第75話 面会
北集落で一泊した翌朝、レンたちは集落のダークエルフたちに見送られて出発した。
最後にルドリスから、
「会談の成功を願っております」
と言われたレンは、成功ってなんだろう? 会ってお礼を言うだけなのに、と思いながらも、
「がんばってきます」
と答えて集落を後にした。
そして北へ向かって歩くこと数時間。お昼を過ぎたぐらいに、ついに黒の大森林を抜けた。
「うわあ。見晴らしがいいですね」
木々の間を抜けた先には、なだらかな平原が地平線の彼方まで広がっていた。
これまでずっと森の中だったので、開けた視界が気持ちいい。ほほをなでる風は少し冷たかったが、それも心地よかった。
遠くまで来たことを実感する。
移動距離だけでいえば、日本にいた頃はもっと遠くまで出かけていた。だが電車や飛行機で移動するのと、徒歩で移動するのでは――正しくはガー太に乗ってだが――やはり全然違った。
「ここからヴァイセン伯爵のいるガゼの街まではどれくらいですか?」
「ここから北に歩けば、今日の夜までには街道にぶつかります。そこから街道を東に向かって二日と少しです。三日後の朝には到着すると思います」
レンの質問にゼルドが答える。
「まだ結構あるんですね」
レンの屋敷は黒の大森林の近くにあったので、ついついそれと同じように思っていた。
だが考えてみれば黒の大森林近くに街を作るのは危険だ。レンの領地にある監視村が異端なのだ。
「あれはなんですか?」
東の方にちょっとした高台があったのだが、その上になにか大きな建造物が見えた。距離があるからはっきりとはわからないが、かなり大きな建物のようだ。
「あれはダムニス砦です。黒の大森林を見張るために作られた砦で、ターベラス王国の兵士たちが駐屯しているはずです」
多くの魔獣が生息危険地帯には、それを見張ったり封じ込めたりするために、砦が築かれることも多い。ダムニス砦もそんな砦の一つだった。
少し興味があったが、寄り道している余裕はないので、そのまま街道目指して北へと進む。
歩くのはこれまでと変わらないが、やはり黒の大森林と比べると安心感が違う。見晴らしがいいので魔獣に不意打ちを食らう心配もないし、迷って遭難する心配もない。
特に問題なく歩き続けた一行は、日が暮れ始めた頃に街道に出た。
「ちゃんと石畳の道なんですね」
その街道は石畳の道だった。こういう道を見るのはこの世界に来てから初めてだ。これまでレンが歩いたグラウデン王国の道は、全て地面を踏み固めただけの土の道だった。
「この街道は西の国境の街ロッシュから、ガゼを経由して王都バーデンまで続くターベラス王国の大動脈です。だからきちんと整備されているのでしょう」
とゼルドが説明してくれた。
すでに夜になろうとしていたので、今日はここで野宿することにした。
食べるものはこれまでと変わらず保存食だ。昨夜の集落での食事も質素なものだった。いい加減、もっと味の濃いおいしいものが食べたかった。本当に食事だけは元の日本が懐かしい。
森の中と比べて安全とはいえ、眠る時はやはり交代で見張りの者が立った。
レンはカエデとリゲルに挟まれ、くっつくようにして眠った。
すでに十一月も半分を超え、野宿がどんどんつらくなってきている。寒さに強いダークエルフたちは平気のようだが、レンは身を寄せ合って寝ないと薄いシーツだけでは寒かった。
黒の大森林で眠っていた時は、三人の他にガー太も寄り添って眠っていたので、なおのこと暖かかったのだが、今夜はガー太は離れたところで寝ている。
カエデとガー太が牽制しあって、一緒に寝るのを拒否したからだ。
黒の大森林では、危険だし、寝る場所も広くとれなかったので、レンが何とか言い聞かせて一緒に寝ていたのだが、森を出た途端に言うことを聞いてくれなくなった。
ガー太はまだいいのだ。レンが頼めば嫌々でも聞いてくれる。だがカエデが意地になって譲らなかった。
子供だから仕方ないとあきらめ、別々に寝ることになってしまったが、本当にガー太とカエデにはもう少し仲良くしてほしいと思う。
翌日、日が昇るとレンたちは街道を東に向かって出発した。
さすがに夜の間に街道を行く人間は見なかったが、朝になると多くの旅人や商人たちが街道を行き交い始めた。大動脈というのを実感する。
街道を行くレンたちは多くの人々とすれ違ったり、追い抜いたりしたが、彼らは一様にレンたちに注目し、好奇の目を向けてきた。
目立つのが苦手なレンだったが、ガーガーに乗ったレンにダークエルフの集団である。人目を引くのはしょうがないとあきらめて東へと急いだ。
街道沿いにはいくつも村や街があったが、変な揉め事になるのが嫌だったので全て通り過ぎる。寝るときも村や街では泊まらず野宿だった。
ゼルドからは、我々が一緒にいるせいで申し訳ありません、などと謝られたが、レンは気にしていなかった。
そして三日後の午前中、一行はついにガゼの街へと到着した。
「大きな壁ですね」
ガゼの街は高さ三メートルほどの石壁に囲まれていた。それを見たレンが感心して言う。
ガゼは大きな街なので外周も長い。それをぐるりと囲む外壁を、重機も使わず、人力で作り上げたのだ。大変だったと思う。
だがガゼの街は外壁の外にも家が建ち並んでいた。壁の中に入りきれない人々が、外で暮らしているのだ。それだけ街が栄えているということだろう。
ゼルドに案内され、レンたちは外壁の門へと向かう。
すでにレンはガー太から下りて徒歩だった。迷ったのだが、ガー太に乗ったままだといくらなんで目立ちすぎると思って、ガー太には街の外に残ってもらったのだ。
「ここで普通のガーガーのフリして待っててくれる?」
「ガー」
街から少し離れた草原で居残りを頼むと、ガー太は任せろとばかりに答えた。
少し歩いてからレンがふり返ると、ガー太はじっとこっちを見て見送ってくれていた。
ふと右手を上げて振ってみると、ガー太も右の羽をバサバサと動かし応えてくれた。
それを見ていたリゲルが、期待に目を輝かせ、同じように右手を振ってみたのだが、ガー太は全く応えてくれず知らんぷりだ。
リゲルはがっくり肩を落としてションボリしていた。相変わらずダークエルフには冷たいガー太だった。
そうやってガー太と別れた一行は、街の大通りを歩き、外壁の門を目指した。
ここはまだ壁の外だったが、それでも大通りの両側には立派な家が建ち並んでいる。大通りを行き交う人々も多く、街は活気に満ちていた。
外壁の門に到着すると、こちらに気付いた一人の兵士が近付いてきた。
「久しぶりだなゼルド」
ゼルドに気安い態度で声をかけてきたのは、門の見張りをしているベテラン兵士だ。
「お久しぶりですダルニス様」
すでに何度もガゼの街を訪れているゼルドは、見張りのベテラン兵士――ダルニスとすっかり顔なじみになっていた。
「で、その男は誰なんだ?」
ダルニスは気安い態度のままゼルドに質問する。だがよく見れば、気安い態度とは裏腹に、彼の目は鋭い。
これまでゼルドたちが人間と一緒にやって来たことはない。彼がレンに注意を向けるのも当然だった。
「この方は我々の主のレン・オーバンス様です。グラウデン王国のオーバンス伯爵家のご子息です」
ゼルドの答えを聞いたダルニスが、はっ? という顔になる。
「え? この男が貴族……様?」
ダルニスは混乱しているようだった。ダークエルフと一緒に貴族が、それも他国の貴族がやってくるなど、全く予想していなかったに違いない。
それに小汚い格好だしなあ、とレンは自分の姿を見ながら思った。服は屋敷を出たときのままなので汚れ放題、体も汚れている。寒いのを我慢して、何度か水浴びもしたが、それできれいになったとはいえない。
ダルニスはレンが貴族というのを疑っているようだったが、もし本当だったらまずいと思ったのだろう。レンたちを門のそばの詰め所に案内すると、自分は急いでヴァイセン伯爵の屋敷へ向かった。
待つこととなったレンは今更ちょっと不安になってきた。
会わない、帰れとか言われたらどうしよう、などと思いながら待っていると、すぐにダルニスが戻ってきた。
「伯爵様がお会いになるそうです。こちらへどうぞ」
丁寧な口調でダルニスが言った。とりあえずレンを貴族として扱うことにしたようだ。
レンたちは彼の案内でヴァイセン伯爵の屋敷へと向かった。
その途中、ダルニスがゼルドに話しかけた。
「大荷物だが、今回も商品を運んできたのか?」
「もちろんです。ただ今回は領主様の身をお守りするのが第一ですが」
「だったらあの銀髪も商品か?」
「いえ。この子は領主様の部下です」
カエデを指差し訊ねるダルニスにゼルドが答える。
そのやり取りを聞いたレンはしまったと思った。
カエデの銀の髪のことをすっかり忘れていた。
以前、マルコから教えてもらっていたが、エルフの身体的特徴を持つダークエルフは希少で、手に入れたいと願う者が多いのだ。
だから人前に出る際は、カエデに髪を黒く染めてもらおうと思っていたのに、それを忘れていた。
ヴァイセン伯爵にカエデが欲しいって言われたらどうしよう。いや、もちろん断るしかないのだが……。
不安の種が一つ増えてしまった。
「こちらが伯爵様のお屋敷です」
案内された屋敷は、レンが想像していたのはちょっと違っていた。
広さはかなりあり、高い石壁に囲まれているが、そこに装飾などはなく実用一点張りに見えた。屋敷というより砦のような建物で、レンは自分が住んでいた前の屋敷を思い出した。
屋敷の召使いが出てきてレンに向かって頭を下げる。ここからは彼が案内してくれるようで、ダルニスとはここでお別れとなった。
屋敷の中に入っても質素な作りは同じで、絵画とか置物とか、そういった調度品も見かけない。
「ダークエルフたちはそこの部屋へ。ご子息様はこちらへどうぞ」
レン一人だけが奥へと案内される。
「カエデ、ちょっと待っててくれる」
「うん」
とカエデは素直にうなずいてくれたが、少し心配だった。他の人たちは大丈夫だろうが、退屈だとか言い出して、一人で歩き回ったりしないだろうか。
そんな彼の不安を読み取ったのか、ゼルドがお任せ下さいといった感じでうなずいてくれた。
レンは一人で別室に案内され、
「すぐに伯爵様が参ります。こちらでお待ち下さい」
と言って召使いも出て行った。
レンは椅子に座って待つことにする。
いよいよヴァイセン伯爵とご対面だと思うと、少し緊張してきた。
「客人の様子はどうだ?」
ヴァイセン伯爵は召使いの男に訊ねた。レンを部屋まで案内した召使いだ。
「はい。一人になっても特にこれといった様子はなく、見た限りでは平然としておられました」
「さすがに肝が据わっているというわけか」
ヴァイセン伯爵は感心した。
レン・オーバンスがやってきたと報告を受けたとき、ヴァイセン伯爵はまず本物だろうかと疑った。
密輸の相手であるレン・オーバンス、まさかその本人がいきなりやってくるとは、全く予想していなかった。
同じ国内の貴族ならともかく、グラウデン王国の貴族なのだ。それがいきなりやってくるなど常識外れもいいところだ。
だが常識外れだからこそ、本物かもしれないと思った。
ここでそんな常識外れのウソをついても意味がないからだ。
一人になっても平然としている、と聞いて彼の度胸にも感心した。
レン・オーバンスにとってここは他国だ。別にターベラス王国とグラウデン王国は敵対しているわけだはなく、むしろ今は共にザウス帝国に対抗する同盟国のような関係にあるが、正式に条約を交わしているわけではない。
さらに今回は公式の訪問でもない。身の安全は保証されないのだ。
密輸を通じ、レンとヴァイセン伯爵は友好関係にあるともいえるが、それだってなんの保証もない関係だ。
もしヴァイセン伯爵がその気になれば、レンの身柄を拘束したり、殺したりするのも簡単にできる。
もちろん彼にそんな気はなかったが、貴族というのは常にそういう可能性を考えて行動するものだ。権力者だからこそ、裏切りや暗殺などといったことに敏感なのだ。
それなのにレン・オーバンスは平然としているという。他国の貴族の屋敷に一人で乗り込んできて平然としている、その胆力にヴァイセン伯爵は感心したのである。
ヴァイセン伯爵は部屋を出て、レン・オーバンスが待つ部屋へと向かう。
護衛の兵士二人が一緒だ。
相手はレン・オーバンスの名をかたる刺客という可能性もある。ヴァイセン伯爵は、まだ相手を信用していなかった。
「失礼する」
そう言って部屋に入ってきた人物を、レンは椅子から立って出迎える。
「初めましてレン・オーバンス殿。私がタルト・ヴァイセンだ」
名乗らなくても彼がヴァイセン伯爵だと一目でわかった。護衛の兵士二人が一緒だったが、レンの目に他の人間は入っていない。
雰囲気がまるで違う。迫力というか、レンにはヴァイセン伯爵が大きく見えた。
並んで立つとレンの方が頭一つ分ぐらい高いのだが、まるでヴァイセン伯爵が巨人のように思える。
レンの父親であるオーバンス伯爵に会ったときも彼の迫力に圧倒されたが、ヴァイセン伯爵はそれ以上だ。だがそれでいて威圧感はあまりない。なんといえばいいのか、大きな山を見ているような。
こんな経験は初めてだ。
そのまましばらく無言の時が流れる。
どうして黙っているのだろうとレンは居心地の悪さを感じたが、すぐに自分が挨拶を返していないからだということに気付く。
慌ててレンは口を開き、
「は、初めましゃ――」
思いっきり舌を噛んだ。