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第一話 懐かしき風見鶏

 俺は冷蔵庫のドアを開けた。中には何も入っていない。強いて言えば牛乳の紙パックくらいか。てっぺんのでっぱりに印刷されている先月の日付になっている賞味期限が哀愁を誘う。

 腹が減った。今まで依存していたコンビニに、昨日居眠り運転の2tトラックが突っ込んだらしく、今日そのコンビニは、人をいざなう(元)自動ドアに青いビニールをかぶせてむっつりしていた。依存していたというのも過言ではない。ここ一年間ずっとそのコンビニに食糧調達は依存してきた。文房具も同様。電気機器は通販で買った。銀行はATM。便利な世の中になりすぎだ。いくらなんでも酷いだろ、あの様は。奈良の大仏が渾身の一撃で蹴っ飛ばしたみたいになってたぞ。

 とにかく、今の俺はそういった(悲しくもいろんな意味で)事情で、窮地に立たされていた。

 や、別にここはどっかの辺境で偏狭の地でもない。そのコンビニ以外にも、そういった食品だとか、銀行だとかはあるんだが……遠いんだ。この便利な暮らしに慣れてしまった俺の体には、そんなとこまで行くだけのエネルギーはない。多分。いや、エネルギーはあるんだろうが、気力が無い。ただでさえ学校帰りで疲れているのに。

 今日で俺は高校二年生となった。危険視していたクラス替えも無難なものになり、まぁ及第点といったところだ。

 別に不良だとか、そういうものがいるわけではない。電波な奴がいるのだ。この学年には三人ほど。

 いや、まぁ、奴らに匹敵するだけの電波な奴は結構いる。でも、そいつらが電波として奉られているのには理由がある。……まぁそんなことはどうでもいい。

 とにかく、その電波の最先端を行く奴らがいなかったのは良かった。別に居ても構わないが……少しばかりカオスな日常になるのは避けられない。

 とりあえず、ほっとした俺が帰宅途中でみたのは、そのショックだけで電気ショックで心臓が止まった人を蘇生できるだけの衝撃的な光景だった。

 半壊になったコンビニ。

 おい、復旧作業をする奴らの影もみられないとはどういうことだ。もしかしてこのまま、壊してそのコンビニの存在を無かったことにするわけじゃないだろうな?

 とにかく、今の俺にできることは、きちんと、一秒でも早くコンビニが復活してくれることを祈ることだけだ。今は、今この状況をどう切り抜けるかが今の問題だ。

 とりあえず、明日の昼飯は購買部で済ませることにする。というか、それがいつもどおりだ。ついでにそこで、夕飯の分も買ってしまおう。これは名案だ。

 そうすると、残っている問題は二つ。今、と明日の朝の飯。

 俺は唸った。こればかりはどうしようもない。我慢するしかないか。なに、どうってこたぁないさ。中学時代、俺は二日間飯を食わなかったときがあったんだ。二食抜くだけなら訳も無い。筈。

 俺はそう決心して、居間に移動して壁に沿うように設置されているソファに身を沈めた。ぼすっとな。

 この家は俺一人住むのには少し広すぎる。俺はそこまで娯楽を求めない人だから、居間と台所だけあれば生きていける。だが、この家には二階ならまだしも、三階まで存在している。元四人家族でもここまで必要ないはずだ。

 ここに俺が一人で住むこととなった理由は、一つ。俺の家系にある。

 俺は去年まで、母と二人でここに住んでいた。親父と姉がいたが、死んだわけじゃないんだ。そう、馬鹿らしい、常識とは正反対に逸脱するとんでもない理由が存在する。

 うちの家系には、放浪癖が強い血が流れているんだとか。

 俺には流れなかったようだが、姉には流れていたらしい。中学卒業と同時にふらりとこの家から出て行った。『自分を見つめなおす旅に出ます。探さないで下さい』とか、売れない漫画家のような置手紙を残してな。中学卒業した直後だ。ようやくバイトできるようになった年齢である。櫂無しでいかだに乗って大海原に出るくらい無謀である。

 しかし、こんな姉よりも、親父の方が性質が悪い。俺が産まれた瞬間、『俺はフリーを掴む!』とかなんとか宣言して家から出て行ったらしい。二千円だけ入った財布だけを手に。

 産まれた直後、ということで、俺は親父の顔を見たことが無い。母に、何度何故親父を引き止めなかったのか、と問い詰めたことか。そのたびに母は笑って自己決定権が云々とか話していた。当時の俺には意味がわからなかったが、母は母で親父の生き方に干渉していなかったらしい。

 そんでもって去年、だ。俺が中学校を卒業した次の日、母にこう言われた。

「お父さんを迎えに行くから、あんたはこれから一人で生きて行くのよ。できる?」

 訊ねている割には、強制執行だったらしい。俺はそのまま勢いで一人暮らしを始める羽目となった。

 そしてもう一年経つ。家族の誰とも連絡をとっていない。というか、とりたくてもとれない。

 記憶の中の姉の顔も随分おぼろげになってしまった。そろそろ六年経つ。面影がなくなるとまではいかないが、雰囲気は大分変わってしまっただろう。

 不思議と、俺を放り投げて行ってしまった家族への憎しみだとか、心配だとかそういった感情は湧き出てこない。こういったところから俺もやっぱり近藤(こんどう)の血を引いているんだ、と実感する。常人なら警察に捜索届でも出してるんじゃないか。

 そんなことを考えていたら眠くなってきた。このソファ、あまり座ってないだけに買ったときの弾力がまだ生きている。スプリングの心地よさが異常だ。

 ……うつらうつらと夢心地で時計が十二時を差しているのを確認する。少しばかり寝たらしい。

 半身を起こすと、腹に違和感を覚えた。その違和感の正体が不快感だと分かると、俺は憂鬱になった。あと十二時間もこの状態が続くのか……経過時間の二乗に比例して増えていくこの不快感に苛まれるこの地獄のような時間が。

「うぅ……」

 そんな先の見えない「未来」に、うなだれているときに、信じられない「今」と遭遇した。

 ピンポーっン ドカっ

 後ろのドカは、俺がソファからずっこけて落っこちた音。油断してた。まさかこんな時間に訪問者なんて……、というか訪問者自体余り来ていない。

 郵便物を送りつけるだけの知り合いも居ないし、新聞も取っていない。誰だろうか。こんな非常識な時間に。

 しかも、なんだこのチャイム連打音は。迷惑とかそういう問題じゃねえぞ。これ。安眠妨害の部類に入ってもおかしくないだろ。うるさい。

 俺は素早く身を起こして、騒音の元となっているインターホンへと駆ける。チャイムを連打している奴の指の動きを見てみたくなるほど、チャイムの感覚が短くなってきている。いや、これいつか絶対つるってこれ。早すぎる。高橋名人もビックリだぜ。

「……はい、どちら様ですか」

 受話器を取ると、我ながらあからさまに不機嫌な声でそのチャイムに返事をした。三階建てだが、家自体はそこまで新しくないので、家にいながら訪問者を確認できるカメラなんてついていない。ついていたとしても、夜中だから大して意味はないだろうが。

 そこから飛び込んできた声は、あの半壊のコンビニを見たときの衝撃よりも更に凄まじいものだった。

「……真治(しんじ)?」

 一人でに目が見開かれるのを感じた。受話器を取り落としそうになるが慌ててキャッチ。

 その声は、あの時よりも大分大人びているが、間違いない。

「……姉ちゃんか。」

 俺は零れ落ちそうになる言葉をなんとか紡いで、そう訊いた。

 まさか、こんな時期に、ましてやこのタイミングに帰ってくるなんて、どこの自称正義のヒーローが予想できただろうか。こりゃ、新聞社に電話すれば記事として取り上げてくれるかも知れないな。

『六年越し』の再開、だ。

 しかし、俺の晴れ晴れとした気分はそう長く続かなかった。

「……はぁ……さ、寒い……っ……」

 その弱弱しい声を聞いた途端、ぞわり、と背筋に悪寒が走った。

「、どうしたんだよ。姉ちゃん?」

「…………た、たすけ……」

 俺は受話器をもとあった場所に叩きつけるようにして戻して、床を蹴って走り出した。

 ……まずい、そう俺の直感が告げていた。

 ──そこまでだったら格好が良かったのだが、

「あ゛ぎゃぁぁああああああああぁぁぁぁぁ!!」

 廊下への角を曲がったところで、角に思いっっっきり足の小指をぶつけた。足の感覚が麻痺して、痛みからのショックか眩暈がした。

 だが、そんなことで挫ける俺ではない。ぶつけた右足を庇うように、片足跳びでピョンピョンと玄関に跳んでいくと、裸足のまま玄関に踊り出て、体重を乗せるようにして扉を開けた。

 夜の冷たい空気が流れ込んでくると同時に、

「やっほー、真治。ん、どうしたの。そんなに慌てて」

 ずっこけた。どうやらからかわれたらしい。──。

 ただまぁ、一応無事だったことに安堵しつつ、俺は顔をあげて姉の顔を見て……そのまま硬直する。

「……えっと、どなたですか?」

「えぇ、何それ、ちょっと酷いんじゃない?何、お姉ちゃんの顔忘れてんの」

 相手は不機嫌そうに顔を歪めてそう言って来た。

 いや、分かる。忘れたわけじゃない。大分成長しているが、これは姉の美里(みさと)に違いない。多分、関わってきたほとんどの人がそうだ、と言えるだろう。

 ……だが、第三者に関わりがあることを知られたくないだろうと思う。これは。

 服は恐ろしくボロボロで、焼夷弾に二十回くらい被弾したんじゃねえかってくらい黒く汚れていて、原型を想像するなんてどこのファッションデザイナーであろうと不可能に違いない。頭には何故か、迷彩柄のヘルメットを被っており、茶色に変色した髪はだらしなく腰の辺りまで伸びている。俺を面白そうに眺めている笑顔は、明らかに最後に見たときより痩せている。

「…………どこでどう過ごしたらそんなんになるんだ。」

 俺が半眼で美里の全身を睨むように観察してそう訊くと、美里は困ったように視線を逸らした。それからわざとらしくくしゃみをする。

「……ぐしっ。寒いから入れてくれる? 話はその後でいいじゃない。」

 そして俺の答えを待つこともせず、脇を通り抜けて家の中に入っていった。

 すかしを喰らったとき分かったんだが、とんでもなく土臭かった。収穫後のジャガイモよりも酷かった。

 ……話よりも風呂が先か。

「ってぇ、ちょっと待てっ!」

「ふえ?」

 俺はばっと振り向いて、のそのそと廊下の角を曲がろうとしていた美里の足をそう叫んで止めた。

「靴はどうした!」

「靴?……あぁ……失くしちゃった」

 なんでもないように言っている美里の足は黒くなっている。泥まみれ……しかも廊下にはアニメで見る、動物の足跡の様に綺麗に跡が残っている。くっきりと。なんか光沢放ってるし。

「失くしたってな……せめて足拭いてから上がれっての……」

 俺はそのまま姉に硬直するようにきつくいってから(ステイ)、洗面所から雑巾を引っ張り出してくる。わざわざ濡らしてやって、それで足と汚した床を拭くように命令。

「足と床、拭け。こんなんじゃ家族と認めねえ。」

「えぇ……いいじゃない、いずれ汚れるんだから……」

 口を尖らせて美里がそう言うが、どう考えても掃除できない奴が言う屁理屈じゃねえか。

 俺が半眼を更に細くすると、美里は渋々といった感じで足の裏を拭き始める。どこでどういう風に過ごしたらこんな常識から逸脱できるんだか分からない。六年といっても、よほどのことじゃなければこの程度忘れるはずが無いと思うんだが……。

 そんなことを考えてるうちに、美里は床と足裏を吹き終えて、俺に泥まみれの雑巾を投げつけてきた。比喩とかそういうのじゃなく、ガチで。

「投げんなっ、泥が散るじゃねえか!」

「あぁ……ごめんね。」

 美里はあは、と笑ってから──居間に侵入した。泥だらけなのは足だけじゃない。その体に纏っているボロ布は足よりも凶悪に残忍に入念に泥というか茶色く汚れていた。それからふんわりと流れてくる蝿の死体が集められて三年経った袋の中の様な腐敗臭。いや、嗅いだことがあるわけじゃないが……。

「ストップ!止まれ!」

 俺はそう言って雑巾を洗面所に投擲し、床を一蹴した。

 ちなみに今は真夜中。ドアは全開。声も全開。近所迷惑も甚だしい。さっきのチャイム連打もあるし、そろそろ警告が来るかもしれない。

 でもそれどころではない。この家は俺が週一で全身全霊をかけて掃除してるんだ。一人で住むのには広すぎる家だから、一通り掃除するのに二時間ほど要する。そんな二時間の苦役の結果唯一得たものを一瞬で奪い去られるのはどこの仏が許しても俺が許さんっ!

 廊下を足裏で擦りながら居間を覗くと、不思議そうな顔をして美里が硬直していた。

「な、なに?」

「まず風呂入れっ!あと壁に触れるなっ!泥がつくだろうっ!」

 困惑する美里に俺は畳み掛ける。しかし、そう言った後、それを見てしまった。

 ロングコートっぽい革製の布切れが、机にぶちまけられていた。三秒前までは入念に磨かれて(これだけは毎日磨いている)ぴかーんと光沢を放っていた茶色い年代物の机には、細かい肌色の砂がうねるように四散している。イメージできない奴は、近所の公園に行って砂場でヘッドスライディングの練習を二時間やってから、家の机に着てた服をぶちまけてみれば分かる。

「あ……ぁ……ぅ……」

 映画とかでヒロインを目の前で殺されたヒーローの様に、口から声にならない驚愕の声を漏らして、その掃除人卒倒必須の物体に近づく俺。それから美里の方を振り向く。憎悪の視線をぶつけてやるつもりだったが、その視線は別のものに遮られた。

 着てたワンピース(だったらしい)だ。

「ぶほぁっ!」

 思わず壁にしりもちをつく。砂が容赦なく目と鼻と口と耳に入り込み、目はひりひりと痛み鼻は呼吸ができなくなり口の中では舌と喉が異常を神経を介して脳に訴えかけている。まさに阿鼻叫喚。

「わっ、ごめんっ! 手元が狂った!」

「て、手元が狂ったって真後ろに投げる阿呆が居るかぁっ!」

 俺は胃の底から湧き出る怒りを叫びに変えてそう言い放ち、その視界を覆うワンピースだった布を片手で振り払った。砂を盛大に撒き散らしながらその布切れはぽーんと廊下に飛んでいく。あぁ、見たくねえ。

 そして、その視線の先……正に先程の軽蔑の視線を当てようとしていた対象が目に入る。それから俺は絶句する羽目になる。や……なんと突っ込めと? さっき飛んできた布切れが推測通りのブツなら、この結果は当然だ──が。

「……」

 沈黙せざるを得ない。しかし、美里はそれを別の意味で受け取ったようだ。

「あ……ご、ごめんってば……つ、次から気をつけるからぁ……」

 そうじゃねえ。近寄んないでくれ。

「ゃ……脱ぐときは……脱衣場で脱げ」

 必死こいて美里の勘違いを正す。自分でも声が震えているのが分かる。情けないというか……誰だってこうなるだろうよ。

 でも、こいつの反応は俺の常識内で処理すると、模範の正反対の最先端を牛耳るものだった。

「え……なんで?」

 俺の頭が首の骨を折ったかのようにがくんと垂れた。

「なんで、じゃねえっ!どこでどう過ごしたらそんな人間としての常識を忘れられるんだよっ!」

 それから俺はほとんど泣き叫ぶように言った。

 それを聞いた下着姿の美里は困ったように頬を掻いた。

「えぇ……そんな……ねぇ」

「ねぇ、じゃねえからっ。もういいから早く風呂に入ってくれ!ハウスダストが蔓延る!」

 最後の言葉は比喩じゃないが、美里は不機嫌そうに頬を膨らませた。

「分かった。入ってくるよ。」

 そう言って風呂場に向かうために廊下に歩いて出て行った。

 美里が居間から出て行った後、俺はしょぼしょぼと立ち上がる。まさか自らの服を投擲してくるとは思いもしなかった。しかも目標は俺ときたもんだ。困ったとかそういうもんじゃない。人権問題だ。これは。

 文化の向上の一環として誕生した魔法の首長、掃除機をクローゼットから召還する。お勤め七年目の大ベテランである。美里が家にいたころからこの家に居ることになる。きっとこの狭くて埃臭いクローゼットの中で、この一家のあるまじき変遷を第三者として見ていたのだろう。ふと、俺はこいつに同情を覚えてならない。

 そいつを居間に連れてきて、コンセントを差し込んで手元のスイッチをぐいっとして入れた。工事現場の様な轟音を発して、掃除機が覚醒する。この音と吸引力からしてそろそろ寿命だろうな。次は吸引力の変わらない云々とかいうのを買ってみようか。

 散らばった砂をその掃除機で吸い込み、徐々に(海洋単位でゴミの収集をしているようだったが)居間が綺麗になっていくが、それに反比例して俺の憂鬱は積もり積もってゆくのだった。




見事にこちらは完結したので、こちらでも連載を開始したいと思います。

ー……プロローグとは比べ物になりませんが、コメディです。

一応、そういうことになってますので、どうかよろしくおねがいします……。


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