第62話 上陸
港を出港してから一夜明けた朝。
船室で寝ていたカンニガルを、一人の船員が起こしに来た。
「先生、起きて下さい。目的の島が見えてきましたよ」
船員たちは皆、カンニガルのことを先生と呼んでいた。
「いよいよか」
知らせを聞いたカンニガルが起きて甲板に出ると、彼に気付いた船長が横にやってきた。
「先生、あれがそうですよ」
船長が指さす先を見れば、一つの島が見える。あれが目指すロドネイ島だ。
「聞いていた通りの島だな」
とカンニガルがつぶやいた。
ロドネイ島は南北五キロ、東西十キロほどの島で、島全体が一つの山のような地形をしていた。
ここから見ると、海上に山が突き出しているように見える。
だが山の形は三角形ではない。頂上部分がなく、台形のような形をしていた。島の中心は、直径数キロのカルデラになっているのだ。
大昔、海底火山の噴火でロドネイ島は誕生したが、その後の大噴火で山頂部分が吹き飛び、その後がカルデラとして残ったと考えられていた。
火山といっても、ここ数百年は噴火の記録もなく、今、船から見ても噴煙は上がっていない。噴火については大丈夫だろう。だがカルデラの中がどうなっているのか、島の外からはわからない。
「先生は上陸して、あの山を登るんですか?」
「そうだ」
島に上陸できれば、外輪山を越え、カルデラの内側まで探索するつもりだった。
探索の記録もないので、どうなっているかは謎だ。
「山の高さはともかく、斜面は結構きつそうですよ。大丈夫ですか?」
標高は千メートルもなく、切り立った山肌、というほど厳しくもなさそうだが、カンニガルは老人である。船長はそれを心配した。
「歴史学者といっても色々あってな。私は現地調査を大事にしているから、足腰も鍛えている。さすがに泳ぎじゃ君たちには勝てないが、歩きなら負けない自信があるぞ」
「元気そうでなによりですよ。でも、あの島は魔獣の島ですよ? 魔獣がウジャウジャいたらどうするんです?」
「海岸にまで魔獣がいるようなら、さすがに上陸もあきらめるしかないな」
「それを聞いて安心しましたよ。魔獣に突撃するとか言われたら、どうしようかと」
「ロドネイ島は魔獣の島と呼ばれ、地元の漁師も近付かない。だから実際の島がどうなっているのか、行ってみないとわからないわけだが、船長はどう思っているのかね?」
生徒に質問するような口調でカンニガルが聞いた。
「船乗りは昔からの言い伝えを大事にします。何か意味があるから、それが言い伝えとして残った。あの島には決して近付くなという言い伝え、無視はできませんね」
「本当は近付きたくないと?」
「正直、いい気はしませんね。けど安心して下さい。任務は任務、島までしっかり送り迎えしますよ」
「頼むよ。そこから先は我々の仕事だ。もっとも、いざ到着したら、上陸もできなかったなんて可能性もあるが」
「今更ですが、先生はあの島に魔獣がいるかどうかを確かめるために来たんですよね? それを確かめて、どうしようっていうんです?」
「少し違うな。私は魔獣ではなく魔群を調べるために来た。私は魔群について一つの仮説を立てていてね。船長は魔群の歴史について詳しいかね?」
「いいえ。魔獣の群れってことぐらいしか知りません」
「魔群についてはそれで合っているが、もう少し詳しく言えば、超個体という強力な魔獣に率いられた大規模な魔獣の群れだな。通常の魔獣は群れたりせず、単体で行動するが、この超個体が出てくると、その下に魔獣の群れができる。そしてこの超個体を倒せば、魔獣の群れも崩壊する」
「人間と同じですな。頭をつぶせば烏合の衆というわけだ」
「人類の歴史は、魔獣との戦いの歴史ともいえるが、中でも魔群は最大の脅威だった。村や街どころか、国まで滅ぼされてきた。船長はキカバ大魔群は知っているかね?」
「聞いたことはありますよ。何百年前かにあった、とんでもない魔獣の大群でしたか?」
「そうだ。このキカバ大魔群の最後はよく知られている。アイゼン平原の戦いで、群れを率いていた超個体を倒し、数十万ともいわれた魔獣の群れは一気に崩壊、人類は勝利した。ところが歴史を調べてみると、どうやって倒されたか不明なままの魔群がいくつかある。いついつどこどこで魔群が発生したという記録があるのに、倒されたという記録もなく、忽然と姿を消している」
「昔のことでしょう? 記録に残っていなくても、仕方ないと思いますが」
「もちろんそういうこともあるだろう。しかし船長、少し考えてみてくれ。魔群を倒したとなれば、まさに歴史に残る偉業だ。それを書き残さない貴族などいるだろうか?」
「……言われてみれば確かに。失敗は小さく、手柄は大きくっていうのが人間ですからね」
「もし魔群が本当に倒されていなかったとしたら、その魔群はどこへ行ってしまったのか? それで私は一つの仮説を立ててみた。記録に残っていない魔群は、倒されたのではなく、どこかで眠りについたのではないか、とね」
「動物が冬眠するみたいにですか?」
「そうだ。それももっと長い期間、数年とか数十年、場合によっては数百年」
「いくら魔獣でもそんな長生きできるんですか?」
「それを言い出せば、我々は魔獣の寿命すらわかっていない。実際に何百年と生きる竜がいるのだ。魔獣が長生きでも不思議はないだろう。全ては仮説に過ぎないが、これから行くロドネイ島で、もしかしたら証拠が見つかるかもしれない」
「じゃあ先生はあの島に魔獣が眠っていると?」
「条件はそろっている。過去、ドルトネラ湾沿岸とルベル川流域では、魔群による被害が何度も出ているが、退治されたという記録が残っていない。ロドネイ島に眠る魔群が、何かのきっかけで目覚め、暴れ回り、また島に戻って眠りについた、と考えればつじつまは合う」
そんな話をしているうちに、いよいよ目的のロドネイ島が近付いてきた。
実際に島の地形を見てみると、島の南北、そして東は山の稜線がそのまま海に沈むような地形になっていて、上陸するのは難しかった。唯一、西側の地形がなだらかになっていたので、船はそちらへと向かった。
「船長! 動いてるものはいません!」
見張りからの声が届く。
まずは海上から島の様子を探った。魔獣の島と言い伝えられているロドネイ島だ。海岸を魔獣が徘徊しているような島だったら、上陸をあきらめるしかない。だが、海上から見た限り、魔獣の姿は見えない。
島は緑が少なく、赤茶色の岩場が続いている。魔獣が隠れ潜んでいるような場所もなさそうだ。
「それはいいが、海鳥もいないのは妙だな」
船長はつぶやいた。
人のいない島は、海鳥の楽園になっていることも多いのだが、ロドネイ島には一羽も見えない。島の周囲を飛んでいる鳥もいない。
「どうかね船長?」
待ちかねたようにカンニガルが聞いた。
「とりあえず魔獣はいないようなので、上陸準備に入ります」
「よし」
とうれしそうにうなずくカンニガルに、船長は釘を刺しておく。
「まだ安全と決まったわけではありません。慎重に行動して下さい」
船は島の沖合に停泊し、そこで小舟を下ろした。
上陸の第一陣として、十人が乗り込んだ。船員、カンニガル、ディーネ、護衛の兵士などだ。
船員が櫂をこぎ、小舟はゆっくりと海岸に近付いていく。
やがてゴツンという音がして、小舟が止まった。海岸まではまだ五メートルほどあったが、海底の岩に船が引っかかったようだ。
これ以上、無理して進むことは危険だった。別の上陸ルートを探す手もあったが、
「これぐらい浅ければ大丈夫だ」
そう言ってカンニガルは船から海に飛び込んだ。
水の深さは腰ぐらいだったが、透明度は高く、底まではっきり見えた。下はゴツゴツした岩場なので、慎重に進んでいく。
「ちょっと待って下さい」
と言いながらディーネが、そして護衛の兵士たちも続いた。
「ここがロドネイ島か」
最初に上陸したカンニガルは、周囲を見回したが、岩場が続くだけで他にはなにもない。
「普通の島みたいですね」
追いついてきたディーネが言う。
「やはりあのカルデラの向こう側だな」
島の中心、カルデラの中がどうなっているかは、外輪山を越えて、実際に行ってみないとわからない。
山の高さは低いところで五百メートルぐらいだろうか。そういう低いところを選べば、登るのはそれほど難しくないと思われた。
だがまずは準備だ。
残りの人員を船から運び、その後は食料や天幕などの荷物を運んだ。二艘の小舟で船と海岸を往復し、荷揚げが終わる頃には、すでに夕方だった。
日が沈むと、かなり寒くなってきた。
カンニガルたちは明日からの調査に備え、今日はさっさと休むことにした。万が一に備え、護衛の兵士が交替で見張りに立った。
そして翌日。
懸念されていた魔獣の襲撃もなく、天気は快晴だった。
「では行くか」
カンニガルたちは、さっそく外輪山を登ることにした。
島での調査期間は一週間、ゆっくりしているヒマはない。護衛の兵士を二人残して出発する。
カンニガル、ディーネたち助手が四人に、兵士が十二人。合計十七人だ。
「これで先生の魔群休眠説が証明されれば、先生の名は帝国史に残ることになりますね」
ディーネが笑いながら言う。
「若い頃はともかく、今はもう、そういう名誉はあまり気にしなくなったな。それより、もし私の説が正しければ、早急に対策を立てる必要がある」
「なんの対策ですか?」
「忘れたのかね? 暑い夏、暑い冬、暑い夏が続いたら気をつけろ、だ。もし本当に魔群が眠っているのだととしたら、目覚めるのはもうすぐかもしれない」