世界地図
ナタリアが開いたドアからスタスタと入っていく。朧は慌ててナタリアの後ろに着いて行った。
ギルドの中にはほとんど人がおらず、正面のカウンターに活発そうな感じの赤い髪の女性とほんわかした雰囲気のブロンドの髪の女性が、酒場のような場所にグラスを磨いている白髪をオールバックにした壮年の男性が居るくらいである。
カウンターに座っている女性二人はナタリアの後ろに居る朧には気づいていないようだが、男性の方は気づいたのかグラスを磨く手は止めずに興味深げな視線を向けている。
朧はその視線に少しの気恥ずかしさと若干の不安を覚え、ナタリアとの距離を縮め彼女の服の裾を掴んだ。
「ナタリアさん!お帰りなさい」
すると活発そうな方の女性がナタリアに声を掛けてきた。
「ああ、ただいまサーシャ。ちゃんと仕事してたか?」
「もちろんですよ!」
サーシャと呼ばれた女性は慎ましやかな胸を張ってそう言う。すると隣に座っていた女性が半目でサーシャを見ながらつっこみを入れる。
「あら?さっき、暇だーとか言ってカウンターに突っ伏してた気がするけど?」
「ちょ!?先輩!それ言っちゃダメですって!」
「全く…相変わらずだなお前は」
自分の痴態を暴露されて動揺するサーシャを見てナタリアは呆れたような嬉しいような表情をする。
三人が楽しげに話していると、先輩と呼ばれていた方の女性が丁度ナタリアの後ろから顔を覗かせた朧と目が合った。
「ナタリア?その子は…誰との子?」
女性はいきなり爆弾を投下してきた。これには朧はもちろん、ナタリアも言葉を失う。サーシャに至っては信じられないものを見たかのように目を見開いている。女性によって生み出された数瞬の沈黙を、最初に破ったのはサーシャだった。
「な、な、な、ナタリアさんのこどもぉ!?」
「そんな訳あるかぁ!!」
二人が慌てふためく様子を、女性は楽しそうに眺めていた。
「それで?結局その子はどこの子なの?」
涼しい顔をしてナタリアにそう訪ねる女性。ナタリアは女性に抗議の目を向けるが彼女が気にする様子は無い。諦めたのか溜息をついたナタリアは、二人に説明を始める。ちなみに森の件はここでも省略されていた。
「なるほど、それは災難だったわね。それで、帰る方法を調べたいのね?」
「は、はい!」
「ならまずは地図が要るわね。サーシャ、資料室にあるはずだから取ってきてくれる?」
「はーい」
そう言ってサーシャはカウンターの後ろにある部屋に入っていく。これでなんとかなりそうだと胸を撫で下ろすと、女性が声をかけてきた。
「そう言えば自己紹介がまだだったわね、私はクレア、このギルドの受付をしているわ」
「わ、私はオボロです!宜しくお願いします」
「ええ、宜しくね」
クレアは自己紹介が終わった後もこちらを見つめているので、不思議に思った朧は首をこてんと傾げる。するとクレアは一瞬にやけた表情を浮かべたが、すぐさま引き締めて申し訳なさそうに話し始める。
「ちょっとナタリアに用事があるのだけど、借りていっても良いかしら?」
そう言ったクレアの視線はナタリアの服の裾を掴んでいるオボロの手に向けられている。その意図に気づいた朧は顔を赤くしながらそっと手を離すとクレアはまた表情をにやけさせる。クレアはすぐににやけた表情を咳ばらいと共に引き締めると、誤魔化すようにナタリアに話しかけた。
「そ、それじゃあナタリア。ギルドマスターが報告を聞きたいそうだから、来てくれるかしら?」
「ああ、わかった。じゃあ少し行ってくるよ、オボロ」
ナタリアはそう言うとクレアと共にカウンターの横の階段を上っていく。朧はナタリアが居なくなる事に少しの寂しさと、心細さを感じながらカウンター前で立ち尽くしていた。
それからしばらくして、カウンターの後ろの部屋から少し大きめな巻かれている紙を抱えてサーシャが出てきた。
「あれ、先輩とナタリアさんは?」
「ぎるどますたーって人に用事があるって言って、二人とも上の階に行きましたよ」
サーシャに簡単に説明すると、彼女はああ依頼の事かーと納得したように頷く。
「そしたら先に地図を見てよっか!えーと…そう言えばあなたの名前聞いてなかったね。知ってるとは思うけど私はサーシャ、宜しく!」
「私は朧です、宜しくお願いします」
簡単な自己紹介を交わした後、サーシャは持ってきた地図をカウンターの上に広げる。そこに描かれていたのはオボロの知っている世界地図とは異なるものだった。
「ここがリーベルティア王国で、私達の居るシルフレドはこの辺かな―」
そう言ってサーシャは一つの大陸の南東に位置する国を指さし、その後その国の北端辺りを指さす。どうやらシルフレドは国境沿いにある街らしい。
しかし今の朧の耳にはその言葉は届かない。少女はその双眸を忙しなく動かして地図を隅から隅まで見ていたからだ。
「オボロちゃんの住んでた場所がどこか分かる?」
サーシャがオボロにそう訪ねるのと、オボロが探すのを諦めるのは同時だった。
「あの、この地図は正確なんですか?」
「もちろん!ギルドの威信にかけて、この地図は正確だよ!」
一縷の望みを抱いてオボロはサーシャにそう尋ねる。失礼とも取れる質問だったが彼女が気にする様子は無く、寧ろ誇らしげに胸を張った。その言葉が、オボロの希望を完全に打ち砕くものだと知らずに。
「へ?」
朧の目からポロポロと涙がこぼれ落ちる。
変だと感じる事はいくつかあった。本来なら通じないはずの言語、魔法や魔物の存在。そこから朧は一つの可能性に辿り着いてはいたが、無意識に考えない様にしていたのだ。
もしかして、ここは私が生きていた世界とは別の世界なんじゃないだろうかと。
朧は友人に勧められ異世界へ転移した主人公の小説を読んだ事がある。それは神社にお参りに来た主人公が神様の手によって異世界に連れて行かれるという内容で、朧は地元に有った神隠しの言い伝えに似ているなと思った。
なので自分が神隠しに有って、異世界に連れて行かれたのでは無いかという考えにも至ってはいた。
しかし小説でも地元の神隠しの言い伝えでも、連れて行かれた者は二度と戻って来る事は無いとされていた。だとすると、家族や友人にはもう二度と会えないという事になってしまう。それを信じたくなかった朧は、その可能性を考えないようにしていたのだった。
「ちょ、ちょっと!オボロちゃん!?」
悲しみがこみ上げてきた朧は声を上げて泣き始める。
サーシャは急に泣き出した朧にどうして良いか分からずあたふたし、酒場の男性はグラスを磨く手が留まっていた。
先程まで閑散としていたギルドには、一人の少女の泣き声が響き渡っていた。
次回はまた土曜日投稿予定です