第九話 デレデレと一定間隔
「あぁ、呼ばれた」
本当に重要で、結構時間が掛かるんじゃないか、と踏んだ俺はそさくさと追加のフライドポテトを注文。かりかりと噛み砕きながら、そう言った。
それを聞いた誄羅は眉を寄せた。
「どんな話を?」
俺も眉を寄せた。
「できるはずが無いだろう。柳瀬も口外して欲しくないって言ってたしな」
コーヒーを一口啜る。
客が居ない事が示唆するように、コーヒーもポテトも大した味ではない。これくらいなら、スーパーで買ったインスタントや、冷凍食品の方が安いし早い。因果な世の中である。
「そうですか……」
誄羅は露骨に残念そうに肩を竦めて、コーヒーを啜った。
それから、沈黙。俺は困惑せざるを得ない。こんな状況、最近あったような気がする。本当に最近。気のせいだろうか。気のせいならいいのだが……。
「もしかして」
誄羅が口を開いた。さっきよりも少しばかり重い口調。思わず腹の底に力が入る。鋭く真摯な視線が痛いように突き刺さる。
「姫様が貴方に告白したとか?」
危うく噴出しそうになった。馬鹿馬鹿しいにも程がある。意外と、こいつの価値観には問題があるのかもしれない。何せ、姫翠のアタックにも気づかなかったやつだからな……。
「そんな訳無いだろう……どう考えても不釣合いだぞ。ちょっと軽率な考えだったんじゃないか?」
俺は深く椅子に座りなおして、そう言った。
「浅慮でその様な結論を下した訳じゃ有りませんよ。きちんと根拠……というか、推察して導き出した回答です」
誄羅は別に動じることも無く続けた。
だが、すっと一旦口を紡ぐと、もう一度口を開く。
「……姫翠から聞きましたか?」
「何を?」
「我々がここに至るまでの経緯ですよ」
「あぁ……山に篭ってたとか……」
誄羅は頷いた。
「ならいいです。話を続けます。存知のとおり、我々は幼い頃からずっと山に囲まれた田舎で過ごしてきました。そして、そう歳を積む前に彼女は私と二人きりで山に篭るという状況に陥ったわけです。正確には、師匠を含めて三人ですが」
出た、師匠。謎の超人。小卒すらしていない二人の孤児を高校に中途入学させるという暴挙を、五年ぶりに都会に出て一年以内に行った謎の男、師匠。
更に、こいつに「恋愛」というものを説かれた姫翠が、今この目の前にいる奴に恋心を抱いているのだ。どういう人間か、会ってみたいな。
「それから六年間ずっと、疎遠された空間で我々は過ごしていたのです。生きるに不便はありませんでしたが、人間としてのコミュニケーションの技能は大分損失してしまっていました。そんな我々が、突然都会に送り出された。そして、夢にも見た学校へ再び通わせてくれる、と言います。そんなとき、我々がどんな心境だか分かりますかね」
「……大方な」
「不安です。人見知りの壁は、我々にとって大きいのです。師匠から教わったことがありますが、自分が生きるために平気で人を騙したり殺めたりする人も居るらしいです。でも、我々は人間というものを知らない。いつどう転げ落ちてもおかしくない恐怖と常に我々は戦っているのです。でも、そんな誰を信じればいいのか分からない状況下、姫翠は貴方に好感を持った。檻から解放されてすぐ、ですよ?いくら直感云々と言えど、心理学的に常識を逸脱しています」
そんな疎外されていた空間にいたくせに、そんな多様な語彙を習得しているお前の方がよっぽど常識を逸脱していると思うんだが。
「だから、そういう結論に行き着いた、と」
「そのとおりです」
流石のこいつも、全くの逆で、姫翠がこいつのことが好きだなんて、予想もつかない訳か。
いくら彼女の本心を知っているとはいえ、今ここで俺が彼女の気持ちを吐露するなんて野暮なことをする筈が無い。あいつの気持ちはあいつ自身が告げるべきだろう。俺が出てくる幕なんて元々用意されてないんだ。せめて、こいつらを冷やすための冷水になれれば、と思う。
「だが、それは違う。俺は告白されていない」
というか、そんな感情の欠片も見せられなかったぞ。それはそれでショックなんだが。
だが、誄羅にそんな否定の言葉を鵜呑みにしている様子は見られない。面白そうに顔を綻ばせてコーヒーを棒でかきまわしている。
「結果がどうであろうと、貴方はそう言うと思いましたよ。告白されていようとね」
僻んでるのか?だったら、そんな回りくどい真似はやめてほしいのだが。
「なんでそうなる」
「社会的名声の保守というやつですか。今の周囲の眼差しというのは大分キツいらしいですからね」
今と限らず昔も大分キツかったと思うのだが……。
「別に隠すことはありませんよ。僕は口外なんてはしたない真似はしませんし」
「何も隠しちゃいない。勘弁してくれ。何でそう執拗に絡んでくるんだ?」
「よくよく考えてみると、そうでなければ説明はつかないことに気づいたからですよ」
「ほぅ……」
「ちょいと我々の秘密の開封が早すぎるんですよね。本来なら生涯明かさないという約束になってましたからね」
「な……」
そんな馬鹿な。あいつ、カレーの作り方を弟子に教える自称料理人みたいにすらすらと喋ってたぞ。そんな重い約束があるのなら、もう少し慎重になっていたはずなのだが……。
「まぁ所詮口約束ですがね。師匠の戒めですから、そう易々と破るとは思っていなかったもので」
ずずっ、とコーヒーを一口啜る。
「んで……話はそんだけか?」
「分かりましたよ。信じますから。話を聞いてもらえますか」
俺が半眼でそう言うと、誄羅は困ったように苦笑した。
「話というのは単純です。まぁ貴方の言ったことが正しいという前提があれば、の話ですが」
……どういうことだ?俺の言ったことが正しい?
まさか。一瞬間の悪い想像が脳裏をよぎる。まさか、そんな、な……都合の良いことが……。
「焦らすのもなんですし言ってしまいましょう。相談です。それも、姫様が心を許した貴方にだけにできる相談です。利用するのに僕も少し抵抗を感じますが、ここはどうか勘弁を」
俺はテーブルに肘をつき、掌に顎を載せた。いわゆる、頬づきだが、興味が無いのではなく、俺の場合は興味の矛先がそちらに向いたことを示している。
「続けてくれ」
「……単純な話です。お察しのとおり、僕は姫様の事が好きです」
やはり察しのとおり、お察しされていたか。ホントにこいつは抜け目が無い。
「……そんで俺に何の相談を?」
整理してみると、かなり単純な図式になる。姫翠と誄羅は、互いを異なる目を使って見ていて、そして互い共その視線に気づかないだけ。交差ではなく、すれ違い。
「まだ出逢ってかようやく二十四時間が経過してところですよね。知り合っても間もない。それでも貴方は姫様の言葉を信じた。何故ですか?」
「何故か……って言われてもな……」
状況が状況だし、雰囲気が雰囲気だったし、人間としてのセンスが問われてたし。あそこまでしておいて嘘を吹き込むほど暇なやつじゃないだろうし。それ以外に理由なんてありはしない。
「そういう所を姫様が買ったのだと思います。それなら僕も同調させてもらおうと思いまして」
「へぇ……」
いまいちその理屈が理解できない。何故俺なのか、という根本的な謎に結局俺が悩まされるだけじゃないか。「親しみ易い」なんて俺に言ったのお前らだけだし。俺にそんな恵まれた人柄があるとは思えないのだが。
「なんといいますかね。かれこれ十三年程度の付き合いで感覚が鈍ってしまったのでしょうか、姫様の僕に対する態度が馴れ合い的な意味で一線を画してしまったようにならないんですよ。いわゆる血縁者といった感じでしょうかね。客観的には家族と揶揄されてもおかしくないような生活をしてきましたがね、実際にはただの幼馴染ですよ。独立してるんです。だから僕が特別な感情を抱いてしまっても仕方が無いんです。それはご理解いただけますね?」
「……なんとかな」
「だけど姫様の場合はそうでもないんです。完全に同化している、居て当然と思っているみたいなんです。僕を「誄羅」という一人の男ではなく、友達としてみているんです。何をするのにも、一瞬の躊躇いを見せないんです。会話をするのはもちろん、手を繋ぐのにしても、ましてや寝床を共にするまでも。さも当然と言わんばかりです」
それはそれで羨ましいと思うんだが。
「昨日の件に関してはどう言ったらいいものか……。共に入浴をしないかと誘われまして……」
そりゃぁ酷いな。何か大事なものが欠如しているようでならない。
……もしや姫翠のアピールなる行為はもしやそれの事なのか? この誄羅の口調からして恐らく断ったのであろうが、それで嫌われたのかと塞ぎこんで俺にあの『告白』をしたわけなのか?
そうだとすれば、結構解決が大変になりそうだ。両者の「恋愛」というイメージの誤差を修正させなければならない。どうやら、姫翠には両者デレデレとしたイメージが、誄羅には互いの気持ちを尊重したハードなイメージがこびり付いているようだ。ちなみに解決とは、二人の仲が比翼連理の模範になることである。
そんでもって、そんな澱粉をそのまま腸に運び込むくらい難易度の高い仲裁を、そんなロマンチック系統の恋愛を見たこともしたことも読んだこともない俺に託されたというわけか。そんなこと頼まれた記憶はないが、恐らくそういう展開だろう、これは。
「んで……お前はどうして欲しいわけなんだ?他所他所しくしてほしいのか?」
「そういうわけでもないです。あの行動の真意を知りたいだけです。姫様はどう僕のことを考えているのかが知りたい、という訳です」
「へぇ……」
分かった。解決方法が。
単純に姫翠が告白してしまえばいいのだ。この誄羅の言葉が真実であれば、全てがまぁるく収まるのだ。そうすれば、俺への妙な疑惑も解けるし、一石二鳥である。まぁ、こいつらのマークは外れないだろうが。恐らく卒業するまで。
「そんで……それを俺に話してどうするんだ?」
「別に貴方に諜報をしてほしいとかそういうわけじゃありません。ただ聞いて欲しかっただけです」
「は?」
そう言うと、誄羅は立ち上がった。椅子が甲高い音を立てて後方にずれる。
「どう享受すればいいか分からない話をしてしまってすみませんでした。頼みごとといいましたが、それはただの口実です。ただ聞いて欲しかっただけです」
「……そうなのか」
「えぇ、お陰さまでだいぶ気が楽になりました。あと、今話した内容は忘れてくれても結構です。それでは」
そう言って、誄羅は去っていった。
残された俺は呆然とするばかり。どうしろというんだ、この状況下で。
……とりあえずまちまちと混んで来たことだし、帰るとするか。
家まであともうちょいというところで、俺は意外な人物と会う羽目となる。
そこを曲がればマイハウスという所の角で、誰かが誰かを待つかのように民家の塀に凭れている。
一応暗がりだが、俺には一瞥しただけで誰だか確認できてしまった。
大平である。
何故今日はこんなにお客さんが多いのかね。今日だけで三人目だ。今日は何かのラッキーデイなのか?だとしたら俺も訪問しなくちゃな。
「近藤……」
スルーは無理。あっさりと呼び止められる俺。
「何だよおまえ……こんな時間に……」
俺はげんなりとして大平を見やる。
ん、なんだかこいつやつれたような気がする。昨日見たときよりは大分げっそりとしている。周囲が少々暗いのが影響しているのかもしれないが、顔も少しばかり青い。制服の乱れは相変わらずだが。
「俺な、さっき告白って来たんだ……柳瀬に。学校帰りを捕まえて」
「し、仕事が速いな……そんで……?」
愚問だと承知の上での質問である。この様態を見て、誰が成功したと思うものか。
「怖がられて、挙句に好きな人がいるから云々とか言って逃げられちまった……」
んー、成る程な。恐喝されたとでも思ったんだろうな。きっと。見た目が怖いからな、こいつ。本気になると見た目以上に怖そうだが。
「そりゃ残念だったな……」
というか、時期尚早にも程があるんじゃないか……。お前、知って二日目でダイレクトに突っ込むか、普通。一目惚れというのは、俺が考えてるスケールとは大分違うらしい。
「──というわけだから」
「いぇっ!?」
唐突に、大平にガッと両手で包み込むように手を握られた。甲にあたる大平の掌は見た目通り固いが妙に冷たく、正に岩の如く。このままちょいと力を加えれば、俺の手なんてのは生物部の部室に飾ってある標本と同類項になってしまいそうだ。
大平はぐいと俺を真正面から睨むと──本人はただ見ているだけなんだろうが、言った。
「柳瀬を幸せにしてやってくれ!」
「はぁぁっ!?」
なんか誤解で俺の人生潰れそうなんだが。
「柳瀬が近藤を呼び出したのは知ってるんだ。もうパソ部の例のトコにも幾つかそういう書き込みがある。もう皆知ってるんだ。だから、幸せになってくれ」
「パソ部……」
何で第三者の俺が張本人となって翻弄されてるんだ?一石二鳥とかそういう次元の話じゃない。早急に手を打たないと、件のすれ違いを解決させたときの俺への視線が一気に侮蔑へと変貌を遂げるであろう。既に手遅れなのかもしれない。
『見事に振られた近藤少年(十六)』『盛り上げたくせにこの始末か』『ざまぁ』『考えてみればそうだったかもねぇ〜』『マジざまぁ』『次は俺の番……』等等と余裕で予想がついてしまう。
「俺が言いたかったことはそれだけだっ。じゃあなっ!」
俺がトンデモ未来創造図を悪循環させている間に、大平はそんな風に軽く言って走っていってしまった。
既に夜になり始めている、静かな住宅街。街灯に照らされて、独り佇む俺。できることなら夢であって欲しい。いい意味でも……悪い意味でも。
「お帰りなさい〜」
半分魂を抜かれた状態で家に帰ると、そんな風にとろんとした声が聞こえてきた。その数瞬後に、にゅっと美里が顔を出す。初めて見るエプロン姿に、片手にはお玉が握られていて、すっかり主婦モードに入っている。
「ん、メシ作ってんのか」
その姿と、微かに漂う匂いをキャッチして俺はそう訊ねると、美里はにっと笑う。
「うん。掃除もしておいてあげたよ」
「うぉっ、マジかよ。さんきゅっ」
とんでもなくありがたい。あの学校での惨事を家で再現される危険性は大分減った。それだけでも満足だというのに、飯まで作ってくれるという豪放。予想に反していただけあり、喜びもまた絶大である。
「お風呂も沸いてるよ。久しぶりに一緒に入ろっか?」
「タイムスリップができるのなら考えてやってもいい」
問題発言をそうやって斬り捨てて、何やら上手そうな匂いがする居間に向かう。
──そして絶句。
料理はあることはあったのだが、量がおかしい。
所狭しとテーブルの上に色々とおかずが並べられており、挙句には入りきらなかったのか床にまで置いてある。しかも、一つ一つの皿に載っている量が二人分の量じゃない。四人分はありそうだ。そんな皿が一、ニ、三、四、五…………十三? どうりで匂いに関して、上手そうな、という抽象的な感想しかもてなかったわけだ……。
「真治が帰ってくるの遅かったから一杯作っちゃったよ〜。さぁどんどん食べてね〜」
しかも、今朝確認した五つの茶色い袋が一つ消えていた。
「……どうしたの?」
呆然とその光景を見つめる俺の心境が本当に分からないのか、美里は首を傾げた。本当にこいつは人間として大事な何かが欠如している。
「……これ、何食分?」
「……やっぱり食べきれないかな」
ここまでできるんだったら家事全部やらせてみようか、なんて野暮な考えを俺は全て叩き潰した。
この辺りになんか重大な欠陥がありそうな気がしてなりませんが……とりあえず……です。
後々矛盾が生じてきたら、報告お願します><