第94話 ロッシュ防衛戦11
超個体が強いことはわかっていたつもりだ。それでもカエデなら何とかしてくれるとレンは思っていた。
それが甘い見通しだったと一撃で打ち砕かれてしまったが、ショックを受けているヒマはない。
こうなったらやることは一つだった。
「ガー太!」
思わずその名を呼んでいた。他人に聞かれていないかとか、そんな心配をしている余裕もなかった。
「クエーッ!」
わかっている、とばかりにガー太が答えてくれる。
周囲の魔獣たちの間を突っ切り、カエデを助けに向かう――そう思ったレンが動こうとした時だった。
ドガッ! という音とともに、後ろから飛んできた石が、超個体の後頭部に命中した。
人間の頭ぐらいありそうな石だったが、超個体にダメージはない。それでも超個体は立ち止まり、石が飛んできた方を向く。
破壊された家の中から、石を投げた張本人――カエデが出てきた。
「あは」
とカエデは笑った。
頭からは血を流し、体はホコリまみれで汚れていたが、それでもカエデは楽しそうに笑った。
一方の超個体は、カエデが起き上がってきたことにプライドを刺激されたのか、うなり声を上げてカエデに襲いかかった。
魔獣の右腕、左腕が交互に襲いかかるが、カエデはひょいひょいとそれをかわしていく。
かなりのダメージを受けたはずなのに、彼女の動きは変わらず軽やかだった。
だが反撃ができない。カエデが持っていた剣は、殴り飛ばされた際にどこかへ飛んでいってしまい、今は武器を持っていない。
カエデのピンチを見てレンが叫ぶ。
「誰か剣をくれ!」
それに応じ、ちょうど魔獣と戦っていなかったダークエルフが剣を投げてくれた。ほぼ二人同時に。
「リゲル、頼む」
レンは持っていた弓を、リゲルに向かって放り投げた。
魔獣を牽制していたリゲルだったが、レンの弓を受け取って少し後ろへと下がる。
両手が空いたレンは、飛んできた二本の剣を右手と左手で一本ずつキャッチすると、
「カエデ、受け取れ!」
カエデに向かって、二本の剣を思いきりぶん投げた。
カエデは超個体の攻撃を後ろに高く飛んでかわすと同時に、空中で二本の剣を受け取り、くるっと回って着地する。
二刀流となったカエデに、超個体が襲いかかった。
カエデは相手の攻撃をよけながら、二本の剣を巧みに操って、回避しつつ斬りつける。だがどの攻撃も浅く超個体の表皮をわずかに傷付ける程度だった。
小さな傷はすぐに回復していき、超個体にはなんのダメージもない。
「うん。だいたいわかった」
何度か攻撃したカエデが、そんなことをつぶやく。
彼女は軽い攻撃を繰り返し、相手の防御力を確かめていたのだ。
それで得た答えは、中途半端はダメ、思いっきりいく、だった。
カエデが反撃に移ろうとしているのをレンも感じ取っていた。離れた場所にいるのに、なぜか彼女の気配を明瞭に感じていた。
「リゲル、弓を!」
リゲルに預けていた弓を返してもらう。
彼が放り投げてくれた弓をキャッチしたレンは、襲いかかってくる魔獣の相手をガー太に任せ、弓を強く引き絞った。
狙いは超個体。
レンはカエデの動きを見ながら呼吸を合わせ、ここだというタイミングで矢を放つ。
カエデの方もレンに合わせるようにして攻撃に転じた。
この時、レン、カエデ、超個体の位置関係は、ほぼ直線上にあった。
カエデが超個体に向かって走り、超個体はそれを迎え撃とうと右手を振り上げた。
そこへレンの放った矢が飛んできた。
カエデの頭上を越えて飛んだ矢は、狙い違わず超個体の右目に命中する。
これまでダークエルフたちの矢を跳ね返してきた超個体だったが、さすがにここは弱点だった。
とはいえ粘液は目も覆っており、眼球も硬い。普通の弓なら防ぐだけの防御力を持っていたのだが、レンの強烈な一矢はそれを貫き、右目に深々と突き刺さった。
「キシャアアアアッ!?」
さすがにこの一撃は効いた。今までどんな攻撃にもひるまなかった超個体が、悲鳴のような鳴き声を上げて大きくのけぞる。
そしてそこへカエデが斬りかかった。
彼女の狙いは最初と同じ左足。
「ハッ!」
最初に攻撃したのとほぼ同じところに、カエデは右の剣を叩きつけるようにして、思い切り斬りつけた。
浅かった最初の一撃と違い、今度の一撃は超個体の左足を深く斬り裂いた。一刀両断とまではいかなかったが、それでも太い左足の三分の二ぐらいまで食い込んだ。
この一撃で超個体はまたも悲鳴のような鳴き声を上げ、大きくバランスを崩して前へと倒れ込んだ。
カエデは右手の剣を捨て、残った左手の剣を両手に持ち替える。
そして上から倒れてくる超個体の頭めがけ、渾身の力を込めて振り上げた。
「イアアアアアッ!」
裂帛の気合いとともに斬り上げた一撃は、倒れてきた超個体の頭部を首のあたりから真っ二つにした。
魔獣の巨体はそのまま音を立てて地面に倒れたが、それでもまだ生きていた。
まるで起き上がろうとするかのように、手足をピクピクと動かしている。
カエデは両手で剣を大きく振り上げ、超個体の首めがけて振り下ろした。
超個体の首が地面に落ち、ゴロリと転がった。
それがとどめだった。
首を失った超個体の四肢は力を失い、二度と動き出すことはなかった。
「やったぞ! 超個体を倒した!」
最初に叫んだのは、城壁の上にいた弓隊のダークエルフだった。
「超個体を倒したぞ!」
ガー太の上でその瞬間をバッチリ目撃していたレンも叫んだ。
その叫びは徐々に他の兵士たちにも伝播し、喜びの声が次々と上がる。
「気を抜くな! まだ戦いは終わっていないぞ!」
注意を呼びかけたのはダルタニスだった。
人間同士の戦いなら、総大将を討ち取った時点で勝敗が決していたかもしれない。だが魔群は違う。超個体が倒されても、魔獣は変わらぬ凶暴さで人間へと襲いかかる。
城の中庭にはまだ多くの魔獣が残っており、それらは動きを止めることなく人間やダークエルフと戦い続けている。
しかし超個体を倒した影響はすぐに現れた。
魔獣たちが同士討ちを始めたのだ。
城の中庭に誘い込まれた魔獣たちは、かなり密集した状態で兵士たちと戦っていた。超個体がいた状態では、一応のまとまりが保たれていたのだが、いなくなった瞬間、魔獣たちは好き勝手に動き始めた。
元々魔獣に仲間意識などない。
隣にいた魔獣とぶつかれば、そこですぐに争いが発生する。密集していた魔獣たちは、お互いがお互いを邪魔者だと思い、一気に争い始めたのだ。
「ここが好機だ。一気に殲滅せよ!」
「オオオーッ!」
ダルタニスの命令に、兵士たちが叫び声を上げて応じる。
このままいけば勝てる――そんな思いが彼らを突き動かし、魔獣を攻撃する。
魔獣に反撃され、少なからぬ犠牲者が出るが、勢いに乗った兵士たちは止まらない。恐れを知らぬ戦いぶりで、一体ずつ魔獣を倒していった。
レンとガー太も戦い続けた。
超個体がいなくなったことで、彼らは格段に戦いやすくなった。それまでは魔獣たちはガー太を囲むように襲いかかってきたのだが、超個体が倒されると連携がとれなくなり、バラバラに攻撃してくるようになった。
同時に攻撃されるとやっかいだが、一体ずつならガー太の敵ではない。
残りの魔獣たちをガー太は次々と蹴り飛ばし、レンは弓を射続け――そして気付けば、動く魔獣はいなくなっていた。
「勝った……のか?」
一人の兵士が、信じられない様子でつぶやいた。
「そうだ。我々は勝った!」
ダルタニスが、右手を大きく突き上げ叫んだ。
「我々の勝利だ!」
その声に応じ、兵士たちが勝ち鬨を上げる。
絶叫する兵士もいれば、感極まり泣き出す兵士もいた。
ダークエルフたちも喜びの声を上げたが、大喜びする人間たちと比べると、彼らの喜び方は控え目だった。
門の外にいたカエデも戻って来た。
超個体を倒したカエデは、その後も門の外で多くの魔獣を倒していた。
それらを全て倒し終え、笑顔を浮かべてレンのところに駆け戻ってきた――のだが、その前に割り込むようにしてダルタニスが声をかけた。
「君もよくやってくれた。我々が――」
笑顔を浮かべてカエデに話しかけたダルタニスだが、その声が途切れた。
カエデが自分の前に出てきた彼をにらんだのだ。レンのところへ行くのを邪魔する気? と言わんばかりの様子で。
なんて目だ――カエデの目を見たダルタニスは寒気を覚えた。
カエデの目は、今までダルタニスが見たことがないほど、暗く濁っていた。
彼もまたそれなりの修羅場をくぐってきた男だ。味方からも恐れられるような、凶暴な兵士を指揮した経験もある。だが彼女は、そんな兵士ですらかわいく思えるような目をしていた。相手は小さな少女だというのに、思わず圧倒されてしまうほどの。
「よくやったぞカエデ」
ダルタニスの後ろからの声に、カエデの表情がパッと変わった。
それまでの禍々しさが消え去り、年相応の子供のような、無邪気な笑顔を浮かべる。
「カエデ、あの魔獣を倒したよ! すごいでしょ」
ガー太から下りたレンに、走り寄ったカエデが抱きつく。
ダルタニスは大きく安堵の息を吐き、カエデの頭をなでているレンに話しかけた。
「その銀髪のダークエルフはとんでもないな」
「言っただろう、我が知る最強の戦士だと」
「確かに恐るべきだな」
まるで魔獣のように凶悪で、恐ろしい少女だとダルタニスは思った。そしてそんな少女を飼い慣らしている仮面の騎士もまた恐ろしい。
魔群を倒したことは城内にも伝わり、そこでも歓喜の声が上がった。
勝利を喜ぶ人々の声はやむことなく響き続けた。