第59話 試し
「借金の申し込み?」
「はい。ラフマンに宛てた手紙は、借金の申し込みだったそうです」
それは昨日の夜のことだった。
ヴァイセン伯爵は、部下からの報告を聞いていた。
ラフマンと隣国のオーバンス伯爵が行っている密輸について、ヴァイセン伯爵は黙認することにしたが、取引の内容については逐一報告するよう命じていた。
そして今日、ダークエルフたちが再びやって来たという報告が上がってきたのだが、その中に借金についての情報が含まれていたというわけだ。
「私のところには来なかったな」
ヴァイセン伯爵もオーバンス伯爵からの手紙を受け取っている。だがその中身は普通の挨拶で、借金については一言も書かれていなかった。
「それは、さすがに伯爵様に申し込んでも無駄だとわかっていたからでしょう」
「それもそうか」
「それにしてもオーバンス伯爵は余程金に困っているようですね。わざわざラフマンにまで頼みに来るのですから。もしかして密輸を試みたのも、金に困っての大博打だったのでしょうか」
「そうかもしれんな。で、ラフマンは金を貸すのか?」
「いえ、断るそうです。なにしろ黒の大森林の向こう側です。踏み倒されたりしたら、取り返すすべがありませんから」
「そうだな。しかし金貨百五十枚か……」
少し考えてから、ヴァイセン伯爵は部下に聞いた。
「すぐに用意できるか?」
「何をでしょうか?」
「金貨百五十枚だ」
「それは、すぐに用意できますが……どうするおつもりですか?」
「ラフマンが貸さぬなら、代わりに私が貸してやろうと思ってな」
「冗談、ではありませんよね?」
「もちろん本気だ」
「縁もゆかりもない相手です。伯爵様が助けてやる必要はないと思うのですが」
「勘違いするな。別にかわいそうだから助けてやろうとか、そういうことで言っているのではない」
「ではどうしてですか?」
「なに、これでオーバンス伯爵の人柄が少しはわかるかな、と思ってな」
合点がいかない様子の部下に、伯爵はさらに説明する。
「人間、誰しも金を借りるときは必死だが、返すのは嫌なものだ。だから金の貸し借りで、ある程度、相手の本性がわかる。こちらが催促せずとも、きっちり借りを返す相手なら信用できる。だが、もらうだけもらっておいて、返そうとしない相手は信用できない」
「それを確かめようというのですか?」
「私はオーバンス伯爵を知らない。隣国とはいえ、黒の大森林の向こう側だからな。これから付き合いを続けていくかどうか、続けるにしてもそれなりに信用できる相手なのかどうか、それを確かめる必要がある」
「金貨百五十枚は、その必要経費というわけですか」
「とりあえず無利子無期限で貸してやろう。決して安い金額ではないが、だからこそ相手を試せる」
「それでもしオーバンス伯爵が金を返さなかったとしたら、どうするおつもりですか?」
「その時は、それなりの付き合い方を考えるだけだ」
ヴァイセン伯爵が密輸を黙認したのは、あくまで自分たちの利益になるかもしれないと思ったからだ。
相手が信用ならないと判断すれば、密輸を黙認するかどうかも含め、考えていく必要があるだろう。
こうしてヴァイセン伯爵は金貨百五十枚を用意するように命じた。
そして翌日。
失意のままガゼの街を出て行こうとしたゼルドに、援助の話が伝えられることとなった。
「援助というと、伯爵様が、我々に金を貸して下さるということですか?」
ゼルドは話を持ちかけてきた役人に訊ねた。
「そうだ。伯爵様は金貨百五十枚を貸そうとおっしゃっている。それも無利子無期限だ」
「それは……」
あまりに都合のいい言葉に、ゼルドは喜ぶより疑ってしまった。
これは本当の話なのか?
「どうした。うれしくないのか?」
「もちろんうれしく思います! ですが、なんというか、無利子無期限でいいというのは……」
「なにか裏があるとでも? まさか、せっかくの伯爵様のご厚意を疑っているのか?」
「滅相もありません!」
「では?」
「はい。金貨百五十枚、喜んでお借りします」
何かの罠か? とも思ったのだが、ヴァイセン伯爵が自分たちをどうにかするつもりなら、わざわざ罠にかける必要もない。
とはいえ単純な厚意とも思えなかった。
無利子無担保で金を貸しても、向こうには何の得もない。何か考えがあってのことだと思うが、断る理由はなかった。
「では受け取れ」
役人は革袋を差し出してきた。
「ありがとうございます」
受け取ったゼルドは、ズシリとした重みを感じた。
中を見ると金貨がぎっしり入っている。
金貨百五十枚。見たこともないような大金を手にしたゼルドは少し緊張した。
ガングに襲われた際、ゼルドたちは金貨百五十枚分の荷物を運んでいた。つまり今手にしている金貨と等価値だ。だが荷物を運んでいたときは、今のように緊張したりしなかった。
金には不思議な力があると彼は思った。
「このまま、その金を持って街を出るのか?」
「いえ。今から街を出るつもりでしたが、金を貸していただけたので、ラフマン様のところへ行って、商品を購入してから帰ります」
「なるほど。その方が持ち帰ったとき高く売れるということか。抜け目ないな」
「そのように命じられておりますので」
レンは、もしラフマンが借金に応じてくれるようなら、金貨ではなく、商品を購入して持ち帰ってくるように頼んでいた。今役人が言ったように、その方が高く売れるからだ。
もう一つの理由として、グラウデン王国とターベラス王国では使われている金貨が違う。ターベラス王国の金貨を持ち帰ってきても、どこかで両替する必要があるのだ。だったら商品の方がいい。
とにかく、これで最悪の事態は免れたと思った。金貨百五十枚で商品を買って帰れば、マルコが借金を返せず破綻することはなくなるだろう。
代わりに新しい借金ができたが、こちらは無利子無期限でいいので、あせる必要はない。返せる範囲で返していけばいいだろう。
金貨を受け取り、詰め所を出たゼルドは、部下たちに結果を報告した。金貨を見た部下たちも、喜びの声を上げた。
彼らはそのままラフマンの店へと向かい、金貨百五十枚で宝石のラドラを追加注文した。
「この金はいったいどこから用意したのだ? まさか……」
対応に出た店の者は、恐る恐るといった調子でゼルドに訊ねた。
「ご安心下さい。出所のあやしい金ではありません。ヴァイセン伯爵様が貸して下さったのです」
「伯爵様が? なぜだ?」
「それは私たちにもわかりません」
店の者はどういうことかしつこく聞いてきたが、わからないものは答えようがない。そして金は金だ。
「では金貨百五十枚でラドラを用意しよう。明日には用意できるはずだ」
「では明日の朝でよろしいですか?」
「ああ。店ではなく、今日と同じ取引場所に来い」
「わかりました」
そう言ってゼルドたちが返ると、店の者はすぐに部下を一人、ヴァイセン伯爵の屋敷に走らせた。話しの裏を取るためだ。
帰ってきた部下の報告は、
「確かに話の通りでした。伯爵様が奴らに金貨百五十枚を渡したそうです」
「理由は聞いたか?」
「はい。ですが伯爵様が決めたことだ、とだけ。それ以上は教えてもらえませんでした」
金の出所の確認が取れたので、店の者は部下に値段分のラドラを用意するよう命じ、自分はラフマンのところへ報告に行った。
「両家の間に、何か密約でも交わされたのか?」
報告を聞いたラフマンは、思案顔でそんなことをつぶやいた。
黒の大森林を挟み、ヴァイセン伯爵とオーバンス伯爵の結びつきが強くなれば、密輸は長く続いていくかもしれない。規模ももっと大きくなるかもしれない。
最初にマルコから密輸を持ちかけられたとき、ラフマンは黒の大森林を通っての商売など、上手くいくはずがないと思っていた。それでも話を受けたのは、失敗しても自分に損害がないと思ったからだし、実際にそういう形で取引してきた。
もっと積極的にやってみるか、と考えるラフマンの顔は、やり手の商人のものになっていた。
そして翌朝。
取引場所にやって来たゼルドは、店の者から金貨百五十枚分のラドラを受け取ったが、それと一緒に手紙も一枚渡された。
「マルコ様に届けるようにとのことだ」
「わかりました。お預かりします」
宝石と手紙を受け取ったゼルドたちは、すぐにガゼの街を出ると、そのまま帰途につく。
「予想外に上手くいったが、我々の仕事はまだ終わっていない。わかっているだろうが、無事に荷物を持ち帰るまでが仕事だ」
部下たちに、というより自分に言い聞かすようにゼルドが言った。
そして彼ら四人は黒の大森林へと向かった。