第71話 鍛錬の成果
集落で一泊した翌朝、レンたちはターベラス王国へ向かって出発した。
一行のメンバーはガー太に乗ったレン、カエデ、リゲル、そしてゼルド率いる商隊五名の計八名。
出発前にはちょっとしたやりとりがあった。ゼルドたちは密輸する商品を背負っていたが、その一部を持とうとレンが申し出たのだ。
「僕らも少し運びますよ。ねえガー太?」
「ガー」
仕方ないな、といった感じでガー太が鳴く。
「ほら。ガー太も俺にまかせろって言ってますし」
「ガー」
そこまでは言ってないぞ、といった感じだが、そこは流させてもらう。
だがこの提案はダークエルフたちに反対されてしまった。
「とんでもありません。領主様やガー太様に荷物運びをさせるなど」
などと強く断られたので、それ以上言うことはできず、荷物は彼らに任せることにした。
少しでも手伝えれば――とはいっても荷物を運ぶのはガー太だが――と思ったのだが、ダークエルフたちにとってそれが重荷になってしまっては意味がない。
ダールゼンたちに見送られて集落を出発したレンたちは、すぐに最初にして最大の難所にさしかかった。
ガングのいる川の渡河である。
いかにガー太といえど、イカダで川を渡っている最中に襲われたら逃げられない、というわけで渡河は慎重に行われた。
見張り台に「渡ってよし」の白旗が揚がると、レンたちを乗せたイカダが川を渡り始める。
本当ならガー太もイカダに乗って渡る予定だったのだが、ガー太はざぶんと川に飛び込むと、泳いで渡り始めた。
しかもこれが速い。
アヒルのように水面をスイーっと泳いでいくのだが、人間が泳ぐ速度どころか、人間の全力疾走ぐらいの速度が出ている。
水面下の様子は見えないが、いったい何をどうやったらあんなスピードが出るのだろうか?
イカダは結ばれているロープを引っ張って川を渡ったが、それより早くガー太の方が渡り終えてしまった。
川から上がったガー太が、体をブルブルと震わせて水を飛ばす。
「さすがはガー太様だ!」
などとダークエルフたちは賞賛の声を上げていた。
レンもこの達者な泳ぎには驚き、驚いているうちに川を渡り終えてしまった。
渡る前は、ガングが襲ってきたらどうしようと緊張していたのだが、ガー太の泳ぎを見てそれも忘れてしまうほどだった。
緊張といえば、レンより緊張していたのがリゲル、そしてカエデだった。
ダークエルフは基本泳げないそうなので、リゲルが水を恐がるのは予想できたが、カエデも水を恐がったのは予想外だった。
カエデはレンの右腕に、リゲルは左腕に抱きつき、恐怖で顔を引きつらせていた。
「カエデも水が恐いの?」
「うう……なんだかわからないけどイヤ……」
などと震える声で答える。
恐れ知らずに思えたカエデにも苦手なものがあったんだ、とレンは意外に思った。
無事に対岸に渡ると、そこからはずっと歩きだった。
途中、魔獣に二回遭遇したが、どちらもカエデが一撃で斬り殺した。
あっという間の早業で、魔獣の気配を察知するやいなや、
「ちょっとやっつけてくるね!」
と言って一人で駆け出し、他のダークエルフたちが動いたり、レンが弓を構えたりする前に一人で倒してしまった。
今回の商隊のメンバーは、隊長のゼルドを始め、全員がベテランの狩人で構成されている。当然ながら魔獣の気配にも敏感だが、カエデの感覚はそれより上だった。
一行の中で、カエデに匹敵する感知能力を持つのはガー太だけだった。乗っているレンが感覚を共有しているのを含めると一人と一羽だ。
森の中を進んでいると、まずその二人と一羽が魔獣の気配を察知した。そして魔獣がこちらに気付く前にカエデが襲いかかって倒す、というやり方で一行は危なげなく進んでいった。
軽い休憩を何度か挟みつつ、一行は夕方前に最初の目的地に到着した。
小さな小屋である。
この小屋は他でもないダークエルフたちが建てたものだった。
危険を冒して森の中に小屋を建てたのは――実際、建設中に何人か犠牲者も出ている――密輸をやりやすくするためだった。
黒の大森林を越える際、一番危険なのはやはり夜の野宿だった。交代で見張りを立てて警戒するが、他の者も安心して休むことはできない。
そこでルートに沿って宿泊用の小屋を建てることにしたのだ。建物があるのとないのでは、眠るときの危険度が全く違ってくる。
幸い移住者が増えたおかげで、集落にはそれを可能にするだけの人手があった。
小屋の建設は全部で十六ヶ所が予定されていた。また小屋とは別の宿泊場所がもう一ヶ所あるので合計十七ヶ所。つまり黒の大森林を十七泊で抜ける行程だ。
最初、黒の大森林を抜けるのにはダークエルフの足でも二十日ほどかかった。それから回を重ねるごとに効率的なルートに修正され、日数は縮まっていった。
おそらく今なら全速で黒の大森林を突っ切れば、二週間を切ることも可能だろう。だがそれだとかなりしんどいので、余裕のある行程が立てられたのだ。
もちろん余裕というのは、黒の大森林に慣れたダークエルフなら余裕があるということで、人間ならこの十七泊でもかなり厳しいだろう。レンがついて行けたのも、ガー太に乗っていたからである。
現在、十六ヶ所の小屋はまだ全て完成していない。集落から数えると、四ヶ所目まで完成し、五ヶ所目を建てているところだ。今日を含めて四日は小屋で眠れるが、それから先は野宿となる。
小屋には食料も置かれているので、夕食はそれを食べた。
とはいっても硬いパンや干し肉などの保存食なので、味気ない食事となってしまったが、それは我慢するしかない。置かれている食料の分、荷物を減らせるだけでもありがたいのだから。
食事をとった後はすぐに休むことにする。
寝る前に温泉に入りたいなあ、と思ったレンだったが、ここで贅沢は言えない。しばらく温泉とはお別れになるのをわかった上で付いてきたのだから。
小屋の暖炉に火を入れると、中はだいぶ暖かくなった。
今は十一月初め。野宿すると寒さも厳しくなってきた頃だが、やはり建物の中で眠れるのはありがたかった。
一応、交代で見張りを立てることにはしたが、カエデやガー太は眠っていても魔獣の気配には敏感だ。レンはガー太にもたれるようにしてゆっくり眠ることができた。そんな彼の両隣には、カエデとリゲルが身を寄せて眠っていた。
予想とはずいぶん違う展開になってしまったな、とゼルドは思った。
出発前、彼はダールゼンから、
「命に代えても領主様を守るように」
と命令されていた。
だから彼は、いざというときは自分の体を盾にすると覚悟を決めていた。だが今のところ彼らが危機に陥ったことは一度もない。
すでに集落を出発して一週間がたっていた。
この間、魔獣に遭遇したのは十回以上。これは今までの密輸の時と比べてもかなり多い。
遭遇回数が増えたのはカエデが原因だった。
彼女が離れている魔獣の気配を察知し、それを攻撃したため遭遇回数が増えたのだ。おそらく彼女がいなければ、こちらも魔獣も互いに気付かず、すれ違っていたこともあったはずだ。
だが遭遇回数は増えても、一行の危険度は減っていた。何しろカエデが一人で全て倒してしまうのだ。まさに攻撃は最大の防御を体現しているといっていいだろう。
「領主様。一つ訊いてもよろしいでしょうか?」
ゼルドは気になっていたことをレンに訊いてみることにした。
「なに?」
「あの赤い目は、この短期間にどんな鍛錬をして、あそこまで強くなったのですか?」
これを訊かれた方のレンは、特に答えを思い付かなかった。カエデとはずっと同じ屋敷で暮らしていたが、別に特訓とかはしていなかったように思う。
「別に鍛錬とかはしてなかったと思いますけど」
「そうなのですか? では一体どうやって……」
「けどカエデは元々強かったんですよね?」
レンは逆に訊ねてみた。前にダールゼンから、カエデは集落一番の剣の使い手だと聞いていた。つまりレンと会う前から、カエデは強かったのだ。赤い目と呼ばれる特別なダークエルフだったから、その身体能力は他のダークエルフよりも高い。
「はい。確かに赤い目は集落では最強のダークエルフでしたが、今ほどではありませんでした」
「そうなんですか?」
「例えば私も一対一では赤い目には勝てませんでしたが、他に二人ぐらい腕利きがいれば、互角以上に戦えるぐらいの強さでした。ですが今の赤い目には、三人がかりでもまるで勝てる気がしません」
「でもカエデがやってたことって、食う、寝る、僕と遊ぶ、後はガー太に挑戦しては――」
そこまで言って思い当たった。
もしかして、それが鍛錬になっていたのではないか?
「カエデは何度もガー太に挑んでは返り討ちに遭っていたんですけど、考えてみればそれが鍛錬になっていたのかもしれません」
最初にガー太に蹴り飛ばされて以来、ガー太をライバル視するようなったカエデは、何度も何度もガー太に挑んでは倒されるのを繰り返していた。
レンが真剣を使うのを禁じたため、カエデはいつも練習用の木剣で挑んでいたが、それではガー太に歯が立たなかったのだ。
正直に言えば、真剣を持ったカエデとガー太、本気で戦えばどちらが強いのか興味はあった。だがそんなことを言えば、カエデは嬉々として真剣を持ち出すだろうから、口には出せなかったが。
そうやってガー太に挑み続けたカエデは、時には半日ずっとガー太と戦っているようなときもあった。付き合うガー太も偉いと思ったが、とにかく合計すればかなりの時間になっているだろう。
最初に会ったときと比べ、カエデが格段に強くなっていても不思議ではなかったのだ。
「なるほどガー太様の指導を受けたのですか。ならばあの強さもうなずけます。さすがはガー太様です」
などとゼルドは感心していた。レンには少しずれているように思えたが。
こうして日頃の鍛錬の成果を発揮したカエデのおかげで、一行は順調に黒の大森林を進んでいった。