第87話 ロッシュ防衛戦4
戦闘開始から、街の北側での戦いはずっと膠着状態が続いてた。
壁を這い上がってくる魔獣を、兵士たちが槍で突いたりして必死にたたき落としている。
弓による攻撃では魔獣に大きなダメージを与えることができず、下にたたき落としても魔獣は打撃に強い。落ちても超回復によってすぐに動き出し、また壁を這い上がってくる。
ずっとこの繰り返しだった。
これはまずいな、とダルタニスは強い危機感を覚えていた。
攻撃をしのぐのに精一杯で、魔獣にとどめを刺して数を減らすことができないのだ。
このまま膠着状態が続けば、先に崩壊するのは自分たちの方だろうと思った。
魔獣のスタミナは無尽蔵で、傷付けてもすぐに回復し、とどめを刺さない限りいつまでも動き続ける。対して人間のスタミナには限界があるし、受けた傷はすぐに治らない。
長期戦でどちらが勝つかは明らかだろう。
戦い方を間違ったかと思ったが、他の方法は思い付かなかった。
こうして防御に徹しているから持ちこたえているのだ。例えば街を出て野戦に打って出ていたら、一撃で粉砕されていただろう。
だがこのままではジリ貧で、しかもそれがわかっているのに打つ手がない。
いっそのこと、あれが動いてくれないものか――ダルタニスは魔群の後ろで控えたまま動かない巨大な超個体を見た。
普通の魔獣でも苦戦しているのだから、あの巨体を倒すのは簡単にはいかないだろう。
だがあれを倒せば魔群は統率を失うはずだ。一か八かの賭に出る価値はあると思った。
その超個体が動きを見せた。
前に出てくるのか? と期待したダルタニスだったが、そうではなかった。
超個体は右手を伸ばすと、近くにいた魔獣をむんずとつかみ上げた。
共食いでもするつもりかと思ったダルタニスだったが、これも外れた。
超個体は右手をブンッと振って、つかんだ魔獣を街の方へと放り投げてきたのだ。
「なんだと!?」
高らかに宙を舞った魔獣は、ダルタニスたちの頭上を越え、彼らの背後にある街の中へと落下した。
魔獣は一軒の民家の屋根に激突し、それを突き破って家の中へと落ちる。
「なんだ!?」
「なにか落ちてきたぞ?」
周囲にいた住人たちが、何事かと驚いて、魔獣が落ちてきた家に集まってくる。
この時、壁の後ろの街では、多くの住人が戦闘の手伝いに参加していた。そのほとんどが老人や女子供だった。
兵士としては戦えなくても、物を運んだり、けが人の手当をしたりと、手伝えることはたくさんある。
人間同士の戦争なら、戦えない住民たちは家の中に隠れていただろう。
しかし魔獣には占領とか捕虜などという考えはない。人間は皆殺しであり、守備隊の敗北は住民の死に直結している。
住民たちも負ければ終わりというのがよくわかっていたので、何かやれることはないかと手伝いを申し出て、それをダルタニスが受け入れていたのだ。
そんな住民たちの何人かが、おっかなびっくりと家の中をのぞき込む。
彼らは落ちてきたのが魔獣ということに気付いていなかった。
魔獣は衝撃に強い。人間なら即死する高さから落ちてきても、魔獣は死んではいなかった。
屋根が落ちた家の中はもうもうとほこりが舞い上がり、外からでは中の様子が見えなかった。
住民の一人の若い女性が、もっとよく見ようと身を乗り出したところへ、ほこりの中から何かが飛び出して来た。
大きな口を開けた魔獣だった。
「えっ?」
その若い女性は悲鳴を上げる間もなかった。
魔獣が彼女の首筋に噛みつき、一撃で首の骨をへし折ったからだ。
代わりに悲鳴を上げたのは周囲の住民たちだ。
「魔獣だ!?」
「逃げろ!」
たちまち周囲は大混乱になる。
若い女性を殺した魔獣は、次の犠牲者を求めて、逃げようとした別の住民へと襲いかかる。
しかも落ちてきた魔獣は一体だけではなかった。
超個体は次々と街に魔獣を投げ入れ、落下地点はどこも大混乱になった。
「領主様!?」
「落ち着くんだカイエン」
あせるカイエンに対し、ダルタニスは冷静な口調で答えた。
予想外の攻撃に驚いたのはダルタニスも同じだったが、彼は冷静さを保っていた。
「幸い落ちてくる魔獣は一体ずつ。だったら個別に対処していけばいい。五人一組でチームを組み、それを落下地点に向かわせる。一体ずつ確実に仕留めるんだ」
「はっ!」
冷静さを失わない指揮官の様子に、周囲の兵士たちも落ち着きを取り戻すかに見えた。
だが事態はダルタニスの予想を超えて急激に悪化する。
街の中にいたのが兵士たちならば、この事態にも対応できたかもしれない。
だがそこにいたのは、手伝いの女子供や老人だった。
特に戦いに慣れていない女性たちが、魔獣を見て悲鳴を上げて逃げ出した。その恐怖と混乱は周囲に伝染する。逃げ出す人々を見た人々も次々と逃げ出し――つまりパニックが起こった。
こうなると兵士たちも容易に動けない。落ちてきた魔獣を倒しに行こうとしても、混乱する人々に巻き込まれて、自分たちがどこにいるのかもわからなくなる有様だった。
住民の手を借りたのが間違いだったか――混乱する下の様子を見て、ダルタニスはそんなことを思ったが、今となってはどうしようもない。
さらに街でのパニックは、壁の上で戦う兵士たちにも影響を与えた。
なにしろ後ろから悲鳴や助けを求める声が聞こえてくるのだ。これを気にせず戦えるのは余程の者だけだろう。
背後が気になり攻撃の手がゆるんだため、ついに魔獣が一体、壁の上まで登ってくる。
「突き落とせ!」
指揮官の命令に従い、数人の兵士が斬りかかるが、彼らが最初の一体目を倒す前に、二体目、三体目が上がって来る。
背後の騒ぎで士気が落ちていたのも影響し、魔獣の攻撃を支えきれなくなってきた。
「もうダメだ!」
と逃げ出す兵士が一人現れると、それにつられて他の兵士も逃げ出し始めた。いずれも住民から徴兵した兵士たちだ。
「逃げるな! 踏みとどまって戦え!」
部隊の指揮官たちが必死の形相で命じても、一度始まった崩壊は止められず、逃げ出す者が増えていく。
さすがに守備隊の兵士たちはまだ踏みとどまっているが、彼らも明らかに及び腰になっていた。
「領主様。残念ながらここまでです。城まで下がりましょう」
「そうするしかないか」
無念そうなカイエンの言葉に、ダルタニスもうなずくしかない。ここから魔獣を押し返すのは不可能だと判断した。
「全員退却する! 城まで下がれ!」
そう叫んだダルタニスも逃げ出す。踏みとどまって戦うことはできない。まだ城での戦いがあるのだから、ここで死ぬわけにはいかなかった。
命令が下されたことで、ギリギリ踏みとどまっていた守備隊の兵士たちも退却を開始するが、これは簡単ではなかった。
戦いにおいては退却戦が一番難しい。勇敢に戦っていた兵士でも、逃げ出した途端に恐怖に襲われるのだ。
この時もそうだった。秩序ある退却などできるはずもなく、戦線は一気に崩壊した。
逃げ出したところを背後から魔獣に襲われる兵士が続出するが、被害はそれだけにとどまらない。
壁から下りる階段に、兵士たちが我先にと殺到したため、足をすべらせ、あるいは味方の兵士に押されて転落する者が続出した。
はたしてどれだけの者が城まで退却できるのか、背後をふり返りたくなるのをこらえ、ダルタニスは城へと急いだ。
北側の味方が崩壊するのを見たレンは、決断を迫られていた。
「仮面の騎士様、どうすれば?」
ギルゼーに聞かれたレンは考える。
まず、ここに残るのはダメだ。
北側の壁が突破された以上、ここを守り続けて意味がない。それに北側から外壁の上を魔獣が押し寄せてきたら防ぎきれない。
ではどうするかだが、ゆっくり考えている時間はない。レンは即座に決断した。
「ここは放棄する。城へ戻るぞ」
それしかないと思った。街の壁が破られたら、もう街の中心にあるロッシュ城しか防衛拠点がない。もしそこも破られれば……いよいよロッシュの街の終わりだ。
ここ東側では魔獣を全く寄せ付けていない。今なら城へ退却するのも容易だろう。善は急げと思ったのだが、人間部隊の指揮官が異議を唱えてきた。
「待て! まだ命令も来ていないのに、勝手に持ち場を放棄するなど許さんぞ」
「ならばお前たちはここに残るがいい」
言い争いをしているヒマはないと思ったレンは強気に出ることにした。
「我らは城に戻る。ギルゼー!」
「はっ! 退却準備に移ります」
ダークエルフたちは整然と動き始めた。全員が一度に動いたりせず、まずは殿となる者を選ぶ。彼らが魔獣を牽制し、その間に他の者たちが退却するのだ。
人間部隊の指揮官は、命令を無視するダークエルフたちに何もできない。止めようと思うなら、もう実力行使しかないが、先程までのダークエルフの戦いぶりが思い浮かぶ。とても彼らを止める力はない。
部下たちを見れば、誰も彼もが不安そうな顔をしている。ここに残れと命じてもすぐに逃げ出しそうだ。しかも新しい命令が来るかどうかもわからない。
やむを得ないか、と指揮官も決断する。
「仮面の騎士殿。やはり我々も城へ退却しようと思う」
「そうか。ならば先に行け。それでいいなギルゼー?」
「はい。我々が最後まで残ります」
「すまない。恩に着る」
先にダークエルフ部隊が動いて、その後に人間部隊という順番だと、後ろを支えられるかどうかわからない。そのためまずは人間部隊の方が退却し、後にダークエルフ部隊がいいだろうとレンは思った。ギルゼーも同じことを思ったので、即座に了承する。
「それと我はしばらく別行動をとる。後で城で会おう」
「どちらへ?」
「ダルタニス男爵が心配なのでな。迎えに行ってくる」
ダルタニス男爵がいるかいないかでは、人間たちの指揮に大きく影響する。北側で戦っていた彼が、無事逃げられたのならいい。しかし逃げ遅れているなら助けに行かねばと思った。すでに手遅れ、という可能性はあえて考えなかった。