第85話 ロッシュ防衛戦2
レン率いるダークエルフ部隊は、日が沈んだ頃に東側の壁の上に移動し、そこで待機となった。
見張りから「魔獣発見」の報告があればすぐに戦闘態勢に入るが、それまでは待機だ。無駄な体力の消耗を防ぐため、ダークエルフたちは思い思いの格好で休んでいる。
レンもカエデやリゲルと一緒に、壁にもたれて眠ることにする。
緊張で眠れるかどうか不安だったが、自分でも意外なことにすぐに眠りに落ちた。野宿にもすっかり慣れていたし、知らない間に神経も図太くなっていたようだ。
幸いなことに夜の間に魔獣の襲来はなく、レンは朝までぐっすり眠れた。
そして朝方、ロッシュの街の鐘が一斉に鳴り響いた。
「魔獣が来たぞ!」
という兵士たちの声も聞こえる。
目を覚ましたレンは、魔獣の姿を探すが、
「見えないな……」
どうやら街の北から魔群が迫っているらしいが、レンのいる東側からは、その姿を見ることはできなかった。
「来たか」
ダルタニスがつぶやく。
彼がいたのは北の外壁だった。ここからだと魔群の様子がよく見えた。
魔群はロッシュの街の少し北で川からあがり、そこから街の方へ南下してきた。このままいけば、この北側の壁が主戦場となるだろう。
「西の方の守備隊に、もう少しこちらへ兵を回すように伝えてくれ」
「はっ!」
伝令の兵士が、西側の壁へと走っていく。
「見たことのない魔獣だが、カイエンはあんな魔獣を知っているか?」
「いえ。私も見たことがありません」
魔獣は巨大なトカゲのような姿をしていた。それが四つんばい、あるいは二足歩行でこちらへ迫ってくる。
この魔獣は遙か北の北氷海に現れ、そこからルベル川を南に下ってきたという。この近辺で見たことがないというのも当然か、とダルタニスは思った。
「なんて数だ……」
とつぶやく兵士もいる。
この近辺にも魔獣は出現するので、魔獣と戦ったことがある兵士は結構いたが、一度にこれほどの数の魔獣を見た者はいなかった。
「領主様、あれを」
「ああ。どうやらあれがこの魔群を率いる超個体のようだね」
魔群の中、他とは明らかにサイズの違う個体が混じっていた。
他の魔獣は、二足歩行したときの高さが一メートル少しぐらいだと思われたが、その巨体は軽く倍以上、三メートル以上はありそうだ。歩く姿はまさに巨人である。
川から上がった魔群は、ゆっくりと街の方へと迫ってきた。
「全員構え!」
ダルタニスの号令に従い、兵士たちが弓に矢をつがえた。
キシャアアアアッ!
突然、超個体がかん高い叫び声を上げた。それを合図に、魔獣たちが一斉に走り出した。
「放て!」
壁の上から、一斉に矢が放たれた。放物線を描いて飛んだ矢が、魔群の上から降り注ぐ。
矢は次々と魔獣に命中したが、それで止まる魔獣はいない。矢が一本や二本刺さったぐらいでは、魔獣は平気で動き続ける。
壁の上から二射、三射と放たれるが、それも同じだ。魔獣は走る速度をゆるめず、ついに外壁の下までたどり着く。
そこからどうする? ダルタニスは魔獣の動きに注目した。魔獣は攻城兵器など持たない。壁を越えるのに苦労してくれるなら、そこから勝機が生まれると思ったのだが、
「奴ら壁をよじ登ってきます!」
トカゲのような魔獣は、まさしくトカゲのように両手両足を使って城壁をよじ登ってきた。
「突き落とせ!」
槍を構えた兵士たちが前に出ると、壁から身を乗り出すようして、必死の形相で下に向かって槍を突き出す。
何本もの槍に突かれた魔獣が、悲鳴のような鳴き声を上げて落下する。
だが兵士たちの方も無事ではいられない。
突き出された槍を、両手でつかむ魔獣がいた。その魔獣はそのまま下に落ちたが、槍を引っ張られた兵士もバランスを崩して落下する。
「ああああっ!?」
悲鳴を上げて落ちた兵士は、魔群の中に飲み込まれて見えなくなる。
同じように槍を引っ張られて落ちる者、あるいは身を乗り出しすぎて落ちる者もいたが、兵士たちは魔獣を食い止め、一体も上に登らせなかった。
「魔群の一部が左右に分かれていきます!」
見張りの兵士が報告する。
魔獣の群れの大半が北側の壁に殺到していたが、その中から一部が別れ、西側と東側へ大きく回り込むように動いている。
その様子はダルタニスにも見えた。超個体が率いる魔群は、たまにこのような集団としての動きを見せるときがある。超個体にある程度の知恵が備わっているからだろう。普通の魔獣と比べてとてもやっかいだ。
西側と東側へ向かった魔獣の数は、それぞれ百体ぐらいだろうか。
西側の方は大丈夫だろうと思った。多少こちらへ兵力を引き抜いたが、まだ十分な数がいる。
問題は東側だと思った。
あちらにいる兵士は、住人から徴兵した兵士がほとんどだ。そしてダークエルフ部隊。
もし支えきれないようなら、こちらから援軍を回す必要があるな、とダルタニスは思った。
「魔群がこちらに来ます!」
見張りの叫び声の通り、魔群の一部がこちらに向かってくるのがレンにも見えた。百体ほどの群れが、一度街から離れるような動きを見せたと思ったら、くるっと方向転換して一直線にこちらへ突っ込んでくる。まるで人間の軍勢のように統率された動きだった。
戦闘開始以来、魔群の攻撃は北側の壁に集中していた。
ここからだと北側の様子はよくわからない。どうやら防いではいるようだったが、詳しい状況がわからずやきもきしていた。
もしかしてこのまま待っているだけなのだろうか、と思っていたところに魔群の一部が向かってきた。ついにここでも戦いが始まるのだ。
迫り来る魔獣を見たレンは、まるでリザードマンみたいだと思った。
ファンタジーゲームなどでよく登場するリザードマンは、そのまんまトカゲ人間のことだ。この魔獣はそれとよく似ている。
相手がリザードマンなのはいいとして、本当に戦えるのか、とレンは少し不安に思った。
ダークエルフたちのことではない。味方の人間の部隊についてだ。
東側の壁には、レンたちのダークエルフ部隊三百名と、人間の部隊三百名が配備されていたが、この人間の部隊が見るからに寄せ集めなのだ。
部隊のほとんどが、年をとった老人か、子供のような若者で、しかも戦場に慣れていないのだろう、妙にざわついているように見えた。
「敵が来るぞ! 弓を構えろ」
人間部隊の指揮官が命じると、兵士たちは弓を構えようとしたが、緊張からか矢を落としたりする兵士が続出する。
おそらく短時間の訓練しか受けていないのだろうとレンは思った。それでいきなりの本番だ。緊張するなというのが無理だろう。
「仮面の騎士様?」
ダークエルフ部隊を指揮するギルゼーが、レンに確認してくる。レンはそれにうなずいて答えた。
統一行動は難しいだろうということで、人間部隊とダークエルフ部隊は別々に動くことになっていた。
ダークエルフ部隊の指揮官はレンということになっているが、レンには部隊を指揮した経験などないから、実際の指揮はギルゼーに全て任せると事前の打ち合わせで決めていた。今のはその確認である。
ちなみに呼び名が仮面の騎士様なのは、人目があるところでレン様や領主様はまずいだろうということでそうなった。
「構え!」
ギルゼーの号令に従い、ダークエルフたちも弓を構える。こちらも弓に不慣れな者がいたが、少なくとも落ち着いてはいるようだった。
レンは後ろで見ているだけだ。彼の横にはカエデとリゲルがいたが、ガー太はいない。
ガー太が壁の上まで登ってくるとギュウギュウいっぱいになるので、今はこの下で待ってもらっている。
魔獣はどんどんこちらに近付いてくる。そろそろ弓の射程距離に入るかな、と思ったところで、人間部隊から一本の矢が放たれた。
我慢できなくなった誰かが矢を放ったのか、それとも手を滑らせてしまったのか。原因はわからなかったが、一人が矢を放ったことで、連鎖的に他の者たちも次々と矢を放つ。
「待て! まだ遠い!」
指揮官が慌てて止めようとしたが、あせって動いた兵士たちは中々止まらない。
放たれた矢のほとんどは、魔獣の群れに届かず、その手前の地面に突き刺さった。
なんて無様な、と思ってしまったレンだが、すぐに自嘲する。
僕も人のことを笑えないじゃないか、と思って笑ったのだ。何しろ今も足が震えそうになるのを必死に抑えているのだ。ガー太に乗っていれば、もっと冷静でいられただろうが、一人で立っていると不安で仕方がないのだ。
人間部隊の指揮官は、そんなレンの笑いに気付いていた。口元は仮面に隠れていないので、笑っているのはわかるのだ。
指揮官の顔が羞恥と怒りで赤くなる。彼にはレンの笑いが自嘲でなく、自分たちに対する嘲笑に見えたのだ。
そしてダークエルフたちはまだ動かない。人間たちの動きに釣られることもなく、じっと矢を構えたままだ。
魔獣はどんどん迫ってくる。すでに弓の射程距離に入っているが、それでも動かない。
「下に向けて構えろ!」
ギルゼーの命令を聞いて、レンはおやっと思った。どうやら弓を打ち下ろすつもりのようだ。
弓を遠くまで飛ばそうと思うなら、斜め上に構えて射る。そうすると矢は放物線を描いて遠くまで飛ぶ。
ギルゼーも最初はそう考えていたようだが、人間たちの動きを見て考えを変えたのか、壁の上から下に向けて弓を構えるように指示した。こうすると射程は短くなるが、上から打ち下ろすので威力が高くなり、命中率も上がる。
混乱する人間部隊を尻目に、ダークエルフたちは魔獣が近付いてくるのをじっと待つ。そしていよいよ魔獣が壁の下に迫ったところでギルゼーが命じた。
「放て!」
眼下の魔獣に向けて、ダークエルフたちの矢が一斉に放たれた。