第80話 進軍
「それじゃあ行こうか」
「はい!」
ガー太にまたがったレンに、元気な返事の声は二つ。
カエデとリゲルの二人だった。結局、リゲルも同行することになったのだ。
レンは反対したのだが、リゲル本人がそれを望み、ルドリスも賛成したため最後は押し切られてしまった。自分の命を最優先すること、という条件を付け、ルドリスにもそう命じてもらったがやはり心配だった。
ガゼの街を出発した三人と一羽は、街道を西へと向かう。ただ歩く速度はそれほど上げない。追いついてくるはずのダークエルフたちを待つためだった。
すでにルドリスも、急いで連絡を回しますと言ってガゼの街を出ている。彼の言っていたことが確かなら、これからダークエルフたちが集まってくるはずだ。
ルドリスと別れる際、レンは一つ重要なことを彼に聞いていた。
「ダークエルフの軍勢ですけど、その指揮もルドリスさんがとるんですか?」
「私は集落に残ろうと思っています」
というのが彼の答えだった。
「残念ながら私には戦争の経験もなく、戦いは素人です。ですから他に適任の者を指揮官にしようかと」
ダークエルフは序列によってリーダーが決まる。ルドリスが行けば、その時点で彼が指揮官になるのが確定する。経験とか実力とかは関係ない。
「もちろん領主様が来いとおっしゃるなら行きますが」
「いえ。僕もルドリスさんには残ってもらいたいと思っていました」
今の北集落のリーダーはルドリスである。そしてレンの見たところ、彼の手腕は確かなものに思えた。ここで彼がいなくなってしまうと、次のリーダーが彼ほど上手くやってくれるかどうかわからない。
さらに戦いの経験がないというのだから、ここは別人に任せた方がいいだろうと思った。適材適所だ。
街道を西に進むレンたちは、ガゼに来たときと同じように、街道を行く人々から注目された。ただ反応がちょっと違っている。
ガゼに向かっていたときは、じろじろ見られているという感じだった。しかし今はギョッと驚かれているような感じだ。
やっぱりこれが原因かな……
レンは指で自分の顔をなでる。そこには黒い仮面が着けられていた。
慣れておこうと思ったレンは、ガゼの街を出てすぐに仮面を着けたのだが、今ではこれは失敗だったんじゃ? と思うようになっていた。
最初はノリノリだったのだ。しかし最初に仮面を見たカエデの反応は、
「なにそれー!? 変な顔!」
といって大笑いされてしまった。
さらにガー太には、
「ガー」
と微妙な声で鳴かれてしまった。
うん、まあ、お前がそれでいいならいいんじゃない……みたいな感じだった。
「僕は似合ってると思いますよ」
とリゲルだけは言ってくれたが、そう言う彼の顔は少し引きつっていなかっただろうか? レンは彼の言葉を素直に信用できなかった。
そして道行く人々のこの反応である。
かっこいいと思ってたのにダメなのか? と悩んだレンは、早くも一日目にして仮面を外すことも考えたが、ギリギリでそれを思いとどまった。
いや、最初はちょっと驚いても、きっとこのかっこよさをわかってくるはずだと思って。レンは少しムキになっていた。
一日目は三人と一羽のまま進み、街道の近くで野宿した。
商隊のダークエルフたちがいなくなり、人数は少なくなってしまったが、レンとしては全員気心が知れている今の方が気楽でよかった。
二日目も一行はそのままだった。
そして三日目。ダークエルフたちは本当に来るのだろうか、と疑い始めた頃、最初の合流者が現れた。
「ラルークと申します。領主様……ですよね?」
若い男――の外見だが実年齢は不明――のダークエルフは、ちょっと疑わしそうな声で挨拶してきた。彼もレンの仮面に注目しているようだ。
「そうです。あなたはルドリスさんからの連絡で?」
「はい。ロッシュの街までご一緒させていただきます」
そう言ったラルークは、次にガー太に向かって挨拶した。
「ガー太様ですね? お会いできて感激です。どうぞよろしくお願いします」
どう見てもレンへの挨拶より、ガー太への挨拶の方が気持ちがこもっていた。
このラルークを皮切りに、この日は十名のダークエルフが合流した。中には女性のダークエルフもいた。ダークエルフの場合、女性であっても並みの男より戦力になる。
そしてこの時点で、レンは彼らの顔と名前が一致しなくなっていた。
元々人の顔を覚えるのが苦手なのに、ダークエルフたちは全員が若い外見をしているため、年齢で区別することができない。だから余計に誰が誰だかわからなくなってしまった。
レンは全員の顔と名前を覚えるのを早々にあきらめ、ダークエルフのことはダークエルフで管理してもらうように頼んだ。
そして続く四日目。この日の合流者はさらに増え、一行の人数は四十人を超えた。ここまで増えると大集団である。
街道を行く人々は驚くのを通り越し、おびえるようになってきた。一行に気付くと慌てて街道を外れ、周囲の物陰に身を隠す者もいた。
そしてこの日の午後、ついにレンたちを呼び止める者が現れた。
「そこのダークエルフの集団、止まれ!」
大声でレンたちを呼び止めたのは、馬に乗った騎士だった。他に徒歩の兵士たちを二十人ほど引き連れている。全員が武装していた。
騎士が名乗りを上げた。
「我はこの地を治めるカザフ子爵である。お前たちは何者か!?」
ついに来たかとレンは思った。すでにヴァイセン伯爵の領地を出て、他の貴族が治める土地に入っている。その貴族が出てきたのだ。
ここまで騒ぎになるのをさけるため、街道沿いの村や街をさけてきたが、道行く人々の目撃談が伝わったのだろう。数十人のダークエルフの集団となれば、無視することもできず、こうして出てきたというわけだ。
ガー太に乗ったレンが前に出て行くと、貴族たちの軍勢からざわめきが上がった。
「なんだあいつは?」
なんて声が聞こえる。
「僕は――」
レンは名乗りかけたところで言葉を切る。
正体を隠さなければいけないから、ここで本名を名乗るわけにはいかない。だが偽名を考えていなかった。どうしようかと考える。
「何者かと聞いている!?」
黙ったままのレンに、向こうは警戒心を強めたようだ。
このままではまずいとあせったレンはとっさに名乗っていた。
「我が名は仮面の騎士!」
「仮面の騎士だと!? 貴様、ふざけているのか!?」
向こうからは怒りの声が返ってきた。
もしここでレンが素顔のままだったら、向こうにもレンのあせりまくった表情が見えただろう。だが黒い仮面のせいで表情は見えず、相手には落ち着いているように見えていた。
「ふざけてなどいない。理由があってそれ以上は言えないだけだ」
一度名乗ってしまった以上、これでいくしかないとレンは思った。ついでに口調もそれっぽく変えてみる。もはやあせりからの暴走に近い。
「我々はこれよりロッシュの街へ向かうつもりだ。あなた方と争うつもりはないので、ここを通してほしい」
「ロッシュへなにをしに行くつもりだ? まさか魔獣と共に街を襲うつもりか?」
人間の軍勢だったなら、いくらなんでもこんなことは言われなかっただろう。だがダークエルフを魔獣の仲間だと疑う者もいる。このカザフ子爵もその一人というわけだ。
どこまで疑っているのかわからないけど、本気でダークエルフを魔獣の仲間だと思い込んでいたら、やっかいなことになると思いつつ、レンは話を続ける。
「我々はロッシュの救援に向かっている」
そして言葉を付け足す。
「領主ダルタニス様の奥方、そして子供たちをお救いするためだ」
ヴァイセン伯爵から、途中の貴族に止められたときは、このように言えと教えられていたからだ。
効果はあった。この言葉を聞いたカザフ子爵が考える様子を見せたのだ。
なぜ奥方と子供たちなのだ、とまずそこをカザフ子爵は疑問に思った。そして彼はダルタニスの妻がどこの家の出か知っていた。有力な貴族の婚姻関係を把握しておくのは、貴族として当然のことだ。
そして二つの事実が結びつけば、答えは簡単に導き出される。
「貴様、まさかヴァイセン伯爵の!?」
「我はヴァイセン伯爵とはなんの関係もない。この国の人間でもない。ただロッシュの街が危機だと聞き、義によって助太刀しようと思っただけだ。国王陛下はターベラス王国の者がロッシュの街に近付くことを禁じている。だが我が率いているのはダークエルフ。ゆえに我らはその範疇にはない」
「この国の人間ではないと言ったな? ではそのふざけた仮面を外してみろ」
「それはできない」
「なに!?」
「この仮面を外せば、とある方に迷惑がかかる」
とある方――間違いなくヴァイセン伯爵のことだとカザフ子爵は推理する。
否定しているが、この仮面の騎士を名乗る男は、ヴァイセン伯爵の手の者に違いない。伯爵はロッシュの街に援軍を送るべきだと主張していたはずだ。それが許されなかったため、ダークエルフを使うという奇策を思い付いたのだ。ならば伯爵の関係者だと自分から言うはずがない。
カザフ子爵はダークエルフを嫌っている。だからこのようにダークエルフを使うなど考えたこともなかった。しかしヴァイセン伯爵はそれをやったのだ。なりふり構っていられるか、というヴァイセン伯爵の強い思いを感じた気がした。
問題はこれにどう対処すべきかだが、そんなことはわかりきっている。
「いいだろう。ロッシュを助けたいという心意気に免じ、我が領内を通ることを許そう」
それがカザフ子爵の結論だった。近隣最大の貴族であるヴァイセン伯爵に逆らうことはできない。またこれまで伯爵には何度か世話になったこともある。実利の面からも、心情的にも、ここで伯爵の邪魔はできないと思った。
「感謝する」
「ただし、我が領内の街に立ち寄ったりするのはダメだ。領民たちも不安がるし、余計なもめ事を起こしたくないのでな」
「わかった。ではこちらからも一つ頼みがある」
「なんだ?」
「我々の後にも、ロッシュへ向かおうというダークエルフが続くはずだ。彼らも同じように通してやってほしい」
「いいだろう。ところで最後に一つ聞いておきたいのだが」
「なにかな?」
「貴様が乗っているそれはガーガーなのか?」
「その通りだ」
「一体どうやって? ガーガーは人に慣れないはずだが……」
「このガーガーは特別なのだ。説明するとかなり長い話になるが……」
「わかった。ではさっさと行け」
おかしなガーガーに興味はあったが、ここで引き留めて長話などしたくなかった。
それにしてもあの男は何者だ? と遠ざかっていくレンの背中を見ながらカザフ子爵は思った。
鍛え上げられた体つき、堂々とした態度、そしてガーガーに騎乗。どう考えてもただ者ではないと思った。
一方、レンの方はどうにか乗り切れたと心の底から安堵していた。
ガー太に乗っているときのレンは、普段と比べても精神的に落ち着いている。だからとっさに今のようなやり取りができた。ガー太に乗っていなければ、相手の詰問に反論できず、黙り込んでいたかもしれない。
だがそれでも顔に不安が浮かぶのは隠しきれなかった。もし仮面を着けていなければ、こちらの表情を読まれて、もっと不審に思われていただろう。
やはり仮面を着けていて正解だったとレンは思った。