目覚め
プロローグ部分を統合しました
(あれ…ここどこだろう…)
揺蕩うような感覚のなかで少女は目を覚ました。
目を覚ましたといっても、少女の目は閉じているままなので起きたという方が正しいかもしれない。
(水の中のような…そうじゃないような…よく分かんないけど、とっても気持ちいい感じ…)
少女がそんな事を感じていると、ふと腕を引く感覚がする。
(誰?そっちに何かあるの?)
引かれるまま、少女は流されるように漂っていく。
すると、見えないはずの少女の視界に段々と、青いような白いような不思議な光が現れ始めた。
視界がその光で満たされると、何か声のようなものが少女の頭の中に響く。
『こん……そ、し……せに!』
そこで、少女の意識は途切れた。
チュンチュン、チチチ。
そんな小鳥のさえずりが、深く沈んだ少女の意識を眠りの水の中から引き上げる。
「んぅ…ふゎふ…」
そう形容するしかない、欠伸らしきものが溢れる。まだはっきりとしない意識の中、それでも少女は自分の状況を把握しようと辺りを見渡す。
少女が今いるのは、森の中の少し開けた様な場所だ。
そこは、森ほど鬱蒼とはしていなくとも、頭上が木々の枝葉によって覆われていて、それを縫うようにして落ちる日の光が、ぽつりぽつりとある苔むした壁のような建造物を照らし出している。それらは、まるで荘厳という言葉がそのまま形骸化したかのような、そんな風景をこの場に作り出していた。
それを見た少女は本能に導かれるまま、ぽそりと呟いていた。
「ここ…どこ?」と。
少女の名前は水無月 朧、水無月流という陰陽師の家系の生まれである。そんな朧は今置かれている異様な状況に叫びざるを得なかった。
「いや、いやいやいやいやここどこ!?何で私、ここにいるの!?」
朧は辺りを見渡すが、目に映るのは光に照らされ少し神秘的な感じのする木々と、長い年月放置されていたのか、元の建物の原型をほとんど留めていないボロボロの石壁ばかり。本来なら見えるはずの自室の光景は、欠片程も存在していなかった。
「一体…何がどうしたらこうなるの…?」
起きた傍から理解しがたい現実を突きつけられ軽く涙目になった朧は、この状況に陥った理由を知るために、昨晩の出来事を思い出そうとする。
(確か私は、足りなくなったお札の補充を頼まれたから、御堂に籠もって作業していて…それで…)
「ダメだ…思い出せない」
しかし記憶は、なぜかそこで靄がかかったかのように途切れていた。
「しかも全然寝るような格好じゃないよ…そもそも靴履いてるし。もしかして誘拐されたとか?」
今の朧の服装は、Tシャツの上から前で留めるタイプの薄めのシャツを羽織り、下にはジーパンを穿いている。そして靴は、動きやすそうなスニーカーだ。少なくとも布団に潜る格好では無いだろう。
(とりあえず、自分がいるのがどこなのかだけでも…)
そう考えて朧は再び辺りを見渡すが、新しく分かった事は精々自分の足下に石畳だったらしいものがある事と、ちょこちょこ視界に入ってくる見た事も無い小さな鳥がいる事くらいである。
「森の中ってことしか分かんないよ…」
(ここでじっとしてても、何も分からなそう。まず辺りを調べてみよう)
まだ少し寝ぼけつつある体に活を入れると、朧はゆっくりと腰を上げた。
「すごい!この鳥さん、見る角度によって色が変わる!」
辺りを見て回った朧は、先ほど見つけた小鳥が見る角度によって赤や青、紫などのさまざまな色に変わる事に気づき目を奪われていた。
「どういう仕組みなのかな?光の加減とか?」
朧はなぜ色が変わるのかを考えながら小鳥をなでる。小鳥の方も満更でもない様で朧の手に自分の体を押しつけている。
(多分、こんな鳥さんは日本にはいないよね…私が今いるのは外国なのかな?)
考え事をしながらも、朧は小鳥をなでる手は止めない。どうやら羽根の感触が気に入ったようだ。
「とりあえずこの森を抜けて人が居そうな所に行こう。そうすれば自分がどうしてここにいたのか分かるかもしれないし」
この場所に留まっていても問題は解決しない。朧はそう決断すると小鳥をなでる手を止めて名残惜しげに立ち上がる。
「鳥さん、またね」
そう別れの挨拶をすると、なぜか小鳥は嘴で羽根を一枚抜いて朧に向ける。
「えっと…くれるって事?」
小鳥はうなずくような仕草をして、早く受け取れと言わんばかりに羽根を突き出した。
「ありがとー!大切にするね!」
朧が羽根を受け取ると、小鳥は満足そうな顔をする。
「またね!鳥さん!」
朧は今度こそ小鳥に別れを告げると、そこから森に向かって延びている石畳の延長線上を進むようにして、その少し不思議な場所を後にした。
「うう…足痛い…」
一時間ほど歩き続けたが、いまだ朧は森から出られずにいた。
(どんどん出口から遠ざかっている気がする…)
朧が今居るのは先ほどの広間とは打って変わりおどろおどろしい程に暗く、一面に草木が生い茂った獣道である。
時折羽音や鳴き声が聞こえ、そのたびに「うひゃあ」と間抜けな声が上がるのも仕方ない事だろう。
(大丈夫だよね?道、あってるよね?)
朧は不安になりつつも、この場に留まるわけにも、戻るわけにもいかずただ前に歩き続ける。
すると突然どこかから大きな音が鳴り響いた。
ごがあぁぁぁー!!
「ひっ!な、何!?」
突如鳴り響いた音に朧は狼狽する。辺りからは、先ほどの音に怯えるかのような羽音が無数に発せられ、異常事態である事を知らせていた。
(まさか熊?近くに居たらどうしよう)
そう思った矢先、背後の茂みが音を立てる。
「ひっ!」
朧が恐る恐る音のした方を振り返ると、木々の隙間から真っ赤な双眸が見つめていた。
数秒の沈黙の後、朧は悲鳴を上げなら脇目も振らず駆け出した。足下の草が絡みつき、転びそうになるのを耐えながら必死に走り続ける。
あの双眸の持ち主は本当に熊だったのか、それとも別の何かだったのかは朧には分からない。だがそこで逃げ出したおかげで、朧は森から抜け出す事が出来た。
「はあ、はあ、もう…無理…動けない…」
熊(仮)から全力で逃げ出した朧は、気づけば森を抜け見渡す限りの広大な平原に出ていた。朧は今、その平原の少し小高くなっている場所でへたり込んでいる。
後ろにはまだ先程までいた森が見えているが、流石にここまでは追ってこないだろう。まあ追ってきたとしたら、朧は逃げる体力が残っていないので食べられるだけだが。
(これからどうしよう…)
朧の近くには人の気配は無い。それどころか街灯の類すら無く、日が沈むと辺りは真っ暗になってしまうだろう。
(凄い田舎に来ちゃったのかな…無事に帰れるといいけど)
そんな事を思いながら朧が平原を見渡していると、遠くの方に異質なものがある事に気づいた。そこには、長閑な雰囲気には似合わない、大きな壁がそびえ立っているのだ。
いくつか塔が建てられたその壁は、胸壁の様な物もあることから城壁だと分かる。他よりも少し大きな二つの塔の間には城門が有り、開け放たれているそこから家屋の様な建築物が見える。壁の内側にあるのは街で、城郭都市なのだろう。
その城壁は、朧とはかなりの距離があるにもかかわらず、圧倒的な存在感を放っていた。
「なに…あれ…」
それを見た朧は、思わず自分が感じた事をそのまま口にしていた。
「観光地?」
「昔から有る建物なのかな。あそこならきっと人が居るはず!」
朧は早速街を目指そうと立ち上がり…歩く事無く倒れ伏した。朧は自分の体力が尽きている事を忘れていたのだ。
「うう…どうしよう」
「あんた、こんなところで何してるんだ?」
朧が途方に暮れていると、突然背後から声がかけられる。声の方を振り向くと、一人の女性が朧を見下ろしていた。
短い赤い髪と小麦色に焼けた健康的な肌をしたその女性は、動きやすそうな服の上からは革で作られた簡素な鎧のような物を着ている。
やっとの事で人に出会えた朧は思わず叫んでしまっていた。
「ひ、人だ!」
「見りゃ分かるだろそれくらい…それとも何か?あたしが魔物にでも見えるってのか?」
女性は冗談めかしてそういうと、不機嫌そうな顔を作る。しかし朧はそれを本気で思っていると捉えたのか慌てだした。
「あ、いや、そういう訳じゃなくて!えと…そう!ちゃんと綺麗な人が見えます!」
朧は手をわたわたさせながらめちゃくちゃな事を口走る。その様子を見ていた彼女は、一瞬呆気にとられたような顔をした後、大声で笑い出した。
「ふっ!あはははは!冗談だ、本気で言っちゃいないよ」
「ふぇ!?あ、えと、あう~」
その言葉で自分の言動に恥ずかしくなった朧は、顔を赤くしてその場に踞るのだった。
先ほどのやりとりの後、朧は女性にこれまでの経緯を話していた。
「起きたら森の中にねえ。俄には信じられない話だ」
女性の言うとおり、このような世にも奇妙な話がそうそう信じられる訳は無いだろう。しかし残念ながらそれが真実であった。俗に言う、事実は小説よりも奇なりと言うやつである。
「それで、あんたはこれからどうするんだ?」
「はい、あの街に行って帰る方法を探そうかなと」
確実では無いが、一番見つかる可能性が高いのはあの街である。しかしその手段には一つの問題があった。
「どうやってあそこまで行くんだ?」
「それは…どうしましょう…」
街まで歩こうにも、かなり距離が離れている上、体力もほとんど残っていない。仮に体力があったとしても、朧の足ではあの街に辿り着く前に確実に日が落ちるだろう。
どうしようなも無くなった朧は、落ち込んで膝を抱える。すると女性は溜息を吐いた後、何を思ったのか朧を背負った。
「はあ…しょうがないね」
「へ?ふわぁ!」
突如背負われて驚いた朧は、間抜けな声を上げる。背負われた意図が分からず朧は困惑するが、彼女はそのままスタスタと歩き出していた。
「街までおぶってってやるよ」
「いいんですか!?でも、重かったりしません…?」
「かまわないよ、あんた一人位なら余裕で担げるくらいに鍛えてるから」
そう言って女性は左腕を曲げて力瘤を作って見せた。出来た瘤は小さな物だったが、朧を片腕で支えられているところを見ると本当に余裕があるのだろう。
「あ、ありがとうございます!」
「良いってこと」
彼女の好意に甘える事にした朧は、背に揺られながら街を目指す事になるのだった。
「そういや、まだ名前を言ってなかったね。あたしはナタリア、冒険者だ」
女性の名前はナタリアというらしい。ナタリアは自己紹介を続けているが、朧は名前の後に出てきた聞き覚えの無い言葉が気になり聞いていなかった。
(冒険者?冒険者ってなんだろう…聞いた事無いけど)
「あんたは?」
「へ!?な、何ですか!?」
すると突然ナタリアが話を振ってくる。上の空だった朧は思わず聞き返してしまった。
「名前だよ名前、話聞いてなかっただろ」
「すみません…あ!でもナタリアさんの名前はちゃんと聞いてましたよ!」
訝しげにこちらを見るナタリアに、朧は正直に謝罪する。それを聞いたナタリアは呆れたような顔を浮かべた。
「そうみたいだね…」
「そ、それよりも名前ですよね。私の名前は朧と言います」
朧は誤魔化すようにそう答える。
「オボロ、ねえ。あんまり聞いた事の無い名前だね」
(確かにナタリアさんは外国の名前っぽいよね、あんまり聞いた事無いのも仕様がないか)
その時朧は、外国人なら言葉が通じないのではという疑問が頭をよぎったが、深くは考えない事にした。