第7話 ナバルの訪問
また地図を挿入しました。
色々妄想しながら地図を作るのは楽しいです。
「おはようございます。レン様」
「おはようございます」
朝の挨拶をするマーカスに、レンも挨拶を返す。
「お体の調子はいかがですか?」
「だいぶマシになりました。まだあちこち痛いですけど」
ガー太が屋敷にやって来てから三日目の朝だった。
昨日の朝は大変だったとレンは思い返す。目が覚めてベッドから起きようとしたら、全身が激しい痛みに襲われたのだ。
筋肉痛だった。
日本にいた頃はろくに運動などしなかったレンだから、会社の大掃除で机や棚を運んだりしただけで軽い筋肉痛になったりしたものだが、今回の筋肉痛はそんな軽いものではなく、本当に動くのさえつらかった。もちろんそんなひどい筋肉痛を経験したのも初めてことだ。
思い当たることはあった、というか一つしか思い当たらない。
その前の日、ガーガーに乗って走り回ったことだ。
レンには乗馬の経験はなかったが、あれも結構体力を使うと聞いたことがある。
あの時は、なぜかガーガーを自由自在に乗りこなすことができたため、調子に乗ってガーガーの上で色々と動き回っていた。両手を離したまま身を乗り出したりして、危険な体勢になっても安定感抜群だったが、体にはそれ相応の負担がかかっていたということだろうか。
それにしてもこの体でこのひどい筋肉痛、元の体だとどうなっていたんだろう……
日本にいた頃のレンは典型なインドア派だったから、体つきは一言でいうとヒョロガリだった。
一方、今のレンは筋肉ムキムキの青年だ。
ここでは正確な身長は測れないが、目線の高さは前とほとんど変わらないので、身長は170センチちょっとで前と同じぐらいだろう。だが腕の太さは倍ぐらいあるし、胸板は厚く、腹筋も割れている。
日本で生きていたときは、割れた腹筋にあこがれて筋トレするも、ちょっとの間でやめてしまう。そしてしばらくしてからまた筋トレという、よくあるパターンを繰り返したりしていた。
それが異世界に来て、いきなり筋肉ムキムキの体を手に入れてしまった。他人の体なので多少複雑だが、それでも自分の体をほれぼれと見てしまったり、これもナルシストになるんだろうか? と疑問に思ったりしていた。
そんな鍛えられた体で、動けないほどの筋肉痛である。元の貧弱だった体だと筋肉痛どころか、どこか壊していたんじゃないかと思いつつ、昨日はほとんど寝たままで過ごした。
今朝もひどい筋肉痛だったが、だいぶ回復したようで昨日ほどひどくはない。体を動かすたびにあちこちが痛むが、これくらいなら激しい運動をしなければ大丈夫だろう。
「朝食はどうされますか?」
「いただきます」
朝食を食べるため、レンは出てきたばかりの自分の部屋へと戻る。
当初は屋敷の一階にある食堂で食べていたのだが――以前のレンがそうやって食事していたらしい――そこは十人ぐらい座れそうな大きなテーブルが置かれた広い部屋だった。日本でも一人暮らしだったので、一人で食べるのは慣れていたのだが、なにしろ部屋が広いし無音だしで、かなり寂しさを感じたので自分の部屋へ食を運んでもらうように変えてもらったのだ。
自室も十分に広かったが、食堂で食べるよりは落ち着いた。
それに今は一人じゃないし、と思いながら後ろを振り返ると、ガー太がぴょこぴょことついてくる。
昨日は自室で寝た切り状態だったレンの隣で、ガー太もほとんど寝たまま過ごしていた。だが今日はこうしてレンの後をずっとついてくる。まさに親鳥の後をついて歩くひな鳥だが、気になることが一つ。
やっぱり大きくなってるよね……?
昨日は気づかなかったが、今朝こうして見ると、ガー太は一昨日よりも一回り大きくなっている。気のせいではない、と思う。
ためしに両手でガー太を持ち上げてみると、まだまだ両手で抱えられるサイズではあるが、やはり大きくて重くなっている。筋肉痛の腕だとけっこうつらい。
「成長期なのかな?」
「ガー?」
ガー太に聞いてもよくわからない。
ガーガーの成長が早いのか、ガー太だけ成長が早いのか、あるいは魔獣などがいる世界だから、地球とはそもそも動物の成長速度が違うのか、そのあたりも含めて謎だ。ガー太は元気そうだから、よく育つ子だ、ぐらいに思っておくことにした。
「レン様、よろしいでしょうか?」
自室に戻ってガー太と一緒に朝食を食べていると――ちなみにガー太の朝食は干し草だ――マーカスが扉をノックしてきた。
「何ですか?」
「ナバル様がお見えになっていますが、今日はどうされますか?」
巡回商人のナバルは昨日も挨拶に来ていたのだが、昨日は筋肉痛で寝込んでいたので今日にしてもらったのだ。
「会います」
できれば顔が怖いナバルには会いたくないのだが、そうもいかないだろう。
屋敷の一階にある応接室に行くと、立ったまま待っていたナバルが、挨拶より先にいきなり頭を下げてきた。
「このたびは本当に申し訳ございませんでした。本当に、なんとお詫びすればよいか」
「お顔を上げて下さい。あれは僕の方が悪かったんですから、そんなにあやまっていただかなくても」
悪いのは今のレンではなく、元のレンなのだが、ここでそんなことを言っても話がややこしくなるだけだ。
「ありがとうございます」
そう言ってナバルはまた頭を下げる。
しかし今のレンには謝罪される理由がないので、こうして頭を下げられても居心地が悪いだけだ。
ナバルは頭を下げたまま、レンはどう言えばいいのかわからず黙ったままで、応接室は暗く沈んだ雰囲気になりかけたが、
「お兄ちゃん、それガーガーの赤ちゃん!?」
弾んだ声はナバルの後ろから聞こえた。
娘のミーナが、父親の足下から興味津々という顔でガー太を見ている。
緊張していて彼女がいたことに気づいていなかったレンだが、笑顔で彼女に応えた。
「そうだよ。ガー太っていうんだ」
「ガータ! さわっていい?」
「こらミーナ――」
「別にいいですよ」
ナバルが止めようとしたが、その前にレンが応えた。
「ガー太もいいよね?」
「ガー」
仕方ないなあ、とでもいうようにガー太が鳴くと、ミーナは笑顔でガー太に駆け寄り、さっそく両手でなで回している。
ガー太の方は少し迷惑そうだが、我慢してもらおう。
「申し訳ありません。どうしても付いてくると言ってきかなくて……」
「一昨日もそうでしたけど、ミーナちゃんはガーガーが好きなんですね」
「はい。いつもは遠くから見ているだけなのですが、一昨日はガーガーにさわれたのが余程うれしかったようで、今日もついていくと言い張りまして。領主様のところに行けば、またガーガーにさわれるんじゃないかと思ったようです」
「昨日までは庭に他のガーガーもいたんですけどね」
ガー太と一緒についてきた他のガーガーたちは、昨日の朝まで庭で寝ていたのだが、気が付くとみんないなくなっていた。きっと本来の住処である草原へ帰ったのだろう。
「領主様はずいぶんとガーガーになつかれているようですが、何か理由があるのでしょうか? それに、あれは本当にガーガーの子供なんですか?」
「ガーガーの子供で間違いないですよ。僕のことを親だと思っているのか、ずっと一緒についてくるんで、ここで飼おうと思っています」
「ガーガーの子供を飼うおつもりなのですか?」
信じられないという顔でナバルが聞いてくる。
「なぜだかわかりませんけど、ガーガーたちは僕のことを怖がらないみたいで。あの子も親のガーガーから預けられたようなものですから」
「はあ……」
やはりナバルは信じられないという顔をしている。
「まあ座って下さい」
ミーナがいてくれたおかげで少し空気が軽くなり、レンも多少の余裕を持ってナバルと話ができるようになった。
二人は椅子に座り、向かい合って話し始めたが、最初のうちはナバルが一方的に謝罪するだけだった。
「とにかく今回のことについては、本当に申し訳なく――」
「いえいえ、それはもういいですから」
レンがいいと言っても、ナバルは何度も何度も頭を下げた。
レンは本当にもうやめてほしいと思っていたのだが、ナバルの方はとにかく必死だった。
基本的に村から出て行かない南の村の住人たちと違い、ナバルは貴族というものをよく知っている。権力者に逆らうことが自殺行為でしかないことも。
一昨日、南の村の住人たちはレンを追い返したが、あれにもナバルは大反対していたのだ。マーカスが推測していた通り、村人たちはいざというときはレンを殺そうとまで相談していたのだが、そんなもの、マーカスにしてみればまさに自殺行為でしかない。
だが反対しすぎて村人たちと敵対してしまえば、これまた巡回商人を続けていくことが難しくなる。
まさに上と下の板挟みになって苦慮していたのだが、そこへ昨日のあの騒ぎが起こってしまった。
村人たちはレンを追い返して、ざまをみろと喜んでいたが、ナバルはとても喜ぶ気にはなれなかった。
あの場では引き下がったが、レンが村人たちをそのままにしておくとは思えなかった。いよいよ抜き差しならぬ状況になったと危惧していたのだが、予想に反して一昨日会ったレンは穏やかな態度でナバルと接した。
今もそうだ。こうして穏やかに自分と対応してくれている。以前のレンを知るナバルにしてみれば信じられないことだ。激怒したレンが、問答無用で剣を抜いて斬りかかってきてもおかしくないと思っていたのに、これは一体どういうことなのか。
表向きは穏やかにしておき、裏で何か企んでいるのかとも疑ったが、レンは粗暴で直情径行な少年であり、そういうまどろっこしい事はしない人間だった――はずだ。
まるで別人になってしまったかのようなレンを前にして、ナバルは不気味で仕方がなかった。
そのためナバルは必死になって謝罪を繰り返したのだ。その際、はっきりとは言わないが、自分は南の村の住人たちとは違い、レンに逆らう気がないこともしっかり伝えておく。
南の村の住人たちを見捨てて保身に走ったようなもので、ナバルにも後ろめたい気持ちはある。だが自分と家族が一番大事なのは明らかだし、元々彼にはレンに逆らうつもりがなかったのも本当だ。一緒にしないでほしいというのは、彼にしてみれば正当な主張でもあった。
一方、レンの方は最初からナバルをどうこうするつもりはなく、二人の考えはすれ違っていたのだが、これまで通りの関係を続けていきたいという結論は同じだったので、話はすぐにまとまった。
「とにかく僕としては、ナバルさんにはこれまで通り商売を続けて行ってほしいと思っています。それで問題ありませんか?」
「もちろんです。しかし今回の件、本当に何もお咎めなしなのでしょうか?」
「はい。何度も言いますけど、僕はもう気にしていませんから」
嘘だとナバルは思った。だがそれを言って相手を問い詰めるわけにもいかない。
レンは事故にあって反省し、心を入れ替えたとナバルに言ったのだが、彼はそんな言葉を信じていなかった。きっと何か裏があると思いつつ、しかし許すと言っている以上、ここではそれ以上のことは聞けないだろうとあきらめた。
この先、何が起きるか――ナバルはそんな不安な気持ちで帰ることとなった。
そうやって二人で話している間、ずっとガー太と遊んでいたミーナは、すっかりガー太のことが気に入ったようだ。ナバルが帰ると言っても、まだまだ帰りたくなさそうだったが、レンがまたいつでも来ていいよと言うと、ガー太に向かって何度も手を振りながら帰って行った。
帰るナバルを玄関まで見送った際、門の外に大きな荷馬車が止まっているのが見えた。ナバルはあの馬車に荷物を積んで、村を回っているとのことだ。
馬車には彼の家族も一緒に乗っていた。妻と娘のミーナ、そして彼の両親の五人家族だ。その五人で一緒に村を回っているのだ。
馬車の周囲には他に数人の男たちがいたが、彼らは道中の護衛兼雑用係として雇われている監視村の住人たちだ。
南の村のだけでなく、他の村で雇われた住人たちもいる。訪れた村で手空きの住人がいれば、その都度、数日とか数週間という短期雇用で雇っているのだ。村人にとっては、いい小遣い稼ぎになっていて、農閑期だと雇われる人数も多くなったりする。
監視村を回って商売をしつつ、村人を雇って報酬を払う。そのあたりは持ちつ持たれつなのだろうとレンは思った。
荷馬車が出発していくのを見送り、屋敷の中に戻ったところでレンは大きく息を吐いた。
やっぱり彼の相手をするのは疲れると思った。
ナバルは終始低姿勢だったが、体は大きく強面である。まだこの世界の常識もよくわかっていないから、誰と会話しても神経を使うが、迫力あるナバル相手だとなおさらだった。
「二週間後ぐらいに、また来るって言ってましたね」
「何もなければ、それぐらいで戻ってくるはずですから」
ナバルは今日これから東の方へと向かうとのことだった。
この屋敷から一番近いのは南の村だが、そこから東へ一日ほど歩けば隣の村、東一の村へ着く。そこからさらに東に一日歩けば東二の村。そうやって徒歩一日ぐらいの距離で監視村が置かれており、東五の村まで存在している。
五つの東の村も、南の村と同じく黒の大森林を監視するために作られた監視村だ。
東五の村からさらに東へ向かうと、そこで大きな川にぶつかるため、東の方の監視村はそこまでしか作られていない。
一方、西の方にも監視村がある。こちらは森の西側に沿って西一の村から西四の村まで四つの監視村があって、その先でガスパル山脈にぶつかる。山脈の向こうが隣国ザウス帝国だ。
ナバルの行程は、村から村への移動で一日、到着した翌日は村で商売して一日、そしてさらに翌日はまた移動で一日、という繰り返しだ。
これで東五の村で商売を終えるまでが十日間。戻りは村では泊まるだけなので五日間。何も問題なければ、15日後にはまたここへ戻ってくるという計算だ。
もちろん予定通りに行かないことも多い。天候や体調で、そして何より魔獣のせいで。
現代日本なら二週間ぐらいの出張なんてたいしたことはなく、予定通り行って帰ってくるのが当たり前だろう。
しかしこの世界では人里離れた場所を移動するだけで大きな危険を伴う。道などもちゃんと整備されているわけではないから、ちょっとした雨でも大きく予定がずれることがあるのだ。何より魔獣に遭遇するという最悪の事態も存在する。
魔獣に遭遇してしまえば予定どころではなく、下手をすれば人生が終了してしまう。まさに命がけの道行きだ。
ちなみに、この世界でも七日で一週間という単位が存在している。
この世界には神が六日で世界を創り、七日目に休息したという神話があって、そこから一週間という単位が生まれたらしい。
レンは元の世界での一週間の起源について詳しく知らなかったが、確かキリスト教が元で、同じように世界を七日間で創ったから、みたいな話を聞いた記憶があった。
もしそうだとすれば、アルファベットに似た文字といい、やはりこの世界と元の世界には何らかの交流があったのではないかとレンは考えていた。