第89話 ロッシュ防衛戦6
レンは魔獣に向かって矢を放ちながら、こんなことなら特別製の矢を持ってくればよかったと思った。魔獣の骨を練り込んだ矢のことだ。今彼が持っている矢は、全て普通の矢だった。さっきまで壁の上にいたときは、レンは弓を使っていなかったので、それらの矢は全てダークエルフたちに渡してしまっていた。
レンの持つ弓もダークエルフの合成弓だから、その威力は高い。だがいくら強い弓でも、普通の矢では魔獣を殺すどころか、行動不能にするのも難しい。相手が一体だけなら何本も命中させればいいのだが、何体もいるとそうはいかない。レンの矢が当たって倒れた魔獣も、すぐに起き上がろうとしている。
このままでは止められないと思ったレンは、隣にいるカエデに頼んだ。
「カエデ、周りの魔獣を蹴散らしてくれ」
「はーい!」
待ってましたとばかりに返事をしたカエデは、屋根の上から魔獣に向かって飛び降りた。
普通の人間どころか、普通のダークエルフにも無理な頼みだったが、カエデにならそれができる。
両手で剣を振り上げたカエデは、落ちた勢いのまま、落下地点にいた魔獣を脳天から真っ二つにすると、さらに剣を横薙ぎにして隣にいた魔獣の胴体を斬り、こちらは上下真っ二つにした。
「おおっ!?」
レンの弓を見た時のように、またもや兵士たちからどよめきが上がる。
「あの銀髪のダークエルフを援護しろ!」
ダルタニスが、この機を逃すなとばかりに命じた。
カエデの活躍で士気が上がった兵士たちが、一気に魔獣へと斬りかかっていく。
そのカエデは縦横無尽に動き回り、次々と魔獣に斬りつけていくが、その顔は少し不満そうだった。
そして何体目かの魔獣を斬ったとき、彼女の剣は胴体に食い込んだところで止まってしまう。
「あれ?」
とつぶやいたカエデめがけ、魔獣が腕を振るう。だがカエデはすぐに剣を離して飛び退き、魔獣の一撃は空振りに終わった。
「うー、あのネバネバ気持ち悪い……」
などと言いながら、カエデは近くに倒れていた兵士の死体から剣を拾うと、再び魔獣へと斬りかかっていく。
魔獣の体表を覆う粘液、さらに魔獣の血が剣に付着して、切れ味を落としてしまったのだ。新しく拾った剣もすぐに斬れ味が落ちてくる。そのためカエデは何体か魔獣を斬ると剣を捨て、また別の剣を拾うというのを繰り返す。彼女にとって都合のいいことに替えの剣、つまり魔獣に殺された兵士の死体はたくさんあった。
カエデの活躍もあって、しばらく魔獣を止められそうだと思ったレンは、その隙に屋根から飛び降りてダルタニスのところへ行く。
「無事だったかダルタニス男爵」
「どうにかね」
さすがに疲れているようだったが、それでもダルタニスは笑って答えた。
「君こそ元気そうでなによりだ。それにしてもあの少女……君に謝罪しないといけないな」
「なんのことだ?」
「あの銀髪のダークエルフだよ。私はてっきり君の愛人か何かだと思っていた。こんな戦場に愛人を連れてくるとはずいぶん余裕だな、なんて思っていたのだが、いやはやとんでもない勘違いだったようだ」
「あの子は我が知る限り最強の戦士だ」
答えながら、やっぱりそんな風に思われていたのか、と思った。
カエデの銀の髪は、黒く染めようと思いながら、結局そのままここまで来てしまった。普通のダークエルフと違い、エルフの身体的特徴を持っているダークエルフは、男女問わず需要が高いという。愛玩動物的な意味で、あるいは性的な意味で。
幸か不幸かレンが目立ちすぎたおかげで、カエデはそれほど注目されていないと思っていたのだが、やはりそういう目で見られていたのだ。
「それにしてもあの少女といい、その見事な弓の腕前といい、君は本当に何者なんだ?」
「……仮面の騎士と言ったはずだが」
「そうだったな。しかし気になってしまうよ」
「それより、今のうちに城へと急いだ方がいいのでは?」
「確かに。カイエン、ここを任してもいいか?」
「はい! この調子なら大丈夫です。先に行って下さい」
とカイエンが答える。
カエデの活躍もあり、兵士たちには余裕がうかがえた。彼の言う通り大丈夫そうだ。
「ではここは任せる」
とうなずいたダルタニスはレンに向き直り、
「君には城まで同行をお願いしたいのだが?」
「元よりそのつもりだ」
ダルタニスを助けにここまで来たのだ。一緒に行くのが一番だろう。
「我の後ろに乗れ」
「私が乗っても大丈夫なのか?」
「余裕だ」
城へ戻るには二人乗りが一番早い。来た時と同じように屋根の上を行けば、逃げる人が多くいても関係ない。ガー太の脚力なら、鎧を着たダルタニスを乗せても行けると思った。
「余裕だよなガ……ホウオウ?」
一応確認する。ダルタニスが聞いているので、ホウオウと呼び直して。
「ガー」
返ってきたのは、えーっといった感じの不満そうな鳴き声だった。乗せられるけど乗せたくない、みたいな。
「そこを何とか。緊急事態だし」
「ガー」
「ありがとう」
どうにか承諾を得る。
「……君はその鳥と会話できるのか?」
「会話というか、何となく言っていることがわかるぐらいだな」
「君がすごいのか、その鳥がすごいのか、どちらなんだろうな?」
「それは――」
言いかけて、こんな事をしている場合ではないと思い直す。
「それより早く乗れ」
「そうだな。すまない、どうしてもその鳥が気になってしまってね」
言いながらダルタニスがレンの後ろにまたがる。
「カエデ! すまないがもうちょっとここで戦って、それから城の方へ戻ってくれ」
「はーい!」
「魔獣が増えてきたら、囲まれる前に逃げるんだぞ!」
「はーい!」
剣を振るいながら軽い調子で返事をする。
彼女にはここでしばらく魔獣を足止めしてもらい、兵士や住人が逃げる時間を稼いでもらうことにする。あの様子なら大丈夫だろう。
「しっかりつかまっていてくれ。行くぞ!」
「ガー!」
高らかに鳴いてガー太が走り出す。さすがに一人乗りのときより若干遅くなっているが、力強い走りで一気に加速し、民家の塀を踏み台にして屋根の上まで飛び上がると、そのまま屋根から屋根へと駆け抜けていく。
「ははっ! これはすごいな」
後ろに乗っているダルタニスが楽しそうに笑う。彼にもこんな経験は初めてなのだろう。まるで空を飛んでいるかのようだ。
ダルタニスだけではなく、レンもそれを楽しんでいた。行きはダルタニスを探していたので楽しむ余裕はなかったが、今はその余裕がある。レンは軽い高所恐怖症だったが、今はガー太に乗っているおかげか全然恐くない。ひたすら爽快だった。
屋根の上を行ったので逃げる人々に邪魔されることもなく、ガー太はあっという間に城の近くに到着する。
「このまま東の門へ回ってもらえるかな?」
レンたちが到着したのは城の北側だが、この城の門は東西にあった。
防衛のためだろう、城の周囲には数十メートルの幅で何もない空間が作られていた。ガー太はそれに沿って屋根の上を東に向かい、門が近付いてきたところで地面に飛び降りた。
東門には逃げてきた多くの兵士や住人が集まっていたが、その近くにガー太が落ちてくると、彼らは悲鳴を上げて逃げ出した。どうやらここまで魔獣が投げ込まれたと勘違いしたようだ。
「みんな落ち着け! 私だ!」
ダルタニスが声を上げると、逃げようとしていた人々は足を止め、呆気にとられた顔になった。
「領主様、今、空から落ちて……?」
「その通りだ。この仮面の騎士の鳥に乗せてもらい、飛んで帰ってきた」
ガー太から下りながら、ダルタニスはそんなことを言った。
「あの鳥は空を飛べるのか?」
「ガーガーじゃなかったのか?」
なんて声が人々から上がった。
そんな多くの人々に囲まれながら、ダルタニスとレンは城の東門をくぐる。
門を入ったところは中庭になっていたが、そこにも多くの兵士や住民たちがいた。さらにダルタニスが返ってきたことを聞いたのだろう。城の中からも多くの兵士や住人が出てきた。
彼らに向かってダルタニスが命じる。
「ここにもすぐに魔獣が来る。急いで迎え撃つ準備を整えるぞ!」
だが兵士たちの反応は鈍い。彼らの体には疲労が蓄積し、彼らの目には魔獣への恐怖が浮かんでいた。
勝てるわけがない――そんな気配が漂っていた。