第十九話 派遣居候
そして、奴は宣告どおり、それから三十分後にやってきた。
俺が玄関先で待っていると、いつも見ていた車がやってきた。故障してたんじゃなかったのか。
その車が家のまん前で停まると、後部座席のドアが開いた。そこから案の定、姫翠が降りて繰る。車から降りた姫翠は──変といっては何だが、違和感が尋常でなかった。
黒いワンピースに髪は後頭部に黒いリボンで纏められており、その顔にはその清楚な顔立ちには全くそぐわないどっかのスパイがつけていそうな細身のサングラス、終いには純銀のスーツケース、地方の親戚の葬儀に行くような格好である。──というか、誰だか分からない。本当の職はスパイで、これからヨーロッパに潜入してきます……とか言い出しそうな雰囲気である。
「こんにちは〜」
でも中身は中身のままである。サングラスの後ろに爛々と躍る瞳が見える。
「ど、どうしたんだよ……」
誄羅曰く、カオス+(ストーカーの意である隠語である。いまいち語源が分からん)に見つからない為に、母親に変装させるといっていたのだが──冗談だろう?
そんな俺の動揺も露知らず、姫翠は初めて遠足に来た幼稚園児の様に声を張り上げる。
「あのね。誄羅が家に仕掛けられた爆弾の処理をするから、避難しててくれって」
「あぁ……それはもう連絡がついてるから良いんだが……」
何だその無理矢理辻褄を合わせたような言い訳は。お前も少しは疑えよな。
「そうじゃなくて、その服装だ」
「え?これ? ふふ、似合ってる?」
そんな風におどけて言ってみてから、くるりと回ってみせる。似合っていることは似合ってるんだが、──ん。なんともコメントし難い。あいつの言っていた、本質的な理由はカオス+(ストーカーの意)陽動だった筈なのだが。一体、納得させるためにどんな建前を使ったんだか。まぁ、そんなハイクオリティのものは期待しちゃいないが。
「誄羅がね、近藤君がこういうのが好みだって言うから着てきてみたんだけど……どう?」
いや、どうも何も、そういう趣味を俺は貪っている既成事実なんてもんは存在しない。もしあったとしたら、それは多分俺の二重人格のもう一つの方の奴の仕業であって、少なくとも俺は知らん。
とはいえ、ここで変なことを言って、姫翠の機嫌を損ねるのもまずい。
「そ、そうか。そりゃぁ……ご苦労なこった。……あぁ、似合ってる」
「へへ……ありがと」
建前なのか本音なのかいまいち境界線が敷けない、曖昧な褒め言葉でお茶を濁させてもらう。あの人望はこの一途さが直接的に関わってきているのかもしれない。
「……んじゃ、上がれよ」
「わ、ありがとー」
ここで立ち話してるのも間抜けでシュールな光景なので、さっさと上げてしまうことにする。
常識的というか、人間的に考えて、人を家に呼ぶのならまだしも、ましてや泊めるとなると、醜態を見られまいと家を掃除するのは必然のことであって、今日は定期的に掃除している上に、更にスパートをかけて二十分でできる限りの掃除をした。新築同然とまでは物理的にいかないが、とりあえず裸で根っころがっても大腸菌の被害には遭わないと思われる。──いや、そこまでいかないか。
以前まで美里が乱立してきた食材共は、勿体無いと思いつつ全て庭に蒔いた。後でジャガイモでも放り投げておくとしよう。誰も園芸の趣味を持っていないので荒れている上に、そういった知識を持ち合わせていない奴の家の庭で育つかどうか定かではないが、とりあえず育ってくれるととんでもなくありがたい。今年のクリスマスはシャンメリーを二つほど用意できるだろう。
「とりあえずテレビでも見て寛いでろ」
「うん、ありがとー」
家に入って尚サングラスを外さない姫翠を居間に案内し、ソファに座らせてから、俺は姫翠の滞在する部屋の整理に移る。
物置を使わせるのもなんだし、美里は一ヶ月前帰ってきたばかりだし、今は居ないといえどストーカー騒ぎの終焉が来る前にあいつが帰ってこないという保証はない。親父の部屋なんぞは十五年間放置されているので、汚い上に妙な臭いが激しく存在を主張しているために、繊細な女の子を一人泊めるのには酷であろう。俺だって願い下げだ。
というわけで、消去法で残った母親の部屋を使わせてもらうことにす。まだ放置一年目であるから、俺の管理の手も行き届いているから、そこまで汚染が続いているわけでもない。化粧台の上に散乱している物品を全て適当な収納スペースに突っ込めば完了。親父と違って、身辺整理してから出て行ってくれたのが幸いした。
とりたて煩わしい作業を必要としなかったので、割合早く終わったな。後は姫翠のセンスに任せるとしよう。あの部屋の様子を見る限りでは、そう期待はできないが。でもどうせ、爆弾騒ぎが終わったら帰るんだろうし、そこまで頓着する問題でもないだろう。
適当に見栄えだけ良くしておいて、こそこそと居間への廊下に戻り扉に手をかけた。
「待たせ────すまん」
──とだけ言って、即席で扉を閉じる。そして、両目を眇めて目を全身全霊であさっての方向へ向ける。これでもマナーは弁えている方だと自覚はしていたが……それは奴らと一緒に行動し過ぎていたからか。ノックを忘れるとは一生の不覚。いや、ノックをしていようが、結果は変わらなかったであろうが……。
「……終わったら言え」
俺はできる限り声を張り上げて言った。
こりゃ、とんだ陥穽だ。というか、そういう類の漫画とかアニメとかでも、こういうのが恒例だな。引っ掛かることは一生あるまい──と思っていたのだが……まさか着替え中だとはな。
というわけで、そさくさと二十秒前の光景をフォーマットせんと勤しんでいたのだが、ふいに扉が開いた。
「どうしたの?」
「うぉっ! ……お、俺のことはど、どうでもいいから、さっさと着替えるんなら着替えろッ!」
──大丈夫なのか、このままで?
──というわけで、今姫翠は俺のすぐ傍で健やかな寝息を立てている訳なのだが……ここで問題なのは、何故部屋を提供してやったというのに、俺の部屋で寝ているか、何ゆえ、俺が床で寝る羽目になっているのか、ということである。
部屋は提供してやった筈なんだがな。昨晩一人で寝るのは心細いだとか、折角のお泊りだからだとか、なんとか色々捲くし立ててきたので、渋々、本当に渋々だぞ? 仕方無しに俺の部屋に入れてやった。
それで──いんや、確かに自分よりも弱いモノに施しを与えるのが強者の運命ではある。俺は強いなんて一度たりとも思ったことは無いが、それでも姫翠は長年の盲目から解放された仔犬みたいなもんで、確実に俺よりも──運動能力で見ればあたりまえの様にこいつの天下であるが、いや、その免疫力もさることながら……山の中で六年間暮らす、逆境を乗り越える力があろうとも……。
それでも、俺はこいつに寝床を提供してやらなければならない。別に不満ではないが、どこかずれているような気がする。いや、ずれてるのは俺の方かもしれない。力があり、功績があっても、その用途と褒賞が無ければ無益の長物なのだ。
やれやれ、どうでもよくなってきた。どうでもいいが、すぐに床に張り付かないで、少しは俺の温もりを布団を介して味わって欲しいというものだ。折角提供してやったんだからな。
二度寝をするにも環境が悪く、回想によってほとんど眠気が吹っ飛んでしまったので、活動を再開させてもらうとしようか。
悲鳴を上げる筋肉を放置し、俺はよろよろとよだれを口端から垂らしていても笑って許せるような幸せな寝顔を見せる姫翠を抱きかかえると、すぐさまベッドの上に放り投げた。いや、放り投げた、と表現すると語弊が生じそうだから、置いた、と置き換えさせてもらおうか。少しばかりの羞恥はあったが、こちらと伊達にこいつを抱えていたわけではない。眠っている且つ誰も見ていないというのであれば、こういうことも赦されるだろう。
そのまま布団を上に被せてやり、部屋を後にする。今日はまた、憂鬱な一日になりそうだ。
早朝の通学路。いつもと家を出る時間は同じものの、所要時間と連れ合いが違った。
「んー……?」
隣で姫翠が携帯を覗き込んで首を傾げている。発信機とやらはこの携帯に内臓されているのだろうか。とんだプライバシーの侵害である。
「どうしかしたか?」
その割にはプライバシー保護のための、横から覗き込んでも光の反射云々で画面が見えない様にするためのフィルムが張られているらしく、俺の目には真っ黒なディスプレイしか見えない。
「…………? 誄羅から返事が来ない……」
そういえば、あいつもそんなこと言ってたな。十分間隔でこいつからメールが来るとかうんとか。あの時俺は、あいつの分かる奴にしか分からない様なジョークだと思っていたが、あながち誇張表現でもなさそうだ。
「返事ねぇ……。まだ爆弾云々に手間取ってるんじゃないか?」
「うーん……そうかなぁ……」
それでも姫翠はまだ思案顔。──気持ちは分からなくでもないが、できればこういう状況が俺に回ってくるのは勘弁させて欲しい。人類が今の状況であるうちは一生来ないとは思うがな。
まぁ、誄羅もあいつで人間であるから、常に音沙汰があるのも変だろう。たまにはプライベートタイムを用意してやろうぜ。あいつに限って、トイレにドボンさせることもあるまいし。
「ねぇねぇ」
「何だよ」
相変わらずこいつのスイッチの切り替えはインパルスの領域を凌駕している。──音信が途絶えたってのにそんな呑気でいていいのか?
「返信が来ないのは、携帯の電波で爆弾が爆発しちゃうかもしれないからじゃないの?」
「なるほど……それならそれでいい」
確かに、いくらストーカーでも簡単に人を殺したりはしない筈だ。……公道を百キロオーバーで走ってる奴だからといえどな。
「んで、どうした?」
「疲れたからバス乗ってこうよ」
バス。
「駄目だ」
「えぇー!なんでなんで!? 疲れたよぉ」
「いんや、バスは絶対に駄目だ。何があっても駄目だ」
そこまで言うと、姫翠は頬を膨らませた。
「えー……それじゃあ、自転車はどう?」
「……………」
「えー、なんでなんで!? 近藤君ってアンチ乗り物なの? それともメタボを気にしてるとか……」
一応注釈を入れるが、俺は乗り物アンチでもメタボでもない。バスは独りで乗る分には良いんだが、こいつが付き添いでいると同学生の視線が痛すぎる。自転車は論外。以上。
「……むうう……早く車直ってくれないかなぁ……」
「──お前昨日車乗ってきただろ」
「あの後すぐ逝っちゃったんだって……」
都合が良すぎるだろうが。もっとちゃんとしたこじつけを考えろ。そういう言い訳を後二回くらい並べたら、いい加減姫翠だって訝り始めるだろう。
「暑さ……かな。都会は本当に暑いらしいね。今も大分暑いし……」
「そうか、都会の夏は初めてなのか」
「うん」
さっきの不機嫌膨れっ面は人間の可視範疇を超えて、どっかに永遠に戻らない旅に出かけたのか、もはやレギュラーとなってしまった笑顔が再び降臨する。写真でも撮っときゃ良かったか。
しかしまぁ、俺達が夏に山奥に行ったりすると、涼しく感じるように、山奥から夏にこっちに来たら、灼熱に感じるだろうな。地球温暖化も上乗せしてきているから、水揚げされて三日経ったアジみたいになるのが関の山だろう。いや、クーラーガンガンの室内で引きこもりを起こす方が有力か。夢みたいな生活だが、結局何も変わらない。なんて皮肉な世の中なんだろうな。まだ二ヶ月あるけどな。気が早い。
然るに、さっきから頻繁に後ろを振り向いているのだが、ストーカー車輌が見当たらない。いや、確かこのストーカー車輌にも何か隠語が使われていた筈なのだが、どうにも覚えていない。……まぁいいか。別に聞かれて困るようなもんじゃないしな。
──って、今日はそんなに暑くないだろう。
「俺は決めた!」
昼休み。子午線をちょいと乗り越えた、正確には『昼』休みとはいえない、そんな屁理屈をごねる対象となるべく今の時間帯にそんな声を聞いた。
振り向くと、例の緑川が教卓に両手を張り付かせていた。……いや、いわゆるあれだ。両掌で机を叩いて、そのまま硬直させたような状態だ。実演できるのならしてくれ。笑いがこみあげてくるぞ。
と、思ったら、俺にずかずかと近づいてくる。そんでもって、俺の鼻先に人差し指を押し付けてきた。
「……骨は入ってるぞ」
「近藤、ちょっと来てくれ」
お呼び出しか。別に俺はわざわざ貴重な昼休みを裂いてまで手に入れるような物品は持ち合わせていないんだが。
「いや、俺の個人的な用だ」
そんな事を言って、半ば連行するような形で俺を教室の外まで連れ出し、そのまま男子トイレに直行。あのな、あんな意味不明な言葉を叫んで何の注釈も無しに、俺のこんなところに呼び込んだりするから、なんか黄色い目で見られてるじゃねえか。
しかも、男子トイレといっても、最短距離にあるトイレではなく、一年生が主立って利用する位置にあるトイレだ。何人か用を足して、談笑を講じていたのだが、緑川が親指を立てて肩の後ろを指差すと、蜘蛛の子を散らすように出て行ってしまった。
「後輩だ」
「もっと優しくしてやれよ……んで、何の用だ」
まさか連れションだとは言わせねえ。
「俺は決めたんだ」
「だから何を」
「──柳瀬に告白する」
「あっそ。頑張れ」
美里がいなかったから、今日の昼飯は購買で買うことになっている。ここからならそう遠くはない。さっさと昼飯を食って、午後へのエネルギー変換に勤しまなければ。
「お、おい!待てっ!」
流石に広告配りよりもあっさりとスルーされて、黙るような奴ではない。すかさず俺の肩をぐいと鷲づかみにしてくる。
「んだよ。俺に手解きをしてもらいたいのか?」
「い、いや。お前に頼むようなことは無駄だと分かってるからな。俺の頼みは、ただ単に放課後に柳瀬を校舎裏に呼び出して欲しいんだ」
「手紙でも置いておけば良いじゃねえか」
脅迫状じみた手紙にもあっさり引っ掛かった奴だから、それでも百二十パーセント以上の効果が見られるに違いない。
「だ、駄目だ。ここは穏便且つ内密に済ませる必要がある。俺の名誉の保持の為にな」
「振られる前提でお前は仕掛けるのかよ」
「いや……いや、そうは……んむぅ…………まぁ、そういうことだ」
緑川はなんだか物苦しげにそう言った。まぁ、なんとも勇ましいことだ。一方通行の想いを伝えるとは。こいつが考えそうなシチュエーションだ。
「そういうことだから、頼んだぞッ!」
そう短く言って、緑川は去っていった。
やれやれ……放課後に校舎裏な。
──近藤真治、行方不明。
最終確認時刻、十六時三十三分、友人の一人が彼の姿を確認。
以来、未確認。
──誘拐の見込みあり。
若き日のミスの一つ。
時系列のズレを初めて試みたんですが、ごっちゃになるだけですよね……。