第5話 ガーガー
訪問した南の村からはすぐに逃げ出したので、それでレンのやることはなくなってしまった。後は屋敷へ帰るだけだが、レンはそのまま帰るつもりはなかった。
マーカスには先に屋敷に戻ってくれるよう告げる。
「レン様は何をするつもりですか?」
「心配しないで下さい。単に一人でこのあたりを散歩したいと思っただけです」
外は天気もいいし、景色もいい。しばらく一人でのんびり散歩でもしながら帰ろうと思ったのだ。
マーカスは一度周囲を見回し、
「わかりました。ガーガーもいますし大丈夫でしょう。ただし南の村に近づくのはお止めになって下さい」
「もう二度と行きませんよ。ところでガーガーって何ですか?」
「鳥です。あそこにいるでしょう」
マーカスが指さす先を見ると、そこには見たことのない鳥がいた。
鳥、なのだろう。マーカスが鳥と言うからには。しかしその鳥は丸々と太っていて、ちょっと飛べそうには見えなかった。体は大きいが足と首が短く、まるでアヒルを丸々と太らせてから巨大化させたような鳥だった。距離があるので正確な大きさはわからないが、頭の高さはレンと同じぐらいありそうだ。
そんな巨大な鳥が三羽並んで草原を歩いている。太った体の割には軽快な足運びで、なんだかコミカルな動きだった。
「ガーガーっていうんですか、あれ?」
「はい。体は大きいですが、とても臆病な鳥で知らない人間が近づいただけで逃げ出してしまうほどです。ですがガーガーは魔獣の気配にも敏感で、あの鳥がいるなら魔獣が現れることはありません」
「じゃああの鳥が急に逃げ出したりしたら……」
「魔獣が現れる兆しです。古来よりガーガーが逃げると魔獣が現れると言われていて、そのためどんな強欲な猟師でもガーガーだけは狩りません。どんな村や街でもガーガーは大切に扱われているのです」
「へえ。すごい鳥なんですね」
「はい。ですから万が一ガーガーが急に逃げ出すようなことがあれば、すぐに屋敷へお戻り下さい」
「わかりました」
ここでレンはマーカスと別れた。マーカスが屋敷へと帰っていき一人になったレンは、さてどうしようかと思った。
単に一人で歩きたいと思っただけで、目的地があるわけでもない。
そうだ。あのガーガーをもう少し近くで見たいなと思ったレンは、三羽並んで歩くガーガーの方へと行ってみることにした。
臆病な鳥だと聞いていたので走って近付いたりはしない。前を横切る方向に歩いているガーガーたちへ、斜め方向から少しずつ近付いていく。
最初は百メートルぐらいだった互いの距離は徐々に縮まっていき、十メートルぐらいまで近付いたところで向こうがレンに気付いた。
「ガー?」
レンの気配に気付いたのか、一羽のガーガーがそんな鳴き声を上げ、彼の方を向いた。残りの二羽もレンの方を見て、双方の目が合った。
警戒して逃げ出すかなとレンは思ったのだが、予想に反してガーガーたちはレンの方へと近付いてきた。
ガーガー、あるいは、グァグァと聞こえる鳴き声を上げながらガーガーたちが近寄ってくる。
もしかしてこの鳴き声が名前の由来なのかな、などと思っている内にガーガーはレンのすぐ側まで寄ってきた。
大きい、とレンは思った。
丸っこい体は白い羽根に覆われていて、どこか気の抜けたような顔付きもかわいいのだが、何しろその顔がレンの頭より高い位置にある。体高二メートルといったところか。背中の高さがレンの顔あたりだ。
そんなガーガーに取り囲まれると、まるででかい相撲取りに囲まれているような圧迫感があり、もしかして踏みつぶされたりしないだろうかと少し恐くなった。
近寄ってきた内の一羽が体をかがませ、
「ガーガー」
と鳴きながら頭をレンの体にすり寄せてきた。
サイズはまったく違うが、まるでネコがスリスリするような感じで。
どうしようかとレンは迷った。ガーガーは自分に好意を持ってじゃれついてくれていると思うのだが、何しろここは異世界だ。これが敵意を持った行動でないと、どうして言い切れよう。
それでもレンは恐る恐るといった手つきで、ガーガーの首筋を優しく撫でてみた。
白い羽毛は柔らかくすべすべだった。手ざわりはかなり気持ちよくて、レンは続けて何度も撫でてみた。体温が高いのか、ほのかに温かい。
撫でられたガーガーは嫌がるどころか気持ちよさそうにしているので、レンは首筋と言わず、頭や体も撫で回してみるが、やはりガーガーは気持ちよさそうなままじっとしている。
さらに他の二羽のガーガーも、こっちも撫でてと言わんばかりにレンに体をすり寄せてきた。
「あはは」
レンは笑いながら、他のガーガーも一緒に撫でてやる。
人付き合いは苦手なレンだったが、動物は嫌いではない。ペットは飼っていなかったが、犬も猫も好きだったし、こうして自分に好意を示してくれるならなおさらだ。
そうやってしばらく三羽のガーガーとたわむれていたレンだったが、気が付けばじゃれついてくるガーガーが三羽から五羽に増えていた。
いつの間にと思いながら五羽を相手にしていると、さらに向こうの方から四羽、別の方向から二羽のガーガーがやって来るのが見えた。
ここまでくるとレンもこれは何かおかしいと気付き始めた。
マーカスはガーガーのことを、人が近付いただけで逃げるほど臆病な鳥だと言っていた。それなのにこの状況は一体? 逃げるどころか、向こうからどんどん寄ってきているではないか。
何か理由があると思うのだが、レンにわかるはずもない。ただ一つ思い浮かんだのが、もしかして異世界から来たことが関係しているのか? だった。具体にそれがどう影響しているかはわからない。それぐらいしか思い付かなかっただけだ。
嫌われるんじゃなくて好かれてるみたいだから、いいといえばいいんだけど――などと思いながら、ガーガー相手にたわむれているレンだったが、ガーガーが増えるにつれてちょっと苦しくなってきた。
何しろレンより大きな鳥が十羽以上集まっているのだ。向こうは手加減してじゃれついているだけだと思うのだが、それでもこれだけ集まるとじゃれつかれているというより、もみくちゃにされているという方が相応しくなってくる。
「うわ、ガーガーがいっぱいいる!」
元気な女の子の声に、ガーガーたちがピクリと反応する。
警戒のそぶりをみせたり、レンの後に隠れようとするガーガーもいて、レンは臆病なのは本当みたいだと思った。
いつの間にか小さな女の子が一人、レンたちのすぐ側までやって来ていた。小学校高学年ぐらいの元気そうな女の子で、着ている服装は質素だったから、南の村の女の子かもしれない。
相手は小さな女の子だったが、レンは少し緊張した。女性が苦手なレンも、さすがにこんな小さな女の子に苦手意識はない。ただ村であんなことがあったばかりだったので、何かやっかい事――例えばいきなり悲鳴を上げられたりしたらどうしようかと思ったのだ。
一方、女の子はガーガーに囲まれていたレンに気付いていなかったのか、目が合うと少し驚いたようだったが、
「お兄ちゃん、どうやってガーガーと仲良くなったの?」
物怖じせずにレンに話しかけてきた。
「さあ。どうしてなのか僕にもわからないんだ」
「私もガーガーにさわっていい?」
「いいと思うけど」
女の子が近付いてくると、ガーガーたちは距離を置こうとして動いたが、そのうちの一羽をレンが抱きかかえるようにして動き止める。そこへ女の子が飛びついた。
「うわあ! ふかふかだあ」
ガーガーの羽根に顔をうずめて楽しそうに笑う女の子。対して抱きつかれたガーガーはなんだか嫌そうな顔でレンを見る。
「まあまあ。恐くないから」
などと言ってレンはそのガーガーをなだめた。
しばらくそうやって遊んでいると、ガーガーたちも慣れてきたのか、女の子から逃げるようなことはなくなった。
ますます楽しそうに笑う女の子にレンは訊ねた。
「お名前はなんていうの?」
「ミーナだよ。お兄ちゃんは?」
「僕はレン」
レンは自分の名前を名乗ったのだが、ミーナは特に反応をみせなかった。
おかしいなとレンは思った。
先ほどの出来事でも明らかなように、レンは村人たちにかなり警戒され嫌われている。村人たちは子供にもしっかりと教え込んでいるはずだ。
あの男に近づいてはいけない、と。
「ミーナちゃんは南の村の子だよね?」
「違うよ」
すっかり南の村の子だと思っていたので驚いた。
「じゃあどこから来たの?」
「私のお父さんはじゅんかい商人なの」
巡回商人。監視村を回っている商人のことだろう。
そういえば巡回商人のことを忘れていたとレンは思った。もう南の村に行かないのはいいとして、巡回商人とも付き合わなくていいのだろうか?
村人と巡回商人では付き合い方も違うだろうから、後でマーカスさんに確認してみようとレンは思った。
「そうか。じゃあミーナちゃんもお父さんと一緒に馬車であちこち回ってるの?」
「うん。お母さんにおじいちゃんとおばあちゃんも一緒だよ」
巡回商人は、商人一人が馬車に乗って村を巡っているとレンは思い込んでいたのだが、どうやら家族全員で一緒の馬車に乗って移動しているらしい。
「ミーナ!」
女の子の名前を呼びながら、こちらへ急ぎ足で向かってくる男の姿が見えた。おそらく彼がミーナの父親――巡回商人だろう。マーカスから名前も教えてもらっていた。確かナバルといったはずだ。先程行った村にもいたと思うが、レンはその顔を思い出せなかった。あの状況では周囲にいた人の顔を見ている余裕など無かったので、言葉を交わした村長の顔ぐらいしか覚えていない。
「遠くへ行くなと――」
近くに来るまでガーガーたちに囲まれたレンに気付いていなかったのだろう。ナバルはレンの顔を見て固まった。
年齢は三十ぐらいだろうか。大柄でがっしりした体つきをしており顔付きも厳つい。商人というよりどこかの兵士といった方がしっくり来る容貌だ。もっとも魔獣に遭遇する危険が高い場所で行商人をしているのだから、ひ弱な男では務まらないだろうが。
何か話をしないと、とは思うもののレンの口から言葉は出てこない。元々他人との会話が苦手なのに、相手は威圧感のある男性だ。そんな相手に準備なしの気軽な会話などレンの対応能力を超えている。
どう挨拶したらいい? まずは無難に天気の話題からか? いやもっと他に言うことがあるだろう――などと混乱するだけで考えがまとまらない。
一方のナバルも声が出てこない。彼の場合は商売柄レンよりも遥かに他人との会話能力に長けていたが、相手が相手である。自分に恨みを抱いているであろう――と彼が思い込んでいる――貴族相手に、下手なことは絶対に言えない。
黙り込む二人の間で最初に声を上げたのは、
「お父さん、このお兄ちゃんすごいんだよ!」
無邪気に笑うミーナだった。
「ガーガーがいっぱい集まってね――」
「お前、領主様になんて口の利き方を!」
驚いたナバルはミーナを叱ろうとしたが、
「別に構いませんよ」
レンがそれを止めた。そしてナバルに向かって頭を下げる。
「先日は色々とご迷惑をおかけしたみたいで、どうもすみません」
ナバルはまたもや驚いた。レンがいるのに驚き、娘の言葉に驚き、と驚きっぱなしの彼だったが、今回の驚きが一番大きかった。驚きのあまり、思わず一歩後ろへさがったほどだ。
「実はあの事故で心を入れ替えたというか、もっとまじめに生きようと思ったというか、とりあえずこれまでのことはいったん忘れて、よい関係を築いていければと思っていますので」
レンは早口でまくし立てた。何か言おうとあせって、この場で思い付いたことを適当に言っただけなので、言ってる途中から僕は何を言ってるんだと思いながら。
聞いている方も思いは同じようで、何を言ってるんだこいつは? という顔でレンを見ていたが、
「こちらこそ、これまでのご無礼をお許し下さい」
どうにかそれだけ言ってナバルも頭を下げた。
「また後ほど、改めてお屋敷へご挨拶にうかがいます。今はこれで失礼させていただきます。ミーナ、帰るぞ」
「えー」
「いいから来なさい」
ミーナの手を引いてナバルは村の方へと帰って行った。ナバルは何度も頭を下げながら、ミーナは大きく手を振りながら。
レンはミーナに軽く手を振って二人を見送った。
やがて二人の姿が小さくなると、レンは大きく息を吐いてしゃがみ込んだ。
疲れた、と思った。
レンもナバルに会ったら、ああ言おう、こう話そうなどと事前に色々考えてはいたのだ。だがいきなり会ったせいでろくに話もできなかった。
これで少しは友好的になってくれればいいんだけどと思いつつ、それは難しそうだとも思っていた。事故で心を入れ替えたとか、いきなり言われて信じてもらえるわけがない。
もうちょっと上手く言えばよかったと落ち込むレンに、周囲のガーガーたちがすり寄ってくる。
「ありがとう。なぐさめてくれるんだね」
一羽のガーガーにギュッと抱きつき、しばらく柔らかい羽毛に包まれ癒されていると、遠くからひときわ大きいガーガーの鳴き声が聞こえた。
「クエ―ッ! クエ―ッ!」
見れば遠くの方から、一羽のガーガーが鳴きながらすごい勢いで走ってくる。
レンはガーガーは見かけ通り動作の遅い鳥だと思っていたので、その速さを見て驚愕した。
実は本気を出したガーガーがかなり速いというのは、この世界の住人にとっては常識だった。普段はのんびり動くのに「逃げ足は馬より速い」とすら言われているのだ。
この時代ではまだまだ正確な速度は計測されていなかったが、後にガーガー学の権威であるズバ・バーン教授が行った調査によれば、最高速度が時速70キロを越えたガーガーもいたというのだから、足が速いのは間違いなかった。
遠くから走ってきたガーガーは、その韋駄天ぶりに目を奪われていたレンに向かって一直線に突っ込んできた。
周囲にいたガーガーたちは道を譲るように二つに分かれる。
「うわッ!?」
ぶつかりそうになったところで、レンは悲鳴を上げて横へ飛び退いた。
突っ込んできたガーガーは通り過ぎたところで急ブレーキをかけ数メートル先で停止、レンのところへトコトコと寄ってきた。
「な、何か用?」
「ガー」
左様、とばかりに鳴いたそのガーガーは、レンの服の裾を加えてどこかへ引っ張っていこうとする。
「ちょっと!?」
ガーガーの引っ張る力は強く、引きずられたレンは足がもつれて倒れそうになった。
それを他のガーガーが支えてくれたと思ったら、レンの体の下に自分の頭を入れて、レンのことを押し上げようとする。周囲のガーガーたちもそれに加わる。
「え? え?」
あっという間にレンは自分を引っ張っていこうとするガーガーの背中に乗ることとなった。
「クエ―ッ!」
レンを背中に乗せたガーガーは一鳴きすると、いきなり全力疾走に移った。
「だから、ちょっと待ってってば!」
こうなるともう、レンは振り落とされようにガーガーの首にしがみつくしかできなかった。
悲鳴を上げるレンを乗せ、ガーガーはどこかへ向かって走っていく。集まっていた他のガーガーたちも一緒に。
もしこの様子を見ている者がいれば、何事かと目を剥いただろうが、目撃者は誰もいなかった。