第83話 受け入れ
「知っての通りヴァイセン伯爵は私の義父だが、このカイエンもヴァイセン伯爵の下で働いた経験があってね」
「そうなのか?」
ちょっと意外な話だった。
「はい。もう何十年も昔の話ですが、ヴァイセン伯爵がここの領主様だったときに、共にザウス帝国軍と戦いました。当時の私は警備隊長などではなく、一兵士でしたが」
レンは聞いていなかったが、ヴァイセン伯爵はここロッシュの領主を務めていた時期があるのだ。そしてその領主時代にザウス帝国の侵略を受けている。その時のヴァイセン伯爵は獅子奮迅の活躍を見せ、ついにこの街を守り抜いた。
このためロッシュの住人にとって、今もヴァイセン伯爵は特別な存在だった。
「あの舅殿のことだ。黙って見ているとは思っていなかったが、まさか君のような男を送り込んでくるとはね」
「我の仕事は、いざという時に男爵の奥方と子供たちをお救いすることだ」
「君の身元については信用しよう。だがそれが本当に可能なのか? 妻は頑固者でね。最後の最後まで逃げようとはしないだろう。正直、兵士や住民たちへの影響も大きいので、助かっている面もあるのだが」
あのヴァイセン伯爵の娘や孫が、逃げずに残っているという事実は、多くの者たちに勇気を与えていた。
「だがやはり妻と息子と娘には生き残ってほしい。いざ逃げるとなったとき、きっと周囲は魔獣に囲まれているだろう。そんな状況で、君は無事に三人を連れ出せるのかね?」
「簡単にはいかないだろうが、可能だと思っている。我が乗ってきたホウオウという鳥は、人間どころか魔獣も恐れない。そして奥方と子供二人を乗せて走っても、馬より速く走れる」
はずだとレンは思った。そこはガー太にがんばってもらうしかない。
「それはすごいな。そんな鳥なら私もほしいぐらいだ。あのホウオウ、確か東方の鳥だったか? 君のを譲ってくれとは言わないが、どうやって手に入れたのだ?」
「それは……」
まさかそこに食いついてくるとは思っていなかったので、細かい設定は考えていなかった。
「残念ながら、その詳しい事情も話せない」
仕方ないのでそれでごまかすことにした。
「そうか。残念だ。では今回の騒ぎが片付いたら、自力で探してみることにするよ」
探しても見つからないんですけど……。ちょっと罪悪感を覚えてしまった。
「君のことはわかった。いざという時のために準備もしておこう。だが問題なのは外にいるダークエルフたちだ。あれは君の部下か?」
「そうだ。この街を助けるために集まった援軍だ」
「なぜよりによってダークエルフを……ああ、そういうことか」
ダルタニスは自分で答えにたどり着いたようだ。
「この国の人間をここへ送ることはできない。だからダークエルフか。さすがは舅殿、とんでもないことをお考えになる。だがよりによってダークエルフとは……」
「そんなに問題か?」
「ダークエルフは信用できない」
ダルタニスはきっぱりと言った。
「だから私は普段からこの街にダークエルフを入れなかった。ちゃんと身元が保証できるなら別だがね」
「ロッシュの街にも、それなりのダークエルフがいると聞いていたのだが」
「誰に聞いたかは知らないが、それは間違いだ」
レンはルドリスからそういう話を聞いていた。だが実のところ、それは彼の思い込みだった。
実際はダルタニスの言う通りで、今のロッシュの街にダークエルフは一人もいなかったのだ。
ルドリスがそんな間違いを犯したのは、ガゼの街を基準に考えてしまったからだ。ヴァイセン伯爵はダークエルフへの嫌悪感が薄かったため、特に彼らを排除しようとはしなかった。そのため多くダークエルフがガゼで暮らしていた。そのほとんどが貧民街に住んでいたが、街の中で働くのも許されていた。
北集落の移住者、そして今回の軍勢をすぐに集めることができたのも、ガゼとその周辺に多くのダークエルフが暮らしていたからだ。
ルドリスは、だからロッシュの街も同じようなものだろう、と単純に考えていたのだ。
しかし実際は違った。ロッシュは国境の街であり、入ってくる人間のチェックは厳しい。同時にザウス帝国との交易の街でもあるので、厳しいだけではダメだった。ダルタニスは絶妙のバランス感覚で、締めるところは締め、ゆるめるところはゆるめ、見事に街を運営していた。だがダークエルフに対しては一貫して厳しかったのだ。
理由は今彼が言った通りで、ダークエルフを全く信用していなかったからだ。そんな彼の姿勢は、部下の兵士や、街の住人たちにも影響を与える。今では街全体がダークエルフに対してかなり排他的だった。
「それでなくても魔群の接近で、住民たちの緊張は高まっている。そこへダークエルフの援軍を受け入れることはできないな」
「それは困る。我らも苦労してここまできたのだ。帰れと言われて帰るわけにはいかない。ダークエルフは強いし、裏切ったりもしない。今のこの街にとって貴重な戦力になるはずだ」
「君の身元を信用するとは言ったが、その言葉までは信用できないな。だがあのまま街の外に居座られるのも困る。カイエンはどう思う?」
「私もダークエルフが信用できないという領主様の意見に同感です。ですがあのダークエルフたちが、ヴァイセン伯爵様が送って下さった援軍だというなら、それを受け取らないというのもどうかと思います」
「なるほど。舅殿のお心遣いを無駄にするなというわけか」
「他の方であれば、絶対に反対なのですが……」
「正攻法でダメだから、こんな奇策を考えられたのだろうからな」
実はヴァイセン伯爵が考えたのではなく、ルドリスの提案が元なのだが、もちろんそんなことを言ったりはしない。
「そこを強調すればどうにかなる……か?」
しばらく考え込んでいたダルタニスだが、ついに結論を下す。
「わかった。ダークエルフたちを受け入れよう」
「感謝する」
「ただし条件はつけさせてもらう。ダークエルフたちの自由行動は認められない。全員が一ヶ所に集まってもらって、監視の兵士もつけさせてもらう」
「まるで犯罪者扱いだな」
不満をにじませてレンが言った。
「無用の騒ぎを起こさないためだ、と理解してほしい。お互いにとってそれが一番いいはずだ」
「わかった。それで肝心の魔群との戦いには参加させてもらえるのだな?」
「そのつもりだ。正直なところ、兵士の数が足りていないのも事実なのでね。戦力は大歓迎だ」
ついでにそれも説明しておこうと言って、ダルタニスはロッシュの街の兵力について教えてくれた。
「まずは街を守る守備隊が千名。これが防衛の主力だ。それに警備隊が三百人ほど。住民から戦える者を徴兵すれば二千名ぐらいにはなるだろう」
防衛戦となれば、当然戦える者は根こそぎ動員される。
「これに君が連れてきたダークエルフが?」
「三百人ほどだ」
「では合計で三千近くの兵力になる。質はともかく数はそれなりのものだ。街にこもって戦えば、相手が一万以下なら持ちこたえる自信がある。ただし人間相手なら、だが」
攻めてくるのは魔群であった。
「魔群の数は千体を超えているという。人間と比較するのは難しいが、やはり十倍以上の戦力と考えるべきだろう。だとすれば一万を超える軍勢ということになる。これで街を守るのは厳しいと言わざるをえない」
「援軍があれば……」
カイエンが無念そうに言う。
「そうだな。一万、いや五千でも援軍があれば、ここを守れるはずだ。私は陛下にそう進言したし、ヴァイセン伯爵も賛同して下さった。だが反対派も多く、結局陛下はこの街からの退避を命令された。魔群をやり過ごし、後で戻ってくればいいと言うのだが……」
「納得していないようだな」
「当然だろう。誰が考えたか知らないが、こんなものは机上の空論だ。一万の軍勢を動かすというならできるが、一万の住民を動かすなど簡単にできるはずがない」
「そういえばどれぐらいの住民が残っているのだ? かなりの数がいるように見えたが」
ここに来るまで多数の住人を見かけた。
「元のロッシュの人口がおよそ一万。逃げたのは千人ちょっとだろう。上を見ても二千はいかないはずだ」
「そんなに残ったのか」
ほとんどの住人が残っていることになる。
「多くの住人には逃げるあてなどない。後で戻ってくればいいといっても、それがいつになるかもわからない。逃げ出して路頭に迷うより、この街に残ることを選んだのだ。それと一緒に守備隊がほぼ全員残ってくれたのは、私にとってもうれしい誤算だった。住民との絆もあるし、この街を守ることに誇りを持ってくれているのだろう」
これが日本だったなら、きっと住人のほとんどが避難していただろうとレンは思った。社会も何もかもが違うので、比べることに意味がないとはわかっているが、ついつい思ってしまうのは仕方のないことだった。