第95話 ロッシュ防衛戦 終幕
「もう行くのか?」
「我の仕事は終わったからな」
ダルタニスの問いにレンが答えた。
魔群を倒した次の日の朝のことである。
城内の執務室にいたダルタニスに、レンはこれから出発することを告げた。
「後始末を手伝おうかとも思ったが、むしろ我々がいた方が邪魔になるかと思ってな。魔群を倒したのだから、すぐに他の街からも救援が来るのだろう?」
「そのはずだ。すでに早馬は出したしね」
すでに昨日のうちに王都などへ早馬を送っていた。
魔群を倒したという話はすぐに広がるだろう。
一夜明けたロッシュの街には、まだ勝利の余韻も残っていたが、それよりも悲しみや不安の空気の方が強くなっていた。
今回の戦いの死者は、現時点で兵士と住人合わせて千人を越えている。行方不明者も多く、最終的な死者はその数倍になるだろうと予想されていた。
住民の中には家族を亡くした者も多く、彼らは悲しみに沈んでいた。魔獣による被害は大きく、これからこの街がどうなるのか、不安に思っている者も多い。魔群が倒されたのを知ったザウス帝国が、侵攻してくる可能性もあった。
こんな状況でさっさと退去するのはどうかとも思ったのだが、この街ではダークエルフは厄介者である。
魔群の襲撃という緊急事態なので受け入れてくれたが、それが解決したのだから、さっさと帰ってくれというのが本音だろうと思った。滞在して、街の住人とトラブルなどを起こしては大変だ。
とにかくやることはやったのだ。後のことは全てダルタニスに任せ、レンはさっさと引き上げることに決めた。
昨日、ダルタニスにそれを話すと、少し引き留められたが、すぐに「そうか、わかった」と返事をもらった。
こちらの事情を考えてくれたのか、内心では彼もさっさと帰ってほしいと思っていたのか、多分その両方だろうとレンは思った。
ダルタニスからは勝利の宴を開きたい、という誘いもあったのだがそれも断った。まずは復旧を最優先すべきだろうと言って。
ただしそれは建前で、本音は宴などに参加したくなかったからだ。
レンは飲み会とかパーティーとかが大の苦手だった。できれば参加したくないんだけど、付き合いで仕方なく――なんて人種だった。それは前世も今も変わらない。異世界に来てまで、そんな付き合いはしたくなかった。
ちなみにダークエルフたちには、そういったパーティとか飲み会とかの習慣がないため、レンとしては大いに助かっている。
序列が存在している彼らには、人間関係を円滑にするとか、人脈を広げるとか、そういう目的でパーティーを開く必要がないからだった。
昨夜はさっさと休み、今朝も朝早くから帰る準備を整えた。
すでにダークエルフたちは準備を終え、城の中庭で待機している。
そしてレンは出発することを、こうしてダルタニスに伝えに来たのだった。
「帰る前に一つ聞いておきたいのだが。昨日も聞いた、君たちが使っている弓矢についてなんだが……」
「それか」
ダルタニスからは、レンやダークエルフが使っている弓矢について質問を受けていた。
ダークエルフ製の強力な合成弓、そして魔獣の素材を練り込んだ特別製の矢についてだ。
ちなみにレンはダークエルフたちとも話し合い、この特別製の矢をとりあえず魔矢と呼ぶ事にした。特別製の矢とか言うのが面倒になってきたからだ。
どうやらダルタニスたちは昨日の戦闘で、ダークエルフたちが使っている弓矢の中に、普通と違う物があることに気付いたようだった。
それで昨夜、レンは質問を受けた。その場では調べておこうと答えただけだったが、
「残念ながらダークエルフたちに聞いても詳しいことはわからなかった。製法は一部のダークエルフが知るのみで、彼らにもわからないそうだ」
「そうか。残念だ。あれが作れるようになれば、大きな戦力になるのだが」
残念だと言いつつ、ダルタニスはあまり残念そうに見えなかった。
どうやらこの返答を予想していたようだ。もしかするとレンがウソをついていることも見抜いていたかもしれない。
レンは合成弓と魔矢について、知らぬ存ぜぬでいくのを決めていた。
昨夜はダークエルフたちとも話し合い、秘密を厳守するよう頼んでいた。
当初はこれらを売れないかと考えたこともあったレンだが、今ではそんなことは考えておらず、できる限り秘密にしようと思っていた。
強力な武器は高値で売れるかもしれない。だが問題はその素材だった。合成弓も魔矢も、作るのに魔獣の素材を使っている。
合成弓は世界樹の枝をベースに魔獣の骨や皮を組み合わせて作っているそうだし、矢も魔獣の骨などを練り込んでいる。
この世界の人間は魔獣に対する忌避感が強いが、それは死体に対しても同様で、魔獣の死体はすぐに燃やしてしまうのが常識だった。
今回の戦いでもそうで、魔獣の死体は回収次第、火にくべて燃やされている。魔獣は呪われた存在であり、死体も残さずさっさと灰にしてしまえというわけだ。
そんな人々に、魔獣の素材を利用していると教えたらどうなるだろうか?
「あいつらは魔獣の死体を利用しているそうだぞ。やはり呪われた種族だ」
などと言われ、さらに評判が悪くなるのが目に見えている。
だからウソをついて製法を隠すことにしたのだが、ちょっと気になっていることがあった。
今回使用した魔矢についてである。
魔矢は貴重品なので、可能な限り回収しようとしたのだが、昨日ダークエルフたちが回収に向かうと、矢はすでにロッシュの兵士たちに回収された後だった。
レンがダルタニスに返してくれるように頼むと、彼は快く応じてくれたのだが、返ってきた矢の本数が明らかに少なかった。
もちろん使用不能になった矢もあったはずだが、それでも最初と比べて半分以下になっていた。
おそらくダルタニスが自分たちの懐に入れたのだ。
魔獣に対抗できる武器は貴重だから、彼の行動も理解できるのだが……。
しかし証拠もないので、それ以上追求することもできなかった。
現物があっても、材料まではわからないと思うのだが、それが少し不安だった。
「君には最後に改めてお礼を言いたい。この街を救ってくれたことに感謝する。我々が今日の朝日を迎えることができたのも君のおかげだ」
そう言ってダルタニスが右手を差し出す。
「力になれてなによりだ」
レンも右手を差し出し、二人は固い握手を交わした。
誰かと握手を交わすなんて、いつ以来だろうとレンは思った。
というか、自然と握手を交わしてしまったが、この世界にも握手の習慣があったことを今知った。
それにしても当初の予定とはだいぶ違っちゃったなとレンは思った。
最初はダルタニスの妻と子供を助け出すという話だった。それが終わってみればこの結果だ。
まあ、助けたことに変わりないといえば変わりないが。
「またいつか会いたいものだな。今度は素顔の君と」
「そうだな。また会う日もあるだろう」
この世界は広く、二人の暮らす場所は遠く離れている。
再び会う機会はなかなかないと思うのだが、不思議とまた会いそうな気がした。
城の中庭に出ると、すでにダークエルフたちが並んで待っていた。
またその周囲には城の兵士たちが並んで立っている。どうやら見送ってくれるようだ。
「仮面の騎士様。出発準備が整いました」
ローハンが報告する。
弓隊を率いていた彼だが、今は全体を指揮している。
序列が一番上だったギルゼーは、最後の魔獣との戦いで戦死していた。そのため生き残った中で一番序列の高いローハンがリーダーとなっていた。
この戦いではロッシュの守備隊や住人に大きな被害が出ていたが、ダークエルフもギルゼーをはじめとして多数の犠牲者を出していた。
死者の数は七十六人。その他に多くの負傷者がいる。
リゲルは無傷だったが、カエデも超個体との戦いで負傷したので、包帯でぐるぐる巻きになっていた。
負傷者はこれから集落まで戻る予定だった。ダークエルフたちは、世界樹の下で眠れば傷を癒すことができる。
死者の中にも、世界樹があれば助かっていたと思われる者がいた。
だがここに世界樹はなく、現代日本と違って医療技術も発展していない。ある程度以上の重傷者を助ける術がなかった。
黒の大森林の集落に帰れば世界樹があるが、そこまで持たないと判断された者は、とどめを刺して楽にしてやるしかなかった。
彼らの遺体は、武器を運んできた荷馬車に積み込んだ。
ダルタニスからは、
「兵士たちと一緒に火葬しよう」
との申し出もあったが、レンはそれを断った。
かつて行商人のナバルが魔獣に殺された時は、同じ場所で死んだダークエルフは同列に扱ってもらえず、村人たちに火葬を拒否された。
それを考えれば、一緒に葬ろうというのはありがたい話だったが、レンは全員の遺体を集落まで運ぶつもりだった。
ダークエルフたちにとって、世界樹の下に葬られるのが一番の死に方だ、というのを聞いていたからだ。
念のためにリゲルやローハンにも聞いてみたが、
「できればそうしてほしいです」
との答えだった。
幸い今は寒い十二月だ。遺体の腐敗もゆっくりなはずで、集落まで運べるだろうと判断した。
レンが帰るのを急いだ理由の一つが、彼らの遺体だった。
それにしても忙しい一ヶ月だったと思い返す。
屋敷を出たのが十一月二日で、今日が十二月四日だ。
まだ一ヶ月という気もするし、もう一ヶ月という気もするが、屋敷を出た日がとんでもなく昔に思えた。
でもこれで帰れる――そう思いつつ、レンはガー太にまたがった。
さあ出発だと声をかけようとしたところで、見送りに来ていたダルタニスが声を上げた。
「我が街を救った勇士たちに、礼!」
並んで立っていた兵士たちが一斉に剣を抜くと、剣先を上にして、胸の前で掲げるように持った。
これは剣礼と呼ばれるこの世界の敬礼だった。騎士や兵士が、敬意を示すために行う。
レンは知らなかったので驚いたが、これが礼儀作法の一つなのはわかった。
ただどうしていいかわからない。
このまま通り過ぎていいのか、それとも何か礼を返すのが礼儀なのか。
困ったレンは、結局ダルタニスの方を向いて一礼した。
剣礼をしていたダルタニスは、軽くうなずいて答えてくれた。
どうやら間違っていなかったようだと思ったレンは出発することにする。
ちなみに剣礼を受けた側には、特に決められた礼儀というのはなかった。同じように剣礼を返してもいいし、黙って通り過ぎるのも無礼ではない。
「では出発!」
ガー太に乗ったレンを先頭に、ダークエルフたちが後に続く。
昨日、激戦が繰り広げられた城の東門をくぐったレンは、その先にあった光景に目を見張った。
街の沿道に多くの住人たちが繰り出していたのだ。
ダークエルフたちを見送る彼らの口から、次々と感謝の言葉が投げかけられた。
「ありがとう!」
「すごい戦いぶりだったぞ!」
「私たちの街を救ってくれてありがとう!」
異世界に来てから、そして前世でも、こんなに多くの人から、こんなに多くの感謝を受けた経験はない。
レンは少し泣きそうになってしまった。仮面を付けていてよかったと思う。
多大な犠牲を払ったが、これだけ多くの人々を救うことができたのだ。価値ある勝利だったと思った。
「なんだかすごいね」
すぐ横を歩くカエデもうれしそうに言う。
他のダークエルフたちを見てみると、彼らはこの現状に大いに戸惑っているようだった。
彼らも人間からこれほどの好意を向けられた経験はないだろう。
「そうだな。本当にすごいことだ」
ダークエルフたちは住民の歓声に見送られ、ゆっくりと大通りを進んでいった。
この時の様子について、小説家バンバ・バーンは、その著書ダークエルフ戦記(※)の中で次のように記している。
それはおそらく史上初の光景だった。
レンが率いるダークエルフの軍勢を、人々が歓声を上げて見送ったのだ。
もし数日前の彼らに、今日の出来事を話せたとしても、きっと彼らは信じなかっただろう。
ここで起きていることは、それほど現実離れした光景だった。
だが、これは一時の気持ちの高ぶりが招いたもので、彼らの中からダークエルフへの差別意識が消えたわけではなかった。
数日もすれば気持ちも落ち着き、彼らのほとんどは、また元のダークエルフ嫌いへと戻るだろう。
それでもダークエルフたちは人々の心に小さな変化を与えた。
その小さな変化が小さな変化のまま消えてしまうのか、それとももっと大きな変化のきっかけとなるのか、この時点で判断できる者はいなかった。
※ダークエルフ戦記では、仮面の騎士=レン・オーバンス説を採用している。
これで三章は終わりです。
昨日が休みになって一日空いたので、がんばって更新してみました。
ですが書き溜めていた分がなくなったので、また週一ぐらいのペースに戻ると思います。
これからもよろしくお願いします。