第69話 途中の様子
ターベラス王国へ行くことに、周囲の者はみんな反対だった。
執事のマーカスも、ダールゼンやロゼたちダークエルフも、危険だからと引き留めようとした。
例外だったのはカエデぐらいで、
「どこか行くの? カエデも一緒に行く」
と笑って賛成してくれたが、彼女の場合、これから魔獣の群れに殴り込むと言っても同じ答えが返ってきそうなので、参考にはならないだろう。
みんなが危険だと反対するのはレンにもよくわかった。もし自分一人だけだったなら、彼も行くとは言い出さなかった。
しかしレンにはガー太がいる。ガー太に乗ってなら黒の大森林だって越えられる気がした。戦力にだってなるし、最悪の場合は逃げればいい。足手まといにはならないと思っていた。
「わざわざ領主様自ら行かなくても」
とも言われた。
だがわざわざ行くからこそ意味があるのだ。
お礼を言うなら直接会っての方がいい、というのは日本でもこの世界でも変わらない。むしろ不便で危険な分、この世界の方が大きな意味を持つ。
同時に、この世界では直接に会いに行かなくても失礼にはあたらない、お礼は手紙などで十分、という考え方も一般的だった。魔獣がいる世界での旅が危険なのは誰でも知っているので、無理する必要はないというのが常識なのである。
それでもレンが自分で行くことにこだわったのは、やはり平和な日本人としての常識が根底にあったからだ。
また普段のレンは気弱な性格なので、周囲から強く反対されれば、自分の考えをあっさり引っ込めたりする。それが今回に限って退かなかったのは、それだけ助けてくれたヴァイセン伯爵に感謝していたからだ。
最初にダークエルフに命を救われたときもそうだったが、前の世界で友達のいないぼっち生活を送っていたレンは、他人からの厚意に弱い。受けた厚意を返そうとするのは美徳だが、多少行き過ぎなところがあるのだ。
レンの決意が固いことを知った周囲の者たちは、止めることはあきらめ、その代わり少しでも安全を確保しようとした。
「では私たち三人もご一緒します」
当然のごとくロゼが言ったのだが、
「いや、それは困る」
「なぜですか!?」
レンがあっさり却下したので、ロゼは衝撃を受けたようだ。
「私に何か至らぬところがあったのでしょうか!?」
「そ、そんなことはないよ」
必死の形相で詰め寄ってきたロゼを、どうにかなだめようとする。
「ロゼは良くやってくれてるよ。だからここに残ってもらわないと困るんだ。他の子のまとめ役だし」
今、屋敷で勉強しているダークエルフの子供たちのリーダーは、やはりロゼが適任だと思っている。
「だからロゼに残ってもらわないと困るんだ。頼むよ」
「それは……」
君じゃなきゃダメなんだ、という言い方にはロゼも弱かったようで、反論の声も小さくなった。
他の二人、ディアナとリゲルにも残ってもらうつもりだった。
自分で行くと言っておいてなんだが、やはり危険な場所に三人を連れて行きたくはなかった。
カエデは……彼女は別格だろう。子供だが実力が違うので心配していない。
とはいえロゼたちもあっさりとは譲らなかった。
結局、最低でも一人連れて行ってほしい、ということになり、
「じゃあリゲル。すまないけど一緒に来てくれる?」
「はい!」
元気よく返事をするリゲル。彼を選んだのは、男の子だし、三人の中で一番気兼ねなく話せるからだった。
こうして十一月二日の朝、レンはヴァイセン伯爵に会うため屋敷を出た。
同じ日、遙か北の港町マルドーバでは、カンニガル教授たちを乗せた船が出航したのだが、当然ながらそれを知る者は誰もいなかった。
屋敷を出て北へ一時間ほど歩けば、前に住んでいた屋敷に到着する。
ここは今は無人、ではなく十数人のダークエルフたちが住んでいる。彼らはバゼ作りの職人だった。黒の大森林で採ったバゼのつるを運び込み、ここで加工して寝床のバゼを作っている。
バゼ作りの効率を考えれば、職人を一カ所にまとめた方が都合がいい。だがそのためにはそれなりのスペースがいる。
森の中の集落では場所の確保も一苦労だし、それでなくても近頃は集落の人数が増えて、住居の確保すら追いつかないような状況なのだ。
そこでここを作業場として提供することにした。元は砦だし、広さだけは十分ある。
相変わらずバゼは品薄が続いていた。作ったそばから売れていくので、需要に供給が追いついていない。
今年の夏はさらに人気が高まった。暑さ対策として、買い求めるお客さんが増えたのだ。
一番腕のいい職人の序列が低いため、その下の人数を思うように増やせないという問題は解決していない。それでも移住者の中から序列が低いダークエルフが何人か加わり、十数人まで職人が増えた。
またこれまでは一人の職人が最初から最後まで作っていたのを、工程を分けることで効率も上げた。
これはレンの提案だった。現代日本人なら、誰でも分業という考え方を知っているが、ダークエルフたちにその考えはなかったのだ。そこで分業制を導入した。
今は採ってきたつるを選り分け、枝などを落として形を整える者と、つるを編み上げる者の二グループに分かれて作業している。
これで作業効率も上がったものの、それでもまだまだ数が足りない。
とはいえ悪いことばかりでもなかった。
人間というのは、手に入らないとなると欲しくなったりするものだ。それは前の世界でも、この世界でも変わらない。いわゆる品薄商法だ。
今回は狙ったわけではないが、結果的にそうなっている。品薄が人気に拍車をかけていたのだ。
「これを表の商売として、もっともっと売っていきたいところです」
マルコからはそんな手紙ももらっている。
今のところ、バゼの販売での利益は、もう一つの商売である密輸と比べてかなり低い。バゼが儲からないというのではなく、密輸が儲かりすぎるのだ。
それでもマルコがバゼの販売に熱心なのは、これが密輸という裏の商売を隠す、表の商売として有効だったからだ。
いうまでもなく密輸は犯罪だ。利益が大きい分、危険も大きいしバレたら困る。
マルコもあまり派手にやり過ぎて、
「あいつは怪しい」
と目を付けられることを恐れていた。
そこで有効なのが表の商売だ。
バゼを売るのを表に出して、その裏で密輸品を売りさばけば、露見する危険性は低くなる、というわけだった。
このあたり、レンとは少し考え方にずれがある。
極端な話、今のマルコはバゼの販売で利益が出なくてもいいと思っているようだ。密輸という本業をカモフラージュしてくれればいい、と。
だがレンはダークエルフの収入源の一つとして、バゼ作りをじっくり育てていきたいと思っている。
ただ、どちらにしろ職人はもっと増やす必要がある。
これについて、レンはダークエルフの子供たちが解決の糸口になるのでは、と考えていた。
ダークエルフは人間と同じように成長する成長期、若いままの姿を維持する安定期に分かれているが、成長期の子供たちの序列は、安定期の大人たちの序列よりも低い。
このため子供なら誰でも大人の職人の下で働ける。
子供たち全員に、まずは基本的な勉強を教えるつもりだが、それが終われば、手先が器用な子にバゼ作りに加わってもらうのはどうかと思っている。
成長期から安定期に変われば、序列も変わる。序列が高くなった子がいれば、その子が新しい職人たちのリーダーになるかもしれない――なんてことまで考えていたが、これは何年も先のことだろう。
まだしばらく、職人不足問題は続きそうだった。
屋敷では少し休憩して、またすぐに出発する。
まずは南の村を迂回するため西に向かい、そこから北へ方向を変えて黒の大森林へと向かう。
南の村、そして他の監視村のことを考えると少し気分が重くなった。
黒の大森林のダークエルフたちとは積極的にやり取りを続けるレンだが、間にある人間の村とは全く連絡を取っていない。前の巡回商人のナバルが魔獣に襲われた事件以来、村に足を踏み入れてもいない。全部マーカスに丸投げ状態だ。
今の屋敷のことも秘密にしているので、マーカスには今の屋敷と前の屋敷を往復してもらっている。村からの連絡などは、前の屋敷で働くマーカスに処理してもらっているのだ。
今のところ、それで問題は起こっていない。
元々、前のレンも領主としての仕事は何もしておらず、村に関することは全部マーカスがやっていた。レンは向こうから嫌われているし、だったら今まで通りマーカスに任せておけばいいだろう――そう思って何もしていない。
言い訳だというのは自分でもわかっている。
本来の領主の勤めをはたすなら、彼らの生活向上にも力を貸すべきだろう。多少なりとも現代日本の知識を持っているのだ。力になれる部分はあると思う。
だが自分を嫌っている相手に取り入り、関係を改善するというのは……
僕には難易度が高すぎるなあ、とレンはため息をついた。
元よりぼっち気質で人付き合いが苦手なのだ。関係改善といっても、何をどうすればいいのかわからない。
また向こうがレンを嫌っているだけなく、レンの方もダークエルフを差別する彼らによい感情を抱いていなかった。
向こうから助けて欲しいと言ってくれば別だけど、などと思いながら、今日も南の村をスルーして、ガー太に乗ったレンは黒の大森林へと入っていった。