第十四話 寛容な抱擁
しーんと静まり返る体育倉庫内。
閉じ込められて早三十分ほど。俺達がアクションを始めるのにそんなに時間は掛からなかったらしい。
「まずはストレートに……」
「ストレートというか、無謀だよね」
お前に言われたかない、という爆弾を危うく吐きかけて、上手く喉のあたりで止める。それは無謀というか、無邪気の表れなのか。
とりあえず、何も策が浮かばなかったので、姫翠が言う通り直球で安直で愚直な案。
その壱。扉を蹴ってみる。
……実を言うと、これにはデメリットだらけである。
まず、絶対に成功しない。反動が痛い。音がうるさい。
更に、万が一成功したとしても、待っているのは戸の修理の請求書だろう。万が一、といっても、一厘ほどの確率である。俺の脚の骨が何回砕けたら開くだろうか。
だがまぁ、出られるのであれば、俺の脚の骨なんて小さな犠牲である。生きて出れればそれでいい。と、根拠の無い理屈で正当な動機を仕立て上げる。
普通に蹴った。右足で。
金属に衝撃が走ったとき特有の鈍い音が体育倉庫内に、ファンサービスだといわんばかりにギンギンと響き渡り、鼓膜をタチの悪い酔っ払い並にビシバシと叩きまくる。無論、戸には傷一つ(くらいはついているだろうが、ここは比喩として)つかない。そして、俺の脚には程よい痛み。何がいいんだかさっぱりだが。
というわけで成果ゼロ。勿論のことだが、ここはがっかりでもしておいてくれ。
「……駄目?」
「物理的に考えて無理だな」
姫翠が訊いてきたのを、俺は溜息混じりにそう返した。姫翠の方も分かりきったような口調なのが身に沁みたのは秘密だ。
方法その壱とか言ったが、それなりにいい策が見当たらない。
というか、策は一応在るのだが、先ほど姫翠が羅列した不可能的要素を確立させるようなものばっかりだ。
「ピッキング試してみよ」
姫翠はどこから仕入れたのか、針金で戸をがちゃがちゃと、弄くっている。南京錠式だから意味がないと言っているのに。
それにこの暗闇である。姫翠が針金から手を離すのにそこまで時間を要さなかった。
「どうしようか……」
「どうしようも何もないな。大人しく待つしかなくなったか……」
姫翠は扉の前に佇み、俺はその隅で座り込んでいる。
どうやら俺達には、助けを素直に待つしかないという選択肢しか残っていないようだ。ここまで状況が悪いと、そういう結論しか出ないのが定石だ。
そんな風に俺が、今すぐここから脱出する可能性を諦めたとき、姫翠が暗がりの中で動いたような気配がした。それから、模索するような様子を見せて、俺の隣までやってきて、座り込んだ。
嬉しい奴がいるもんかね、こんな状況でも。
本当に助けが来るのかどうかも分からない、このさながらホラー映画なシチュエーションだ。隣に美少女が居るからって呑気にドギマギする奴の気が知れない。
──それは俺の了見かも知れないが。少しばかり閉所恐怖症の気が入っているのか。なんだか落着かないのだが。
体育倉庫内は恐ろしいほど静まり返っている。嵐の前の静けさ、と揶揄するだけの余裕が俺には無い。悪い想像は環を成し、次から次へと悪い方面への妄想が膨張していくのである。
いきなり壁を突き破って黒いコートを来た生物兵器が現れるだとか、戸が開いたかと思えばチェーンソーを持った男が現れたりだとか、タラコみたいな頭部を持った宇宙人が現れるだとか。少し影響されすぎだろうか。
「……?」
少し偏屈な空想から視線を逸らし(我に返ったとも言う)、周囲の様子に気を配らせると、隣の様子が少しばかりおかしかった。
おかしい、と直球に言ってしまうのもなんだが、とりあえず、様態が正常ではなかった。
「おい……大丈夫か?」
「ふぁ……ふあ……」
俺の問いに、人語とは形容しがたい独立語で返してきたのは、俺と同じ絶壁に立たされている唯一無二の人物、姫翠。
いつもの活発で快活で元気で明るくて、とかいう稚拙なアクティブ的なあらゆる語句を並べても支え無い様子とは裏腹に、今の姫翠の様子は普段とは全く違った。
まるで病人である。
がくがくと振るえて、嗚咽ともとれる短く突くような息遣い。動揺しているということを、間接的に伝えられる全ての方法を酷使して伝えている様だ。
「おい……真面目に大丈夫か?」
「だ……駄目っぽい……怖い……」
今までに聞いたことのない、か細く弱弱しい声。これはかなり深刻だ。
「お前……閉所恐怖症ってヤツか」
「……何それ……」
「あぁ、悪い。喋るな。とりあえず、落着け」
言わずとも分かる。過去にそういうトラウマを刻み付けられるほどの惨事が起こったのだ。なんだかそういったことを仄めかしていた。その災害とか言う時、「死亡」という烙印が押されたとき、正に閉鎖疎外された空間で一人身を潜めていたのかもしれない。
そう考えると、考えられる全ての脱出手段を全て口頭で否定したのはマズかったかもしれない。無駄に焦燥感と恐怖心を抱かさせるだけだったらしい。その場を誤魔化すおどけだったつもりだったのだが、俺がそういうことをすると決まってこういう結果になるな。
かといって、状況は全く変わらない。というか、時間が経つにつれて深刻に流れていくだけだ。
こういうとき、己の欠点が非常に恨めしい。信頼できる云々言われたのに、何をすることもできない。優勝宣言をした後取り逃した野球監督よりも惨めだ。
「…………で……」
姫翠の口から言葉の片鱗が漏れた。
「……ん?」
「手……」
その一字だけ言うと、唐突に手を握られた。握られた、そう、握られた。一瞬、ギョッとする。
だが、すぐに伝わってきたのは、汗で湿った掌。冷たい手。小刻みに震えている。しかし、力は異常なほどに強かった。俺の手が赤子の様といっても、差し支えは無い。
俺に姫翠が直面している恐怖は全く分からない。理解できない。確かに不安はあるが、それは常人が抱くあたりまえの感情に過ぎない。
どうするんだ、俺。さっきあんな偉そうに、脱出する方法はあるだなんて言っておいて。結局、恐怖に拍車をかける結果になっただけじゃないか。
ここで強く握り返すのか?普通は。温もり云々で恐怖から解消されると?
残念ながら俺の認識はそこまで甘くない。もっと適確で単純で確実な方法があるんじゃないか。
「……なぁ……」
「……?」
握られている手が反応してピクリと動く。
「寝とけ」
「?」
こちらは完全な疑問符。
だってそうだろう。寝てる間に殺されるというのであれば、全く怖くないだろう。それと同じだ。脳が動いていなければ、そういう恐怖とかいう厄介なものを感じなくて済む。
「寝るんだ。そうすりゃ、怖くないだろうし、起きたら助け出されてるかもしれないだろ」
屁理屈じみているが、一応道理は通っているはず。
だが、こんな状況で流暢に寝ることができる奴は居ないだろう。だから、俺は少しばかり乱暴で後味が悪いだろうが、失神させる積もりだったりする。恐怖の余り失神したとでも説明でもつくだろう。
とりあえず、姫翠は否応無しに意識を失うことになるのである。俺の失神術が上手く通用すれば、の話だが。もしも泣いたらどうするかな……。
「……ん……確かにそうかも……」
姫翠がそう呟いた。非常時でもその単調さは失われないらしい。
「あぁ、そうだろ……?」
「……うん」
言い包められた子供の様な応答。
さて、ここでどう説得するか……、と俺が考えようとしたその瞬間。
何かが俺の胸元に飛び込んできた。飛びついてきた。突っ込んできた。どの表現も正しい。とにかく、何か得体の知れぬ何かが俺の懐に侵入してきたのだ。
姫翠だ。そうであると信じたい。もし違って、本当に得体の知れないタラコエイリアンだとか、黒コート生物兵器だとかだったら、俺は心臓ショックで何回死ぬか分かったもんじゃない。
「んー……寝かせて……」
そんな声が間近で聞こえたので、俺は安堵した。だが、その声はさっきまでの弱弱しさが全て演技だったのではないかと訝る余地があるほど、くっきりとしていた。
「寝かせてってお前……」
「んー暖かい……」
無論、俺の予想の裏の裏の裏をかいた凶悪なまでに破壊力のある作戦を実行されたために、俺はそんなしょぼい抗議の声を漏らすことしか出来ない。そんでもって、軽く姫翠に一蹴される。なんだか立場が一気に逆転したような気がする。
「ん……んな早々に寝れるのかよ……」
このまま黙っていると、理性を殺ぎ取られそうなので、あわよくばということで意味の無い言葉を投げかける。
だが。
「…………」
聞こえてくるのは静かな寝息。俺の胸を枕にして、その閉所恐怖症の演技がとっっっても上手いトラブルメーカーは、見事に夢の中に転入できたようだ。
「……」
そして、次に現れるのは静寂。俺を嘲笑し皮肉るような、ハムスターがこの場に来たとしたら、寂しさでぽっくりと逝ってしまうような、そんな気味の悪い沈黙。
演技だと?本当にあれが演技だったのか?だとしたら、さっさとどこかの劇団にでも入ればいい。
万が一、演技で無いとしても、何故俺に抱きついた後にすぐ平静になれたんだ?
……サーっと、戦慄に近い冷たさが背中を這うように通過していった。
気がつけば、掌は姫翠の定期的に動く背中に当てられていた。なんと表現したらいいか分からないが、抱きつかれているような状況に陥っているらしい。
尚悪いことに、どうやら腕力だとか握力だとか全体的な筋力が(体重は関係ないだろうが)無駄に強いらしく、全く身動きが取れない。それに、下手に身動きでもすると、姫翠が起きてしまうかもしれない。というか、起きる。無駄に鋭い奴だから。
結論。
「嵌められた……」
二重監禁といった感じだ。牢獄にぶち込み更に枷で身動きを取れなくするような、アレだ。一体俺はいつの時代の囚人なんだか……ただのしがない高校生だぞ。
なんだか図られたような状況だ。自惚れに聞こえるかもしれないが、姫翠と監禁者が手を組んで、俺を残忍で酷薄で冷酷な手を使ってからかって甚振ろうという、社会的殺人計画なのかもしれない。そうしておいて、この室内の写真でも流失させれば、俺は……登校拒否状態は免れない。
俺は首を振った。そんな訳あるか。そんな狡猾な策を思いつけるはずが無い。考えすぎだ。
動悸が速まるのがありありと分かる。動揺している。かといって、意識して抑制することもできない。汗が垂れてくる。
冷静に状況を分析してしまったから、事実が重く圧し掛かってくるのだ。俺の手の中には、無防備な姫翠が……
寝たい。誰か助けてくれ。
尻と背中から床と壁を介してひしひしと、冷たさが伝わってくる。風邪を引くかもしれない。
「誰か早く着てくれ……」
俺はありったけの思いを乗せて、無慈悲に俺を見つめる漆黒の天井にそう呟いた。
それから何時間経っただろう。意外と、一時間も経って居なかったかもしれない。時間が長く感じるような、そんな悪条件下に置かれていたのだからしょうがない。時間間隔が狂うのは。
相変わらず俺は腕の中に熟睡している姫翠を抱え、来るはずも無い救援と、いずれ来るのだろうが、非常に鈍足な次の日を待っている。何もせずただ憮然としていた。こんな状況下、することができるとしたら、脳内で小さな町を作ってそれをドンドン広げていくという、発展していくにつれて管理が難しくなる妄想ゲームのようなことをするだけ。これがまた難しい。突然、ある土地の一部が消えたり──
突然、硬質な音が響いた。俺の体がビクリと反応する。
音の響いた方を視線を向ける。光が一切入りこまないこの空間で、目を慣らすのは一苦労で、まだ完全に慣れきっていないようだ。闇と闇が互いを溶かし合い、漆黒を更にシフトさせているだけである。
鼠か?と、死亡フラグ的なことを考えながら、油断無くその付近に気配を巡らせる。というよりは、期待の視線をその辺りに注いでいるともいう。
やがて、再びその音が鳴った。ガチャガチャ、とその南京錠を弄くる音。
用務員か?それなら助かる。夜分の見回りご苦労である。
……だが、うちの用務員はここまで几帳面ではないはずだ。ただ単に見回るだけだろうな。
だとしたら……だとしたら……?
今度はハッキリとした戦慄が俺の背中を駆け抜けていった。
いやいやいやいやいやいやいや、それはありえない。オカシイ。変だ。黒いコートの生物兵器だとか、猫目の膝丈までしかないしわくちゃで茶色い変なのだとか、頭に変な袋を被ってチェーンソーを持った奴だとか、タラコ頭のエイリアンだとか、そんなのは映画とかゲームの中にしか出てこない。うん、そりゃそうだ。
だが、そんな事を言って実現している話は良くある。そして、そんなことを言っている大抵の奴が死んでいるような……
ガチャンコ、と今度は外の南京錠が外れたような音が聞こえた。数秒のタイムラグの後、戸がガラガラと焦らすようにゆっくりと開いていく。
そして、そこには懐中電灯を持った、人間の影があった。
その懐中電灯で、パっと顔を照らされて、反射で掌で顔を隠す。逆光で影になり、その人物の顔がよく見えない。
その数瞬後、呆れたような風にその影が言った。
「……本当に居ましたね」
聞き覚えがある声。この声はまさか……
「誄羅か……?」
「そうです。夜分すみませんね。姫様が迷惑をかけたようで……」
誄羅は頷いて、その懐中電灯の光を姫翠に向けた。相変わらず俺にがっちりしがみついて(俺を締め付けて)、熟睡中である。
「……お楽しみだったようで」
それを見た誄羅が皮肉っぽくそう言った。
「ち、違う!勘違いするな!ね、眠いって言うから寝ろって言ってやったらいきなりこうやって──」
俺は慌ててそう弁明を試みるものの、そんなの信じる奴が居るだろうか。というか、信じたとしても、これは──
「……左様ですか」
いや、その口調は信じてないな。信じろ。一部改ざんしてあるとはいえ、一応真実だぞ。まぁ、真実だとしても、虚偽だとしても、この状況からすると、アレなんだがな……。
「と、とりあえず、手を貸してくれないか……」
俺は弁明を諦めて、そう言った。逆光で見えないが、きっと怪訝そうな顔になっているだろう。
「動けないんでな……」
入試十二時間前のUPです。
落ちたらとりあえず更新間隔が延びるので、一人でも多く作者の合格を願ってくれれば……