第79話 必要な犠牲
「救援ってそれはまずいんじゃ……というか、そもそも集められるんですか? もう日がないですよ?」
魔群がロッシュの街に来るのが、今のままだと一週間から十日後ぐらいと聞いた。一方、ここガゼの街からロッシュまでは普通に歩けば一週間だという。
ロッシュも守りを固めているはずで、すぐに陥落するとは思えない。だがやはり魔群の襲撃前に到着しておきたい。
そうなると日程はギリギリのように思えるが、ガー太とカエデの足なら、普通の人間よりも早く移動できる。身体能力が高いダークエルフたちもかなりの健脚なので、今から出発すれば余裕で到着できると思う。
だが今からダークエルフたちを集めてとなると大変だ。ガゼの街や、その近隣の街にもダークエルフはいるだろうから、彼らを呼び集めれば三百人ぐらい揃うかもしれない。だがそれには日にちがかかる。
「ご安心下さい。集落への移住者を集める際、連絡網を作っておきました。それで近くのダークエルフたちに連絡を回して招集できます」
ルドリスは自信を持って答えた。
どこに誰が住んでいるか。そしていざという時に誰が誰に連絡を伝えに行くか。簡単ではあるが、そんな連絡網をルドリスは作っていた。
「そんなの作ってたんですか? 用意がいいですね」
「来るべき日に備えてのことです」
「?」
来るべき日と言われてもレンにはなんのことがよくわからなかったが、おそらく集落が魔獣の群れに襲われたときのことだろう、と納得した。
だがルドリスの考えは違っていた。
彼はいつかレンがダークエルフの軍勢を作るつもりだと考えていた。連絡網はその来るべき日に備えての準備の一つだ。迅速に兵士を集めるために必要だと思って作ったのだ。
「連絡を受けた者には順次、街道に出てロッシュに向かうよう伝えます。いったんどこかに集まるより、このやり方の方が早いでしょう。そうすれば十分間に合うと思います」
つまりロッシュの街に現地集合というわけだ。
「なるほど、それなら間に合うかもしれませんけど……。でもどうして救援に行こうと思うんですか? こう言ってはなんですけど、ロッシュは人間の街ですよ?」
ダークエルフの集落が襲われるというならわかる。しかし人間の街を命がけで助けに行こうという理由がわからない。しかも確実に負けると思われる戦いに参加しようというのだからなおさらだ。
「もしかしてロッシュにはダークエルフがたくさん住んでるんですか?」
「ロッシュは大きい街なので、百人以上のダークエルフが住んでいるはずですが、彼らを助けるためではありません。なにより彼らは街が危ないとなれば逃げ出しています。すでに集落の方でも何人か受け入れました」
どこへ行っても貧しい暮らしを送っているダークエルフたちだが、それでも彼らは仲間を頼ることができる。だから逃げずに残っているというのは考えづらい。
「じゃあどうしてですか?」
「ヴァイセン伯爵様の信頼を得るチャンスだからです」
「ヴァイセン伯爵の?」
「そうです。ご存じの通り我々は人間から嫌われています。ですがこの先のことを考えれば、多少なりとも心証をよくしていかなければいけません。しかしそれは簡単ではない」
差別の根深さについてはレンもわかっているつもりだ。
「ここで我々が伯爵様のためにとロッシュへ行けば、伯爵様によい印象を持ってもらえるでしょう。今の我々に必要なのは行動です。それも上辺だけの行動ではなく、実際に戦って血を流す必要があります」
「でもロッシュの街は危険すぎませんか? もしかすると全滅する恐れだって……」
「だからです。我々はロッシュで死ぬでしょう」
あっさり死ぬと言われてレンは驚く。
「ロッシュの街を守るために最後の一人まで戦って全滅すれば、きっと伯爵様も我々のことを信頼してくれるでしょう。逆に言えば、そこまでやらなければ我々が信頼を勝ち取ることはできません」
ヴァイセン伯爵様の信頼を得ることができれば、これからのダークエルフ全体にとって大きな利益となるだろう。密輸もそうだし、北集落を大きくしていくのもやりやすくなる。それはレンにもわかる。だがそのために命を捨てるというのは……本当にそこまでしなければならないのだろうか?
「これは領主様が我々に与えて下さった絶好の機会です」
「僕が?」
「もし我々だけだったなら、そもそも話も聞いてもらえなかったでしょう。万が一話を聞いていただけたとしても、ダークエルフの援軍などとんでもないと言われて終わりです。しかし領主様が我々を率いていくとなれば別です。領主様から提案していただければ、伯爵様も承諾して下さるのではないかと」
レンがダークエルフの軍勢を率いるのと、ダークエルフがダークエルフの軍勢を率いるのとでは話が全然違ってくる。現状で後者が認められることはないだろう。
「……わかりました。ヴァイセン伯爵に提案してみます」
悩んだ末にレンはそう答えた。
ありがとうございますと笑顔を浮かべるルドリスに対し、レンは複雑な心境だった。
もし彼らの提案が認められ、ロッシュの街へ援軍を送ることになれば、ルドリスが言った通りその多くが命を落とすだろう。そんな犠牲は出したくない。だが彼はその犠牲こそが必要だと言っている。
考えるレンの頭の中に思い浮かんだのは、第二次世界大戦のアメリカ軍の日系人部隊のことだった。
そもそもの始まりは、日本とアメリカが開戦し、日系人が強制収容所に入れられたことだった。日系人が裏切るかもしれないと警戒されたためだ。
敵国の血を引いているからというだけで、強制収容所に入れるなど、とんでもない人権侵害だと思うが、昔のアメリカではそんなことが平気で行われていたのだ。
そんな中、強制収容所に入れられた日系人の中から志願兵が集められた。
彼らは自分たちが戦うことでアメリカへの忠誠を示し、それによっていわれのない疑いや差別を晴らそうとしたのだ。
ヨーロッパのナチスドイツとの戦いに投入された日系人部隊は、死をも恐れぬような戦いぶりをみせ、多大な犠牲を払いつつ、大きな戦果を上げた。
そんな彼ら日系人部隊の犠牲と活躍は、戦後のアメリカ社会で、日系人差別の解消に大きな影響を与えたという。
レンの知識はとあるゲームから仕入れたもので、日系人部隊について知っているのはそれぐらいだ。もしかしたら間違っている部分もあるかもしれない。
だが差別をなくすには、言葉だけではダメで、行動するしかないというのはよくわかる。血を流してこそ勝ち取れる信頼というものがあるのだ。
だからルドリスの頼みを断れなかった。
彼らは自分たちの将来のために、自分たちの命をかけると言っている。それを止める権利はないと思ったのだ。
「でもヴァイセン伯爵が認めてくれるかどうかは別ですよ。最悪の事態を避けるためにロッシュへの援軍を出さないって決めたそうですから、そこへ行かせてもらえるかどうか」
魔群と戦っても勝てる保障はない。そして隣国ザウス帝国との関係も考え、この国の国王は討伐軍も出さず、援軍も送らないと決めたそうだ。つまりロッシュを見捨てるという決断を下した。
そこへ少人数ならともかく、数百人のダークエルフの援軍を送るというのを、はたしてヴァイセン伯爵が認めてくれるだろうか。もし断られてしまえば、さすがに強行することはできない。
レンは断られることを覚悟して、それをヴァイセン伯爵に伝えに行った。
「なに!? ロッシュへダークエルフの軍勢を送り込むだと!?」
話を聞いたヴァイセン伯爵は大声を上げた。
「やっぱりダメですよね……」
「さすがはレン殿。予想もつかないことを言ってくれる」
そう言ってヴァイセン伯爵は楽しそうに笑った。
「あの、それはつまり承諾していただけるということですか?」
「もちろんだ。レン殿のその心意気には感服した」
反対されると思っていたのに、あっさり賛成してもらえたのでレンは拍子抜けしたが、実はこれにはわけがあった。
レンは知らなかったが、ヴァイセン伯爵も魔群へ討伐軍を送るか、ロッシュの街へ援軍を送るべきだと国王に訴えていたのだ。なんなら自分が軍勢を率いて向かうという書状も送っていた。
だがこれに対し反対派からは、
「ヴァイセン伯爵に万が一のことがあっては一大事」
「例え魔群と戦って勝ったとしても無傷とはいかないでしょう。そこへヴァイセン伯爵を倒す好機とばかりに、ザウス帝国が侵攻してくる危険があります」
などといった反対意見が続出したため、国王は彼の訴えも退け、事態を静観すると決めたのだ。
ヴァイセン伯爵は自他共に認める国王の忠臣なので、一度決定が下されればそれに従う。だが内心では不満が残っていたため、レンの提案にあっさり賛成したのだ。
それでもダークエルフの軍勢というのは少し気になった。ダークエルフの実力はそれなりに認めていてるヴァイセン伯爵だが、信用はしていなかった。しかし今は一人でもいい、ロッシュに援軍を送ってやりたかった。だからダークエルフでもなんでもいいと割り切った。
それに信用できないといっても、攻めてくるのは魔群である。これがザウス帝国との戦いなら裏切りも心配しなければならないが、魔獣相手に裏切っても意味がない。殺されるだけだ。だから心配する必要はないと判断した。
「それと一つお伝えしておきたいのですが、これは元々僕が言い出したことではなく、この国のダークエルフたちが自発的に言い出したことなのです」
「ダークエルフたちが?」
「はい。なんとかヴァイセン伯爵のお役に立ちたいとのことで」
「そうか……わかった。ダークエルフたちにそんな殊勝な心がけがあったとはな。覚えておこう」
意外そうな顔をしたヴァイセン伯爵は、そう言ってうなずいた。
これで少しはダークエルフの好感度が上がったかな? とレンは思った。今回のダークエルフたちの目的はそこにあるのだ。レンもできるだけダークエルフのことをアピールしていこうと思った。
「だが行くのはいいとして間に合うのか?」
「そこは何とかなると思います。ダークエルフたちにも横のつながりがあるそうなので、連絡を回し、途中で合流しつつロッシュへ向かいます」
連絡網などの詳しい説明はさけた。ルドリスの話では、ダークエルフたちの組織化を進めているようだが、これをヴァイセン伯爵に知られれば、危険視される恐れがあったからだ。
勝手に何をやってるんだ? などと思われてしまうと、色々ややこしいことになるだろう。北集落のことも含め、できる限り秘密にしておきたい。
「それで本当に間に合うのか?」
「間に合わなければ、僕とカエデだけで行くだけです。それが当初の予定でしたから」
レンの目的は、あくまでヴァイセン伯爵の娘と孫の救出だ。ダークエルフたちが間に合わなかったとしても、その目的は果たせる。
「いいだろう。他に何かしてほしいことはあるか?」
「できればダークエルフたちに武器を用意してほしいのですが」
ルドリスは三百人ほどのダークエルフを集める予定だが、人数分の武器がないとのことだった。
北集落には、南集落から武器を持ち込んでいた。魔獣との戦いに備えるためだ。世界樹の枝と魔獣の素材を使った強力な合成弓も二十張あるが、それだけでは数が足りない。
「わかった、と言いたいところだが、直接渡すというのはちょっとまずいな」
ヴァイセン伯爵が武器を渡せば、それはつまりヴァイセン伯爵が組織した軍勢と見なされる恐れがあった。それは彼としてはさけたいところだ。
「こういうやり方はどうだ? まずは廃却処分ということで、武器を格安で商人に下げ渡す。それをレン殿が格安で買う、という形だ」
「問題ありません。ちょうど金貨百五十枚ほどの臨時収入があったので」
返す必要がないと言われた借金のことだ。ここで使えばちょうどいいと思った。ヴァイセン伯爵もレンの言いたいことがわかったようで、ニヤリと笑った。
「後はこれだな」
そう言ってヴァイセン伯爵が差し出してきたのは、一枚の黒い仮面だった。目と口の部分が開いているだけの、なんの装飾もない無骨な仮面である。
仮面を着けて行くというレンのため、ヴァイセン伯爵はさっそくいくつかの仮面を用意し、レンはその中からこの仮面を選んでいたのだ。
細かい装飾が施された、見るからに高そうな仮面もあったが、レンは一番安そうなこの黒い仮面を選んだ。壊れても大丈夫なようにと選んだのだが、ダークエルフの軍勢と一緒に行くことを考えると、この黒の仮面こそふさわしいと思う。
「レン殿の頭に合わせてサイズを調整した。着けてみてくれ」
黒い仮面は頭の後ろでベルトで止めるタイプだった。それを着けると顔全体が覆われる。サイズはピッタリだ。視界は悪くなるが、これなら大丈夫そうだと思った。