第6話 ガー太
意外なことに、疾走するガーガーの上でレンが悲鳴を上げていたのは最初の内だけだった。
振り落とされないように位置を変え、ガーガーの背にまたがって座ると、妙にその姿勢がしっくりきたのだ。カッチリと体がはまったような感じで、まるで落ちる気がしなくなった。
そうやって恐怖心が消えると、ガーガーに乗って走るのを楽しむ余裕も生まれた。
風を切って走るのはとても気持ちいい。まるでガーガーと一体になって疾走しているような気がした。
さらに慣れてくると、両手を離して左右に身を乗り出したりもしてみたが、落ちるかもという恐怖心すら抱かず、実際に落ちたりもしなかった。
どうして見事にガーガーを乗りこなせるのか、乗っているレン本人にもわからないままガーガーは草原を走り続け、不意に足を止めた。
時計がないのでよくわからないが、走り始めて一時間ぐらいだろうか。
「ここが目的地なの?」
「ガー」
そうだとばかりにガーガーは答えた。
なんとなく意思の疎通ができている気がしたので、レンはガーガーに聞いてみる。
「もしかして僕の言葉がわかってる?」
だが今度は何も答えてくれない。ある程度、こちらの言うことを理解している気がするのだが。
ここに何かあるのだろうかと思って周囲を確認してみるが、草原が広がっているだけで特に目につくものはなかった。
「ガーガー」
鳴きながらガーガーはくちばしで近くの茂みを指した。
何かあるのかと思ったレンは、ガーガーから下りて腰ぐらいまであった茂みの草をかき分けた。
そこにあったのは、
「卵?」
それは白い卵だった。レンがよく知る鶏の卵と同じような色と形だったが、大きさが違う。ラグビーボールぐらいあった。
ガーガーの卵だろうか? しかしこの卵をどうすればいいのかわからず、困ったレンはここまで自分を運んできたガーガーを見た。
するとガーガーはレンの体を卵の方へと押した。ついてきた他のガーガーたちはレンの方をじっと見ている。
「だから、どうすればいいんだよ?」
「ガー」
自分に何かをさせようとしていることはわかるのだが、何をしていいのかわからない。
仕方ないので、とにかく卵を調べてみようとレンは右手で卵の表面に触れた。
「!?」
それは今まで感じたことのない奇妙な感覚だった。卵に触れた手のひらを通じて、体の中から何かが流れ出ていく気がした。
驚いて手を離そうとしたのだが、卵に吸い付いたように離れない。だがレンはそれ以上慌てたりはしなかった。驚きはしたが、決して不快ではなかったからだ。
そして流れ出ていくだけではなく、何かが流れ込んでくるのも感じた。
それは暖かで強い力だった。
レンから流れ出たものと、卵から流れ込んでくるものが混じり合い、溶け合い、やがて二つはしっかりとした一つのものになった。
はっきりとは言葉にできないが、何かがつながったとレンが思った瞬間、卵にピシリとひびが入った。
卵が割れて中から生まれてきたのは、やはりガーガーの子供だった。大人のガーガーをそのまま両手に抱えられるぐらいに小さくした姿をしている。全身は白い産毛に包まれていて、まるでぬいぐるみみたいで、とてもかわいらしい。
卵から出てきたガーガーの赤ちゃんはレンの足元にすり寄り、彼の顔を見上げて小さな鳴き声を上げる。
どうしていいかわからないレンは周囲のガーガーたちを見回したが、どのガーガーたちも黙ってレンを見つめるだけだ。
いいのかなと思いながら、レンは両手で赤ちゃんを抱き上げた。
「ガー」
レンの手に抱かれた赤ちゃんがうれしそうな鳴き声を上げると、それに呼応するように周囲のガーガーたちからも一斉に鳴き声が上がった。それだけでなく羽根をバサバサ動かしたり、ピョンピョン跳びはねたりして大喜びといった様子だ。
そんなガーガーたちの大騒ぎはしばらく続いた。
ガーガーたちが何を思ってここに連れてきたのか、そして自分が何をしたのか、レンにはわからなかった。
わからなかったが、はっきりわかることもあった。
自分と生まれたばかりの赤ちゃんガーガーとの間に、目には見えない絆のようなものが生まれていた。
目を閉じてみればよりはっきりとそれを感じる。
自分の中から出た力が絆を通してガーガーに流れ込み、そしてガーガーから出た力がこちらに流れ込んでくる。双方の間で力が循環して高まっていくような気がした。
レンは手に抱いたガーガーの赤ちゃんを、ここまで自分を乗せてきたガーガーに差し出した。オスかメスかはわからないが、このガーガーが赤ちゃんの親だと思ったからだ。
だがそのガーガーは赤ちゃんを受け取ろうとするそぶりをみせず、じっとレンの顔を見つめるだけだ。
まるで、その子のことをお願いしますと頼まれているような気がしたレンは、差し出そうとしていた赤ちゃんを引っ込め、もう一度胸元で抱きしめる。
それを見たガーガーは短く一声鳴いた。子供を取られて怒っているような声ではなく、レンは頼みましたと鳴いているように聞こえた。
僕に子供を預けたってことでいいのかな?
どんな動物だろうと、子供を奪われたら親は怒るだろう。それなのにレンがこの赤ちゃんを抱いていても怒らないのは、きっとこの子を任せたということなのだ。
その考えを赤ちゃんとの間に結ばれた絆が補強する。
理屈ではなく直感で感じる、いやわかってしまったのだ。目に見えないこの絆は何よりも強く、きっとどちらかが死ぬまで切れたりはしないと。そしてこの絆は決して悪いものではないということも。
ここまでガーガーに運んでもらったレンは、帰りもガーガーの背に跨ることとなった。
いきなりここまで連れて来られたと思ったら、卵からガーガーの赤ちゃんが生まれ――などと急展開に翻弄されていたが、少し落ち着いて考えればここがどこかもわからないのだ。もしガーガーたちが勝手に帰っていたとしたら、レンは右も左も分からない草原の中で迷子になっていただろう。
現代の日本なら山で遭難でもしない限り、迷子になってもどうにかなるが、魔獣がいるようなこの世界では道に迷えば即座に命の危険につながってくる。ただ今のレンにそこまでの危機感はなく、迷子にならなくてよかったぐらいにしか思っていなかった。
「あ、そのまま向こうの方へ」
レンは乗っているガーガーに右手で指して進む方向を教える。
元いた場所まで戻ってきてもガーガーはレンを下ろそうとはしなかった。どうやら行きたい場所まで送ってくれるようなので、レンは帰り道を指示して屋敷まで乗せていってもらうことにした。
最初にガーガーに乗ったときは悲鳴を上げてしがみついていたのに、今ではそれぐらいは余裕でやれるようになっていた。両手に赤ちゃんガーガーを抱いて乗っていても、バランスを崩すこともない。
短い間に乗馬術ならぬ乗ガーガー術が上達した――わけではなく、最初から落ち着いていればできたような気がする。
レンには日本でもこちらでも乗馬の経験などなかったし、落馬事故を起こした元のレンが乗馬の天才だったとも思えない。それなのにこんな事ができる理由はわからないが、一つ思い当たることはあった。
そもそもレンは竜騎士になるためにこの世界に召喚された、ということだ。
竜騎士は竜に乗って空を飛ぶらしいが、考えてみればこれは大変なことだ。竜が激しい動きをして振り落とされでもしたら一巻の終りである。
そうならないために竜騎士には何か特別な能力、いわゆるチートスキルを持っているのではないだろうか? 例えば「乗り名人」とでもいうような、あらゆる動物を乗りこなすチートスキルとかを。
思い付きだが案外当たっているような気がした。今度、馬とか別の動物にも乗ってみれば、よりはっきりわかるだろう。
屋敷の近くまで来るとガーガーはスピードを落とした。疲れたのではなくちょっと警戒しているようだ。あそこが人が住む場所だとわかっているのだろう。それは周囲のガーガーたちも同じだった。
レンを乗せたガーガーが走り出すと、一緒にいた他のガーガーたちもついてきたのだ。それどころかいつの間にか、さらに数が増えて二十羽ぐらいになっていた。
「ありがとう。ここまででいいよ」
屋敷の門の前でガーガーから下りたレンは、お礼とお別れのつもりでそう言った。しかし赤ちゃんを抱いたレンが門をくぐって敷地に入ると、ガーガーたちも後をついてきた。
レンとしては別に構わなかったが、マーカスさんがどう言うかなと心配になった。
玄関の扉を叩いて帰宅を告げると、すぐにマーカスが出てきた。
ガーガーたちがビクッとして動きを止めたが、マーカスもガーガーの集団に驚いて呆気にとられていた。ガーガーは臆病な鳥だから、人の住む家には中々近寄って来ない。それがいきなり集団で押しかけてきたのだから、驚いて当然である。さらに、
「ただいま」
「レン様!?」
ガーガーたちに気をとられ、レンがいることに気付いていなかったマーカスは、慌ててレンに訊ねる。
「何があったのですか? このガーガーの群れは一体――」
矢継ぎ早に質問しようとしたマーカスだったが、言葉を切ってレンの胸に抱かれたものを凝視する。
「レン様、それはもしかして……?」
恐る恐る問いかけるマーカスに、レンは笑って答える。
「そう。ガーガーの赤ちゃんだよ。さっき――」
「赤ちゃん!?」
叫んだマーカスの声は裏返っていた。あるいはマーカスの長い人生の中で、最大の驚きだったかもしれない。
一方のレンは、彼の驚きようを見て大げさだなあと思っただけだ。
「どうやってその子を? ま、まさか、さらってきたのですか?」
驚いたかと思うと、すぐに顔色を青くするマーカス。
「そんなことしませんよ」
レンは何があったかを説明したが、マーカスは疑わしい顔というか、完全に疑っている顔である。
まだまだこちらの世界の常識に疎いレンには、マーカスの驚きを理解しきれていなかった。それほど彼の驚きは大きかった。
後世のガーガー学の権威ズバ・バーン教授の研究によれば、ガーガーは人が近くにいれば卵を産むことはないという。さらに産んだ卵を暖めていても、人が近付いただけで逃げ出してしまうから、もし卵を暖めているガーガーを見つけても決して近付いてはならないとしている。
また、子供を連れたガーガーはいつもよりさらに警戒心が強くなるので、もし子供のガーガーを目にすることができたならば、その幸運に感謝すべきだろう、とその著書に記している。
実際、マーカスもガーガーの子供を見たことはもちろん、見たことがあるという人間に会ったこともなかった。
ところが今、レンの腕にはガーガーの赤ちゃんが抱かれている。
どれほど信じられなくても、目の前で実際に起こっているのだから受け入れるしかない――そう自分に言い聞かせ、マーカスは落ち着きを取り戻そうとした。
「ところでマーカスさん。このガーガーたち、どうすればいいと思いますか?」
ここまでレンを運んできてくれたガーガーたちはマーカスを警戒しつつも、この場から立ち去る様子もない。
「どう、と言われましても……」
勝手にここまでついてきたので、レンはガーガーをどう扱えばいいのかわからない。屋敷の庭から追い出すつもりはなかったが、このまま放っておいていいかもわからずマーカスに聞いたのだが、彼も答えられない。
ガーガーは臆病な鳥だから、人間は不用意に近づいたりして、ガーガーを驚かさないように注意していればよかった。だから逆に向こうから寄ってこられたら、どう対処していいのかわからないのだ。
「ひとまず、食事を与えるというのはどうでしょうか?」
「食事ですか。食べる?」
レンがガーガーたちに聞いてみると、食べる! 食べる! と言わんばかりにガーガーたちが騒いだ。
「ではすぐに持ってきましょう」
倉庫に向かったマーカスが、荷車に乗せて運んできたのは干し草の束だった。
ここはいざという時の避難場所であり、援軍を受け入れる軍事拠点でもあるため、人間用の備蓄食糧だけでなく、軍馬のための干し草も大量に保管されていた。
そんな大事な干し草を勝手に放出するのは大問題なのだが、ガーガーに与えるなら問題はないだろうというのが、この世界の人間の常識的な考え方だった。
またレンはそもそも干し草が大事なものだと思っていなかったので、それをガーガーに与えても特に何も思わなかった。
ガーガーは雑食だ。草、昆虫、トカゲのような小動物など、色々なものを食べる。干し草もガツガツ食べている。
「ガー」
抱いていた赤ちゃんガーガーが、僕も食べると言うように鳴いたので、レンはゆっくりと地面におろす。
すると赤ちゃんガーガーは地面をトコトコと走っていき、大人たちに混じって干し草を食べ始めた。
「ガーガーって、赤ちゃんも大人と同じものを食べるんですか?」
「わかりません」
マーカスもわからないのなら、レンにわかるはずがない。
ただ親鳥も止めたりしていないので、大丈夫なんだろうと思って放っておくしかなかった。
「それにしてもガーガーの赤ちゃんですか……」
「そんなに驚くようなことなんですか? 確かにガーガーはかなり臆病そうですけど」
子供のミーナにもおびえていたのだから、臆病なのは間違いない。それにしてはレンを全然怖がらないのが謎だったが。
「臆病ですが、それでもエサをやったりして敵意がないことを示し、長い時間をかけてガーガーを懐かせたという話は聞いたことがあります。しかしそれも大人のガーガーの話です。子連れのガーガーはさらに警戒心が強くなるようで、子供を見たという話は聞いたことがありません。ましてや自分から生まれたばかりの子供を人間に預けるなんて……」
やがてお腹がいっぱいになったのか、干し草を食べ終えたガーガーたちは、思い思いの場所で地面に座り込む。ただマーカスに対する警戒心は解いていないようで、彼の方をちらちらと見ている。不用意に彼が近付けばそのまま逃げ出しそうだ。
「とりあえず、このままにしておいて屋敷に入りましょうか」
「そうですね」
赤ちゃんガーガーも、このまま親と一緒にいるだろうとレンは思ったのだが、彼が屋敷の方に向かうと後を追ってついてきた。
「一緒に来る?」
「ガー」
レンが抱き上げると、赤ちゃんガーガーは腕の中で居心地良さそうに丸くなっている。
「マーカスさん。もしこの子が僕から離れないなら、このまま屋敷で飼っても構いませんか?」
「それは構いませんが……本当に飼うのですか?」
「何か問題ありますか? 屋敷は広いし、大丈夫だと思うんですけど」
「いえ、問題があるというわけではないのですが、ガーガーを家で飼うという話も聞いたことがないのものですから」
前例のない話だから戸惑っているのだろう。だがガーガーは魔獣の襲来を教えてくれる守り神のような鳥だから、追い出すなどとんでもない話で、それこそあり得ない。
結局、マーカスも反対しなかった。
レンにはペットを飼った経験はなかった。別に動物が嫌いだったわけではなく、一人では世話をするのが大変そうだったからだ。
すでにこの時、自分に懐いてくれた赤ちゃんガーガーに、レンはすっかり情が移っていた。
動物とはいえ、これほど素直に好意を寄せてもらった経験もなかったし、異世界でひとりぼっちだったのも影響していたかもしれない。
「よし。それじゃあお前に名前を付けないといけないな……。ガー太とかどうだろう?」
ふと思い浮かんだ名前だったが、赤ちゃんは喜んでくれたようで、うれしそうにガーと鳴いた。
「ガータですか?」
「そう。ガーガーだからガー太。いい名前だと思いますけど?」
「なぜガーガーだからガータになるのかはわかりませんが……。レン様が決めたのなら、それでいいのではないでしょうか」
そういえばここは日本じゃなかったとレンは思った。
日本なら何かの後ろに「太」を付けて名前にするというのは、漫画やアニメなどでもよくあることなのだが――ガー太という名前もとあるアニメからの連想だ――この世界ではそういう名前の付け方はしないのだろう。
まあそれもいいだろうとレンは思った。ガー太の名前の由来は自分一人だけの秘密だ。
「よろしくな、ガー太」
「ガー」