもん……」

 変に意地っ張りなところがまた子供っぽい。

「駄目だ。意思は無くても死ぬかもしれないだろ。それに、なんだか今のお前がそれを持って自由にさせたら、そいつがどうなるか分からん。どうしてか知らんが、なんかすんごく怒ってるみたいだしな」

「……怒って……なんて……──」

 と、姫翠はそこで語尾を唐突に濁して、目を伏せた。俺はそこで、ずっと姫翠の手を包んでいたのに気づいて、そっと手を引っ込めた。それに伴って、姫翠も木刀を下ろした。それを見て、ホっとしたのか、男もずるずると背中を壁に擦りつけて座り込んでしまった。

 姫翠は顔を俯かせながら俺の方に振り向いた。それから、罪を告白する子供のように、弱弱しく言った。

「……うん、すごく怒ってた」

「なんでだよ……俺とあいつがお前を騙してたからか?」

「違う……あれは私を助けるためにやってくれてたんでしょ?」

「でも騙してたことには変わりないだろう」

 姫翠はふるふると首を振った。

「……近藤君たちがやってたのは、騙すのとは違うもん……私の幸福にするためにやってくれてたんでしょ? それなら、近藤君が謝るんじゃなくて、私が感謝するのが正しいんだもん……」

 その健気な考えに、俺は心臓を鷲づかみにされた気分になった。

「それじゃあ……なんで……」

「……私は……私に怒ってたの……凄く嫌だったの……、自分の気持ちを上手く伝えられないのが……たくさんの人が私に告白してきたけど……、それを追い返す魔法みたいに、建前と同じような言葉を言って追い返してた……で、でも……皆、私に隠さないで想いを伝えてきてる……自分がバカらしくなってきた……いつまでもうじうじしてる自分が……」

「……」

 姫翠の苦悩は分かった。悩んでいたんだ。こいつも。こいつで。無頓着な人間なんて居ないんだ。無頓着な奴は人間とはいえないかもしれない。

 そのストレスが、今回耐え切れなくなって噴出したわけか。

 ──だが、どこか引っ掛かる。何故、今……?

 俺の即席の疑問は解消されることもなく、ふいにあげられた姫翠の真摯な視線によってどこかへ飛ばされてしまった。透けるように綺麗な姫翠の瞳が俺の眼を捉える。

「だから、今なら言える……」

 ──俺は後ろをちらと確認した。煩悩に苛まれていた主の本音を、俺のすぐ後ろで聞いていたようだ。複雑な表情をしている。

 俺は最大限の激励の表情で、言った。

「おう……言っちまえ」

「……ぅ、ぅん……」

 姫翠は今更ながら、顔を真っ赤にして視線を泳がせ始めた。──どうもぎこちないが、こういう雰囲気も悪くは無いだろう。俺はよく知らないが、王道でもあるんじゃないか? 

 だが、狭いプレハブ事務所の中、しかも見知らぬ男と同級生が一緒では、雰囲気も出ないんじゃないか? 良いのか? ここで。

「わ、私……」

 しかも、俺が姫翠と誄羅の間に入り込んでいる形になっている。これは駄目だろう、いくらなんでも。

 というわけで、俺は真っ赤になって喉に詰まった言葉を出そうとしている姫翠の前から左に退いた。これで、姫翠と誄羅の隔たりは何も無い。

 言える。言え。言ってしまえ。そして、射ってしまえ。大丈夫だ、お前ならできる、絶対出来る。絶対に。その感情が、しっぺ返しを喰らうことなんて、惑星の公転の向きが逆転してもありえねえ。

「わ、わ……私、ずっと前から……」

 目を瞑って、ふるふると震えている。後もうちょい、喉を叩けば出そうだ。無論、そんな野暮なことはしないが。

 やがて、窺うような視線を向けて来ている誄羅へ、姫翠が口を開いた!


「近藤君のことが好きですっっ!」


 ──遂に、俺も末期になってしまったのか。今、恐ろしい幻聴を聞いた。自分の無意識無認識の内に膨らませておいた妄想が五感に干渉し始めたらしい。

 俺は反応を見るべく、誄羅に視線を向けた。その顔には、微笑が浮かんでいる。それはそうだ、意中の女の子から告白されたんだぞ? これで心を弾ませない馬鹿など居ない。

 だが、誰も何も言うことも無く、沈黙がその場を支配した。しーんと厭味な擬音が俺の脳内で木霊する。

 ど、どうしたんだ、こいつら……。

 困惑する俺に、誄羅がふっと笑いかけてきた。

「返事はどうなんですか?」

「は…………?」

 俺は愕然として、姫翠の方を向いた。褒められるのを待っている子供の様な、燦然とした瞳を俺に向けている。

「お、俺………か?」

「う、うん……」

 答えは変わらない。──これは、夢なのか? 

「な、なんで、俺なんだよ……」

「好きなのに、理由が必要なの?」

 こういうときに、そういう正論をぶちまけてきやがる。だが、別に腹立たしくなかった。なんだか、他人事の様な気分だ。実感が無いというか……やっぱり夢なのか?

 ──まあ、夢なら、夢で良い。喪失感は底知れないが、なんだか夢の中でまで後味の悪いことはしたくない。

「…………?」

 答えを請うように、姫翠が首を傾げた。

 え、いや、答えってなんだよ。俺もそうだ、と言えばいいのか? それともモアーベターな答えがあるのか? 誰か教えてくれ。そういうところに疎いんだ俺は。

 かといっても、誰かがこっそりとマニュアルを持ってきてくれることなどありえない。ここは自分で答えをつむぎ出すしかないようだ。

 そして。

「……ありがとう」

 これが精一杯だ。他に何を言えば良かったんだ。俺にはこれが精一杯だ。

「…………うぅん、ありがとう……」

 姫翠は、嬉しそうに首を振って、俺の言ったことをそのまま言った。

 そのなんともぎこちない光景を見た誄羅は顔を綻ばせて、申し分無さそうに言った。

「──横槍を入れるのも難なのですが、そろそろ警察を呼びたいのですが……?」

「警察……?」

 いや、まだ色々と訊ねたいことがあるんだがな。

「はい、でも一応これは法律に反した行為ですから。彼には法律で裁かれる義務があります」

 そう言って、壁にもたれて項垂れている男を見た。──確かに、私情よりもこっちの方が優先だよな。

 男は観念したかのように、首を振って言った。

「仕方ねえさ……俺もそれなりのことをしたと思った。……ただ信じちゃもらえないだろうが、一つ言わせてもらう──黒幕は俺じゃない」

「……」

 誄羅は片目を眇めた。俺も不可解だ。黒幕が他に居る? そもそもの問題、俺は何のために誘拐されたんだ? 本当に身代金目的だったのか?

 それだけ言うと、男は肩の荷が降りたような表情をした。

「やれやれ……本当に狡猾な女だ……ところで、そこのモテ男」

 誰だ。そんな奇妙な二つ名持った奴。──憔悴しきった目が、俺を捉えている。

「……俺か?」

「そうだ。お前、近藤と言うのか」

 なんだ、藪から棒に。言いたいことは山の土ほどあったが、ここはこの空間を円滑に持っていくために、素直に答えてやる。

「あぁ、そうだが……なんでだ?」

「──いや、何でも」

 そういって、男は視線を逸らした。なんだか今の不自然な目の逸らし方、誰かに似てるような気がする。こう、つい、と。──気のせいか。

 ちなみに、姫翠は男が話し始めてから、終始ポカンとしていた。……さっきのが夢じゃないことを祈るぜ。

「さて……警察に連絡を取りましょうか」

 そして、誄羅が締めくくるように言った。あぁ、俺もさっさとこんなキナ臭いところに居たくない。警察に根掘り葉掘り訊かれるだろうが、どうせこいつらのことだから、きっと何か良い言い訳でも用意しているに違いない。

「あぁ……そうだな」

 俺がそう考えて、頷いたその時。

 散乱する埃の群れをちりとりに集めた今、そのちりとりの集積物に対して余計な行動を取ってぐちゃぐちゃにした挙句、最終的にはきちんとその埃を回収して帰っていく掃除機の様な、この事件の終止符の打つべく場所を分からなくさせる、混沌からの刺客が現れるとは思わなかった。というか、そいつの介入など、全く想像もつかなかった。いや、ついた奴は明日から神と呼んでやろう。

 誰も触れていない、事務所の扉が開いた。





すいません。ずぅっと、忘れてました。あぁ、すいません。……すいません。

……すいません。

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