第73話 目標
「今の集落の人口はどのくらいなんですか?」
「五十人ほどでしょうか。家もまだ建築中で、ひとまず百人ほどの受け入れを目指しているのですが、それでよろしいでしょうか?」
答えたルドリスが逆に質問してきた。
「えーと……」
新しい集落を作ってはどうかと言い出したのはレンだったが、具体的にどれくらいの規模や人数で、というところまでは考えていなかった。
「そのあたりことは、全てルドリスさんにお任せします」
だからそう答えるしかない。
「ありがとうございます。では全力で集落の建設に邁進いたします」
「がんばるのはいいんですけど、決して無理はしないで下さいね。ダールゼンさんからは、魔獣に襲われて犠牲者も出ていると聞いてますけど」
「集落の建設作業、それに小屋の建築で、合わせて十一人の死者が出ています」
「そんなにですか……」
元より一人の犠牲者も出さずにいくとは思っていなかったが、すでに十人以上も死んでいるとは思っていなかった。
やはりダークエルフといえど、黒の大森林を切り開いていくのは簡単ではないのだ。
「急ぐ必要はないんで、犠牲者を減らすよう安全重視でお願いします」
「わかりました」
ちょっと驚いたような顔でルドリスが答えた。犠牲を恐れずどんどんやれ、ぐらい言われると思っていたのではないだろうか。
ダールゼンならレンが安全重視と言い出すのにも慣れていたが、初対面の彼はそれを知らないので、驚くのも無理なかった。
話を聞いて北集落の現状はだいたいわかった。レンの方からも、ターベラス王国までやって来た目的を伝えた。これを聞いた時もルドリスは驚いていたが。
これで話は終わりだろうと思ったところで、ルドリスが質問してきた。
「領主様に一つお聞きしたいことがあるのですが」
彼の表情は真剣だった。余程重要なことを聞きたいのだろうか。
「いいですけど……」
少し緊張しながら答える。
「ではご無礼を承知でお聞きいたします。領主様は我々のためにご尽力下さっていますが、その目的はなんなのでしょうか?」
レンの隣にいたゼルドが驚く。今ルドリスが自分で言った通り、かなり無礼な質問だったからだ。
この世界では貴族と平民という強固な上下関係が存在しており、貴族は平民に命令して当たり前、平民はそんな貴族の命令を黙って聞くのが当たり前、というのが常識だった。だから平民が貴族に、
「なぜそんな命令を?」
などと聞いたりすれば、
「平民風情が生意気なことを言うな! お前たちは黙って言うことを聞いていればいいのだ」
などと一喝されるのが当然だった。
ダークエルフの扱いは平民以下なのだからなおさらである。
だが聞かれた当人のレンは、なんだそんなことか、と思っただけだ。真剣な顔で聞いてくるから、もっと重大な問題かと思った、とホッとしたぐらいだ。
日本の会社で働いていたレンにとって、部下が上司に仕事の目的を聞くのは当たり前のことだった。
むしろ上司は部下に対して積極的になぜこの仕事をするのか、という目的や目標を語り、全員で目的意識を共有しましょう――みたいなことが言われていたりもする。
レンは平社員だったので、もっぱら命令される方だったが、どうしてそれをしなければいけないのか、というのはいつも気にしていた。だからルドリスの質問にも怒ったりすることなく、当然の質問だと思った。
またもう一人、リゲルも平気な顔をしていたが、彼の場合は普段のレンを知っていたので、こんな質問ぐらいでは怒らないだろうと思っていた。
けど、あらためて聞かれると難しいなとレンは思った。
これまでは漠然とダークエルフのために、と思いながら色々やってきた。それはいってしまえば思い付いたらやってみる、という感じだった。
バゼ作りの際、レンはダールゼンに長い目で見て商売していきましょう、みたいなことを言った覚えがある。目の前のことだけではなく、後々のことまで考えていかないと、すぐにバゼ作りが行き詰まってしまうと思ったからだ。
偉そうなことを言っておいて、僕も長期の目標なんて考えてなかったな、と反省する。
幸い密輸が上手くいっているので、当面の間、集落は大丈夫だろう。だったら少し余裕が出てきた今こそ、中長期的な目標、みたいなものを考えるべきかもしれない。それがあるとないとでは、やはりこれから先の行動が違ってくるはずだ。
「そもそも僕がダークエルフの皆さんに関わるようになったのは、あるダークエルフの方に命を救われたからでした。少しでもその恩返しができればいいな、と」
考えをまとめながらレンは話す。
「生活環境を改善し、収入を得られるような仕事を見つけて、とかやってきましたが……目的というか、理想を言えば人間とダークエルフが共存できる社会の実現、でしょうか。ダークエルフが差別されることなく、人間と平等に暮らせるような」
思い浮かべたのは現代日本である。日本に差別がなかったとは言わない。だが今のこの世界よりはるかに平等だった。
もし現代日本にダークエルフたちがやって来たら、差別どころかきっと大人気だろう。
「それは……実現できれば確かにすごいことですが……」
レンの言葉が予想外だったのか、戸惑った様子でルドリスが言う。
「僕も簡単に実現できるとは思ってません。そんな能力もありませんし」
元の世界にも人種差別は存在していた。その深刻さを考えれば、この世界でのダークエルフ差別をなくすことは非常に難しいと思う。
自分にそれを成し遂げるだけの能力があるとは思えない。もし非凡な能力があったとしても何十年かかるか、あるいは死ぬまでがんばっても無理かもしれない。
「ですからますはダークエルフの皆さんが、安心して暮らせる場所を作れないかと思っています」
「この集落もその場所の一つだというわけですね」
「はい。黒の大森林は危険な場所で、人間が入って来ません。ダークエルフが集落を作って暮らしていても、目の敵にされることはないだろうと思います。その代わり魔獣に襲われる危険がありますが」
「しかし集落が大きくなり、ダークエルフの数が増えていけば、いずれ問題になるはずです。我々は嫌われ者ですからね。グラウデン王国もターベラス王国も黙っていないでしょう」
「そこはやった者勝ちというか、ある程度まで勢力が大きくなってしまえば、事後承認でいけるんじゃないかと」
レンは自分の考えを説明する。
「父上はグラウデン王国にある南集落について知っています」
父上というのはオーバンス伯爵のことだ。だが中のレンにとっては他人である。そんな彼を父上と呼ぶことには少し抵抗があるのだが、ここはそれで話を進める。
「今は魔獣対策に役立つからと黙認してくれていますが、それも集落が小さいからでしょう。どこまでが許容範囲かわかりませんが、それを越えて大きくなることを父上は許さないと思います。問題は父上がそれにいつ気付くか、そして気づかれた時にダークエルフがどれだけの力を持っているかです。その時までに、ある程度の力を蓄えておけば、父上も簡単に手が出せなくなります」
「領主様はお父上に逆らうつもりなのですか?」
「逆らいたくはありません。父上が集落の存在を認めてくれるなら、それが一番です。でもどうしても認めてくれないなら、最悪、対立することも考えておかないと」
「とても勝ち目があるとは思えませんが。事が大きくなれば、伯爵様どころか王国を相手にすることになりますよ?」
「そこは黒の大森林という場所が役に立つんじゃないかと。父上にとっても王国にとっても、ここはやっかいな土地です。魔獣がいるだけで治めていても利益がありません。だったら魔獣対策をダークエルフが担うという約束で、ある程度の自治を要求することができるのではないかと」
そこまで上手くいくかどうかはわからない。だが可能性はある。
どうせいらない土地だし、ダークエルフが上手くやってくれるなら任せてもいいだろう――相手がそう思ってくれればいいのだ。
「その先はどうお考えですか?」
「先というと?」
ルドリスが探るような目つきになって聞いてきた。
「領主様はここにダークエルフの国を作るつもりなのかと思ったのです。そして領主様がその王となられるのかと」
「国とかそこまで大それたことは考えてません。第一、僕がダークエルフの王になるなんて無理ですよ。もしダークエルフの国ができるとしても、当然ダークエルフの誰かが王様です。でもそうですね……」
確かに独立だ、国だとまでは考えていなかった。
しかし結局のところ、そこを目指すのしかないのかもしれない。
今は僕がいるけど、問題は僕が死んだ後だと思った。
もちろんすぐに死ぬつもりはない。せっかく異世界に転生したのだから、まだまだやりたいことはたくさんあるし長生きしたい。だが転生前の自分は、予想もできなかった事故でいきなり死んでしまった。人生一寸先は闇を本当に体験したのだ。
レンが死んでしまえば、ダークエルフを庇護しようとする貴族はいなくなる。ダークエルフに好意的な貴族が他にもいてくれればいいのだが、現状では望み薄だ。
庇う者がいなくなれば、厳しい統治が行われる可能性が高い。だったらもう完全にグラウデン王国から独立し、一つの国として自立した方がいいかもしない。
自分たちの国を作り、自分たちで国を守っていくのだ。
「それもいいですね。ダークエルフの国。どうせ目標を立てるなら、それぐらい大きい方がいいかもしれません」
実現可能かどうかは別として、大きな理想を掲げるのは悪くないと思った。
それを聞いた三人も、
「我々の国ですか」
などとつぶやいたりして興奮気味だ。言っているレンも少し高揚感を覚えた。
「後、ちょっと話が変わるんですが」
今話していて一つ思い出したことがあった。
「別の目標というか、やりたいことが一つありました。個人的なものなんですけど」
「なんですか?」
興味深そうにリゲルが聞いてくる。
「竜に会ってみたいなあと思って」
いつ死ぬかわからないとか、事故で転生したとか思ってる時にそれを思い出した。
すっかり忘れていたが、彼は竜騎士としてこの世界に呼ばれたのだ。竜騎士どころか、まだ竜を見たこともないが。
「もしかして竜騎士を目指してるんですか?」
冗談めかして訊ねてくるリゲルに、
「そうなんだ。僕には才能があるみたいだから」
ついつい自然にそう答えてしまった。
三人がえっ? という顔になったのを見て、自分の失言に気づいたレンは慌てて言い直す。
「いや、というか、才能があったらいいなあと思ってるんだけど」
あはは、とレンがごまかすように笑うと、三人も笑いを浮かべた。
三人とも、いやそれはないだろうと思いつつ、面と向かって否定もできない――といった感じの愛想笑いだった。