第十一話 必殺渾身の漢役
「困るなぁ。そんなこと言われたって。こんなにあったって、明日また売るわけにもいかないし、返金だってしなくちゃいけないし……」
あのおっちゃんのセリフが何度も再生されている。忌々しい。
結局、パンの返却はきかないらしく、ほとんどが俺の懐に戻ってきた。はは……どんだけお人よしなんだか、俺。もう俺の家はさながら江戸時代の成金大名の家の様に、食べ物が飽和状態である。全くな……、あの姉貴は伝があるのはいいが、もう少し融通を利かせてほしいところである。総カロリー一万超えるんじゃないかと俺は思う。……このパンだけで。
さて、今はパン云々でどうこう言っている暇は無い。パンの山は既に片付けられ(家に置いてきた)俺の手元には(今は)無い。
俺が立っているのは、学校からそう遠くないコンビニのゴミ箱の前。そう遠くないといっても、二十分ほど掛かるけどな。早歩きでな。
こんなところで何をしているか、なんてのは愚問である。
何故なら答えなんて無いから。俺は何もしていない。ただ突っ立っているだけ。
いや、理屈の上で言うと、待っているという現在進行形の立派な日本語があるわけなのだが、この「待つ」という行動の目的がちょいと不純なのである。目的を聞けば、誰だって俺がそんな屁理屈をごねたくなる気持ちも分かるだろうよ。
いやな、姫翠がとうとう告白するんだとさ。
場所は何故かこのコンビニの裏。お相手はご存知誄羅である。
──ぶっちゃけて言えば、俺が屁理屈をごねたのは単なる嫉妬である。単に僻んでいるだけ。未だに俺にもこんな幼稚で単調で稚拙で卑猥な感情が存在するとは、全く思っていなかった。
だが、是非とも姫翠の告白は成功して欲しいと願う節があるのも確か。というか、その感情が大半である。屁理屈は単なる一部のグレた思考を担当する脳細胞が勝手にはじき出した戯言なのである。
しかし、コンビニの裏というなんとも言えない場所の選択だな、と思った奴もいるだろう。
だが俺は思う。問題は場所ではなく、タイミングだ、とな。
これはかなり高度な技術を要するが、一緒に帰路についている間に通る場所の中で、その爆弾発言をするタイミングというか目安となる場所を予め決めておき、それまでの道のりを計算し、上手く口車に乗せていくという、テストで精神状態ガタガタになったお嬢様が到底思いつくとは思えない、狡い上に自己破滅に繋がるような策である。
何故かホームルームが終了した途端に、俺の傍までてこてこと寄ってきて、この作戦の概要を話されたのだ。行動がいまいち不可解である。俺に話したところで、俺はなんの力にもなれないし、俺がしゃしゃり出てくる場所でもない。二人の世界である。
だが、何でも俺には役割があるらしい。
何故、コンビニの後ろというポジションでの告白を計画したかというと。ミスした時のためらしい。
つまり、姫翠がそこを通過した時点で、遂に告白できずじまいになってしまった。
そこで黒魔法。
「あ、ごめん、そこのコンビニで買いたいものがあるから、先に帰っててっ!」
命中率は七十%ほどだろうか。先に帰っててのところで、「何ならご一緒に」といわれる可能性があるらしい。俺は知ったこっちゃないが。
だが、知ったこっちゃないという理屈は通用しないらしい。世の中不条理だ。
そこからの当事者は俺になるらしい。
何でも、零れた己を受け止めて慰めて欲しいとか。
……断れるか?なぁ。
健気にも失敗したときの対策まで立ててあるお嬢さんの、精一杯考えたのであろう健気でいじらしい告白大作戦を俺の一蹴で壊せというのか?小卒だろうが、原始の生活をしていたとか、そんな過去があろうと、今を精一杯生きて、そのハードルを越えようとする彼女の目の前に障害物を置くような、残忍な真似できるだろうか。俺には無理だ。
というわけで、スタンバイしている次第である。笑うなら笑うがいい。それで気がすむのであれば。
しかし……完璧な成り行きで、前述したようなしょうもない言い分も何も無く、彼女の瞳に気圧されてそのまま流れでOKしてしまったのだが、今まとめてみるとそういう理屈になっただけである。
そんでもってよく考えてみれば、俺は失敗したときの受容体である。言い換えれば成功してしまえば、俺がここでスタンバイしていることは、夏炉冬扇なのである。綱渡りの挑戦者の下に敷かれたクッションのようなものなのである。万が一、落ちてきても受け止めることができるが、その挑戦者が屈強な奴だったら、何度も成功するまで失敗しいつかは成功するのだ。そうなると、俺はもう不要になってしまう。ん、俺って意外とネガティブな奴なんだな。
しかし、姫翠からの連絡が無いのが何より辛い。いつ通りかかるのかどうかも分からない。知らされていない。様子を下手に見に行けば、姫翠の作戦がおじゃんになってしまうかもしれない。
……つまり、最悪夜中までここで待ちつづけなければならないのだ。なんて貧乏くじを引いたんだろうか、俺は。
しかし、暇である。煙草でもあればカッコがつくのであろうが、生憎と俺は健全で善良な奴だから、そんな法に背くようなことをする気も金も無い。
とにかく暇だ。部活を休んでまでしてきたのだから、こんなところ見られたらと思うと……
ん、ずっと言うのを忘れていたが、俺はきちんと部活に入っている。黒傘の乱の時は、結局全部活緊急中止だったから、無かったのは無論である。とりあえず、暇つぶしに説明させてもらう。
入っているのは、将棋部である。一週間に月水金と活動する。
特に趣味を持ち合わせていなかった俺は、志木に誘われて将棋部に入部した。ちなみに、将棋部と掲げている割にその実体は、ボードゲームで遊んでいることの多い部活である。まぁ、それでも大会前とかは真面目に皆やってたりする。
俺は、将棋に関してはド素人で、寧ろ人生ゲームやら魚雷ゲームだとかモノポリーといった、ボードゲームに関しては部長を凌駕している。……との評価である。
確かに、俺には無駄に運がついているような気がする。モノポリーに関しては、一回征服したこともあったな。
だがまぁ、将棋だとかオセロだとか囲碁だとか五目ならべといった戦略系遊戯が苦手なのは言うまでもない。恐らくというか、絶対俺が部で一番弱い。なんせ勝った記憶がない。最近では新入部員の自信を誘うための雑魚として、わざわざ仮入部者と勝負をしてやり、(決してわざとではないが)負けてやるのである。
……だが、今日はそんな大事な役であるのに関わらず、缶ジュース二本で脱走してきたわけである。これをお人よしと呼ばずして何と呼ぶか。大方、馬鹿とでも呼ぶのかもしれないが。
にしても暇だ。週刊誌でも立ち読みしたい気分だが、このコンビニは既に雑誌類にビニールを被せる政策に切り替えたらしい。というわけで、立ち読み不可。全く、資源の無駄遣いだな。
さてさて、それからいくらほど待っただろうか。もうちょい詳細に打ち合わせをしておけばよかった、と後悔の念が沸いてきたとき。一時間ほどか?
もはや、暇つぶしの一環として通り過ぎる車の色を数えるほかすることがなくなった俺だったが、姫翠がコンビニの死角から現れた時、この暇な時間が過ぎるのを漠然として過ごす時が終了を告げたのを喜べばよかったのか、姫翠の作戦が失敗に終わった(そのための俺だが)のを、哀れめばよかったのか分からなく、結局間を取って無反応となった。
「よ、よぅ……どうだった……?」
一応、失敗という事実があるので、俺はそう訊ねてみる。なんだか、作家志望の奴が新人賞に投稿して、その結果を知りながら訊ねるような気分で、なんとも心に染みを残すような感じである。
しかし、そんな俺の心境とは裏腹に、姫翠は何故だか晴れ晴れとした表情をしていた。見方を変えれば、開き直って壊れてしまった人にも見えなくもない。
「うん、良かったよ」
「……………ん?」
なんだこの虚脱感は。思いっきり肩透かしを喰らったような感じだ。分かるか?
「私がここで買い物をしていくって言っても、あっさりと許可してくれたのっ」
「……はぁ?お前……」
訳がわからん。当初聞かされていた話ととんでもない食い違いが生じているようだが。しかもそのセリフ、不倫してる奴が愛人に言うようなセリフにしか聞こえないんだが。
「こ、告白はどうしたんだよ、告白はっ!」
衆人環視の中、こんなことを大真面目に言うのはちょいと俺の中では御法度だったが、そんな建前の羞恥は捨てて、そう訊ねた。
すると、姫翠は顔を赤らめて視線を落とした。
「うん……駄目だった」
の割にはすんごく嬉しそうだったな。そんな俺と密会もどきをするのが嬉しかったのか?
「で、で、でもねっ!私がここに寄って行くから先帰ってて、て言っても、理由も聞かずに『いいですよ。五時までには帰ってきてくださいね』って言ってくれたのっ!」
「……嬉しそうだった理由はそれか?」
屈託なく頷く姫翠。
意味が良くわからんな。つか、その門限指定している時点で、絶対バレてるだろうな、少なくとも誰かと会うという概要だけは。……姫翠のことを疑いたくはないが、恐らくあいつの推察力なら、姫翠の僅かな変化だけで分かるんだろうな。
「やれやれ……お前も面白い奴だよな……」
聞こえないようにそう呟く。姫翠は首を傾けクエスチョンマークを側頭部の付近に出している。
「そんで、どうすんだ」
俺はその場を繕うように言った。このまま慰めの宴会でもやったりすんのか。まぁきっとテンションは成功時並であろうが、二人でやるという点がなんとも哀愁を誘うというか……。
「うーん、どうしようか。帰る?」
結局そういう展開になるのか。別に変なことを期待したわけでは決してないが、だが……うん……あぁ……はぁ……うん……泣くもんか。元々、存在しないモノなんだからな……。
「あぁ、そうするか」
だがそんな脆い内情を見せるはずもなく、軽く同意を示す。
無論、そんな内情なんて知る能力を持っている筈もない姫翠は、気づいた風も無くきゃははと煌びやかな笑みを浮かべながら、先導を歩き始める。しかし、買い物をしてくる云々と言い訳したのに、すぐ帰って不審がられないだろうか。
「大丈夫大丈夫。そういうところ疎いから誄羅は」
「……そうか」
疎いわけがあるわけがないが、なんだか面倒になりそうなので黙っておくことにしておく。
とぼとぼと歩く俺と、のほほんと歩く姫翠。全く、なんで俺がこんな落ち込まなけりゃならんのだ。落ち込むのは姫翠であって、俺はそれを受け止める役だろうが。
「なぁ……」
そういえば、誄羅が言っていたことをようやく今思い出して、まぁそれなりに機会だったので訊いて見ることした。単なる気晴らしだが、まぁ咎められることでもあるまい。
「なぁに?」
姫翠が振り向く。だが足は止まらずに、後ろ歩きという形になる。危なっかしい。
「昨日か一昨日辺りに誄羅と会ったんだけどな、お前が言ってた『アピール』なるものがどんなのかきになったから、あいつにお前が家でどんな風に過ごしてるか訊いてみたんだが……あれは『アピール』なのか?」
「……どれのこと? 私結構オンラインでアピールはしてるからどれのことだかわかんなくって」
姫翠が困ったようにそう返してくる。……オンラインでアピールって何だ?
「ん……そうだな……手を突然繋ぐだとか」
「うん。なんかビックリしてたみたいだったけど、ちゃんと握ってくれたよ」
俺が勝手に付け加えた副詞について全く触れず、姫翠は何の屈託もなくそう言う。
「そんじゃ、添い寝するとかいうのもか?」
「添い寝? うん。一緒に寝ようって誘ったけど断られちゃって。後でこっそり誄羅が寝てる布団にこっそりもぐりこんだけどばれちゃった」
布団なのか。ベッドとかじゃなくて。意外だ。
「んじゃ、一緒に風呂に入らないかとかいうのもか?」
「うん。 だって言うじゃん、背中を洗いあうことによって漢のなんたらって聞いたから……。でも結局、断られちゃった」
誄羅が男だとかそれ以前に、こいつ女だという自覚が無いのかもしれないな。もしかすると。明るくて真の無垢で明瞭な性格なのは良いところだが、無邪気すぎて大切な何かが欠落しているみたいだ。付き合い始めたら、付き合い始めたで誄羅も大変そうだな。
「後は同じコップを使って飲み物を飲むとか、同じ歯ブラシを使うとか……」
考えるように視線を上にスライドさせて、そんな風に自分の攻撃手段を羅列する姫翠だが……何かが違うどころの騒ぎじゃない。どこのラブラブなカップルでもそんなことはしない。確かにこれなら奴も苦悩するのは必須だろう。
「な、なぁ……それは絶対にやりすぎだ」
「え?そうかなぁ……」
俺がそう言っても、分からないというに眉をハの字にする。
「んー……じゃあ何したら喜ぶと思う?」
そんなことまで訊いてくる。はっきり言って、俺には何とも言い難い。そんな深い付き合いがある奴は居ないし、…………いや居ることは居るが、あんなん当てにならん。俺は誄羅じゃ無いし、そんな免役ができるほどこいつと一緒に居るわけでもない。今、こんな状況になっていても、心の奥底どこかで嬉しがっている節もある。不肖にも。
というわけで、何の参考にもならない俺に訊くな、という結論が出た。
「さぁな……俺はあいつじゃないし。まぁ単純に考えれば、そういう直球に誘うんじゃなくて、ちょっと回りくどく喜ぶんじゃないかと思われることをすればいいんじゃないか?」
「……なぁに?それ」
「……」
なんだか、こいつに感化されすぎて、常人の発想ができなくなってきたようだ。思いつかん。
「……とりあえず、アピールがすべて無反応ならさ、一旦するのを止めて様子を見るのはどうだ」
「んー……様子を見るって?」
「……よく観察するんだよ。何が好きそうで何をされると嬉しがるか、そういうことが分かるまでな。部屋に不法侵入しろまではいかないが、それでそこそこ分かるんじゃないか?」
自分で言ってて、そんなことムチャだろうということは分かっていたが、何故か姫翠は道を塞いでいた穴が塞がった旅人のような喜んだ顔を見せた。
「なるほどーっ! やっぱりすごいねー。分かった、やってみるよ」
俺は溜息をついた。──誄羅、お前がどうして惚れたのかよく分からん。まぁ、俺が言える立場ではないが。
だがまぁ、そんな稚拙な提案でもこうして喜んでくれるのであれば、俺だって感無量である。はしゃぎ始める姫翠を見て、なんとなく成長する我が子を見つめる親のような気分に浸る。
そこで、俺達は僅かな坂道に差し掛かった。
さっきからそうだったように、彼女は後ろ向きで俺と話していたわけだったのだが、今更になって、俺が不安していた事態が実現した。
「きゃっ……」
姫翠が、緩やかな勾配によって生まれた高低差に足を取られたらしい。すってーん、としりもちをつくようにこけた。
「おい大丈夫か……?」
「ううぅん……だ、大丈夫。ごめんね」
全く痛くなさそうに、俺に向かって笑いかける。まぁ、そこまでスピードに乗って転倒したわけでもないので、怪我もなさそうだ。こうなるなら、もうちょい早めに嗜めておいた方が良かったな。
「あ、ありがとう」
そんな風に考えていると、姫翠がそう言った。
──何でこのタイミングで礼なんて言うんだ?
そんな疑問文が脳裏に浮かんだ刹那、右手になにやらやんわりとした温もりが潜りこんできた。
姫翠の手が俺の手を取ってきたらしい。
そのまま体重が右手にかかり、俺を引っ張るようにして重力に逆らい姫翠が立ち上がった。
俺は無意識のうちに右手を見やる。どうやら無意識のうちに手を差し出していたらしい。黒傘の乱の時に一度だけ握られたと思うが、なんだか今日はそれとはまた違って新鮮な感じがした。
しかし、こんな状況で本能的にカッコイイところを見せようとする俺が哀れに感じてならない。
「制服破れてないか?」
ぱんぱんと制服を叩いて、埃を落としている姫翠にそう声を掛ける。別に現実逃避しようとかそういうわけでもないが。
「うん、大丈夫。ありがとう」
今度は真正面から笑みと礼のダブルショットを喰らい、また正気を失いかけるが、どうにか理性で押し留めて言葉を紡ぐ。
「べ、別に俺はそんな気は無かったんだがな……」
自然とついと視線が逸れる。全く、意味が分からんな。何が言いたいのかも分からん。動揺していることは分かるんだが。
……途中で別れるまでまた姫翠が転ぶことは無かったのは幸いである。またあんな醜態を晒さないで済んだのでとりあえず安堵。
別れ際のあの親指を突き立てる動作の意図がよく分からなかったが、とりあえずどこかの陽気なアメリカンの別れ際の挨拶代わりのアクションとして、受容しておこうかと思う。
「あさってからバイト行くことになったよ〜」
と、家に帰れば妙にテンションの高い美里が居るわけで、何とも気の休まる機会が無い。
「へぇ……バイトね……良かったな……」
……だが不肖にも俺はそんな風に言うことしか出来ない。
何故か美里はその暴力的に長い髪を、赤いリボンでツインテールにしているのだ。どうやら、美里の精一杯のおしゃれというか、晴れ姿らしい。晴れ姿の用途が違うが、そこはご愛嬌。
「ふふん……これいいでしょう。ちっちゃいころの奴が残ってたからさ……」
俺の視線の意図に気づいたか、その結び目辺りを突っつき始める美里。
嘆息が止まらない。だが、とりあえずこいつが働き始めたのは大きい。少しはこの家も安定するだろう。あの二人が帰ってくるかは不明だが、とりあえずどんな形で帰ってくるとしても、その頃にはまだこの家は存在しているであろう。
俺はそんなことを考えながら、冷蔵庫を開く。心なしか、皿の数が増えているような気がしたが、どうせ気のせいだろう。
振り返ってみると、美里がギクリとした風に体を硬直させた。
だらだら続くように見えますが、意外とこっから佳境にのめりこんでいきます。
……急展開過ぎるような気がしますが。