第十五話 不協和音の定義
「まぁ、ご無事で何よりです」
夜の校舎内、俺と誄羅は体育倉庫の鍵を返すべくその暗い中を歩いている。姫翠は俺の手から既に誄羅の背中へと移っている。それにしても、まだ熟睡中とはなかなか鈍感なんだな。
「本人とて、今日のことを夢と思う方がまだ良いだろうしな」
俺が冗談めかしてそんな風に言うと、誄羅は意外そうな眼差しを向けてきた。
「さぁ……どうでしょう」
どうしてまぁ、俺はこんな誤解されやすい野郎になっちまったんだか。一応、これまでの顛末は教えたんだがな。
「そんで、お前はなんでこんなとこにこんな時間に居るんだ」
「……そうですね。危機信号といいますか。よくあるでしょう。『俺が出かけて二十四時間経っても帰ってこなかったらお前は逃げろ』とかそう言う類の応用編です。単純な話、姫様には発信機が仕掛けてあるんです」
「……へぇ、発信機……」
妙な言い回しはしないで、素直にそういえばいい話だとは思わないのか?
「そして、姫様と別れてあれから六時間が経過したので、様子を見に来た次第です」
「六時間てお前……何か理由があって戻れなかったりしてたんなら、どうすんだよ」
「姫様からの連絡は頻繁にありますからね。十分間隔で着ていたメールが突然こなくなったら訝るのが人間という生き物です」
十分間隔ってなぁ……料金がとんでもない値になりそうだな、それは。というか、授業中もお構いなしにメール打っていやがるのかあいつは。
やがて、誄羅は姫翠を落とさない程度に肩を竦めた。
「発信機を装備させているとはいえ、使用するのはこの場合のような、非常時のときだけですので、普段の生活を垣間見るような真似はしないので、ご安心を」
と思ったら何をいいやがる、こいつは。
「安心しろ。脈は全くなしだ」
「そこまで意固地にならずとも。もう全校の噂の的ですから、隠す意味はありませんよ。認めたら認めたで素直に取り合いを始めるのみです」
「……そうかい」
ここは肯定も否定もしないのが最善だろう。適当にそう流しておいた。
やがて、暗がりの第一職員室にたどり着くと、誄羅は怖気を見せる様子もなくすたすたとその中へ入っていき、所定の場所に鍵を戻した。この位置からは見えないが、まぁ入っていく目的といったらそれしかないだろう。
やがて、誄羅は入っていったときと全く同じ風体で返ってくる。合致しすぎていて怖いくらいだが、なんだかコイツらしい。
「さぁ帰りましょう。車を待たせてあるので」
「……あぁ……」
俺は小さく頷くと、そのまま昇降口に行きかけて、すぐに足を止めた。
「……どうされましたか」
「ん、荷物教室に置きっぱだ。取ってくる」
「お待ちしましょう」
「いや、大丈夫だ、先に帰っててくれ、俺は一人で帰れる」
俺はそう言って誄羅の申し出を断ると、だっと廊下を蹴って、自分の教室へと向かった。
教室に入ると、ざわりと風が俺の頬を撫でた。窓が開けっ放しらしい。カーテンがゆらゆらと風に靡いている。
暫く何の考えも無くそれを眺めていたが、やがて我に帰った。
「っと……荷物……ん、そうか……」
姫翠もおきっぱなしだったのか。ロッカーの近くに中身をぶちまけた状態のまま放置されている。──このまま行ったんだっけか、俺達。
まぁ、今持ち帰って明日の朝届けてやればいい話である。というわけで、俺は無造作にその中身を鞄に突っ込んで、チャックを閉める。かなり非効率で、鞄がぱんぱんに膨れてしまったが、どうでもいい。要は形があればいいのである。
それから、俺は回れ右をして、自分の机へと向かう。もちろん、俺の鞄を回収しにだが……
「ん……?」
何か音が聞こえる。何かが震えて周囲の振動を煽ってその鈍い音を肥大化させているような。鞄の中からだ。
俺は溜息をついて、その鞄の中に手を突っ込んだ。そして、目当てのものを手探りであてると、引っこ抜く。マナーモードのバイブ機能で振動している携帯である。
ディスプレイを確認すると、自宅の番号を示している。美里が電話を掛けてきているらしい。
「──もしもし」
「し、真治!?」
携帯を耳に当てた瞬間聞こえてきたのは、そんな美里の切羽詰った声。俺は顔をしかめて携帯を少し耳から遠ざける。
「あぁ……俺だけど……」
「い、今どこ!? すぐ帰ってくるの!?」
「……学校に居る。今から帰る」
努めてげんなりとしたような口調で、そう応答する。こんな美里の緊張感のある声を初めて聞いた。一回、美里の大好物であるたこ焼きをこっそり奪ったときでさえ、こんな声はしていなかった筈だ。
「は、早く帰ってきて……」
「……どうかしたのか? そんな切羽詰った声出して」
「おなかすいた……」
それを聞いて、俺は即座に通信を切った。全く、心配した俺が馬鹿だった。自分で作るなりできるだろう、仮にでも社会人なんだから──。
俺は携帯をポケットに仕舞うと、鞄を回収し昇降口へと向かった。夜の学校というのは本当に静かで、それが不気味さを醸し出している様だ。この非常灯のなんともいえない緑色の光もなんとも不気味さを煽っているようだ。きっと、夜中に肝試しができるように設計されているのだろう。親切設計だ。
無事に何とも遭遇せずに昇降口へとたどり着くと、靴を履き替え外に出て、校門へと向かう。
だが、そこに待ち構えていたのは。
「お待ちしてましたよ」
誄羅とその専用車輌と思しき黒い高級車である。どこかのボンボンの迎えの車の様に、扉を半開きにさせてその後ろに誄羅が佇んでいる。
「先に行っててくれと言ったはずなんだがな」
俺が暗がりでも分かるように顔をしかめてみせると、誄羅は微笑を浮かべた。
「何。ちょっとした任意同行ですよ」
「任意同行にちょっとしたも大したも無いだろう」
「食事も振舞いますよ。姫様の恋人としてね」
「別に恋人でもないし、食事を振舞われるほど俺は恩を齎した記憶がないんだが」
「ふむ……少し重要な話をしたいんですけどね……」
誄羅は急に声の質を落とした。
「重要な話……ねぇ、テスト範囲のことか?」
「今日のことですよ」
「今日って……」
俺は思わず頭だけを回して校舎を振り返った。確かにそこに変わらずに校舎はある。当たり前だ。もしも無くなっていたとしたら、きっとそれは夢の中だ。頬を抓ればすぐにあの体育倉庫内に戻れるだろう。戻りたくも無いが。
だが、俺が反射でそうした行動をとったのにはきちんと理由がある。
「──誰が貴方たちを閉じ込めたか、ですよね」
誄羅が代弁してくれた。
正にその通り。どこの誰だか知らないが、元はと言えばそいつの所為なのだ。俺が今ベッドの中ではなく学校の敷地内でこうしてぼんやりと突っ立っているのは。妙にさっきから体温が高いのも。何もかも。
「まぁこれは個人的な語らいの提案です。時間が無いのであれば、素通りされても結構です。咎めたりはしませんから」
一応さっき美里からのヘルプコールが来たが、一応あれもあれで人間で学習能力が備わっていると信じているので、俺が突然電話を切ったことと中々帰ってこないことの事実を結び付けて、適当に何か作って飢えはしのいでくれるだろう。一応、後で連絡するが。
「……そうかい。なら乗らせてもらうか」
というわけで、俺は要求を承諾。
「了解しました。それではどうぞ」
専用車輌云々といったが、一応俺が毎朝乗ってきているのと同じ車だったようだ。後部座席に、向かうように二人掛けの椅子が二つ設置されている。そのうち一人分のスペースに姫翠が寝ていた。首を垂れて、がくんがくんと揺れながら熟睡している。ある種幸せな光景だ。
「隣にどうぞ。僕は広めにとりたいので」
俺がそんな姫翠の寝姿に見入っていると、後ろから誄羅にそう声を掛けられる。いたわっているようにも倣岸にも聞こえるが、どちらかというと皮肉の方が大きいだろう。
「どうせ俺が対向席に座ってもお前は俺の隣に座るんだろうな」
「さぁ。貴方は僕の本心を知る唯一の人ですからね。──まぁここは姫様のことを考えて隣にでも座ってあげてください」
全く、こいつには立つ瀬が無いな。
俺は溜息をつくと、姫翠の隣の椅子に身を沈めた。こういう椅子独特のなんともいえないいい匂いがぽふっと広がる。そして、誄羅が俺の対向席に座ると、車が発進した。
「……そういえば、先ほど誘いを述べたとき、貴方は少し躊躇いを見せましたが、何か御用でもあったんですか?」
スタートしてからそう経たないうちに、誄羅が流れる外の景色に目を向けながら言った。動揺に窓の外を眺めていた俺はちらりと誄羅の横顔を眺めてから溜息混じりに言った。
「いんや……姉が居るんだけどな……。そいつがどうも面倒くさがり屋でな」
そこまで言ってから、俺は申し訳なさげに隅に置かれている置時計に目をやった。そろそろ日付が変わろうとしている。
「こんな時間になっても俺に電話掛けてきたもんだからな。最終的には飯を作る能くらいあるだろうってんで放置することにしたんだがな……」
「ふむ。分かりました」
俺が視線を逸らしがちに言うと、誄羅は足を組んで腕を組んで納得し、その先について考えるような体勢になった。嫌な予感がする。
誄羅はその貼り付けたような微笑を更に深め、妖艶に笑うとちょいとおどけたように言った。
「お姉さん思いなんですねぇ」
俺はつとめて眉間に皺を寄せ、誄羅のそのからかうような微笑みを比較的和やかに睥睨した。
「……俺のさっきの説明から、どう勘違いしたらそういう結論を下せるんだ?」
今の言葉がそのままの意味を持っているとは到底思えない。その言葉の発言主がこの誄羅である所以だ。
「言い訳が論理的ではないからです。それに急に視線がソ連の方向を模索し始めましたしね」
ソ連の方向てな。勝手にアレンジしないほうが俺はいいと思うんだが。
「論理的じゃないってどういう……」
そんな些細なことへの突っ込みはさておき、俺は脚を優雅に組んでいる誄羅を凝視する。だが返されたのは、そんな俺の動揺を穏やかに突っぱねる言葉。
「いつもの貴方なら必要最低限のことは喋りますよ。でもさっきの言葉を聞く限り、お姉さんの話題を長引かせたくないような調が含まれてました。その所以の結論です」
「……悪いな、もっと具体的に猿にでも分かるように話してくれ」
「主体となる事柄が述べられていませんでした。面倒くさがりやだからどうしたのか、という一番肝心な部分が抜けてましたよ」
「だ、だからなんだって──」
「分かりました、この話は止めにしましょうか。お姉さんには後で宅配ピザでも手配しておきます」
俺に反論の隙を与えず、誄羅は強引に話を締めくくった。俺は拗ねたように再び視線を窓の外に戻す。相変わらず夜の暗い景色が後ろに向かって飛翔を続けている。
やれやれと安息するついでに、さっき俺が言ったことを反芻してみる。何と言ったか。面倒くさがり云々といったような気がする。だがはっきりとは思い出せない。何故だ?
そういえば、今思い返してみると、適当にはぐらかそうという考えと少しくらいならとかいう考えが両立していたような気がする。その結果あんな水につけた麩の様にふにゃふにゃで何がいいたいかよく分からない説明が出来上がってしまったのだろう。どちらかというと、はぐらかしてもこいつには全部筒抜けになってしまうのではないか、という危惧を重要視しての結論だったのだろう。そうでなければ──俺は変になる。
しかし、宅配ピザなんて随分と懐かしい。というか、懐かしいとかそれ以前に食べた記憶がない。というか、存在を今まで忘れていた。後で取って置くように連絡しておくか。
「そういえば」
そんなちゃっかりとした考えをめぐらせていたとき、誄羅が口を割った。
「その貴方たちを体育倉庫へ誘った手紙ですが、今ありますか?」
「手紙……あぁ、あの──」
助け出されたときに話していたので、知っているのも無理は無い。
俺は制服についている全てのポケットに手を突っ込み、鞄の中もざっと見てみたが、あの厭な雰囲気が漂う忌々しい手紙は見つからなかった。
「回収してきたとき確認したが、柳瀬の鞄の中にも無かったな」
「それでは体育倉庫の中でしょうか」
「んー覚えてないが、多分そうだろうな。まぁ、別にあったところで大して価値はないんじゃないか?物差しで書いてあって筆跡は隠してあったし、ましてや指紋を取る技術をお前が利用できるわけが無いだろうし、万が一持っていたとしても、面倒なだけだろうな。全校の指紋を採取するってんだから」
「──そうですね」
誄羅は納得したように再び窓の外に視線を戻した。
だが、よく考えてみると、手紙、筆箱。手紙には筆箱のありかを記してあったわけで、その姫翠の制服のポケットのなかにある筆箱は現に体育倉庫内、手紙の指示どおりそこにあった。そして、その筆箱は姫翠の鞄の中から一切移動していないというわけで、そこにあるのはおかしいと俺は思ったのだが──
今思い返してみると、おかしいと思っただけの俺の方がおかしかったんじゃないかと思えてきた。どう考えても人為的に筆箱は拉致、監禁されたに決まっている。そんな暇人ともとれる行為をした人間が居るというわけだ。そいつが体育倉庫内にきちんと筆箱を残していたのは意外だったが。
さて、こうして嫌がらせもどきをする奴の総称がちらりと頭に浮かぶであろう。堂々と人の鞄をあさって物を窃盗し、机の中に手紙のようなものを入れる。そんな奴の。
「ストーカー……か?」
誄羅が俺に視線を向けた。その顔にはいつもよりも顔の色を深めた、比較的な真面目な表情が張り付いている。
「やはりそう思いましたか」
「ストーカーと言っても、なんか妄想の激しい奴とはなんか違いそうだな。今回のは嫌がらせを逸して少し犯罪の域に踏み込んでる」
「その揶揄の仕方はどうかと思いますが、所有権を得たいと思っている輩とは質が違うのは確かのようですね」
「お前もその表現は止めた方がいいんじゃないか……?」
「しかし、仮にそうだとしても、目的が不明瞭です。閉じ込めて何がしたかったんでしょうか?本当に嫌がらせ目的でここまで手の込んだことをするでしょうか?下手すれば刑務所に入る羽目になりますよ」
「知るか。そんなの犯人に訊けば良いんだろ」
「おや、見つける気ですか」
「──さぁな」
「まぁ、どちらにしろ、これからは様子を見るほかありませんね。まだ姫様に対する嫌がらせはこれ一件のみですし、すぐにそういう輩の存在を作り上げるのは危険です」
「……全く」
この空間の中で、話の当事者が一番幸せな状態とはどういう因果で出来上がっているんだろうな、この世の中は。
意外と時間が掛かってしまってるので、明日から加速させます。
……スミマセン、毎日更新にします;