第93話 ロッシュ防衛戦10
動き始めた超個体を見て、ついに来たか、とダルタニスは思った。あれを倒すことができれば、この戦いにも勝機が見えてくる。
近付いてくる超個体に向かって、最初に攻撃を開始したのは、城壁の上にいた弓隊だった。
彼らは戦闘開始以来、下での激戦に巻き込まれることなく、冷静に狙いを定めては弓を射る、というのを繰り返してきた。
大きな効果をあげたのは、やはり強力な合成弓を装備した二十人だった。
彼らが一番に狙ったのは、ガー太の周囲の魔獣だった。レンやガー太に襲いかかろうとしていた魔獣を攻撃し、その動きを妨害する。一撃必殺とはいかないが、少しでも動きを止めることができれば、それだけガー太が有利になる。実際、彼らの弓攻撃によって、レンやガー太は危ないところを何度か救われていた。
ガー太だけではなく、他のダークエルフや兵士に襲いかかろうとしている魔獣も積極的に狙った。
誤射の恐れがあるため、ギリギリのところを狙うのは難しかったが、それでも何度も危ないところを救っていた。
一方、普通の弓を装備した残りの三十人は、そこまで効果を上げていなかった。
魔獣に効果のある特別製の矢はすぐに使い果たしてしまい、そこからは普通の矢を使っているのだが、それだと魔獣にはほとんど効果はない。
一体の魔獣を集中的に狙うことも、この混戦状態では難しい。そもそも三十人では少なすぎたのだ。
現状では、この三十人を弓隊として上にあげたのは、失敗といってよかった。
「全員、あの超個体を狙え!」
弓隊を指揮するダークエルフが命じる。
今まで彼らは城の中庭にいる魔獣を攻撃していたが、全員が外側を向いて弓を構えた。狙うは超個体だ。巨大な魔獣は、城門に向かってゆっくりと大通りの真ん中を歩いてきている。
この時、弓隊を指揮していたのはローハンというダークエルフだった。外見は若いが、実年齢は四十才だった。
彼は元々は南集落で狩人をしていたダークエルフだった。だが集落の食糧事情が苦しくなり、二十年ほど前に集落を出て、それからは主に傭兵として暮らしてきた。
それがしばらく前に集落へと戻ってきた。
レンのおかげで集落の食糧事情が改善したからだった。移住者を集めているという話を聞き、彼はそれに応じたのだった。
集落へと帰ってきたローハンだったが、すぐにまた集落を出ることになった。新しくターベラス王国側に北集落を作ることになり、そこへ最初に送り込む人員に選ばれたからだった。
北へと向かった彼は、北集落の創設に最初からたずさわり、主に集落周辺の警備を担当していた。そしてルドリスに弓の技量を見込まれ、ロッシュへ送り込む一人に選ばれた。
彼は今回の戦いに参加できたことに満足していた。
傭兵時代とは違い、金のために戦っているのではない。序列が上の者からの命令に従って戦っているのだ。
個人よりも集団を重視する彼らにとって、命令に従って自分の役割を全うすることは幸せである。
しかもルドリスからは、
「この戦いに参加し、そこで戦って死ぬことは、我々の未来にとって重要な意味を持つのです」
とまで言われていた。
ルドリスの言っていることは彼には難しすぎて、全部をちゃんと理解することはできなかったが、ダークエルフの将来のために死んでくれ、というだけで十分だった。
しかもこの戦いにはレンとガー太も参加していた。ローハンは一人の戦士として、彼らとともに戦えることを誇りに思っていた。最後の戦いが彼らと一緒なら上出来だ。
このようにすでに覚悟を決めていたローハンだったが、それでも彼は死にたいと思っているわけではなかった。死んでもいいが、それより勝って生き残る方がいいに決まっている。
戦いが始まる前は、勝てるわけがないと思っていた。しかし実際の戦いぶりを見ていて、もしかして、という希望がわいてきた。
そう、あの超個体を倒すことができれば――
「放て!」
十分な距離まで引きつけたところで、ローハンは攻撃を命じた。合成弓だけでなく、普通の弓でも届く距離だ。
標的は大きく、動きもゆっくりだったので狙いやすい。
弓隊から放たれた矢のほとんどが命中したが、魔獣の皮膚を貫通することができず、その場にポトポトと落ちる。
はじかれた? いや、しかしあの落ち方は……。
ローハンは奇妙な点に気付いた。
魔獣の中には硬い皮膚を持つものもいる。傭兵時代、鉄の剣すらはじく外殻を持った魔獣と戦ったこともあった。
だから弓が通用しないことも想定していたのだが、今のは落ち方がおかしかった。
硬い皮膚にはじかれたのなら、矢はもっと派手にはね飛ばされるはずだ。
しかし今の矢は全て勢いを殺され、真下にぽとりと落ちた。まるでいったん刺さった後で、抜け落ちたような動きだった。
どういうことか気になったが、今はとにかく攻撃を続けるしかない。
「超個体を攻撃し続けろ!」
命じたローハンも次々と矢を放つが、結果は全て同じ。
矢は命中しても、勢いを殺されてその場に落ちるだけで、超個体になんのダメージを与えることもできない。
どうなっているんだ!? とローハンは困惑するが、原因がわからない以上、打開策も思い付かない。
ダークエルフたちの矢を防いでいたのは、魔獣の表皮を覆う粘液だった。
トカゲのような魔獣の表皮はネバネバした粘液に覆われ、これが攻撃を防いでいたが、それは超個体も同じだった。だがその粘液はより粘度が高く、量も多かった。さらにその下の表皮も硬く分厚い。
超個体はこの粘液と表皮という、硬軟合わせた二重の防御で身を守っていた。
命中した矢は粘液で勢いを殺され、表皮を貫くことができずにその場に落ちていたのだ。
超個体を攻撃しながら、ローハンは迷っていた。
このまま攻撃を続けるべきか、それとも無駄とも思える攻撃をやめ、最初やっていたように普通の魔獣を攻撃すべきか。
そんな彼の目が、一人の人物を捉えた。
その少女は横道から大通りにふらりと出てきた。城門へと向かう超個体の前に、まるで立ちふさがるかのように。
「あいつは……」
ローハンがつぶやく。
超個体の近くにいた魔獣が動いた。
ほとんどの魔獣は城の中へと突撃していたが、超個体の周囲には、まるで身辺を守る親衛隊のように、まだ十体ほどの魔獣が残っていた。その中から二体の魔獣が飛び出し、目の前に現れた少女へと襲いかかった。
少女はその場から動くことなく、自分に向かってきた魔獣を一撃で真っ二つに斬り裂いた。続けて襲いかかってきた二体目の魔獣も、やはり一撃で両断して倒す。
それを見ていた弓隊のダークエルフたちから感嘆の声が上がった。
魔獣との戦いを続けていたレンも、その少女に気付いた。
一番の特徴である長く美しい銀の髪は、魔獣の返り血で汚れていたが、それでも一目で彼女だとわかる。
「カエデ!」
「はーい!」
呼びかけると、カエデはクルリと振り向き、剣を振って笑いながら答えてくれた。
超個体の周囲に控えていた残りの魔獣が、そんなカエデに襲いかかろうと走り出したが、
「シャアアアアッ!」
という超個体の鳴き声で、その動きを止めた。まるで「下がれ」とでも言ったかのようだ。
超個体が再び一歩を踏み出すと、カエデも超個体に向かって走り出した。
巨大な超個体に対し小柄なカエデ、両者の体格差は圧倒的だった。
近付いてきたカエデに対し、超個体は右手を振り下ろした。その巨大な拳は通りの石畳を粉砕し、まるで爆弾でも爆発したかのように土砂や石が跳ね飛んだ。
だがカエデはすでにそこにはいない。超個体の攻撃が当たる直前で右に飛んでいた。そして地面を蹴りつけ、低い姿勢で超個体へと襲いかかる。
狙いは左足だった。
彼女の剣は狙い違わず、超個体の左足に当たったが、浅く食い込んだところで刃が止まった。
「!?」
カエデがびっくりした顔をする。
今まで戦ってきた魔獣から、彼女なりに超個体の固さを予想していたのだが、相手の防御力はそれを大きく上回っていたのだ。
そしてその驚きが彼女の動きをわずかに遅らせた。
うなりを上げた魔獣の右腕が、カエデの小さな体を殴り飛ばした。彼女の体は通りに面していた民家の石壁に激突し、さらにそれを突き崩して家の中へと飛び込んだ。
「カエデ!?」
魔獣と戦いながらも、カエデの方を見ていたレンは驚愕した。
いかにあの超個体が強力とはいえ、まさかあのカエデが一撃で倒されるなど思ってもみなかった。
超個体は何事もなかったかのように、再び城門へ向かって歩き出していた。