第77話 特別な存在
「いやその気持ちはうれしいが、レン殿に行ってもらうわけにはいかん。いくらなんでも危険すぎる」
「そのあたりは一応考えています」
一人なら確かに無謀もいいところだが、レンにはガー太がいる。ガー太なら、レンの他に何人か乗せても、魔獣から走って逃げられると思った。もちろん危険はあるが、ダークエルフが行くよりも成功確率は高いと思う。
後は護衛としてカエデに付いてきてもらおうかと思った。彼女が一緒ならより心強い。レンはカエデのことは全く心配していなかった。彼女ならどんな場所からでも平気で逃げ延びられるだろうと思っている。
「レン殿の実力は認めよう。黒の大森林を越えてきたのだ。魔獣と戦う自信もあるとは思うが、魔獣一体と魔群では全く違うのだぞ」
「それもわかっているつもりです。そうですね、もしよければ少しお時間をいただけませんか? お見せしたいものがあるのですが」
ヴァイセン伯爵、そして護衛の兵士たちも、目の前の光景に呆然としていた。
ここはガゼの街の外だ。レンの頼みを聞いてくれたヴァイセン伯爵が、護衛の兵士と共にここまで来てくれたのだ。
街の外に出たレンは、待っていてくれたガー太を呼んだ。
レンの呼びかけに答え、こちらにトコトコ近付いてきたガー太を見た伯爵たちは驚愕した。そしてそのガー太にレンが乗るのを見てさらに驚き、今はガー太に乗って軽やかに走る様子を見て驚いている。ずっと驚きっぱなしだ。
「いかがですかヴァイセン伯爵?」
軽く走り終えたレンが、ガー太に乗ったままヴァイセン伯爵の前まで戻ってきた。
「いや驚いた……私も色々なものを見てきたつもりだが、ここまで人に慣れているガーガーを見るのは初めてだ」
「救出にはこのガー太に乗って行こうと思っています。ガー太なら魔獣に追われても逃げ切れます」
「このガーガーが人を怖がらないのはわかったが、魔獣も平気なのか?」
「大丈夫です。実際に僕はこのガー太に乗って黒の大森林を通ってきました」
「ううむ……」
ヴァイセン伯爵がうなる。
この世界にも馬がいて、人はそれを乗りこなしているが、魔獣との戦いで使われることはほとんどない。おびえて使い物にならないからだ。訓練された軍馬でも、魔獣の気配を感じた途端、暴れ回って騎手を振り落としたりする。
だから今回の救出でも馬は使えないだろうとヴァイセン伯爵は思っていた。
魔獣が来る前にさっさと乗って逃げるのならいい。だが魔獣に襲われて混乱する街から、馬に乗って逃げ出すというのは難しい。その時点で馬は使い物にならない可能性が高い。だったら最初から自分の足で走った方が確実だ。
だからもし本当にこのガーガーが魔獣を恐れないというなら、強力な逃げ足になるだろう。しかし……
「レン殿の言いたいことはわかった。だがやはりダメだ」
「なぜですか? ガー太は本当に――」
「このガーガーの力はわかった。だがレン殿がロッシュの街に行くのはまずい。万が一のことがあれば、外交問題になりかねない。いやそれどころか正体がバレた時点でまずいだろう」
そこまで問題になるだろうかとレンは思った。父親のオーバンス伯爵ならともかく、その息子が勝手に行動しただけなのだから、どうとでもなる気がする。だがヴァイセン伯爵が問題になると言うなら、それが正しいのかもしれない。
「でも僕の正体にバレることはないと思うんですけど。この国に僕の顔を知っている人なんていませんよね? 自分から名乗れば別ですけど」
ネットどころか写真すらないのだ。顔が拡散することもないだろう。
「可能性は低いがいるかもしれない。それにこのガーガーに乗って行ったら、とんでもなく目立つことになるぞ。噂になれば、レン殿の正体に気付く者が出てくるかもしれん」
その危険性はあるかもしれない。ガーガーに乗っている人間なんて他にはいないだろうから、グラウデン王国にガーガーに乗っている貴族がいる、なんて話を聞けば、両者を結びつけて考える者がいるかもしれない。
「じゃあ仮面でもかぶって顔を隠すのはどうでしょう?」
「レン殿が仮面を付けて顔を隠すと?」
「はい。だったら疑われても言い逃れできますよね? 顔がわからなければ証拠がないんですから」
ふとした思い付きだったが、レンは俄然乗り気になってきた。
ただしそれは正体を隠すためというより、単に仮面を付けてみたいと思ったからだ。
アニメやゲームでは、仮面を付けた謎の人物というのは定番だ。レンは自分でもそれをやってみたいと思ってしまったのである。
謎の仮面の騎士、いいいじゃないか、と。
「レン殿はそれでいいのか? 正体を隠すということは、危険を冒しても名誉や名声が手に入らないということだぞ」
貴族がまず気にするのは家や自分の名誉である。家名や自分の名前を高めるために命がけで戦い、家名や自分の名前に傷をつけないために命がけで戦う――それが貴族だ。それなのに名前を隠して行動すれば、なんの名誉も手に入らない。貴族にとっては無意味な行動なのだ。
「別に僕はいいですよ。それにヴァイセン伯爵がおっしゃったんじゃないですか。困ったときはお互い様、そういう関係でいこうって。今度は僕がヴァイセン伯爵をお助けする番です」
「そうか……そこまで言ってくれるのなら、レン殿にお任せしよう。感謝する」
命の次に大事なはずの名誉を、いらないとまで言ってくれたのだ。ヴァイセン伯爵はその心意気に打たれた。
だがレンの方はそこまで考えていなかった。別に名誉とか名声とか、そういうものに全くこだわっていなかっただけである。これはレンが特別というより、多くの日本人に共通する思いだろう。他人を助けるために黒子になるのも気にしない、良くも悪くも控え目な国民性なのだ。
「レン殿が行くのはわかったが、他にも何人かダークエルフを連れて行くのか?」
「はい。護衛として一緒に一人きてもらおうと思ってます」
「一人だけか?」
「一人でもムチャクチャ強いですよ」
「ほう……」
ヴァイセン伯爵が興味深そうな顔になった。彼も一兵卒から己の腕で成り上がった武人である。強者と聞けば興味を引かれる。
「屋敷に帰ったらご紹介します」
街の外にはレンだけで来ていた。カエデも含めたダークエルフたちは、ヴァイセン伯爵の屋敷に残ったままだ。
ガー太とはまたここで別れ、レンはヴァイセン伯爵たちと共にガゼの街へと戻った。
「カエデ、ちょっと来てくれる」
ヴァイセン伯爵の屋敷に戻ったレンは、さっそくカエデを紹介することにした。
「銀の髪のダークエルフか。そういう趣味の者も多いと聞くが……」
こんな幼い少女相手に、あまり感心せぬな――とでも言いたげなヴァイセン伯爵の顔を見て、レンは慌てて否定する。
「違いますよ。変な意味はなくて、この子は本当に強いんです」
「このダークエルフが?」
ヴァイセン伯爵も、ダークエルフの中にはとんでもない腕利きがいるのは知っていた。実際に戦場で剣を交えたこともある。だからダークエルフの実力を侮ってはいないが、カエデの見た目は十代前半の小柄な少女だ。こんな小さな女の子が、と疑問に思うのも当然だった。
「本当です。失礼ですが、伯爵様の護衛の方でも、一対一なら負けないと思います」
「そこまで言うとは、もしかしてこのダークエルフは魔人か?」
「魔人?」
これまで聞いたことのない言葉だった。
「超人とも言う。本当に知らないのか?」
「すみません。ちょっと聞いたことがなくて……」
レンの額から嫌な汗が流れる。ヴァイセン伯爵の言い方からして、どうやら魔人というのは知っていて当たり前のことらしい。
「勉強不足はいかんな。レン殿も貴族なのだ。いずれ魔人を使うこともあるだろうから、知っておくべきだ」
「すみません」
「魔人というのは、魔獣の血を引く人間のことだ。その血の影響で、短時間ではあるがとんでもない力を発揮する。私も何度か見たことがあるが、あれはもう人の力を越えている。まさに化け物だ」
この世界には、そんな人間がいるのかと驚いた。だがそんな人たちがいるのなら、魔獣との戦いでもっと活躍していてもいい気がする。それともレンが知らなかっただけで、実はあちこちで大活躍しているのか。
疑問にはヴァイセン伯爵が答えてくれた。
「強力な魔人だが大きな欠点もある。力を発揮できるのはせいぜい十分ほどだ。それを越えて戦い続ければ暴走し、理性を失ってしまう。そうなればもう人間ではなく、人の形をした魔獣だ。そして一度暴走した魔人は二度と元の人間には戻れない」
「それは危険じゃないですか? 怖くてとても戦えないと思うんですが」
何度か実戦を経験したからわかるが、スポーツの試合と違って戦場では時間がきたから終了とはいかない。敵が襲ってくるなら戦い続けねばならないから、制限時間ありの魔人など怖くて戦えないだろう。味方にいたとしても、やはり怖くて近寄りたくもない。
「その通り。だから滅多に戦場に出てくることはないし、どこの国でも彼らを厳重に管理している。だから庶民の中にはその存在を知らぬ者も多いのだが、貴族であれば知っておいて当然だ」
「すみません。ちゃんと勉強しておきます」
貴重な話を聞いたと思うし、魔人という存在に興味も出てきたが、今は横に置いておくことにする。
「でもカエデは魔人ではありません。普通のダークエルフです」
本当は普通ではない。赤い目と呼ばれる特別なダークエルフなのだが、それを説明すると話が長くなる。またダークエルフが持つ序列についても説明する必要が出てくるが、レンはヴァイセン伯爵にもそれを教えるつもりはなかった。
差別され迫害されているので、ダークエルフについて詳しい知識を持った人間は非常に少ない。今のところ、レンの他に序列について知っている人間に会ったことはないし、そんな人間がいるという話も聞いたことがなかった。
ダークエルフたちには、序列について人間には話さないように頼んでいる。それが本当にいいのか悪いのか、今もはっきり結論を出せていないのだが、人間と全く考え方が違うと知られれば、さらに差別が助長されるのではないかと恐れていた。
序列が上のダークエルフの命令を最優先するということは、つまり人間の下で忠実に働いているダークエルフでも、上から命令されればあっさり裏切るということだ。それに気付かれると非常にまずい気がする。だからできる限り隠し通してほしいと頼んでいた。
ちなみにレンは自分がダークエルフたちに裏切られるとは思っていない。自分に人徳があるとうぬぼれているわけではなく、今の時点でダークエルフたちが裏切る理由がないと思っているからだ。もしレンが邪魔だというなら直接文句を言ってくるだろうとも思っている。そういう部分で、レンは楽観的というかお人好しだった。
「私の護衛の者にも負けないと言ったな?」
「はい」
「ではその実力を試させてもらおうか。こちらで選んだ者と一対一、それでいいな?」
ヴァイセン伯爵が挑戦的な笑みを浮かべる。やはり負けるはずがないと思っているようだ。
「わかりました。それでカエデの実力を見てもらえれば、ウソではないとわかってもらえると思います」
レンも自信満々で答えた。