第84話 ロッシュ防衛戦1
ダークエルフたちの街への入場は、異常な雰囲気の中で行われた。
周囲を兵士たちに守られて、というより護送される捕虜のような雰囲気である。それを見る街の住人の目も冷たく、ダークエルフたちも居心地が悪そうだった。
彼らはロッシュ城の一角に集められ、そこで待機することとなった。ダルタニスが言った通り、兵士の監視付きで自由行動も許されない。
「すまない。こんなことになってしまって」
「どうかお気になさらず」
謝るレンに、軍勢の指揮官であるギルゼーが答える。
「こういう扱いは慣れておりますので」
どうやら本心で言っているようなので、これなら大丈夫そうだと安堵しつつ、これが当たり前だという現状に悲しくなる。
ダークエルフたちはギルゼーの命令に従って行動するので、不心得者が出てくる心配はないだろう。
レンにも監視の兵士はついていたが――ダルタニスは護衛の兵士と言っていたが、どう考えても監視だろう――城や街の中を自由に行動していいとの許可をもらっていた。いざという時のために、地理を把握しておく必要があるとの理由で。
「ではまず街を一周したいのだが」
「わかりました」
監視役の兵士がうなずく。
仮面をじろじろ見られたりはするものの、彼を初めとして、兵士たちの対応はおおむね丁寧だった。
これはダルタニスがレンについて、ヴァイセン伯爵の配下の者だろうと話したからだ。もちろん明言はしてはいないが、それとなく話せば誰もが察した。
正体不明の仮面の男は、どうやらヴァイセン伯爵が送り込んできたらしい――そんな噂はあっという間に街中に広がった。
ヴァイセン伯爵への好感度が高かったおかげで、怪しい仮面の男であるレンへの対応も、ずいぶんマシになったのだ。
監視役の兵士に案内され、レンは街の外壁へと向かった。一緒にカエデとリゲルがついてくる。
ガー太にこそ乗っていなかったものの、仮面を着けたレンは住民から注目された。遠くからレンの方を見て、ひそひそ話をするような住民がほとんどだったが、中にはレンの方に近寄ってきて、
「この街は大丈夫ですか!?」
兵士に制止されながら、そんなことを聞いてくる者もいた。
「最善を尽くす」
とだけレンは答えた。
自信なさげな顔での返答だったのだが、仮面に隠れてその顔は見えない。おかげで周囲からは自信に満ちていると見られ、住民たちは彼の言葉に力づけられた。
レンはまず北の外壁に上がった。
ロッシュの街は西でルベル川に面している。川の岸辺に街の外壁が立っているのだ。今レンがいる場所からは左手の方に広いルベル川が見えた。ルベル川はこの先もずっと北へと向かい、海まで続いているそうだ。
壁の上から見ると、街の周囲には広大な農地が広がっているのがわかった。ルベル川から灌漑用の水路も引いているようだ。
見晴らしもいいので、北から来るであろう魔獣の接近を見落とすことはなさそうだ。
街を囲む壁は一つなぎになっているので、レンはそのまま壁の上を歩いて西の方へと向かう。
壁の上には等間隔で見張りの兵士が立っていて、彼らは見張りを続けながらも、みんなレンの方をチラチラと気にしていた。
「うわあ!」
レンが思わず感嘆の声を上げたのは、街の西側に回って、それが目に入ってきたからだ。
「レン、すごく大きいね!」
カエデが普通にレンの名を呼んだのでギョッとする。
他人がいるところで名前を呼んじゃダメと言っておいたのだが、忘れているようだ。
とっさにリゲルが、
「すごい大きいですね!」
それこそ不自然に大きな声で言う。
「あれがロッシュの石橋です」
監視役の兵士が自慢げに言う。
どうやらカエデがレンと呼んだことには気付かなかったようだ。
ナイスだリゲル、と目で合図を送ると、リゲルは軽くうなずいて答えてくれた。そして小声でカエデに何か言っている。
「あ、そうだった」
なんてカエデは言っているから、どうやらリゲルが注意してくれて、レンから言われていたのを思い出してくれたようだ。
ホッとしながらも、後でもう一度カエデにちゃんと言っておこうと思った。
気を取り直したレンは、ロッシュの石橋に目を向けた。
それはルベル川をまたぐ長大な石橋だった。ルベル川はこのあたりで浅く広くなっており、川幅は一キロ近くにもなる。ロッシュの石橋はその川の東西を結んでいた。
レンは写真で見たことがあるローマ水道を思い出した。確か長い石橋があったはずだ。あれは写真だけで実物を見たことはないので、実際にどれほどすごいのかはわからなかった。
一方、実際にこの目で見たロッシュの石橋は、すごいとしか言いようがなかった。
ロッシュの石橋はまっすぐな橋で、途中に何本もある橋梁は、中州の上に立っていたり、川の水の中に立っていたりしている。これほど巨大で美しい石橋を、どうやって建造したのか、どれほどの手間をかけたのか、その知恵と技術に感動する。
ロッシュの石橋のこちら側は、街の西側の壁にある門に直結している。川の向こうはザウス帝国領だ。
「この石橋は今からおよそ八十年前、我が国がルベル川の西にも領土を有していた頃、川の行き来を便利にするために建造されました。建造を指揮したのがあの天才技士ミロージョンです」
知っていて当然とばかりの言い方だが、レンは初耳である。
「ルベル川にかかる唯一の橋で、大陸最大の橋とも言われています。残念ながら今の我が国では、これほどの橋を造るのは無理でしょう。ザウス帝国でも無理ではないでしょうか」
そうやって話す兵士の顔は誇りに満ちていた。彼に限らず、この橋はロッシュの人々にとっての誇りなのだ。
今は魔群の影響で人通りが絶えているが、平時はルベル川を越えようとする多くの人々が行き交っている。船で川を渡るのと比べて、圧倒的に便利だからだ。
一方、この橋のせいでロッシュは戦火に見舞われてきた。過去三度のザウス帝国の侵攻は、全てここロッシュの街を狙ってのものだった。
「ザウス帝国との戦いでは、この橋を守れるかどうかが勝負の分かれ目でした。ですが魔獣相手では、そうはならないんでしょうね……」
兵士は不安そうにつぶやいた。
魔群に対する報告は、その日の夕方にもたらされた。偵察に出ていた騎兵が戻ってきたのだ。
「魔群は依然としてルベル川をこちらに向かっています。このままいけば、ここに来るのは今日の深夜か、明日の朝と思われます」
報告を聞いているのは、ダルタニスを初めとするロッシュの街の幹部たちだ。テーブルを囲む男たちの末席にはレンも座っていた。聞いておいた方がいいだろうと呼ばれたのだ。
「夜に来られると非常にまずいな……」
ダルタニスが言う。
この世界の人間同士の戦いでは、夜戦はまず行われない。
単純に暗いからだ。二つの月が出ていれば、夜道を歩けるぐらいの明るさはあるが、戦いとなったら敵味方を区別するのは困難だ。同士討ちも覚悟で捨て身の夜襲、というのもあったりするが、それはあくまで例外である。
だが魔獣は違う。魔獣には昼も夜も関係なく、人間を見つければ襲いかかってくる。そして夜の戦いでは魔獣の方が圧倒的に有利だった。
「どうされますか?」
「残念ながら私たちに選択肢はない」
ダルタニスが部下の問いかけに答える。
「これが野戦なら軍勢を動かせるが、街は動かせないからね。夜の間に来ないことを神に祈りつつ、防衛体制を整えておこう」
「では神に祈りを捧げましょう」
そう言って一人の男が立ち上がり、右手を胸元に当て、両目を閉じた。
ダルタニスを含め、この場にいた全員が同じようにするのを見て、レンも慌てて同じことをする。
何かの儀式だろうかとレンは思ったが、それは当たっていた。
右手を胸に当てて目を閉じるのは、ドルカ教の祈りだった。ドルカ教は大陸西方でもっとも信仰されている宗教で、ターベラス王国の国教でもある。さらにいえばザウス帝国やグラウデン王国の国教でもあった。
この異世界にも宗教は存在していたが、レンは今まで知らなかった、というか興味がないので知ろうともしなかったわけだが。またダークエルフたちとばかり付き合っていたのも理由だろう。世界樹という神が存在している彼らは、人間の宗教を信仰したりしない。
ある程度以上の街なら、ちゃんと教会も存在している。ロッシュの街にも大きな教会があり、城内には礼拝場もあった。
今、立ち上がって祈りを捧げた男は、この街の教会を束ねる司教だった。
兵士や住人には敬虔な信者も多い。防衛戦になれば、信仰は心を支える強い武器にもなる。だからこの場に司教も呼び、協力を求めていたのだ。
「事前の割り振りに従って、住民たちを徴兵する。魔群は北から来る。どこで川から上がってくるかわからないが、北から西が主戦場となるだろう。そこに兵士を多く振り分ける」
部下と相談しながら、ダルタニスは兵力を振り分けていく。外壁の上に兵士を並べ、そこで魔獣を迎え撃つのだ。
そして最後にレンの名が呼ばれた。
「仮面の騎士殿にも働いてもらう。君が連れてきたダークエルフたちは、街の東側で迎撃準備についてくれ」
「東側?」
意外な命令だった。てっきり魔群が攻めて来るであろう、北側か西側に配備されると思ったのだが。
人間の軍勢なら、街を包囲して守備の手薄な場所を攻める、といった戦術を考えるだろうが、魔獣には戦術などない。人間を見つけたら、まっすぐ襲いかかるだけだ。東側まで来る魔獣は少ないと思われた。
「ダークエルフたちは我々と共同の訓練も行ったことがない。我々の中に組み込むより、君たち独自で動いた方がいいだろう。だから東側の一区画を任せたい」
多分、この言葉は建て前で、信用できないっていうのが本音なんだろうなと思った。重要な場所を任せるわけにはいかない、というわけだ。
だが言っていることは正しいとも思った。多くの兵士たちの中にダークエルフが入ると、連携が上手くいかない可能性はあるし、兵士たちは彼らが気になって戦いに集中できないかもしれない。
「東には他に兵士三百を回す。君たちには彼らと共に、東側をしっかり守ってほしい」
「わかった。全力を尽くそう」
これで話は決まった。魔群の襲来に備え、ロッシュの街はにわかに騒がしくなった。